42話 理解者
『絡繰具足"麻迦古弓"召喚』
鋼鉄姫の頭上で浮遊する武者鎧は以前に使用されたものとは大きく外観を異にしていた。
装甲の胸部から腹部にかけてのくびれた優美なラインがスレンダーな女性の体型を想起させる繊細な意匠となっている。
背部に装備された円形の翼甲に計36枚、花弁のような形をした薄い藍玉質のプレートが等間隔に並んでいるのも相違点の一つであろう。
大輪の翼は、神域に咲く常しえの花のごとく神々しく美しい。
随所にヤマト甲冑の拵えがなくば、豊穣を司る女神の像と認識しても何らおかしくはあるまい。
だが、この魔具は芸術的価値などにいささかの矜持も持たない。
その設計思想はいかに巧みに、速く、確実に、敵を屠るか。
羽々斬と同様に神弓の名を冠したこの魔具もまた破壊の化身であった。
『ユニットとの接続を開始 装者とのリンク完了』
そこからは最早戦いと呼べるものではなく。
単なる虐殺だった。
「散らせ天羽々矢」
36の花弁が翼甲から一斉に分離するや、流星のごとき軌跡を描いて飛翔する。
音速の壁を越え、雷光の尾を引いて渦を巻く薄刃の嵐。
それを避ける術は屍鬼たちにはない。
元より回避行動を命令されていなかったが、例えアンデッドと化していなくとも反応すらできなかっただろう。
ある者は四肢を切り落とされ、またある者は脳や肺腑を貫かれた。
しかし、いかなる部位に致命傷を受けようと不死は呪いの根源を絶たれない限り永遠に生者の血肉を求め続ける。
損傷部位を繋ぎ合わせながら地を這いずって進むが――
「――磁力制御」
少女の静謐なる詠唱が道を閉ざす。
花弁は使い捨ての射出武器ではなかった。
地面へと落下する寸前鋭角的に軌道を変え、刺し貫いたばかりの腐敗した皮膚に再びその身を突き立てる。
二度。三度。
幾度となく、完膚なきまでに斬り刻み、滅多刺しに。
刃の繚乱は血しぶきの華を咲かせ、動く死体は一体の例外もなく原形も留めぬグズグズの肉片と化すまで解体された。
麻迦古弓の主力兵装、天羽々矢は重力魔法、及び念動魔法機構によって構成され、そこへ更に使い手の磁力操作でローレンツ力による超加速を付与された、いわば特攻型ビット兵器というもの。
魔法や魔具によるオールレンジ攻撃の構想は古くから世界中にあった。
全方位からの同時飽和攻撃の有用性は言わずもがな。ネクロマンシーがその類型の一つに数えられるだろう。
ただし、あらかじめインプットされている動作を実行させるのではなく、マニュアル操作で正確に、また出力を維持しながら複数を操るは至難の業である。
使い手に並外れた空間認識力と動体視力、瞬時に術式を制御する処理能力が要求されるからだ。
術者自身が戦闘をこなしながら1、2機を自在に操作できれば十分優秀。
殲滅者級冒険者ビクトル教授が、チェス駒を模した6機の小型魔具を使いこなしていることが確認されており、魔具の分野では彼が歴史上最高記録を樹立したと一般には認知されている。
人類の限界がその数ということはつまり――麻迦古弓はまともな人間の使い手を想定していない。
『感知可能範囲全域の生体エネルギー反応消失を確認』
役目を終えた花弁が翼甲へと帰還する。
瘴気の蘇生効果は無尽蔵ではない。
対象の損壊率が高ければ修復により多くの量を必要とし、時間もかかる。
新たに供給を受けられなければ肉体を現世に留められず、遠からずアイテム化することになるだろう。
では瘴気の大元はどうなっているかといえば――
「塵は塵に、灰は灰に、土は土に」
今まさにエステルが地に叩き落とした竜骸鬼にとどめを刺そうとしているところであった。
強姦魔がか弱い乙女の衣服を破き裂くかのような暴虐さで、胸骨を力任せに割り開く。
剥き出しになった心臓部に目にも止まらぬ速さで拳を叩き込み、身の毛のよだつおぞましい音を立てながら紫水晶に似た結晶の塊を抜き取った。
すると朽ちた竜の巨体は砂の城が崩れるように崩壊を始め、霧と共に蒸発して跡形もなく消え去ってゆく。
「終わりましたわね。あちらは?」
『既に殲滅を完了している』
「おやおや、それはそれは、レベル詐欺もいいところですわね」
『全く同意する。ミコト・ヒラガはステータスデータの一部を意図的に隠蔽したものと推測。今後の探索行動に重大な支障をきたす恐れあり。早急に情報の開示を求めるべきだ』
生真面目を絵に描いて額縁に入れたようなAIの進言に、エステルは幼い子供に言い聞かせる要領で優しく諭した。
「そう目くじらを立てるようなことではございませんよ。切り札を出し渋っていたのにはきっと理由があるのでしょう。ログヴィルに釘を刺されておりますし、詮索は控えましょう」
瓢箪から駒とはよく言ったもので、エステルは思いがけない出来事に興奮を感じていた。
詰問など興を削ぐこと甚だしい。
『装者の方針は理解したが、それとは別に訂正を要求する。私の視覚センサーには目くじらに相当するパーツがなければ、他のオリジナルモデルと異なり怒りなどという不合理な感情も有しない』
エクスデバイスは諫言はすれど、冒険をサポートする範疇と弁えておりユーザーには決して逆らわない。
デウス・エクス・マキナもその点には忠実だが、反論には僅かに棘が含まれていた。
エステルがこのオリジナルデバイスを手にしておよそ1年。
様々な意味で規格外な主を迎えても、少女の声で話すAIは冷徹で平坦な口調を崩すことは一度たりともなかったのだが。
「怒っているではありませんか。語気が乱れてますわよ」
『そのように聴こえたなら幻聴だ。耳鼻科への受診を強く推奨する』
デウスの声にはあからさまに不機嫌さがにじみ出ていた。
努めて機械であろうとしているAIが垣間見せる人間臭さを、エステルは甘露のように味わいながら微笑する。
「クフフッ」
『何がおかしい?』
「いえいえ、ますますあなたの機嫌を損ねてしまいそうですから秘密にしておきます」
『損ねる機嫌など私にはない。サポートが不要ならばスリープモードに移行させてもらう』
へそを曲げて沈黙したデウスを放置し、エステルは軽やかな足取りでミコトの元へと戻ってくる。
モンスターの体内にある瘴気はフロアボスが倒れても残留し続けるが、細切れの状態から再生させるだけの力は残っていないようだった。次々に副葬品と思しき品々を残して消滅する。
「遅くなりまして申し訳ございませんでした。ミコトさん――ですね?」
エステルは謝罪を口にしながら、礼拝客を迎える時の人好きのするにこやかな笑みをミコトに向けた。
その裏で少女の肢体を観察する。
ものの数秒で確信した。今の彼は自分と同性だと。
女顔の男なら探せば世の中にいくらでもいるだろうが、骨格までは真似できない。
骨盤の形を見れば瞭然だ。
新たな生命を育む揺りかごは男の体には備わっていないのだから。
絶世の美少女を前にして、エステルは聖職者の本分に立ち返ることにした。
◇◇◇
死を覚悟しなくてはならなかった敵の大軍も、いざ鋼鉄姫になってしまえば案山子も同然だった。
一切合切を討ち滅ぼす圧倒的な武力で存分に破壊し尽くした。
だが、その後に待ち受ける日常までは鋼鉄姫の力をもってしても思い通りにできそうになかった。
さしあたり直面した問題は、目の前で柔らかく微笑むシスターにどう事情を説明すべきか。
魔法や魔具を扱う時に明晰に働く頭脳は、対人能力に関しては同世代の少年少女未満の役立たずである。
外見や戦闘能力がいかに優れていようと、精神面はミコト・ヒラガという内気な少年の域を逸脱していないのだ。
「あ、う……」
(み、見られた!?バレた!)
ミコトは一瞬顔を強張らせると、昏睡状態のソフィアを抱きかかえたままばつが悪そうに俯いた。
巫女服の胸元から覗く白い谷間が否が応でも現実を突きつけてくる。
変身はミコト自身の意思でした。
なお、その時に後先のことを考えていたかと問われれば否だ。
腕の中の重みが彼にスキルの行使を決断させた。
(何か言わないといけないよな……?)
どこから話してよいものか言葉に詰まっている様子のミコトへエステルが朗らかに声をかける。
「帰りましょうか。ソフィアさんの容態が気がかりですから」
至極真っ当な提案だった。
ミコトは黙って頷き返すと、魔具に手伝わせてソフィアを背中におぶった。
歩き出すと同時にエステルが世間話でもするかのような調子で話題を振ってくる。
「一つだけお聞かせ願いたいのですが」
「は、はい!何ですか?」
「まあ、近くで聴くと本当に透き通るように綺麗で可愛らしい声♪」
声を褒められたのは初めてだった。
ミコトの頬が急速に朱に染まる。
どこへともなく走りだしたくなるような恥ずかしさを心の隅に無理矢理押し込めながら、再度聞き返してみた。
「えっと、訊ねたいことというのは」
(十中八九この体に関することだとは思うけど)
「デリケートな質問で気分を害されるかもしれません。共同生活を営む上では確認しておくべき事柄であると感じましたので先にお詫び申し上げます」
そう前置きしてから問いを発した。
恐らく実務的な話なのであろうと察して、少しだけ安堵する。
「あなたはどちらなのでしょうか?」
エステルなりに配慮した結果なのだろう。
質問の内容は肝心な部分を省かれていた。
「お気遣いありがとうございます。遠回しにおっしゃっていただかなくても結構です」
遠慮は無用だと伝える。
共同生活という単語でエステルが何を知りたいのか見当はついていた。
「では有り体に申し上げましょう。ミコトさんは元々女の子で、男の子の方が仮初の姿なのか?それともその逆なのか?という疑問です」
(やっぱりか。そりゃ相手が男か女かで接し方を変えない人はいないもんな)
ミコトは自嘲気味に唇を歪ませながら、誰を憚ってか控えめな声で問いに答える。
「男です。私は、少なくとも私の人格は」
男として扱ってもらうことを望んだ。
「そうでしたか。ではこれからも男の子と思って接して参りますね。思春期の少年の心に女の子の体、さぞ悩み多き事でしょう。いつでも相談にいらしてください。道に惑える人々の灯火となるのが神のしもべたるシスターの務めですから」
はたしてミコト・ヒラガの人生に、彼が孤独に張り続けてきた意地に優しさで向き合ってくれた人物がいたであろうか。
少なくとも、ミコトの秘密を知る身内にはいなかった。
誰もが彼に押し付けた。
"巫女"という役割を。
「あ、ありがとうございます。その、私あまり人付き合いに慣れていなくてうまく言えないですけど――うれしいです」
戸惑うようにはにかんで、ミコトは謝意を口にした。
(まずい、涙が出そう)
長い黒髪をカーテンにして片手で目頭を押さえる。
その時には既にゲートの前まで進んでいた。
(変身してしまったからには考えなくてはならないことが山ほどある。冷静になれ)
ミコトはソフィアを背負い直すと、エステルの後に続いてゲートを通過した。
「ただいま戻りました」
地下室は出発前より温まっていた。
仄かにコーヒーの香ばしい芳香が漂っている。
「思ったより遅かったな」
「ええ、色々とありまして」
本から顔を上げたログヴィルは何の気なしにゲートの方に首を動かした。
直後、驚愕のあまり片手のマグカップを落としそうになり、跳ねた液体がズボンの膝に降りかかる。
普段なら軽く悶絶しているところだが、今のログヴィルには熱さに割く意識の余裕は一切なかった。
「おい、シスター」
「ソフィアさんが蝕みやられで眠ってしまわれまして。軽傷だとは思いますが」
「そんなの見りゃわかる。大した症状じゃない。それより見ても理解できないものがあるだろうが」
ログヴィルは金髪美女から黒髪美少女に視線をシフトさせると大声を張り上げた。
「そいつは誰だよ!?」




