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7話 怖気づくと人は死ぬ

 

「ふう、1匹見たら100匹いると疑えってのはまさにこのことね……。でもようやく打ち止めみたい」


 折り重なる死骸とアイテムの山を眺めてソフィアが大きく息を吐いた。

 姉妹刀鏨は夥しい量の虫の体液と脂肪を吸ってべっとりと汚れている。


「さて、どれくらいの生体エネルギーが貯まったかしらね。これだけ狩ったならレベルの2、3個は上がったっていいでしょ。小狐丸、戦果報告」

『マッドネスローチ158をミコっちゃんと共に撃破。公平分配設定により86の生体エネルギーを獲得したであります!』


 小狐丸からは完全にミコっちゃんで定着したらしい。

 

(流石、2人だと滅茶苦茶効率がいいな)

 ミコトが成果に感心する一方、ソフィアは逆に落胆したようだった。


「うそん、これだけ狩ってたったの86?一個も上がんないじゃない」

『おっしゃる通りでありますね。装者殿、次も頑張るであります!』


 デバイスからのエールも心に響かず愕然とするソフィア。


「レベル1のダンジョンですからこんなものですよ。無抵抗のモンスターからでもエネルギーを得られるんですからありがたいと思わないと」


 ミコトがそう諭すと、「世の中甘くないわね……」とこぼして肩を竦めた。


「“チートスキル経験値1万倍であたしだけ楽してレベル上げ。底辺から世界最強に成り上がりハーレムライフを満喫する”とか期待してたのに……」

「何ですかそれ?」

「“小説家を()ろう”で読んだわ」


 ネット小説を読まないミコトにはピンと来なかったが、何となくソフィアが言わんとすることは伝わった。


「つまりフィクションってことですか?」

「そうとも言うわね。でもあたしが最強目指しててハーレム構築したいって夢だけは嘘偽りがないわ。一人絶対にハーレムに入れたい子がいるのよねー。正妻確定よ」


(正妻って誰だよ)


「そんな都合のいいスキルが現実にあるわけないでしょう。生体エネルギー獲得量一万倍の化け物がいたら、しかもそいつが働き者だったら今頃大量の高額アイテムが市場に出回って、デフレで俺達普通の冒険者が飯を食えなくなってますよ」


 ミコトは自身が所有する規格外のスキルを棚に上げ、呆れたというジェスチャーも交えて否定した。


 他の大勢の冒険者の食い扶持を間接的に一個人の力のみで減らす。

 絵空事もいいところだ。

 だが、絵空事であろうと鋼鉄姫の力なら容易に実現できてしまう。

(考えるだに恐ろしい話だ。力を持ちすぎている人には是非とも怠け者になっていただくしかない)


「それに楽してって、ソフィアさん、ちゃんと苦労した上で力をつけたいって言ってたじゃないですか」

「わかってる。ほんのジョークよ」


 ミコトの批難をソフィアはお堅いこと言いなさんなといった表情で受け流した。

 彼女も本気で妄言を口にしたわけではない。

 別の思惑があってのことである。


「チートスキルはともかくさ、たまには辛い現実から目をそらして夢を見るのもいいわよ。“小説家を()ろう”面白いんだから。後であたしがミコト君に、読むべき100選を教えてあげる」


 どうやら楽してレベルアップがどうのというのは会話のとっかかりを得るための方便であったらしい。


「俺、漫画ぐらいしか読まないんで小説とか長い文章は苦手かなって」


 文字だらけの本でミコトが読むのは魔法の教本や、冒険者にとって必修である法律関連の参考書等がせいぜいだ。

 鋼鉄姫になっても読書の趣味嗜好が変わるわけでもない。

 ネットカフェでは頭を空っぽにして読める少年漫画ばかり読んでいた。


「大丈夫よ。漫画感覚で読めるから。ミコト君趣味とかないの?なかったらどう?無料でどこでもできるわよ。エクスデバイスに朗読させるアプリがあって、筋トレしながらでも楽しめるわ」

「そんな無駄機能が……」


 一応は断ったものの、ソフィアは熱心に勧めてくる。


(人から何かの趣味に誘われたのって初めてかも。なんかいいな。こういうの)


 ミコトは今までの人生になかった感動を味わっていた。

 ただ、話題は時と場所を選ぶべきだと思い直す。


「一応ダンジョンの中ですし、その話は後回しにしましょう。ところで気づいてますか?」

「何が?」

「上にです」

「上?」


 ミコトに指摘されてからソフィアが間の抜けた顔で空を見上げると、そこにはマッドネスローチに体躯で勝るとも劣らぬ巨大蝿がブブブと不快な羽音をたてながら降下してきていた。

(気配探知がありながら気づかなかったってことは、ソフィアさん魔力切れを起こしたか)


「スケアリーフライです。こいつもマッドネスローチと同じ無害―――」

「きゃああああああああっ!!!!」


 ミコトの解説は悲鳴にかき消される。

 スケアリーフライがソフィアの背中にしがみついてきたのだ。

 当の巨大蝿にとっては都合のいいところに羽を休める所があった。ただそれだけのことにすぎなかったのだが、止まり木代わりにされたソフィアにその心中を慮ることなどできるはずもない。

 大人の女の威厳を振り捨てて半狂乱になった。


「イヤッ!ヒィィッ!あたしの髪舐めないで!」


 ついでにミネラル分を含んだ水分がそこにあったから舐めた。ただそれだけのことである。殺傷力は皆無だ。

 ミコトが悠長に講釈を垂れようとしていられたのもスケアリーフライに戦闘能力がないからこそ。

 しかしながら、ソフィアが受けた精神的苦痛のほどはかなり大きいようだ。

 その点においてはスケアリーフライ(恐ろしいハエ)の名に恥じない働きをしたと言えよう。


「ミコト君助けて!」

「わかりました。危ないんで動かないでくださいね。今排除します」


 ミコトはソフィアの側面に回るとスケアリーフライの頭部を頑丈な手甲で殴りつけた。


 (あ、しまった。こいつ思ったより脆い)


 手甲に伝わる感触は想像以上に軽かった。

 ブチリと首の筋繊維が嫌な音を立ててもげる。拳の形に陥没した複眼は山なりに飛んで草むらの中に消えていった。

 残った胴体の断面からは白くベタついた粘液がどろどろと漏れ出してソフィアの首筋から背に染み込んでいく。

 地肌に接触した液は生温かく、そして生臭かった。

 その気色の悪い感覚ときたら、大の男でも幼児退行を起こして大泣きしていい場面である。

 蝶よ花よと育てられたであろう一般人も同然のソフィアは抗えず、大きな悲鳴を上げた。


「うっぎゃああああああ!!!!ミ!ミ、ミミ、ミミミ、ミミミミ!ミコトくぅん!」


 セミの断末魔のように名前を叫びながら涙袋に決壊寸前の雫をたっぷりと貯めてミコトを見てくる。


「殴るんじゃなくてもっとこう!穏便に解決する手段があったんじゃないかなあっ!おねーさんの言ってることおかしい!?」

「すみません、引き剥がそうかと思ったんですが、俺もできるだけ触りたくなかったんで」

 

 慣れたとはいってもこのダンジョンに生息するモンスターがことごとく縁が千代な連中であることには変わりない。

 ソフィアに優しく接するにも限度があった。

 (友達じゃなくて仲間なわけだし距離感はあった方がいいよな。多分)

 

「おねーさんもよ!そういうのだけはノーサンキューかな!?ピンチの時こそ華麗な立ち回りで回避しましょうよ!安易な解決策に走るのよくない!」

「レベル100の達人だって汚れる時は汚れますよ。冒険者に限らず汚れる仕事なんていっぱいあるじゃないですか。医者でも下水道の作業員でも汚い思いをするのなんて日常茶飯事です。自分だけそのような環境と無縁でいたいなんて虫が良すぎると思いませんか?スケアリーフライに毒はありませんから、こういうのも今の内に経験しておきましょう。かく言う俺も似たような経験を何度もしてます」


 (冒険者は体を鍛えるだけじゃなくて精神修練も大切。これは通過儀礼ってことで)

 我ながらうまい言い訳ができたと思う。


「正論が心に突き刺さる!でも全然悪びれてない!やっぱりこの子生粋のサディストだわ!最初から無知なおねーさんを騙してぐちょぐちょにして視姦するつもりだったのよ!うわぁあああああんんん!!!!」

「人聞きの悪い事を言わんでください」

 

 ミコトはべそをかく大きな子供を宥めすかしながらダンジョンを出たのだった。



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