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44話 ゴルディアスの結び目

 

 昏々と眠るソフィアの前でミコトは一人悄然とうな垂れていた。

 ゲート前の地下室は通気孔があるものの、空気が淀みやすい。

 そんな場所で病人を寝かせておくわけにはいかず、今は彼女の部屋に移動させてある。


「ソフィアさん……」


 ダンジョンを出てから数時間が経過していたが、ミコトの思考は堂々巡りを繰り返している。

 虎徹の試算によると変身解除までに要する時間はおよそ200時間前後。

 ソフィアの目覚めには確実に間に合わない。

 逃げてほとぼりを覚まそうとしても今回ばかりは無意味だ。

 主に代わって小狐丸が一部始終を見聞きしているのだから。


 覚悟を決めておかねばならなかった。


「どうしたら……」


 自身のもう一つの顔をさらけ出すことへの羞恥は強い。

 人は普通、性別など変わりはしない。

 義務教育が始まる年齢になれば嫌でも思い知る。自分が異端なのだと。

 男の子が男の子らしさを。女の子が女の子らしさを獲得する時期にスキルの覚醒である。

 更にそこへ追い打つように女子としての教育を受ける日々。

 自分が何者だかわからなくなる気がして、ただひたすらに怖かった。

 仮にミコトの元々の性別が女で、男に変身するスキルの所持者であったとしても同様に恥ずかしさと恐怖を感じただろう。


 だが、問題がログヴィルが発言した通り、一時の恥で済むのみならばまだ希望はあった。

 ソフィアはミコトを難なく受け入れ、騙し続けていたこともあっさりと水に流してくれるはず。

 そこまではいい。


「この期に及んで誤魔化そうとするのはもう無理だ。それよりも――」


 最も懸念すべき事項は自らの因縁にソフィアを巻き込んでしまうこと。

 それだけは絶対に回避しなくてはならない。彼女には彼女の歩む道がある。自分がごときがその妨げになるなどあってはならない話だ。



 ミコトは留学とその後の自由とを引き換えに両親と約束を交わしていた。


 "単位を落として留年が決まっても、スキルが永続化して元の姿に戻れなくなっても、帰国して"巫女"の任に就くこと"


 男のミコトの才能で冒険者学園の進級はとても難しい。

 鋼鉄姫の力に頼らなければ試験を突破できなかったのは、現在の結果が示す通りだ。

 さりとてスキルを行使し続けていれば男に戻れなくなるリスクが増す。


 ヒラガ家の祭神、天之御影命を身に宿した時から既に袋小路に迷い込んでいたのだ。

 遅かれ早かれ、朝廷勢力の資金源となり、国民の支持を集めるための偶像(アイドル)となる運命の。

 その先にソフィアと共に夢見た冒険は無い。

 あるのは権謀術数が渦巻く欲望の坩堝だ。


 どれほど文明が高度に発展しようが、人が人を喰らうがごとき搾取で社会は成り立っているという、誰もが知っていながら知らないふりをして看過しているこの世の真実。

 その闇の沼底に加担する。

 そう、()()()()()()()()()()()()()

 ミコトが稼いだカネが、どこの誰を蹴落とし、絶望させるために使われるのか。

 目と耳を塞いで武力を振りかざす。


 ミコトが海外の冒険者学園に入学などしたのは、巫女の任がまき散らす罪咎に心がもたなかったからだ。

 しがらみの全てから逃げようと思えば、彼はいつでもできた。

 だが、そうしなかった。


 両親がいた。稽古事の先生がいた。

 厳しいが、優しかった。どう努力しても憎むことはできそうになかった。

 幼馴染がいた。

 代々からヒラガ家、より正確にはごく稀に誕生する巫女に仕える忍びの家系。その子孫ユヅキ・コウガ。

 彼女は仕事であったにせよ、青春の大半を費やしてミコトをその身を挺して守ってくれた。

 愛だ。

 愛があったから、ミコトは故郷に残してきたものを捨てきれなかった。

 地上の何者にも負けない、神をも称しうる力があれば、人は真の自由を手にすることができるのではないか?

 それは否。断じて否。まやかしである。


 故事になぞらえてみよう。

 マケドニアの大王アレクサンドロス三世は誰にもほどけなかった車輪の結び目を、剣で断ち切ることで解決してみせたという。

 同様の意味のヤマトの慣用句に置き換えるならば、快刀、乱麻を切るだ。

 どちらにしても言えるのは、物理的にせよ思想的にせよ、乱暴な手段が物事を処理するに最短最速だという話。

 ミコトを縛る雁字搦めの愛の鎖は、力ずくで切るには頑丈すぎた。

 そもそも切ろうとすること自体が正気の沙汰ではない。論外である。


「私は半端者だ……」


 英雄になれるほど厚顔無恥ではなく。

 己の道に立ちふさがる善と悪、それらを諸共に断つ悪鬼にもなれない。

 それがミコト・ヒラガである。凡庸な少年であり少女だ。


 故にミコトに与えられた選択肢は二つ。

 タイムリミットを迎えたその時、己が役割に従い、独善を成し、罪を背負って愛に応えるか。

 あるいは、何もかもから目を背け、ソフィアの前からも去り、()()()()()()()に戻るか。


「……決められない」


 ソフィアに仲間として親愛の情を抱いている。

 彼女の温かさにどれだけ救われていただろう。

 ミコトのために、心のままに笑って、怒ってくれた人がどれだけいただろう。

 裏切るなどできはしない。


「ごめん、ソフィアさん。起きたら必ず相談するから」


 一人で四六時中結論の出るとも思えない思考に没頭していても無益だ。

 己の浅知恵で得られるのは、やはり浅はかな結論でしかないだろう。

 情けなくも思うが、自らの進退も含めてソフィアの意見を仰ぐべきだ。

 三日後、その時に覚悟が定まっていてもいなくても。


「今はできることをやろう」


 時間を無意味に浪費するぐらいならば、せめて誰かのために行動して贖いを。

 具体的には掃除の手伝いでもしようと思った。


 自室に戻って巫女服から普段着へ着替える。

 前回スキルの暴走で変身した折に購入したものだ。

 ボーイッシュなパンツルックである。

 幻想的で妖艶な空気を醸し出す少女からクールビューティーなタイプへと変貌を遂げる。


「髪、まとめた方がいいかな。虎徹」


 アイテムボックスアプリを操作し、黒い漆塗りの小さな蒔絵箱をデスクの上に出現させる。

 椿の花が咲き誇り、楓の葉が入り乱れる美しき金の蒔絵細工はヤマト人間国宝の手による逸品だ。

 名工の作品の中でも傑作と名高いそれは、下世話な話、オークションで値をつけようとしても、青天井に価格が上昇しうるため、値札自体がつけられない代物となっている。


 そんな触れることすら厭われる畏れ多い箱に、ミコトはいたって気楽な表情で手を伸ばす。

 蓋を開けると、中には化粧小物が品よく詰め込まれていた。

 翡翠があしらわれた銀の髪留めを手に取って、毛束をまとめる。


「これで良し」


 ミコトは部屋を出ると、現在は使われていない児童養護施設の建物へと移動した。

 不用心なことに施錠されていなかったが、内部を見て納得する。

 家具の類が一切見当たらないのだ。椅子一つない。

 要するに盗られて困るものが皆無であった。


「部屋も廊下も広く作られているな。確かにこれは二人で掃除をしても追いつかなさそうだ」


 人がいた当時のことを頭に思い描いてみる。

 養護担当の職員がいて、子供たちと協力してやっとといったところだろう。


「掃除ロボットがあれば大分楽ができそうだけど」


 贅沢品なので導入するわけにはいかないのかもしれない。

 それで建物の寿命を縮めていては本末転倒な気がしないでもなかったが、部外者なので差し出がましい口は出すまいと思った。


「そうだ。虎徹、羽々斬を召喚してくれ。その後自律行動モードに変更」

『承知』


 宙より忽然と無数の銀塊が姿を現す。

 それらは螺旋状に舞い上がり組み合わさって、刹那の内に合一を果たした。

 武威の極限たる鋼の荒武者へ。


 ミコトは、竜骨ごとき易々と粉砕してのけるだろう、人の指の形状をなすマニュピレーターに箒とはたきを左右それぞれに一本ずつ持たせた。


『――――』


 兜のひさしから覗く鋼鉄の(まなこ)がどこか不服そうに見つめてくる。


「なんだよ」


 ミコトは物怖じせず威圧するような目で睨み返す。


『――――』


「武具としての魂?死蔵されるよりはマシだろ?」


『――――』


「ほこりをかぶるのは嫌?専用外装の追加を要求する?却下。後で磨いてやるから文句は後にしろ」


『――――』


「メタルクリーナーはビゼンよりセキのものがいい?考えておいてやる。取り寄せられたらな」


 羽々斬は金属特有の重厚感のある音を立てて肩を竦めるような仕草をした。

 不承不承といった様子で天井にはたきをかけてゆく。


「さて、私は窓を開けていこう」


 ミコトも掃除道具を手にして作業を開始する。

 ちょうどそこで、人の気配を感じた。


「なんだ、こんなところにいたのか」


 ログヴィル神父だった。

 家庭菜園に水まきでもしていたのか、手に如雨露を持っている。


「あ、神父さん。もしかして探してました?」

「いいや、窓が開いていたからな――」


 彼が平静を保てていたのはほんの数秒間だった。


「って、おい!?何だその化け物は!」


 ログヴィルは未確認生物を目撃したかのような驚愕を露にして、黙々とはたきがけをする鉄巨人を指さした。

 見るからに重量を感じさせる物々しい武装をした甲冑が、宙に浮いて家事の真似事をしているという光景。

 そして美少女との組み合わせ。

 前衛的(アバンギャルド)にも程がある。

 彼でなくともツッコミの衝動に耐えられなかっただろう。


「えっと、あはは……お掃除ロボット(?)ですよ?」


 何をとち狂ったのか、そんなことをのたまう。


「そうか、掃除ロボット(?)か」

「はい。腕がついていて掃除道具を持てれば誰が何と言おうと掃除ロボットです。太刀とレールガンを標準装備していても掃除ロボットだと古事記にも書いてあります」


 ミコト自身にもなんだかよくわからなくなっているが、どうでもいいことを力説する。


「ああ、そうだな……ちょっとどころじゃなく物騒だが……いや、そんなわけあるか」


 ミコトは困ったような顔で髪をいじった。














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