第三十九話 欧州情勢
「なぜだ!」
昭和十二(1933)年二月、俺は驚愕した。
ヒトラーが首相になっているのである。
そうならないためにベルサイユ条約では賠償金を減額したのである。しかし、こうなってしまった・・・
なぜなのか?原因は世界恐慌だった。そして、予想外のフランスの行動。
米国での株価暴落後もフランスは植民地間での取引により好景気を維持していた。特に金融が好調で米国の不況とは一線を画した発展を遂げていたのだが、それも一昨年に突如破綻してしまう。
その時とった行動が、アルザス=ロレーヌ地方への進駐だった。
この世界ではルール進駐が起きていない。それはアルザス=ロレーヌ地方がドイツ領だったこともあるだろうが、日米がフランスを支援したこともある。そのため、フランスがドイツへ進駐してハイパーインフレによる政情不安を加速させる事態を未然に予防してヒトラーの台頭を抑制できていた。はずだった。
そもそも、ヒトラーが率いるのはナチスではなく、その前身となる労働者党を名乗っている。イタリアのファシスト党への関心も表面上は低い。どちらかというと一般的な大衆政党の体をしている。
そして、ミュンヘン一揆を起こすことなく静かに支持を拡大し、フランスの進駐による反仏感情の爆発に伴って一気に全国区へとのし上がったようだ。
フランスは進駐後、賠償金の早期支払いを要求したがドイツは拒否し、ストライキで彼らに応えた。
しかし、当然そんなことをすればヤンマーエンジンで支えられている経済が崩壊してしまうのは明らかで、半年もしないうちに恐慌に伴う不況に倍加して失業や倒産が増えていった。
そうした事態をうまく縫って勢力を伸長したのが労働者党だった。
彼らの主張は反仏とそのための再軍備。非常に単純明快で多くの市民がそれに賛同した。そして、彼らは軟弱な政府の態度に反発していたのである。
そんな中で行われた国政選挙でヒトラー率いる労働者党が躍進するのは当然で、それまでわずかしか議席を得ていなかったにもかかわらず、一気に第一党に躍り出ることとなった。
「彼の主張は?」
「ドイツの団結とフランスの排除、その為の再軍備です」
情報部員の返答は非常に簡潔だった。
「彼はそれ以上のこと、あるいはそれ以外の事は語っていないのかな?政治主張の著作とか」
「いくつか出版はありますが、殿下が懸念されたような過激な主張は行われた形跡がありません」
そのような返答が返ってきた.
未だ鳴りを潜めているのか、それとも前世とは人格が変わってしまったのか?
まさか・・・
そんな予感が頭をよぎる。
もし、ヒトラーが死の直前の記憶を持つとしたら、そこから逆算して事に当たっていることはないだろうか?
そうだとすると、脅威である。
「今後、ドイツ情勢には特に注意するように」
そう告げて下がらせた。
現在のドイツについておさらいしてみると、前世同様海軍の軍備制限を受けている。前世以上の口径制限があり、10吋までの砲しか装備できない。艦は1万トン未満と前世と同じ。
そして、現在分かっているところではソ連と何らかの協定を結んで軍事協力を行っているのも前世と同じらしい。
少し違うことといえば、その協力が海軍にも広がり、現在ソ連では12吋砲を備えた土佐級ないしは超土級の戦艦が建造されているらしいということ。
当然だが、それはドイツの技術取得に利用されていることだろう。
ドイツでは戦時中に土佐に匹敵する戦艦を完成させていない、そのため背負い式配置の実績もないが、それに関しては既に1万トン未満の第一号として210mm砲装備の巡洋艦が就役している。わずか一隻で姉妹艦もないが、きっと背負い式配置の実証が目的なのだろう。
ちなみに、この世界には軍縮条約がないので軽巡、重巡の区分は存在していない。そのため巡洋艦の砲口径は特に制限されていないが、昔のように12吋砲を摘んだりはしていない。水雷戦隊の旗艦や警備用の艦艇として運用される例が多く、8吋砲クラスを装備しているのはドイツとそれに対抗するためにフランスと英国がいくらか建造しているくらいだ。
そもそも、前世の例だが太平洋戦争中に米国では同じ船体規模の艦艇に8吋9門か6吋12門を装備して片方は重巡、片方は軽巡といって区分していた。同じ規模の艦艇で軽も重もあったものではない。
重巡とは中途半端な艦艇で、軽巡を大型化しても同じ仕事はできるが、重巡でないとできない仕事というのは少ない。8吋砲は軽巡を撃退できるが戦艦には歯が立たないのだから、それも当然である。
悪く言えば、軍縮条約が生んだあだ花・・・
昭和十二(1933)年、なぜか前世と同じようにヒトラーが政治の表舞台に現れた。
やはり、歴史は前世と同じように回ってしまうのだろうか?




