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6話 ダンジョンアタックは3k労働




 

「いよいよ突入ね」


 ゲートを前にしてソフィアが武者震いをする。

 これまでの言動で彼女に対する印象を180度変えたミコトだったが、やはり美人が真剣な眼差しを見せるとなまじ顔形が整いすぎているだけに絵になるものがあった。


「緊張しますか?」


 ミコトが気を使って声をかけてやると、ソフィアは寒さの中額に汗を滲ませながらこう言った。


「就職したての頃初めて飛び込み営業をした時の感覚に似てるわね」


 社会人経験のないミコトには理解不能の感覚だった。


「それは嫌な緊張感ですね」

「うん、けど大丈夫。そん時はバッチシ契約をとったわ」


 ソフィアは親指を立て、薄い唇の端を無理矢理動かして笑みを刻む。


「そうですか。どこに大丈夫な要素があるのかわかりませんが心強いような気がします」


(かなり緊張しているな。でもこういった初心は大事だ。ダンジョンの行き来に慣れ過ぎると緊張感を無くしてやられ癖がついたなんて例は枚挙にいとまがないし)


 蘇生を受けられるが故の弊害である。

 何度死んでも恐いものは恐いし、痛いものは痛いのだが、死の直前まで不思議と集中力が維持できなくなるといった心の病にかかることがある。

 本人の気の持ちようなので個人差はあるものの、冒険者が引退を決める理由の中では割とポピュラーな部類だ。

 だから虚勢を張られるよりはガチガチに緊張してくれたくらいの方がいいだろうと思った。


「先行します。後についてきてください」

「了解」


 頷きを交わし合い、ゲートを通過する。


 ダンジョンレベル1"分解者の楽園"

 そこは熱帯のジャングルと思しきダンジョンだった。

 またも内外の気温差が激しい場所である。


「蒸し暑いわね」

「ええ、必要に応じて水分補給をしましょう。モンスターが出たらそうもいきませんけど」

「それね、スキルでモンスターの気配を探ろうとしてるんだけど、維持しておいた方がいい?常時魔力を消費しちゃうけど」

「お願いします。デバイスに探知をやらせると余剰生体エネルギーを使ってしまうので、休憩すれば回復する魔力の方が使い勝手がいいんです」

「そうね、生体エネルギーを稼ぎに来てるんだもの。損して得取れとは言うけど収支が赤字になるのはいただけないわ。それに気配探知はスカウトの代名詞とまで言われる基本中の基本スキル。できるだけ磨かなくっちゃね」


 そんなやりとりをしてから歩み出した。

 進む道はジャングルでありながら舗装が施されている。

 草を刈って、地ならしをして石を敷き詰めた明らかな文明の痕跡だった。


「これって道路よね。どう考えても人が工事をしたとしか思えないんだけど、実際には異世界の人が暮らしているわけじゃない。ダンジョンって謎ばかりだわ」

「道路だけならかわいいものです。高難易度のダンジョンには機械工場があって人型ロボットに襲われることもあるそうですよ。なのにそれを生み出した知的生命体の痕跡だけがない。あまりにも不可解すぎます」

「エクスデバイスといい、明らかにオーバーテクノロジーよね。そんなものを作り出した異世界の人達はどこに行ってしまったのか、それともそう考えること自体が見当違いなのか。ま、こういう事を考えるのは老後の楽しみにしてとっておきましょうか。ここで考えても埒の明かないことだしね」


 そもそもダンジョンという存在そのものが荒唐無稽の塊である。

 ダンジョンとは何かという問いに対してもまた、エビデンスに乏しい、それこそ荒唐無稽な憶測で溢れ返っているのが現状であった。

 例えばある生物学者が、ダンジョンとは免疫機構を備えた擬似的な生命体だと提唱した。

 モンスターは体内に侵入した外敵――病原菌を排除する抗体であり、侵入した冒険者が死亡と共にゲートの外に排出されるのは動物でいう咳や鼻水に相当するのだという。

 もっともらしく聞こえなくもないが、悲しいかな。

 人間とは実際には無関係のことでも共通項があれば強引に結びつけてしまう生き物だ。

 根拠という地盤がゆるゆるである以上、いかに高名な学者の説も砂上の楼閣に過ぎず、証拠はあるんですか?と訊かれればそれだけで一蹴されてしまう。酒の肴程度の価値でしかなかった。

 ソフィアの言う通り老後の楽しみにでもしておけば良いことであり、いつ敵が出てきてもおかしくない状況での議論は無用の長物だった。


「そうですね。豊かな老後のためにも今は頑張りましょう」

「ええ。……ミコト君、前の茂みに何かがいる気配がするわ」


 ソフィアがモンスターの存在を感知したらしい。その方向を指で示す。

 間もなく何かがガサガサと草をかきわける音が聴こえてきた。

 ミコトは金棒を肩へ担ぐようにして構え、ソフィアはクロスボウの尖端を前方に向ける。


「マッドネスローチか」


 草の中から道路に姿を現したのは長靴ぐらいのサイズはあろうかという巨大ゴキブリだった。

 家の台所に現れたのなら失禁ものの大きさである。


「いっ!いいぃいいいいいぃぃいいいやあああああああーーーーーー!!!!!!」


 ソフィアが間髪おかず恐慌をきたし、甲高い悲鳴を上げる。


(初めて実物を見た人は大体こういう反応だよな。俺も似たり寄ったりだった)


「デッ!デカッ!デカあああああああいッ!説明不要!」


 喚き散らして大袈裟に身を引くソフィアにミコトは「落ち着いて。俺が仕留めますから」と言い聞かせ、巨大ゴキブリに接近する。

 ゴキブリと言えば素早い動きと優れた隠形能力を兼ね備えている思われがちだが、マッドネスローチの場合その巨大な図体が仇となって、持ち味であるはずの動きはとても緩慢だった。

 敏捷値が低いミコトにも難なく捕捉され、振り下ろされた金棒を避けもせず拍子抜けするほどあっさりと叩き潰された。


「倒しましたよ」


 ソフィアのところに戻ると彼女は「取り乱してごめんなさい」と素直に詫びる。しかし、すぐ後に「どうしてこういうのが出るって事前に教えてくれなかったのよ!」とミコトをなじり、拗ねた顔になった。


 この反応をミコトは最初から予測していた。

 敢えて心を鬼にしてでの行動である。


「言葉を返すようですけどあらかじめこういうのが出る(・・・・・・・・)と知っていたら、このダンジョンに入ることを賛成してくれましたか?」


 ミコトが涼しい顔で問い返すとソフィアは、「するわけないじゃない!もっとまともなモンスターと戦うのを想像してたわよ!」と憤然としながら食ってかかる。


 出発前はソフィアのテンションに押されっぱなしのミコトだったが、この猛抗議に対しては平然としていた。

 殊更冷淡に声音を落としてこう言った。


「受け入れてください。このダンジョンに限らずこれから先見た目が精神的にくるモンスターは掃いて捨てるほどいます。強さに関係なくです」

「そうなの……?マジ……?」

「はい、マジです。冒険者やめたくなりましたか?」


 最後の言葉に挑発の響きを込めて問いかけると、ソフィアは数秒間瞑目した後、「ヘッ」と唇を曲げて不敵な笑みを浮かべた。


「冗談。年下の男の子に『ビビってる?』って言われて『はいそうです』と答える大人の女がいるもんですか。さっきのはあれよ」

「どれですか?」

「ほら、ミコト君のステータスにあったじゃない。ウォークライってスキルよ」


 ウォークライ。雄叫びを上げることで体内の魔力を活性化させ1割程筋力と耐性の数値を上昇させるスキルである。


「今修得したんですか、すごいですね」

「そーよ。あたしってば天才なんだから。って軽口はほどほどにしておくとして、ごめん、今度はあんな醜態はさらさないわ」


 クロスボウを持ち直してそう宣言する。


「洗礼のつもりでこのダンジョンにしてくれたんでしょ?」

「その通りです」

「キミの優しさに免じて許してあげる。おねーさん的には抱かれてあげてもいいポイント1点追加よ。1万ポイントまで頑張ってね」


 1万ポイント貯まったらどんなご褒美が待っているのか。

 一瞬とはいえ想像してしまったミコトは三度目の赤面をして、その顔をソフィアに見られまいとそっぽを向いた。


「おやおや?1万点でどんなことがデキるか気になっちゃた?キミって真面目そうに見えて結構むっつりさんだよね♪」


 軽口はほどほどにしておくという言を反故にしてニヤニヤと意地の悪い笑みでからかうソフィア。

 先刻のミコトの態度に対する意趣返しであろうか。

 だとしたら彼の羞恥のツボをうまく捉えている。

 ミコトはツンとすました顔を取り繕って事務的な話に切り替えることにした。


「マッドネスローチは死骸に集まる習性がありますから警戒を強めてください。死骸がアイテム化しても関係なく寄ってきますよ」

「あんなのが次から次へとやってくるっての?」

「そうです。死んだ直後に出るフェロモンが仲間を引き寄せてるんだとか。ですがその習性のおかげで短時間で大量に狩ることができるんです。大いに利用させてもらいましょう」


 言っている内に周囲からわらわらと集まってきた。

 目指す先はミコト達ではなく今しがた仕留められたばかりのマッドネスローチの亡骸。

 "分解者の楽園"というのは比喩でも誇張でもなくこのダンジョンに住むモンスターの本質に迫っていた。


「こいつらにあるのは死骸を食う本能だけです。俺達への敵意はおろか攻撃能力もありません。構わず撃ち殺してください」


 ソフィアにそう指示を出して機械的な動作で金棒を打ち下ろす。


「二手に分かれてやりましょう」

「ええ!やってやるわよ。やってやりますわよ!」


 いつまでもカマトトぶってはいられないと覚悟を決めたソフィアはクロスボウを構え直し、引き金を引いた。狙いは雑だったが、敵は密集しているので目くら撃ちでも必ずどこかには命中する。

 ミコトの撃破ペースには武器の相性差で到底及ばなかったが、飲み込みがいいのか徐々に冷静な射撃ぶりを見せるようになっていった。

 しかし、射撃武器には必ず残弾数という制約がつく。

 調子に乗ってハッピートリガーしていれば訪れる結末は例外なく弾切れだ。


「ちょっと多すぎない!?指がつるわよこんなの!というかその前に矢がなくなる!」


 鬼気迫る表情でボルトマガジンを交換し、射撃してを繰り返すソフィア。


「足りなくなったらナイフでもブーツの底でもご自由に!」

「おねーさんを虫のお汁まみれにして泣かせる気!?キミってさあ!意外とサドっ気あるよねっ!?」

「冗談言ってる余裕があるなら手は貸さなくても良さそうですね」

「えっ!?嘘嘘!ミコト君助けて!もう替えのマガジンがなくなりそうなのよ!」


 ここで手助けしなかったら後で根にもたれそうである。

 ミコトは姉妹刀鏨を鞘ごとソフィアに手渡した。


「これを使ってください。ナイフよりは汚れないはずです」

「サンキュー!小狐丸、アイテムボックス!」

『御意であります!』


 ソフィアは矢を撃ち尽くしたクロスボウをアイテムボックスに預けると脇差しを抜き、素人丸出しのへっぴり腰で構えた。


「おら!辻斬りソフィアちゃんのお出ましよ!」


 頭頂にまで刃を掲げ、力任せに叩きつける。

 しかし、攻撃を受けたマッドネスローチは切断されなかった。

 肉の半ばで刃を受け止め、うぞうぞと触角を動かしている。


「ヒッ!ちょっとコレ不良品じゃないの!?全然斬れないんだけど!?まだテレビショッピングで売られてる包丁の方がスパスパいけるわよ!パイナップルだって一刀両断なんだから!CMの後30分以内にコールすれば無料でシャープナーとお鍋と高枝切りバサミだってついてくるし!」


 背後から聞こえるクレームにお客様相談窓口であるところのミコトはせっせっと金棒を振り回しながら答える。


「刀には物打ちっていう部位があるんです。その部分以外は殺傷力が低いんですよ」

「どこよそれ!?」

「切っ先から拳2つ分ぐらいのところまでです」

 マッドネスローチに食い込ませた刃を抜いて、言われた通りに物打ちの部位で斬りつけると素人の腕でも容易く切断できた。


「おお!タガネちゃんやれば出来る子じゃない!」

「その調子で頑張ってください」

「オーキードーキー!」


 小一時間の間二人はゴキブリ退治に没頭した。


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