40話 ダークソウル
文字数が想定以上になったため、2本立てです。
立ちはだかる屍鬼の頭頂を炎に包まれた斧が唐竹割にする。
無駄なく堂に入った一連の動作をミコトは感嘆と共に称えた。
「やりますね」
「小5の夏休みに家族で行ったキャンプでパパから薪割りのやり方を教わったのよ。人生何事も経験しておくものね」
ソフィアは魅力的な笑顔を浮かべてウインクした。
「な、なるほど」
冗句と受け取るべきか判別しかねたミコトは曖昧な笑みでお茶を濁した。
「さあ、追加の敵がお出ましよ。怯ませていくから追撃ヨロシク!」
後続として現れた3体に掌をかざし、ごく初歩的な攻撃魔法の筆頭とされている"火炎の噴流"を放つ。
この術の有効射程範囲はおよそ5、6m圏内。クロスボウに比べれば断然短いし、攻撃力も乏しい。
期末考査の撃破対象であるダイアウルフの毛先をわずかでも焦がせれば御の字といったところの低い性能の魔法だ。
だが――
「おー、思いのほか効いてるわね」
不死にも痛覚があるというのか、レッサーデーモンゾンビは地獄の獄卒から責め苦を受ける亡者のごとき苦悶の叫びを迸らせ、火勢から逃れるようともがく。
火に弱いという情報通り効果は覿面であった。
焼け爛れる腐った皮膚の反吐を催す悪臭に、ソフィアは顔を顰めつつもミコトへ合図を送る。
「チャンスよミコト君!」
「参ります!」
棒立ちも同然のところをミコトが安全圏から刈り取ってゆく。
火炎の噴流は火力が控えめで射程が短い代わり、燃費に優れる。
少ない魔力消費で最大の効率を上げられるならそれに越したことはなかった。
「まだまだ来るわね!今度は5体、同じ戦法で片付けていくわ!」
「了解!」
『装者殿、ミコっちゃん!ファイトであります!』
ソフィアが前に出て敵の群れに火炎を振りまき、入れ替わるようにミコトが敵前に躍り出て薙刀でとどめを刺す。
取りこぼしやはぐれ個体はソフィアとエステルがそれぞれの得物で葬った。
撃破数が15を数えた頃。敵の接近が一度途絶えた。
「息の合った連携、実にお見事でございます。お二人は出会って日が浅いとお聞きしましたが、とてもそうは思えない巧みな動きでした」
エステルが賛辞を贈る。
決して世辞ではあるまい。絶対的な強者である彼女には他者にへりくだる必要がないのだから。
「当然よ。あたしたち相性抜群なんだから。ね?」
「なかなか噛み合ってる方だと思います。ソフィアさんの成長が早いのもありますけど」
コンビとしてのチームワークは上々。
エステルが二人に個別に下した素質の評価ではソフィアが天才、ミコトが凡才であった。
(ソフィアさんでしたら6人目のアビスウォーカーになれるやもしれませんね)
これは私情を一切交えていない公平な評価だ。
ソフィアは武器の扱い方や体捌きに関してはまだまだ荒削りな部分が多い。
ただし、これらは学園で指導を受けられるようになれば容易に修正できる課題で、秘められたポテンシャル自体は非常に高く、そう遠くない内に自身に匹敵するレベルに至るであろうと睨んでいる。
また、ソフィアは一個人としての戦闘能力だけでなく、優れたコミュニケーション能力をも持ち合わせており、パートナーに実力以上の力を発揮させている。
冒険者は戦士として傑出した才能を持つ者ほど協調性に欠ける傾向がある。
指揮官の適性を兼ね備えたソフィアは稀有な存在であると言えた。
ではミコト方はというと、幼い頃より一流の武芸者から薫陶を受けていたのであろう。
まるで舞台の上で舞を披露しているかのような華麗さで薙刀を扱って見せている。
武器を体の一部同然に馴染ませるのは口で言うほど簡単ではない。
また、実戦で型通りの動きを再現するのは至難の業だ。
裕福な家庭環境と師に恵まれていてこそものにできたのであろうが、本人のたゆまぬ努力もあってのことだろう。
ミコトが与えられた環境に甘えず長い時間をかけて研鑽を積んできているのは、エステルの目から見れば瞭然であった。
惜しむらくは技倆に見合うだけのステータスに恵まれていないことか。
霊的・肉体的資質は中の下といったところだ。
怪物には技だけでは対抗できない。
剛力がなくては怪物の前に立つ資格すら得られない。
ステータスの数値、成長率が低いことは冒険者を続けていく上で致命的な欠点。
ミコトと組むにはいつか足手まといを抱えるかもしれないという覚悟が要る。
(ソフィアさんは聡明なお方。惚れた弱みでパートナーを選ぶような真似はしないでしょう)
ソフィアならばもっと才能のある冒険者と組める。
彼の方がどうしても一緒にいたいというならダンジョンではなく家庭でソフィアを支えてやればいい。
ただ、そうした助言を口にしたところでソフィアに一蹴される予感がエステルにはあった。
余計なお世話だと。
彼には相棒に据えるだけの価値があるのだと。
予感に明確な根拠はない。
それでもあえて言うならばミコトが口を閉ざしていることにあるだろう。
(彼の素性が謎めいているのが、そう思わせる理由なのかもしれませんね)
昨晩の夕食の席でミコトは頑なに故郷や家族の話を拒んだ。
実家との決別を願っている彼の態度がどうにも気にかかってならなかった。
ソフィアは彼の秘密を知りたくてパートナーに選んだ?
思考を巡らせてみるが解答は得られそうになかった。
エステルは頭脳労働は得意ではないのだ。
(元よりわたくしが口出しすべき事柄ではありませんわね)
そもそもエステルは誰と組んでどういう戦略を立てれば効率が上がるかなど、まともに考えたことがない。
金や生体エネルギーを望んだ記憶は一度もたりとも無い。
加虐と被虐を欲してダンジョンに潜り始めたのだ。
苦しめ、苦しめられることが彼女の悦楽。
性癖を満たすために戦っていたらいつの間にか最強になっていただけだ。
ミコトにはミコトの、ソフィアにはソフィアの戦う動機があっていい。
結果は二の次にしたって構わない。
大事なのは社会的に成功できたか否かではなく、人生がいかに試練と喜びに満ちているかを知るということ。
「どうしたの?シスターさん」
考え事をしているのが顔に出てしまっていたのだろう、ソフィアが薄気味の悪いものを見た目をしていた。
「人生について考察を少々」
「あ、そう。ミコト君、そろそろ接敵するわ。迎撃準備」
「魔力残量に余裕はありますか?」
『残り80%であります』
「だ、そうよ。会議で話した通りあたしかミコト君のどちらかが40%を切ったら帰還しましょう」
戦法が確立すれば後はいかに無駄を削ぎ落していくかだ。
流れ作業に等しい整然さでレッサーデーモンゾンビを次々と撃破してゆく。
撃破数が40に迫ろうとしていた頃。
「武器を持ったのが複数いるわ!レア個体よ」
トレードマークであるナイフのような爪が生えていない代わり、手に剣や槍や棍棒を手にしたレッサーデーモンゾンビが現れた。
半ばで折れていたり、錆びて黒ずんでいたりと武器の殺傷能力がだいぶ失われているようではあるが、それ自体が油断を誘う罠の可能性がある。
違いはそれだけに非ず。
爪有りの個体が全裸か粗末な腰布一枚だけだったのに対し、こちらは背にマントを羽織っていたり、腕輪や首飾りなど装飾品を身に付けているのが見受けられる。
「何というか不気味ですね」
「武装していようと対策は同じよ。燃やして怯んだところを近接攻撃で仕留める」
「ええ」
火炎の噴流を放ち、それぞれの武器で敵の頭部を破壊する。
装備の有無などあって無いに等しかった。
肩透かしをくらった気分で狩り続ける。
順調だった。
途中までは。
屍山血河を築き上げながらミコトは奇妙な変化に気づいた。
(倒したモンスターがアイテム化していないぞ)
それだけではない。
「ねえ、周りが薄暗くなってきてない?」
「はい、これってもしかして……」
いつの間にか辺りが黒い霧に包まれ、元々視界不良だったのが更に悪化してきている。
エステルはこの現象の正体に心当たりがあるようだった。
「どうやらフロアボスが近づいているようですわね」
さらりと言われ、ソフィアが反論する。
「嘘!?ちゃんと警戒していたわよ!フロアボスの強大な魔力反応に気づかないわけないじゃない!」
「そう仰られましても、わたくしにはモンスターの魔力反応というものを感じ取ることができませんし」
困ったように眉を八の字に下げるエステル。
このシスター、最強であっても万能ではない。
だから知る由もなかった。
霧を構成する粒子の一粒一粒が魔力反応を攪乱する性質を有していると。
「撤退よ!撤退!」
一層のフロアボスの適正レベルは60以上。
ドラゴンイーター級冒険者が5名以上でパーティーを組み、適切な準備をしてようやく勝てる――桁違いのモンスターだ。
間違ってもレベル10台の冒険者が挑んでよい相手ではない。
「いえ、その前に回避に専念した方が良さそうです」
「回避って、敵の姿が見えなくちゃ話にならないわよ」
東西南北どこを見渡しても敵影は見当たらない。
巨躯を誇るモンスターだと知っていたが、霧のせいかどんなに目を凝らしても姿が見えなかった。
「ミコト君見える?」
「いえ、全く」
言葉を交わし合っている内に充満する霧が濃度を増している。
(息苦しい。体が重く感じる。ただの霧じゃない、これは蝕み――闇の力だ)
霧の発生源は恐らくフロアボスであろう。
「地上にいないならば、空でしょうね」
「空……?……っ!?ミコト君!」
ソフィアが突然血相を変え、ミコトの体を突き飛ばした。
「え?」
後ずさるようにたたらを踏みながら尻もちをつく。
直後、ミコトのいた地面をヘドロの塊のようなものが直撃した。
それは泡を立てながら急速に気化し、真っ黒な煙を立ち昇らせている。
(フロアボスの攻撃か。今のは上から?)
正しく自分の置かれた状況を認識し、空を見上げる。
霧の発生源はそこにいた。
蜥蜴に似たフォルム。破れて穴の開いた巨大な翼。捻じ曲がった頭部の2本角。朽ちた鱗。露出したあばら骨とぶら下がって垂れるはらわた。
コリノドラ大学の調査隊はそのモンスターを"竜骸鬼"と命名した。
竜骸鬼は低速で旋回しながらあの黒いヘドロの塊を口腔から吐き出している。
どうやらあれは吐瀉物であったようだ。周囲の霧はその残滓なのだろう。
「ミコト君無事!?」
ソフィアはミコトの救助をしつつもヘドロ爆撃をしっかり避けていた。
ミコトは慌てて立ち上がりソフィアに返事を返す。
「すみません!無傷です!ソフィアさんは!?」
「平気よ!走れるなら不幸中の幸いね、ケツまくって逃げるわよ!」
了解です――と応答しようとした刹那、ミコトの眼前を赤錆びた剣が掠めた。
「っ!こいつは!」
肝が冷える思いをしながら剣の持ち主と対峙する。
倒したはずのレッサーデーモンゾンビが復活していた。
剣を持った個体だけではない。アイテム化していなかったモンスターが次々に凶器を手に起き上がってくる。
(ネクロマンシーか!)
霧かヘドロ、あるいは両方にアンデッドのアイテム化を防ぎ、蘇生させる効果があったのだろう。
「フロアボスがわたくしが食い止めましょう。お二人はどうぞ先にゲートへ」
エステルが跳躍し、空へと消える。
竜骸鬼の背に飛び乗るつもりなのだろう。
飛行型モンスターへの対処は地上から矢や魔法攻撃を浴びせるのが定石だが、この型破りなシスターに一般常識は通用しないらしい。
「言われなくてもそうさせてもらうわ。ミコト君、包囲を突破するわよ!」
復活したものを含め、新たにやってきたレッサーデーモンゾンビたちに全方位を塞がれている。
ざっと見積もって50はいるであろうか。
パニック映画さながらの絶望感をそそる光景である。
(この数は厳しいな。一刻も早くソフィアさんと合流しなければ)
突き飛ばされた際にソフィアと距離が離れてしまっている。
数で劣っている状況で別個に戦うのは拙い。
何度敵が復活するかわからない状況での消耗戦は更に拙い。
包囲から逃れるには戦力を集中し、一点突破を行うが基本である。
ミコトは姉妹刀鏨を抜き放ち、手近にいた剣持ちを袈裟斬りにして再び無力化した。
落としていた薙刀を素早く拾い上げ、周囲を睥睨する。
(何とか通り抜けられそうな隙間はある。ソフィアさんと協力すればだけど)
包囲の陥穽はすぐに看破することができた。
どうやら竜骸鬼のネクロマンシーはユゴスよりのものとは異なり精密な操作は放棄しているらしい。
直接体内に取り込んで処置をするのと、霧を広範囲に拡散するのとでは術の精度が変わってくるのかもしれない。
「今そっちへ向かいます!」
立ちはだかる敵をすれ違うように切り伏せながら相棒の元へ駆け寄る。
「包囲が狭まる前に固まって走り抜けましょう!」
「それが最善ね、ミコト君は右翼をお願い。あたしは左翼を請け負うわ」
議論の余地なく方針が定まる。
ミコトはバフスキルへ注ぐ魔力量を増加させ、突撃に備えた。
(全力の状態だ。多分5分ももたない)
ゲートからあまり離れず迎撃を主体に戦っていたのが幸いだった。
魔力が尽きる前にダンジョンの外へ到達するのは不可能ではないだろう。
――だが。
幸運と不運は寄せては返す波のようなものであるらしい。
「さあ!行くわ……っ……よ……」
不意にソフィアのセリフが途切れる。
糸が切れた人形のように力が抜け、その場に膝をつく。
『装者殿っ!?』「ソフィアさん!」
「うっ、くっ……!何でこんな時に……」
ミコトは急ぎ、踞るソフィアの顔色を窺った。
一目でいかなる症状か察する。
気だるげな表情は睡魔に侵されている時のものと同じであった。
「これはまさか!この霧のせいか!」
蝕みの力は心身に様々な異常をもたらすことがある。
精神の錯乱、幻覚、平衡感覚の喪失、強烈な眠気やめまい、手足の痺れ、呼吸器系の機能低下等多岐に渡る。
ソフィアが患ったのは眠気だったというわけだ。
「ミコ……く……ごめ……にげ……て」
いよいよ腕の力だけでは自重を支えられなくなり、うつ伏せに崩れ落ちる。
(効果が一つだけだと侮った!これはまずい!どうする!?どうすればいい!?)
現状、自然治癒以外で蝕みによる症状から回復する手段は2つ。
治癒魔法を受けるか、専用の高価な霊薬を経口摂取し、原因そのものである魔力を霊体から取り除くしかない。
そのような備えはミコトにもソフィアにもなかった。
(エステルさんがボスを撃破するまで一人でソフィアさんを守り続ける?……駄目だ!そんなの絵空事だ!自覚症状がないだけで俺もいつ発症するかわからない!)
眠るソフィアを抱き起こしながら、彼女を背負ってゲートへ走るべきか検討する。
(生還できる可能性はゼロじゃない……けど、分が悪すぎる!万が一捕まったらどっちも助からない!)
四面楚歌。
頼みの綱であるエステルはいつ戻ってくるかわからない。
ミコトは薙刀の柄を折れそうなほど強く握り締め、唇を噛んだ。




