41話 舞い降りるはがね
42話、10~12日頃の投稿を予定
竜骸鬼の背に飛び乗ったエステル。
彼女は障気をものともせず、翼の付け根に拳を打ちつけていた。
ドラゴンという凄まじい体重を持つモンスターが航空力学を無視して飛行できるのは、翼が重力操作に特化した魔具に近い機構を有しているからだ。
術式に物理的な綻びが多いため、生きたドラゴンのように高速では飛べないが、それでも空からの一方的な攻撃は十分に脅威である。
また、単純な殺傷用のブレスよりもデバフ・感知阻害・ネクロマンシーと3つも特殊効果を持った闇毒のゲロをばらまかれる方が恐ろしい場合もある。
エステルはまず、相手を同じ土俵に引きずり下ろすことから始めた。
「ウフフフ……ソフィアさんに叱られてしまいますから、本日は手短に片付けさせていただきますね」
破壊した鱗の隙間に鋭利な手甲の指先を差し込む。
肘まで肉に浸かるほど腕を埋め、内部の蹂躙を開始する。
何かを探るような手つきでかき回し――
「見つけましたよ」
腕を引き抜く。
エステルの手に象牙の倍の太さはある骨が握られていた。
翼の基幹となっているその部位を、怪物を超越したヒトの握力で粉砕する。
その行為が重力飛行の術式に看過できないエラーを発生させたのか、竜骸鬼の背が大きく斜めに傾いだ。
一瞬だけ地上の様子が目に映る。
「おやおや、これはいわゆるピンチというものではないでしょうか」
人事不省に陥ったソフィアを抱きかかえるミコトの姿があった。
敵の数の多さからして、例え万全の状態であったとしても絶体絶命の局面だと断言できる。
エステルが凡人と見なした少年は瞳に焦燥の色を浮かべながらも、四方八方から迫る屍鬼の群れを油断なく睨みつけていた。
「さしずめ、お姫様を守るナイトといったところですわね。大変に勇ましいお姿ですけれど」
犬死にするだけだ。
ソフィアを囮にして逃げることもできるだろうに。
ログヴィルは飛び級で医大を卒業した天才医師だ。
口では文句を言いながらも並の医師では匙を投げる蘇生処置を難なくこなしてしまう。
ここは仲間を見捨ててもいい。
そうしたところで法の裁きを受けることはない。この状況は法文の戒めの外にある出来事だ。
生き残った者が死んでしまった仲間の分の利益を少しでも回収しておくべき場面である。
算数で考えればいい。
仲間は必ず生き返る。生き残った者は装備の破損を免れ、余計な苦痛を味わわないで済む。
差し引きはゼロだ。
冒険者にとって死とは最も身近な隣人。
殺しておきながら自分たちだけは殺されたくないなどという甘えた我がままは通らない。
冒険者はその殺し合いの原則に従って時に非情となり、倫理や人道にあえて背かねばならない場合がある。
だからこそ。
「なんという素晴らしい愛と絆なのでしょう」
だからこそ、窮地に追いやられてもなお、仲間と共に生き残る希望を捨てていない愚かな彼が美しく尊く愛しかった。
同時に彼らの美しさが容赦なく陵辱され、醜く汚される様を妄想して、背筋に官能の震えが迸る。
悲鳴を上げる時、どんな音色で哭いてくれるのか思い浮かべようとすると下腹部が熱く滾る。
わざとボスの撃破を遅らせてみたらどうなるだろう?
それはとてもとても甘美な誘惑だった。
「わたくしを惑わせてしまうなんて、本当に罪つくりなお二人」
今すぐ地上に戻り、レッサーデーモンゾンビを蹴散らして救世主となるか。
このまま竜骸鬼をなぶり続け、彼らの運命を見守って外道となるか。
どちらに転んでもエステルに損はない。
「ふむ、魔が差してしまいそうではありますが」
結論はすぐに出た。
「知り合ったばかりですもの、ここはお助けしましょう」
二人への愛は時間と手間を費やしただけ味に深みを増す極上の美酒のようなもの。
壊してしまうにはあまりに惜しい。
エステルは竜骸鬼を墜落させるべく腕を振り上げる。
重力飛行の魔法は辛うじて維持できている有り様だ。いつでも一撃で落とすことができた。
しかし、竜の背を抉ろうとした寸前でまたしても彼女の手が止まる。
「おや……?これは詩……でしょうか?」
思い留まらせたのは風切り音に混じる唄だ。
エステルは戦闘中であることも忘れ、耳をすませた。
《罪事は天つ罪 許多の罪を天つ罪と法り別けて》
「あの少年の声ですね」
《 国つ罪と 生膚断 死膚断》
古式ゆかしい厳かなしらべ。
意味はさっぱりだったが、聖職者であるエステルはそれを直感的に"祈り"の聖句ではないかと解釈する。
(彼のデバイスはオリジナルではありませんでした。アウトロウの始動キーの可能性はない。とすると、これは何らかの術式なのでしょうか?)
古今東西あらゆる国で文字や発音を用いた魔法が開発されてきた。
この世の全ての魔法は原始的なアニミズムに端を発し、時代の変遷に伴い法則性が見出だされ、合理的な姿へと進化を遂げている。
魔法の祖先は宗教。
――であれば神へ捧げる祈りの言葉が、魔力を運用し加工するためのプログラムを兼ねていたとしても何も奇妙な話ではない。
言霊を用いた魔力操作は人類史においてごくありふれたものなのである。
現にエステルの所有する聖書にも祈りの言葉で紡がれた術式が存在している。
だが、今や魔法は効率を求める現代の潮流によって神秘のヴェールを剥がされ、単なる道具へと零落した。
脳内で術式を正確に刻む記憶法が確立され、悠長に詠唱を行う必要性は皆無となった。
(つまりこの詩は旧き時代より連綿と受け継がれてきた古代魔法)
わざわざ無駄な工程を踏んでまで発動する術だ。
リスクに見合うだけの威力と範囲を持った魔法ではないかと推測する。
――ところが。
「え…………?」
人類最強は想像もしていなかった。常識に縛られていてできなかった。
《高つ神の災 高つ鳥の災 畜仆し蟲物する罪 許許太久の罪出でむ》
歌い手が詩の途中で少年から少女へと変化することを。
「違う……これはそんなものでは……」
エステルは絶句した。
コリノドラ聖堂教会はダンジョン屋の営業活動を一切宣伝していない。
開店休業も同然で、エステルの貸し切り状態である。
4人目の冒険者が訪れるなどあり得ないし、仮にどこかでダンジョンの存在を知った冒険者が押しかけてきても管理者であるログヴィルは面倒くさがって入場を許可しないだろう。
《御幸とぞ 願えば神の 御幸成る》
それなのに、万物を虜にする儚くも美しい歌声がはっきりと聴こえている。
「クフッ、ウフフフッ!」
哄笑する。
己の滑稽さを。
「アハハハハハハハッッ!!」
嘲笑する。
愚かなのは己であったと。
「主よ、あなたは本当に冗談がお好きですね。なんてたちの悪いお方、フフッ、ウフフフフ!」
やはり。
やはり普通の少年ではないと思っていた。
ソフィアが相棒にと見込んだのだ。
常識破りの一つや二つあるに決まっている。
「いけません、遅刻はマナー違反ですわ」
こんなところで油を売っている場合ではない。
最高の余興が始まるのだ。
すぐ側で観劇しなくては。
エステルは舞踏会へと向かう灰かぶり姫のように心を踊らせ、嬉々として竜骸鬼の背に拳を突き入れる。
その時、地上から天空へ一条の稲妻が逆走し、暗雲を切り裂いた。
暗く淀んだ空気は閃光の余波で一息に祓われ、墓所は清浄なる神気に満たされる。
墜落のさなかエステルは見た。
白銀の鉄巨人を従えた常世の国の少女の姿を。




