第三十二話 訪欧
大正十(1921)年八月、世界を一枚の写真が駆け巡った。
それは軍艦の艦橋で祈る女性の姿だった。
写真のキャプションは「故郷の大地へ祈りを捧げるアナスタシア殿下」だった。
この写真が膠着状態だったソ連と極東ロシア公国を動かすことになる。
正式の協定が結ばれるまでには三年を要したとは言え、一枚の写真が両国を動かした事実は変わらない。
べ、別に嫁を贔屓している訳ではない。
事の起こりは前年に遡る。
兄は俺とアナスタシアの結婚の勅許を出してさっさとくっ付けられる事になった。
前世でまったく女っ気がなかった俺が金髪美人と結婚だぜ?ないわ~、一応、今の俺は皇弟なんてチートな地位に居るが・・・
女の子なんてお金を積んで遊んで貰った事しかない奴にこんな突拍子もない事実に対応する能力なんかあるはずもなく、ただただアナスタシアに押されるばかりだった。
何だかんだと逃げ回った。うん、何か文句あるか?ある奴は爆ぜろ。
そして、そんなときに持ち上がったのが皇太子訪欧だった。
関連がない?
いやいや、話は最後まで聞いてくれ。
俺は甥の訪欧の話だと聞き流していたが、警護責任者に俺の名前が挙がる。
は?
唖然とする俺をよそに話は進んでいき、更にもうひとつ、大正十(1921)年夏に竣功予定の出雲型戦艦の観閲とバルト海への航海が計画されていた。
「訪欧中に竣功する『出雲』によるバルト海への航海に関してですが、上総宮さまにはアナスタシア殿下も帯同して頂きたく・・・」
何を言っているのか分からなかった。軍艦に女乗せるとかバカじゃね?今、大正。HAHAHA
しかし、東郷さんが動いた。
反対意見?誰も言える環境などない。チラッと伊藤さんを見ると、「金髪美人と居ながら手も出さんとか人間かよ」って目が語っていた・・・
いつもは山縣さんを牽制する筈の伊藤さんが皇太子訪欧には始めっから賛成で、出雲の件は主犯格である。
なんでかって?皇太子訪欧の責任者な俺は新婚旅行に行くわけじゃないから警護指揮官としての個室を要求したのさ、HAHAHA
公務だ、公務。
「出雲は御召艦として作られた個室を有しておるゆえ、上総宮夫婦はひとつの個室で宜しかろう」
謀ったな、東郷!
「どうせ、やることはひとつ。出雲の個室はシャワー付きになるのだったか。問題は無いですな」
伊藤さん、あんたもか!
伊藤さんの目は「このヘタレが」と言っていた。
大正十(1921)年八月、出雲に乗艦すると逃げ場を失った。
そして、主犯を見付けた。今、目の前に居る金髪美人さんである。
「逃げ場はありませんね」と音符とかハートマークが幻視出来るような声音で囁かれては・・・
それはそれは激し・・オッホン。
出雲による航海中、アナスタシアは艦内を駆け回っていた。きっと俺より艦に詳しくなった事だろう。
バルト海に入り、ソ連の近くまで進んだ時だった。
「もうしばらく進めば、ソ連領も見えますが、我々はここより帰路に就きます」
艦長の言葉にアナスタシアを呼んできた。
「サンクトペテルブルクに連れては行けないが、とりあえず、故郷の大地は見せてやれたかな」
多少の混乱はあるが、バルト三国の陸を見ながら進んだ。
「宮殿へ連れていって欲しいですけど、その様な無理は叶いませんから」
アナスタシアはそう言って大地に向かって祈りを捧げた。
この時報道班が撮影したのが件の写真だ。
出雲の航海自体が当時世界最大の戦艦による示威行動であったが、それよりも威力があったのはアナスタシアの写真なのだから、戦艦の価値とは知れたものだなと思い知らされた。
戦艦 出雲型
排水量 2万9千トン
全長 210メートル
幅 32メートル
主機 蒸気タービン4軸
出力 8万馬力
速力 26ノット
武装 13.5吋三連装砲4基
5.5吋連装砲4基他
そうそう、帰国したらアナスタシアが妊娠していた。




