46話 追憶の巫女 中編
リムジンが到着したのは敷地の端から端までが視界に収めきれないほど広大な庭園の背後にそびえる洋館の前だった。
出発前は夕暮れ時だったのが今や夜の帳が下りている。
「巫女様お手を」
「う、うん、ありがとう」
差し出されたユヅキの手をミコトは恥ずかしがりながら握って車外へと降りる。
幼馴染で、かつクラスメイトの女の子から映画のワンシーンのようにエスコートされるのは男の子の沽券に関わる問題であったが、両親の目があるので無駄な様式美といえど拒絶するのは賢明ではなかった。
「会場に入る前に少しだけお話があります」
場を取り仕切るように口を開いたのはミコトの母、キョウカ。
19の頃にミコトを出産し、31歳となるわけだが、この人は子を産んでから年を取るのを忘れてしまったかのように若々しく美しい。
背が高く、モデルのように引き締まってスマートでありながらも、胸と腰は量感豊かで女性的魅力に恵まれている。
濃紺のドレスに娘と同じように伸ばした長い黒髪が映え、仄かな灯りの下で艶やかに煌めいて、通り過ぎる男性の視線を釘付けにしている。
「ユヅキ」
ミコトの男の子の時の容姿は母親譲りなのだろう。
大人しげな印象の顔のつくりが親子だけあってよく似ている。
が、声色に関しては控えめなミコトとは対称的に、敏腕社長か女帝と形容するのが相応しい気品と風格を兼ね備えた美声だった。
「は。当主様」
「ミコトのことお願いね」
「御意。及ばずながら尽力させていただく所存です」
「期待しています」
キョウカが当主と呼ばれるのは何ら奇妙な話ではない。
ヒラガ家は女系の一族だ。
生まれてくる子どものほぼ全員が女児であり、当主の座は代々娘が継承してきた。
男性の当主は過去に前例がなく、万が一長男しかいない場合は新たに子をもうけ、二子以降に生まれた姉妹が能力と適性を鑑みた上で当主に指名される決まりとなっている。
男児に当主の継承権はない。
そのはずなのだが――
「ミコト。あなたは次期当主にして二百年もの時を隔てて現れた待望の巫女。その自覚を持って振る舞うように」
「はい。お母様」
ミコトというイレギュラーの誕生は連綿と続いてきた伝統をあっさりと覆した。
生まれたばかりの赤子が常識ではあり得ないことにスキルを保有していたからだ。
スキルは基本、エクスデバイスのアプリケーションによる生体エネルギーの運用によって開発される。
装者の霊格に干渉し、適性クラスを定義。ダンジョン内での活動に有益な技能を実際の戦闘データからフィードバックした上で構築し、魂レベルで刷り込ませるという仕組みだ。
この過程は装者に明確な自我が形成されていて初めて成立するもので、精神と知性の未熟な赤ん坊はどんなに優秀なナビゲート性能を誇るオリジナルデバイスを与えられてもスキルを習得することはできない。
キョウカが男児を懐妊したと判明した時点でヒラガ家の親族の面々は珍しいこともあるものだと囁き合った。
そして巫女の素養を持ち合わせていたことを知り、今度ははらわたがひっくり返るほどに仰天した。
一族にほとんど女児しか生まれない理由は巫女の因子がそうさせるのだと信じられていたためである。
男は何らかの偶然で因子を受け継がなかった一種のエラーだという認識だったわけだ。
ミコトの特異性はそれで終わらなかった。
スキルを発現させた時の姿が過去に類を見ないものだったのだ。
巫女として覚醒した者の共通点は二つ。
瞳の色が瑠璃色に変じ、絶大な魔力を得る。
身体的な変化はそれのみで、顔の造作や体型などに及ぶことはなかったそうだ。
ところがミコトは別人のように姿を変えるばかりか、歴代の巫女たちとは比較にならない桁外れに強い力を秘めていた。
ヒラガ家が古くから所蔵する家宝のオリジナルデバイス"神度剣"曰く、
『史上最も祭神の性質を色濃く顕現させた巫女』
と太鼓判を押すほどであったという。
跡継ぎとするのにこの上ない逸材であり、親族の誰も異議を唱える者はいなかった。
無論、本人の意思は一顧だにしない決定である。
(そこは一顧だにしてほしかったよ。姉か妹がいたら当主の座なんてマッハでストレスがたまりそうなもの、熨斗つけてくれてやるのに)
そんな思いが顔に出ていたのか、ミコトの母は低い声で咎めてきた。
「何か言いたそうな顔ですね。不満があるのならはっきりと言葉になさい」
虫も殺さない大人しそうな顔をしていながら、我が子に対する教育の場面ではなかなかに手厳しい。
ミコトは大慌てで首を振り、
「いいえ!不満なんて滅相もないです!パーティー楽しみですよーあははは。こんなお仕着せ……じゃなくて!きれいなドレスまで着せてもらってとても嬉しいです」
と乾いた愛想笑いを浮かべながら白々しいセリフを並べ立てる。
正直に憤懣を吐き出したところで後でお小言をもらうのは今日までの経験から確定的。
ならば余計な発言は慎むに限る。
ちょっぴり本音が漏れてしまったのはご愛敬というやつだ。
キョウカは母親だけあってそうしたミコトの心理を手に取るように見透かしていた。
「ふぅ」と呆れるような息を吐いてこう言った。
「あなたがこういった人の集まる場所を苦手としていることや、次期当主扱いも巫女扱いも嫌っているのは見ていればわかります」
「あはは……」
「あなたの境遇を産みの親の私といえど真に共感できているとは言えないでしょう。それでも――烏滸がましくも同情さえします」
(言葉にしなくても完璧に察してるじゃないか)
という指摘は禁句だ。
迂闊に口を滑らせようものなら帰宅後お説教となった場合、最低でも1時間は延長されること必至である。
ミコトの母は子を諭す時、決して感情を荒立てはしない。理性的で相手の理解度を確かめながら話をする。
要するに生真面目な人なのだ。
話の腰を折ろうものなら、折った分だけ説教の項目も増えることを覚悟しておかなくてはならない。
「朝廷の悲願、ヒラガ家に課せられた使命。内心でどう思っていようと咎めるつもりはありませんが、責務は果たさねばなりません。我が一族が巫女なき時代も地位と豊かな暮らしを保証されながら、血脈を伝え続けることができたのは、歴代の帝の思し召しであるからです。大恩あらば報いるのが道理。だからせめて誰にも気取られぬよう演技しなさい。それはヒラガ家の一員である前に人として最低限の礼儀ですよ」
御恩と奉公。
中世ヤマト武者の古めかしい概念だが、現代にも通ずる理屈である。単純なだけに反論の余地などない。
母の訓戒にミコトは背筋を正し、精一杯の謙虚さで返事した。
「精進します」
「素直でよろしい。今の話は努々忘れることのないように」
話を締めくくり、背を向けて歩き出す。
そしてふと何かを思い出した様子で首だけで振り向いた。
「演技しろと言ったばかりですが、容易く見抜かれる程度の無理な作り笑いはやめなさい。相手の機嫌を損ねるばかりか、あなた自身が卑屈な性格になってしまいますよ。あなたはどちらも素の笑顔が可愛いのだから、心から笑いたいと思った時に笑いなさい」
ヒラガ家の当主ではなく母としての言葉なのだろう。
鮮やかな栗色の瞳は優しい光を帯びていた。
(お母様)
母はこうしてたまに温もりのある眼差しを向けてくれるから嫌いにはなれなかった。
お家のためばかりではなく、我が子を想うがために厳しく接しているのだとミコトの幼い心にも誤解なく伝わってくる。
「先に先方へ挨拶をしてきます。あなたたちは少しの間そこで待機していてください」
キョウカはそう言い残すと一人で屋敷の方へと歩いて行った。
その背が遠ざかってから、
「ミコト、今夜は羽を伸ばしてくるといい」
そう小声で言ったのは端正な顔立ちをした男性。
ミコトの父、クニユキである。
人柄は温厚篤実。
常に穏やかな表情を絶やさない、孤独な修行僧のような人だ。
本人の気性のせいもあるのだろうが、女性が強い権力をもつ家の婿という立場上、一歩引いて妻を立てる役どころで、一族の中ではどうにも影が薄い。
「お父様?」
「キョウカさんの目は気にせず、のんびりしていきなさい」
クニユキはユヅキとは別のベクトルで多くを語らないタイプだ。
母の補佐役として一族のため、方々で何かと気を回してくれているようなのだが、己の功績を得意げに誇示することが一切ない。
奥ゆかしすぎて、ミコトにとって父はとらえどころがない人物という認識だった。
「でも、お母様は次期当主と巫女の自覚をもって振る舞えと……」
母に言い含められた言葉を意訳すれば、積極的に人脈を築いてヒラガ家の令嬢に相応しい地位を確立してこいという話で間違いないだろう。
ところが真面目さでは母に引けを取らない父がまるで正反対のことを言っている。
実に不可解だった。
「ミコトのペースでいい。誰でもキョウカさんのように幼い頃から器用に人付き合いをこなせるわけではないのだから」
そっと頭を撫でられる。
滅多に心情を明かそうとはしない父だけれども、自分を甘やかそうしていることには気づけた。
「キョウカさんには父さんが代わりに叱られておこう」
「それでお母様が納得するとは……」
「心配しなくていい。当主に求められる水準に達していなくてもミコトが頑張っているのはキョウカさんだってしっかりと認めているから」
ミコトが母に叱られて落ち込んでいる時、父はきまってミコトを慰めてくれた。
婿は子どもの教育方針については外様もいいところで、ほとんど関わることができないらしい。
その埋め合わせの気持ちなのだとしてもミコトにとって愛は愛だった。
「あの、恥ずかしいですお父様」
口ではそう言いながらも父の手櫛に目を細め、ニマニマと唇を弛めるミコト。
厳しい当主教育の毎日で、一般家庭の子供より両親の愛情を受ける機会が少ないだけにミコトはだいぶ絆されやすかった。チョロいとも言う。
「……尊い」
もじもじとはにかむミコトを横目にユヅキが何かを呟いた気がするが、きっと気のせい。
クニユキは頭を撫でるのをやめると、世間話でもするかのように別の話題を切り出した。
「ミコト、ユヅキちゃん」
「はい?」
「近々、"奉刀の儀"に向けて姉妹刀の鍛造に取り掛かる。心鉄に刻み込みたい術式や装飾を考えておいてほしい」
心鉄とは刀の芯の部位にあたる素材のこと。
柔らかい心鉄を硬い鉄で包み込むようにして鍛造を行うことで折れず曲がらない優れたヤマトの刀剣が出来上がる。
ミコトの父の本職は当主補佐役ではなく鍛冶師だ。
それも古式ゆかしいヤマト鍛冶の業を伝承してきた刀匠の一派の出である。
彼は伝統のみに囚われず、現代の工場では当たり前のプレス機や複合加工機を必要に応じて取り入れており、人の手でしか不可能な作業と機械でなければ不可能な作業を巧みに使い分けている。
彼特有の技法で製造された作品の数々はいずれも傑作揃いと、冒険者はおろか好事家の間でも非常に評価が高い。
一般に魔剣と称される魔具の類いは刃の表層に工夫を施したものになるが、ヤマトの名刀は心鉄への魔具仕掛けを特徴としている。
これを成すのは前者の加工より遥かに至難であり、誰にでもできる芸当ではない。
世界でも同等の技術を持つ者は両手の指で数えるほどしかおらず、クニユキはその稀有な技巧の持ち主だった。
「奉刀の儀って巫女を介して神様に刀を捧げて、国家の安寧を祈願する神事だとお母様から教わりましたけど、私のこだわりを取り入れる必要があるんですか?」
「ある。巫女は神様の代理なのだから必然、巫女のお気に召す作でなくてはならないよ」
それは厄介な難題だった。
ミコトは刀剣マニアではないし、武器にダンジョンで使う道具以上の価値を見出だしたことはない。
なので実用一辺倒の無骨な代物しか頭に思い浮かばない。
その通りにいい加減な注文をすれば、朝廷内のヒラガ家の地位を妬みやっかむ者たちから難癖をつけられ、ヒラガ家の箔に傷がつくだろう。
かといって華美に過ぎてもけばけばしいと品位を損なう。
(こういう時は人の意見を聞くに限る)
「ユヅキはどんな拵えにして欲しい?」
唐突に話題を丸投げにされたユヅキは真顔のまま、目を瞬いた。
「私ですか?」
「ほら、最終的に太刀を貰うのはユヅキなのだし、剣術の稽古もしているユヅキが決めるのが適任じゃないかな。巫女としてはそれでまったく異存はないよ」
奉刀の儀は巫女が太刀と脇差しを神の代理として授かり、脇差しは巫女の守り刀として、太刀の方は巫女から従者へと与えられる運びとなっている。
ユヅキは表情を変えずに考えを述べた。
「厳密にはお預かりするだけですので、私の一存では決定いたしかねます。また、十六葉菊を戴く旦那様の刀剣は正に至強の一振り。若輩ごときが手にするには分不相応の業物なれば、賢しらに口を出すべきものではないと心得ております」
(そうきたか)
ユヅキの立場を考慮すれば模範解答である。
しかしこの場合、模範解答こそが最も受け入れがたい言葉だった。
例えるなら献立に悩んで『今夜の夕飯作ってあげるから何が食べたい?』と相談したら『何でも食べるよ』と答えられたようなものだ。
作る側と作られる側とで軽い諍いが勃発し得る、日常のシーンにありふれたこの難事。
逃走こそが最悪の一手だとユヅキは果たして知っているのか知らないのか。
(もしかしてこっちに問題をそっくりそのまま戻してくる気か。いや、でもそうと決まったわけじゃない。信じてるからなユヅキ)
「ですので巫女様のご意思に委ねたいと存じます」
(ユヅキーーーーッ!!)
やはり。
これはいにしえより外道働きで恐れられたコウガの所業に違いないとミコトは確信した。
ユヅキはミコトのイエスマンのようでいて、手に負えない部分では主に押し付けるのを躊躇わないくらいにはちゃっかりしているのだ。
その片鱗はテレビゲーム丸尾サーキットでも。
手加減をやめろと言われれば、仮にソフィアなら怒髪天をつきかねないおぞましいプレイイングを披露してくれる。
(さすが忍者、汚い)
丸投げにしたものを放り返された格好にミコトは心の中で唸った。
「結論を急くものではないが、どうだろう。ぼんやりとでいいから希望を伝えてくれると助かるのだけど」
「ええと……」
ミコトは困ったように父の顔を見つめてから考える素振りを見せ、うんと頷くと「ユヅキとほぼ同じ意見なのですが」と前置きする。
「お父様に全てをお任せしたいです。素人ですので鍛冶の技術は何も分かりませんけど、今まで見てきたお父様のお仕事の出来映えの素晴らしさは知っているつもりですから。お父様の信念の命じるままに打たれたものが、私にとってこの上ない心の拠り所になると信じています」
刀匠にとっても父親にとっても最高の殺し文句を、ミコトは微笑みを浮かべながら無自覚に言い放つ。
結局のところユヅキと同じ穴の狢。問いの答えにもなっていない具体性皆無の返答なのだが、愛娘?の可愛らしい笑顔を前にして、天才と謳われる鍛冶師は何かの着想を得た様子ではっと目を見開いた。
「……実のところ鍛造の方向性を見失っていたのだけど、迷いが晴れた気がするよ」
「え?」
まさかヤマトの国宝、天下五剣にも並ぶと称される刀を打つクニユキが仕事に苦悩を抱えていたとは。
ミコトは意外の念を禁じ得ず問いかけていた。
「お父様でも迷うのですか?」
「日常茶飯事だよ。至高の剣を追い求めようとすればするほどに迷う。むしろ遠ざかっているとさえ感じているよ。それでも追うのを諦めるつもりはないけれどね」
かつて父の仕事場を見学した時の場面を振り返れば、符合するものはあったような気がしないでもなかった。普段決して見せることのないとても真剣な顔をしていたのだ。
(言われたことをこなすのでいっぱいっぱいというか、満足にできない自分とは違う。お父様はかっこいいな)
求道者の顔となった父の姿をミコトは憧憬の面持ちで見上げた。
「ありがとう。ミコトのおかげで神に捧げるべき剣の姿が少しばかり見えたと思う」
また優しく頭を撫でられる。
珍しくも胸の内を語った父の顔は晴れやかに見えた。




