48話 追憶の巫女 後編2
男二人を医務室送りにした後のこと。
ミコトとユヅキは仕切り直しということで食事を始めていた。
肉料理と魚料理はもちろん、サラダやデザートなども食べきれるのか心配しなくてはならないほど運んできてある。
その育ち盛り故の暴挙を咎める者はおらず、むしろ近所のテーブルの老夫婦などは愛孫を眺めるように目を細め、微笑ましげな視線を送ってきている。
停電騒ぎの犯人とは露ほども疑っていない顔だ。
高レベル帯の冒険者が何名か会場内にいるのだが、彼らもまさか中学生の少女らが口説こうとしてきた男を撃退するために魔法と忍術を行使したとは夢にも思うまい。
庭の害虫を駆除するのに殺虫剤ではなくミサイルを撃ち込むようなものだからだ。
「思い返せば大胆にやり過ぎてしまった気がする。いや、気がするじゃなくてやり過ぎた」
ミコトの断言にユヅキが変わらずの律儀さで相槌を打った。
「は、意識を刈るのは次の機会では避けるべきかと。確実に怪しまれますし巫女様の評判にも障ります」
「う……評判はどうでもいいけど次か。やっぱり来ると思う?」
「来ます。むしろ前回まで手出しを控えていたのが不思議なくらいです」
ユヅキは主にとって聞き捨てのならない言葉を淡々と述べるとウニの軍貫を取り上げて一口で平らげた。
そして居合抜き放つ寸前の侍のような鋭い目でイクラの軍貫を食すべきか、はたまたウニをリピートすべきかを見定めようとしている。
迷い箸を指摘する気にもなれずミコトは低く唸った。
「そんなにも」
「は」
「そんなにもこの見た目をしたものが欲しいもんなのかなあ!?」
それは人生最大の災難に瀕した少年の魂の叫びであった。
母に睨まれまいと声量を抑えていたのが器の小ささを象徴しているようで哀愁を誘う。
「はあ、それは当然なのでは。巫女様はお綺麗ですから細かい理屈など不要かと」
「毎回こうして隅っこでご飯食べてるだけの置物だよ?ユヅキのお父さんが家に飾ってる美少女フィギュアっていうんだっけ。あれがご飯食べてるようなもんだよ?」
「美少女フィギュアが食事をする光景はホラーです、巫女様」
「その通りだけどそういうボケは求めてないから」
「……?」
「いや可愛らしく小首を傾げられても」
魂の宿らぬ人形と少女の心を持たぬ少女。
どちらも本気で恋をするだけ報われることのない徒労でしかないという点において大差はない。
ミコトはそう言いたかったのだが、ユヅキに比喩が伝わらなかったようなので考え方を変えてみることにした。
「分かりやすく言うとさ、今まで人に好かれるようなことなんて何もしてこなかったじゃないか。正直、寝耳に水なんだけど」
ミコトがかつて知る限り、他の女の子たちはあらゆる手管を駆使してあの青年二人の気を引こうと努力していた。
飽きさせないよう絶えず話題を提供したり、他人の手を借りるまでもない雑事にわざわざ世話を焼いたり、さりげなくボディータッチを交えたり。
美容に関しては化粧いらずのミコトには想像もつかない手間と金がかかっているだろう。
「成る程」
今度はユヅキの瞳に理解の色があった。
「その何もしなかったことがかえって彼らの興味をそそる要因となってしまったのではないでしょうか」
「理不尽過ぎてわけがわからないよ。解説を要求する」
ミコトはげんなりとした顔でユヅキの鳶色の目を見た。
「いけめんの殿方は積極的な女性に疲れ、辟易としているものだと最近少女漫画で読みました」
「むぅ、それは確かな情報源なのか?」
「ドラマ化もされ、クラスの女子の間ではその話題で持ちきりになっている作品です。信頼に足るかと」
この当時のミコトが漫画やゲームなどのサブカルチャーに触れられる時間はたまの休み、ユヅキの家に遊びに行った時のみだった。
浮世離れしたお嬢様が間諜のプロたる忍びの、実は偏っている知識を鵜呑みにしたとしても何ら不思議ではないのである。
「その文献の筋書きによればそういった殿方の目には身近な異性より遠くの美少女こそ際立って映るようです」
「えぇ……そりゃまるで後衛ばかりを集中的に狙うモンスターみたいな習性だな」
ミコトは背筋をぶるりと震わせて、ヒットマンからの狙撃を恐れるターゲットのように落ち着きなく周囲に目線を彷徨わせる。
ドレスには膝が隠れるだけのスカート丈があったが、男性の目が気になるあまり反射的に手で裾を伸ばして脛を見せないようにした。
その仕草によって、遠くで見ていた二つか三つミコトより年下の少年が、赤い実がはじけたように頬を紅潮させていたりする。
「巫女様、それはわざとですか?」
「え?何が?」
「いえ、今の発言は忘れてください。素肌が見えるのがお嫌でしたら次からはストッキングをお召しになってはいかがでしょうか。その方が私のこの……」
「この?」
「……好ましからざる殿方から肌を隠せます」
「なんか今言おうとしてたことを無理矢理変えたように聞こえたけど」
「気のせいです」
「でも」
「はい、巫女様からは言い出しにくいでしょうから、僭越ではございますが私の方から当主様に進言しましょう」
「うぅ、誤魔化された上に騙されてるような気がする」
妙に饒舌なユヅキにそこはかとない不信感を抱きつつ、結局承諾することにした。
「見られる恥ずかしさが軽減されるならメリットしかないな。ユヅキにはいつも助けられてることだし、どんなものがいいかは分からないから任せるよ」
「は!ありがたき幸せ」
いつも平坦なユヅキの返事がはっきりと弾んでいるのに触れようかと思ったが、藪蛇になりそうな予感がしたので思考の外へと除外することにした。
「まあ、着るものを足したってだけで根本的な解決にはなってないんだけど、そこはどうしたものかなぁ」
話は振出しに戻る。
暴力に頼らずして男を躱す手段。
ミコトが母から教わったのは巧みな話術で相手を手玉に取るものだ。
無様な体たらくを知っての通り実戦で生かされることはなかった。
「危害を加えずに諦めてもらう方法。あると思う?」
その問いにユヅキは露骨に目を逸らした。
あれば忍術など使いはすまい。
「申し訳ありません、巫女様に近づかないよう脅しをかけるのが精々です」
「ううん、こっちこそごめん。自力で片付けるべき問題なのに頼って」
ミコトは嘆息して果物の器からマスカットを一粒つまんだ。
生きた宝石と形容できるほど上品で濃厚な甘さを誇るはずのそれは、気分のせいかひどく渋く感じられた気がした。
「うちまで押しかけて来ないといいけど」
初対面から女の子を外泊に誘うロリコン共だ。宴の席だけと言わず日常に侵略してくるかもしれない。
無論、約束を取り付けようとする段階で門前払いになるが、それはそれで気が休まらないだろう。
「巫女様」
意識が思考の海に沈みかけたところでユヅキが声を発した。
「ん?」
「お客様がお見えです」
まさかまたロリコンかと身構えようとして相手の姿を認めた途端、ミコトは緊張に息を飲みこんで身を固くした。
「ごきげんようミコトさん、ユヅキさん」
穏やかな声音には聞き覚えがあった。尼僧の出で立ちにも。
キララザカ女学院の学院長である。
時の帝からクラマ山にあるダンジョンの探索を拝命せし僧兵の家系であり、母キョウカの学生時代の恩師でもある。
教育者として敏腕なのはもちろん、薙刀の名手と誉れ高く、母との個人的な付き合いからミコトは何度か手ほどきを受けたことがあった。
そして直近でミコトが迷惑をかけた人物だという点を付け加えておこう。
「ご、ごきげんよう。学院長におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます」
「これはご丁寧に。互いに武芸を切磋琢磨しあった仲ですし、何よりミコトさんはヤマトの趨勢を占う退魔巫女。支え合うのは当然ですから今後はかしこまった挨拶は抜きとしましょう」
ミコトは恐縮しておどおどとしながら言葉を返す。
「はい……あの、先日は中等部入学の件で多大なご迷惑をおかけしまして、すみませんでした」
学院長を前に緊張を強いられた理由がそれだった。
本来ミコトはキララザカ女学院中等部への入学が決まっていた。
女学院の名の通り全校生徒は当然女子である。
ミコトがそこへ入学するということは、少なくとも校舎にいる間は変身を維持し続けなければならないということ。
スキルを使用するつど、変身の時間が伸びる傾向にあると把握しつつあったミコトは、入学の数日前に親に盛大に駄々をこねて、別の共学の中学に変更させるという無茶を敢行させた。
その被害を被った本人を前にしては気まずいと思うばかりだ。
「いいえ。その話は我々大人が先走り、最も尊重すべき生徒の意思確認を怠ってしまっただけのこと。落ち度を咎め立てられる謂れはあれど、こちらに糾弾する道理はありません」
年輪を刻んだ高僧の謙虚と寛容をもって学院長は子供のわがままを水に流した。
(お母様にはこってり絞られたから言葉通りに受け取らない方がいいな)
学院長は自分にも他人にも厳しい母が尊敬を置くほどの人格者だ。
裏などないシンプルな心遣いだろう。
そうと直感的に理解していても人見知りのさがゆえかミコトは心を開くことはできなかった。
当たり障りのない社交辞令で応じる。
「お心遣い痛み入ります」
そこで学院長は一呼吸間を置くと本題を切り出すべく口を開いた。
「ところで偶然耳に挟んだのですが、男性のことでお悩みのようですね」
朝廷勢力の中でも学院長はミコトのスキルの事情を知る一人。
男の子の巫女が抱えるであろう苦悩を多くの子供達を見守ってきた経験から察していた。
「ええと、あのぅ……」
「先ほどのひと悶着。母君には気づかれておりませんし、私も墓まで持ち帰る秘密にしておくつもりです」
どうやら学院長に全てバレていたらしい。
それでいながら人に言いふらす気もないという。
では何のつもりなのかといえば、単に見かねて声をかけてきたのだろうかとミコトは推測した。
「世の中にはありがたくない好意があるものです。悪意の混じらない愛情や善意でできている分、袖にするのも一苦労ですね」
悩みをピタリと言い当てられ、ミコトは小さく頷いた。
「少しある偉人についてお話をさせていただきましょう。法話というほど大層なものではありませんが、僅かばかりともミコトさんの智慧の光明となるやもしれません」
そう前置きをして老尼僧は話を続ける。
「"業返しの黒き巨象"を討ち果たし、歴史に名を残す偉業を打ち立てた古代の冒険者、【十聖者】の一人アーナンダを知っていますか?」
その名はヤマトにおいては一般教養の範囲だった。
ミコトは軽く相槌を打つ。
「名前は学校の授業で聞いたことがあります。確か【覚醒者】シャーキヤムニの弟子だとか」
「はい、アーナンダは現代でもアビスウォーカー級に相当する非常に優れた冒険者と考古学的研究から明らかになっていますね。そんな彼も生涯にある苦難がつきまとったそうです」
「苦難……ですか?」
エクスデバイスの流通していない古代ならば高レベルの冒険者は絶対的な強者として君臨していたはずだ。
富も権力も愛も全て欲しいままにできる。
満ち足りた人生以外のどこに不幸を想定できるだろう。
「アーナンダは絶世の美男子であったと伝えられております。となれば苦難の正体は想像がつきますね?」
「好きではない女の人にたくさんモテたから……ですか?」
「はい。多くの男性からすれば妬ましい話なのでしょうが、アーナンダにとって美しい顔の造作は恩恵ではなかった。覚醒者シャーキヤムニが立ち上げたクランはダンジョンに人と宇宙の真理を求める思想組織だったのです。アーナンダがひとえに欲したのは、師に寄り添い悟りの境地に至ることだった。自己の研鑽の妨げになる異性は彼にとって障害でしかなかったのです」
類まれな冒険者としてのセンスに恵まれた色男は、俗人とは一線を画す美学を人生に追い求めたらしい。
アーナンダの女難とミコトの男難。
似通った共通点はあるがいまいち共感できなかった。
それは男の子としてやっかむ気持ちがあるからだろうか。
「しかしアーナンダは彼目当てでシャーキヤムニのクランに加入を希望する女性を断らなかったのです」
「え?どうしてですか?」
「ダンジョンを探索し、モンスターと戦う女性の姿に真理の断片を見出したからです。元々シャーキヤムニは修行のためクランを女人禁制としていましたが、アーナンダの熱心な説得に心を打たれ、女性の加入を許したとか。アーナンダは避けていたものと向き合うことで一部とはいえ探求していた真実に辿り着きました。ではミコトさんはどうなさいますか?」
真理なる高尚な概念にミコトは興味がない。
母から課せられる教養を身に着けるのに精一杯の毎日だ。
この上頭痛の種になりそうな色恋沙汰が加わるなどたまったものではない。
苦難にあえて自ら向き合うなんて、天から二物を与えられたギフテッドではない凡愚の自分にはただの自殺行為ではないか。
ならばそこから導き出される選択は一つきりだろう。
「えっと、逃げます。口下手な年下が何を言ってもああいう自分に自信のある人たちは諦めてくれなさそうですし」
母なら呆れてため息をつきそうな後ろ向きの答えに学院長はにっこりと笑った。
「正解。聖者に倣う必要はありません」
「それでいいんですか?」
普通、偉大な聖人の名を挙げられたなら、見本にすべきと説かれるものだ。
発言が肯定されるとは思わず、肩から力が抜けた心地だった。
「自灯明・法灯明の教えはご存知ですか?それらの言葉の意味するところは他者をあてにせず自身を拠り所とし、法を拠り所とせよ。シャーキヤムニの見つけた真理です。あなたは自身の現状における能力を鑑み、武力という法を用いて男性方を退けました。極力社会の和を乱さぬように憂慮もしています。そして自身の行動と武力がもたらす結果から反省すべき部分を検討し次は逃げようという結論を得た。大変よろしい。独覚も真理に至る道ならばミコトさんの意思の変遷も進歩と言えるでしょう」
要約するに取り返しのつかない迷惑にならない程度に自我を突き通すべしと学院長は語っている。
理念に従って行動を起こすのは簡単だがその後始末をいかに上手に処理するかは悩みどころだ。
「でも実際に宴席から抜け出すようなことばかりしていたらお母様になんて言われるか……」
重大な懸念に学院長はいたずらを思いついた童女のように口角を上げた。
「その時はお叱りを受けないようお味方しますとも。ついでに男性方にも巫女に手を出すのを控えるよう言い含めておきましょう。遠慮することはありませんよ。私はあなたの力になりたいと思ったのです。――それに若者に偉ぶって高説を垂れておきながら今更引き下がれるものですか。毒を食らわば皿までと言いますからね」
この夜以降ミコトが男性に言い寄られる場面は滅多になかった。
その原因は学院長の力添えや出会う機会が増えた縦ロールの少女のおかげだったりするのだが、それはまた別のお話。




