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45話 追憶の巫女 前編

 一つ問題が起きると連鎖的に新たな問題が次々と浮上する。

 そのような経験をしたことは誰しも少なからずあるだろう。


「はぁ」


 何度繰り返したかもとうに忘れたため息。

 箒を持つ手は止まっていた。


「ユヅキになんて謝ろう」


 ミコトは故郷の少女を思い出していた。

 仮に男に戻れなくなり、学園を辞めて帰国するとなればユヅキ・コウガに与えた自由を剥奪することになる。

 ミコトが望まずともだ。

 あの寡黙な少女は唯々諾々とお役目に従うだろう。一生をミコトに尽くして生きるだろう。

 自分はごく普通の幸せですら彼女に願ってやれない。


(折を見て家の方に電話してみたけど、ユヅキのお母さん『巫女様のお心にかけていただくことはございません』の一点張りで現況は何も教えてくれなかった)


 ユヅキが自らの意思で選んだ青春を送っているのなら誠心誠意謝罪しなくてはならなかった。

 彼女の人生を棒に振ってしまうであろう罪を、同じく一生を尽くして償わなくてはならない。

 誰が強制しているわけでもないが、(あるじ)となる者の責務だ。

 スキルに頼って溜まったツケを支払わされるのは自身だけでは済まないのだと、もっと早くに自覚するべきだった。


「謝る以前にどの面下げて会いに行けばいいんだろう……はぁ」


 忍びは感情を表には出さないもの。

 だが、だからといって心が無いわけではないのだ。

 ユヅキは不器用だけれど優しい女の子なのだと知っている。

 きっと彼女は私情を押し殺して巫女に仕えようとするだろう。

 当の巫女からすればとても心強いと思う。

 けれど忠義なんて時代錯誤の遺物と引き換えに友情を失いたくなかった。


「憂鬱だ。社交界に顔を出す機会も増えるだろうし」


 上流階級が集まる催しは苦手だ。

 巫女の仕事はただ単に朝廷勢力に資金を上納するだけではない。

 勢力の古参であるヒラガ家の()()()に相応しい振る舞いも求められる。

 ミコトは戦闘能力こそ期待を遥かに越える成果を叩き出していたが、良家の令嬢としては及第点未満であっただろう。

 宴の終わりまで宴席の隅っこでユヅキと二人、息を潜めて過ごすのが常だった。

 幸いにして、挨拶回りに行きもせず、年の近い少年少女たちと馴れ合いもしない娘の社交性の無さを両親は咎めなかった。

 両親は両親で大人同士のおしゃべりに多忙であったためである。


 一年ぶりに顔を出して、ただでさえ狭い身の置き所がはたしてあるかどうか。

 付き合わされるユヅキもたまったものではないに違いない。

 それでも。

 もし許してくれるのなら。

 こんな情けない自分でも心から支えてくれるのなら――


「あの頃のように。たまにでいいから笑ってくれるといいんだけど」


 いつしかミコトの双眸はとうに過ぎ去った時を追いかけていた。


 ◇◇◇


 四年前。

 ヤマト国キョウノミヤ、ヒラガ邸。

 漆黒のテイルコートで男装した小柄な少女、ユヅキ・コウガが物静かな番犬のごとく古風な板張りの廊下に佇んでいる。


「お待たせユヅキ」


 襖が開かれ、ユヅキへと声がかけられた。

 その響きは声変わり前の少年のものではなく、神楽鈴の音色を思わせる神秘が宿った少女の美しき調べ。

 齢12歳となる主の姿を認めた途端、ユヅキは息を止めた。


「ん……?」


 射干玉(ぬばたま)の色に艶めく長い黒髪。

 最高級の絹すら霞んで見える滑らかで白い肌。

 夜明け前の空を凝縮して閉じ込めたかのような瑠璃色の瞳。

 そして幼くも可憐な常世の美貌。


 この日は朝廷勢力のとある祝賀会に招かれており、ヤマト風の繊細な意匠が細部に散りばめられた臙脂と緋色を基調としたドレスを身に纏っている。

 まるで童話の世界からそのまま抜け出してきたと錯覚さえしてしまいそうなミコトの姿。

 ユヅキは魔法でもかけられたかのように心を奪われ、ただ言葉を失っていた。


「ユヅキ?」


 聞こえていないのかと小さく首を傾げるミコト。


「もしかして疲れてる?だったら今日は休んだ方がいいよ。おじさんには俺から言っておくから」


 ユヅキの顔色をうかがいながら、まずいことになったと焦燥感を募らせる。

 ミコトにとってユヅキを伴わずに宴に出席するのは鉄砲を持たずに戦争に行くようなものだ。


 朝廷勢力と一口に言っても一枚岩ではない。

 裏で政権簒奪を企図する彼らにとって、選挙戦を有利に運ぶための資金は必要不可欠。

 勢力の基盤強化に次々と新参者を取り込んでいく必要があった。

 となると、必然的に資金援助を手土産に中枢に食い込みたい新参者と、それを掣肘したい古参とで発言権の奪い合いになり、確執が生まれる。

 火花を散らすのが大人同士のみならまだしも、子供たちの付き合いにまで波及するのだから(たち)が悪い。


 そこにたかが家柄と見目が良いだけの内気な娘が一人きりでいたらどうなるだろう。

 新参組のお嬢様方の格好の攻撃対象となり、鋭い舌鋒の弾に倒れ即戦死となるのがオチである。


(『金持ち喧嘩せず』っていうけどそんなの絶対嘘だ)


 巫女は冒険者法を抜きにしても伝統的にダンジョン外での実力行使を固く禁じられている。

 物理的脅威を間接的に証明して牽制するのもそれに該当する。

 ただし、護衛に我が身を守らせるのなら問題ない。

 その昔、業の冴えをして"魔性の影"と呼ばせしめ、ヤマト史に恐怖の忌み名を刻んだコウガ者。

 これを敵に回す愚劣な人間はこのヤマトには存在しない。

 故にコウガの末裔たるユヅキは公私両面においてかけがえのないパートナーであった。


(ユヅキも学校の後、毎日大変な稽古をしているもんな。コウガの生まれだからって完璧超人じゃないんだし、こういう場面では俺が守らないと)


 モンスターの爪や牙、魔法よりも人の悪意の方がずっと恐いけれど幼馴染の健康の方が大事。

 幼い心に決意を固める。


「んー、ちょっと顔が赤いかな」


(ユヅキはやせ我慢するタイプだもんなぁ……人間調子が悪くなる時はいっぺんにのしかかってくるもんだし)


 非情に心細くはあるが自力で乗り切らなくてはならないようだ。


(いや、待てよ。ピンチはチャンスだって言うじゃないか)


 その時ミコトの脳裏に妙案めいたものが浮上した。

 はたと手を打って早口に語りだす。


「そうだ!風邪のひき始めかもしれない!風邪なら看病が必須だな、うん。ユヅキ、今日は休もう。俺がずっと看ているからお役目のことは全部忘れてゆっくり眠るんだ。それがいい。そうすべきだ」


 病の幼馴染の看病をするという大義名分のもと、祝賀会を欠席する。

 人をダシにしてサボるのはほんの少しばかり姑息と感じなくもないが、ユヅキを思いやる心は真実。

 麗しくも尊い友情に両親は心を打たれ、留守番を了承してくれるに違いない。


(誰の良心も痛めることがない良い作戦だ)


 完璧な一手だった。

 前提をはき違えていなければの話ではあるが。


「いえ」


 たった二文字の返事でミコトの目論見は土台から崩れ去る。

 ユヅキは(ほう)けていた状態から復帰すると、普段通りの無表情かつ機械的に平坦な声で失態を詫びた。


「粗相をいたしました。申し訳ありません巫女様。体調は万全です」

「熱は?」

「ありません」


 無理をしているようには見受けられない。

 先刻は隙だらけだったが、今は仕掛けられればいつでも即応してのけられる気配の鋭さを取り戻している。

 これで出席できないと言い張って親を説得するには詐欺師の勉強から学び始めなくてはならないだろう。


「あ、そうなんだ」


 ミコトはがっくりと肩を落として落胆した。

 いくら社交界が嫌でもユヅキに仮病を使わせるという発想まではない。

 腹をくくるしかないようだ。


「仕方ない。行こうか」

「はい、お供します」


 並んで老舗旅館のような廊下を移動し始める二人。


「巫女様」


 十歩も進まない内から隣人に呼び止められる。


「ん?」

「新しいお召し物はいかがでしょう」


 言われてミコトはドレスを見下ろした。

 超一流デザイナーの手による入魂の逸品である。

 採寸の折、ミコトを見るやインスピレーションが大いに刺激されたらしく、不眠不休の勢いで仕立て上げられた代物なのだとか。


(とてもよくできていると思うけど)


 鏡に映った自分の姿に惚れ惚れとしてしまったぐらいだ。

 それでも、デザイナーには申し訳ないが着たかったと言われれば否である。

 今の体が生物学的に女であっても心まで男をやめたつもりはない。


「着心地はいいよ。着心地は」


 引っかかる言い方になってしまったが偽らざる気持ちだ。

 一着分で一般人の年収に相当する上等の布が使われている。

 肌触りだけは恐ろしく良かった。


(本物の女の子に着せてあげれば、ドレスも本望だっただろうに)


 世の中ままならないものだと嘆息する。

 当の本物の女の子であるユヅキが男物の服を着ていて、自分が女の子の服。

 あべこべではないか。


「これがどうかしたの?」


 巫女に仕え、過酷な鍛錬の日々を送るユヅキとて年頃の娘。

 おしゃれに興味が芽生えていてもおかしくはない。


「ドレスがというよりは――」


 そこで言葉を区切ってミコトをじっくりと見据える。


「ドレスをお召しになった巫女様が大変お綺麗です」


 そのお世辞にミコトはなんとも複雑な苦笑の形に顔を凝固させた。

 ユヅキはおべっかを使うタイプではないし、ましてや元々男のくせに――などと皮肉を言う性格でもない。

 率直に思ったままの感想を述べたのだろう。


「えぇ……うぅん、その、ありがとう?」


 何と応えてよいものか迷った挙句、戸惑いがちにお礼を言ってみた。


「こんな中身と外がチグハグなやつが綺麗だと思うなんてユヅキは物好きだなあ」


 これはミコトの私見だが、元の姿を知っていてなお綺麗だの可愛いだの堂々と口にできる輩は、余程の強心臓の持ち主か、脳に瞳でも宿した異常者だと相場が決まっている。

 ユヅキがどちらなのかは幼馴染のミコトでも分かりかねた。


「物好き……」


 忍びの少女はその一言を反芻したきり沈黙する。

 ポーカーフェイスからは何を考えているのかは読み取れない。


(まあ気色悪いと思われるよりはいいか)


 歩みを再開しながら内心で安堵する。

 今までパーティーのたび、ユヅキがどう思っていたのか気になるところではあったが、精神衛生に良くなさそうだったので尋ねるのはやめた。

 それよりも幼馴染として言うべきことがあるのではないか。

 なにも着飾っているのは自分だけではないのだ。


「ユヅキ」


 名前を呼んで優しく微笑みかける。


「ユヅキは凛々しくてかっこいいよ。その服よく似合ってる」


 お返しにそう言うと、ユヅキは即座に窓の外の庭園へと頬を背けた。

 うつむきがちになり、かすかに震えた声でミコトの発言を諌める。


「お戯れを」

「俺は冗談で言ったつもりはないよ」


 目の保養だと付け加えようかと考えたが、そこまで口にするのは流石に気恥ずかしかったので心の内に留めておくだけにしておいた。


「……巫女様も物好きです。こんな愛想の無い女など」


 ほんのりと桜色に染まった顔を正面に戻し、どこか恨めし気にそう言う。


「いたって普通だって」

「そうでしょうか」

「そうだよ。他の人に訊いたらきっと鏡を見たことがないのかって言われるよ」


 愛想の無さも裏を返せば物静かでクールだと好意的に解釈することもできる。

 実際のところ学校でもユヅキは男子の間から密かな人気があった。

 クラスで一番の美少女は誰かという議論が繰り広げられれば、筆頭に上がるほどだ。

 だから自分の感性は正常だと自信を持って言える。


「ああ、もう玄関に着いちゃったな」

「巫女様、履物をご用意します」

「いいって、それくらい自分でやるよ」


 常々無駄に広いと思っていたヒラガ邸。

 しかし今日に限ってやけに廊下が短くなったと感じるのは、外出を拒みたい気持ちに未練があるからか。

 ユヅキとの会話が心地よくなってきただけに名残惜しさは格別に尾を引いた。

 刑場に向かう死刑囚の心持ちで靴を履いて外に出ると、お嬢様七つ道具が一つ、黒塗りのリムジンが両親と共に手ぐすねを引いてミコトを待ち受けている。


「お母様、お父様、お待たせいたしました」


 淑やかな言葉遣いで遅参を詫びる。

 その時には既にミコトの表情は誰が見ても非の打ち所がないヒラガ家の令嬢へと切り替わっていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 意外と男の子と女の子どっちにも変身する作品って少ないので、すごいいいです! [一言] 更新待ってました!
[一言] 更新感謝です!
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