37話 秘密は甘いもの
買い物を終えた日の晩。
夕食はソフィアが腕を振るった。
振るったと言っても献立は市販のルウを溶かし込んだシチューだ。
普段料理をしない子供でも不味く作るのは難しい代物である。
ソフィアは奇を衒わずパッケージに記載されたレシピ通りに作るタイプだ。
味は普通に美味しかった。
「ミコト君ってさ、ご飯にシチューをかけるのってアリな人?」
本日はサラダとパンが付け合わせのオーソドックスなメニューになっているが、ソフィアは基本ライスオンザシチュー肯定派である。
否定されるなら舌戦も辞さない構えであったが――
「こういう家庭料理を食べるのは初めてです俺」
「はい、お坊ちゃま発言いただきましたー」
予想の斜め上をいく回答に両手を上げて降参の意を示した。
ミコトにとって海外留学をした1年間は未知との遭遇の連続だったが、馴染みのない庶民の味はまだ豊富に残っている。
それだけのことだった。
ソフィアとミコトの団欒の傍、黙々と匙を動かしていた青年神父ログヴィルが気を引かれたようにミコトを見る。
「ん、お坊ちゃまってお前は金持ちなのか?」
その問いをミコトはきっぱりと否定した。
「金持ちなのは家です。俺じゃありません」
「そうか」
それきり興味を失ったようだった。
本当にただ疑問に思ったことを解消したかっただけらしい。
出自を知られたくないミコトにとってログヴィルの淡白な人柄は有難かった。
しかし、おしゃべり好きの女性陣はそうはいかない。
好奇心をそそられる話題にはとことん飢えている。
「言われてみればテーブルマナーが美しいですわね。ご実家は何をなさっているお宅なのですか?」
ソフィアが訊きたくても訊けなかった質問をエステルが実行した。
「あの、えっと……」
「わたくしの実家は小さな町のパン屋ですわ」
「あたしはなんてことない普通の家庭よ。パパは商社マンでママは専業主婦。ミコト君は?」
エステルに便乗するかたちで自分の育った家庭環境を明らかにするソフィア。
同調圧力とまでは言わないが、話す敷居は下げられたはずだ。
それでもミコトは返答に窮して固まった。
「会社でも経営をしていらっしゃるのですか?」
(社を預かっているというのは近いのかな)
それを話してしまうと、次々と情報を開示しなくてはならなくなってしまう気がした。
(いや、もう関係ないだろう。俺は――――じゃない。スキルだっていつかきっと克服できる)
「もしかして事務所にロケットランチャーやサブマシンガンを常備してる系の会社さん?」
「いや、そういうのじゃ……」
(何だソレ!?物騒な会社だな!?でも俺の魔具の方が比較にならないか……)
「ウフフッ、おやおや、おやおや……?なかなかどうしてミステリアスな男の子ですね。実際のところどうなのでしょう?」
エステルが纏う空気の質がどこかおぞましさを覚える禍々しいものに変わった。
尼僧に似つかわしくない化生の笑みを向けてくる。
獲物を品定めする猟奇殺人鬼のような粘ついた視線に射竦められ、ミコトは顔を強張らせた。
「教えてはくださらないのですか?」
「えっと……その……」
口調こそ日向ぼっこでも楽しんでいるかのように穏やかだったが、一切の逃避を許さぬ無慈悲な圧力を伴っている。
未成年者の物件の賃貸契約に関して、保護者から保証人の同意を得るのは常識以前の事柄だ。
それを一切省略した上で同居を認められているのだから、物件のオーナーに保護者の連絡先や住所を伝えるぐらいはやって当然である。
だが、ソフィアが同席しているこの場では言い出せなかった。
「よせよシスター、明らかに触れて欲しくないって顔をしてるだろうが」
見かねたログヴィルが制止した。
この青年ぶっきらぼうに見えて正義感が強いらしい。
神父だけあって彼の方が教会内における発言力が強いのか、エステルはあっさり引き下がった。
「もしやセンシティブな話題でしたでしょうか?それは大変申し訳ございませんでした」
神妙な面持ちで謝罪され、ミコトは恐縮しながら一度匙を置く。
その時には既に、エステルが放っていた不気味な気配は幻であったかのようにきれいさっぱり消え失せていた。
「いえ、こちらこそすみません。家族と折り合いが良くないもので、勘当同然に入学を許してもらっているんです」
(進路のこと以外では揉めていないんだけど……)
「だそうだ。悪趣味に走るのはビデオゲームの中だけにしておくんだな。お前にその性癖を悔い改めることなんぞ期待しちゃいないが」
「耳に痛うございます」
我が身の不徳を心底嘆くかのように肩を落としたエステルだった。
◇◇◇
食事の後、片付けをしながらミコトはログヴィルに謝意を伝えた。
「神父さん」
「ん?」
「さっきのことありがとうございました」
「律義に礼を言わなくていい」
つっけんどんに返されてミコトは何と二の句を継いだものかと視線を泳がせた。
(兄弟や友達がいたことがなかったから年の近い同性との付き合い方がわからない)
ならば単純に気持ちを伝えるより、同居人として信頼関係を結ぶところから始めた方がいい気がした。
「たとえ迷惑でもお礼を言いたいです。俺に手伝える用事があれば遠慮なく言ってください」
また同じように冷たくあしらわれるかもしれないと思っていたら、感心したような目で見られた。
「変わってるなお前」
「え?」
「別に礼儀正しいと思っただけだ。冒険者ってのは金と力が欲しくてしかたないガツガツした夢見がちなやつらか、スリルを求めてる変人のどちらかしかいないと思っていたからな」
ログヴィルの言う冒険者像は概ね世間の認識と一致している。
ミコトも然りだ。
「俺もソフィアさんも金と力のために戦ってますけど……?」
「そういう連中はだいたい余裕がないもんだ。限りある青春をうまくいくかもわからんダンジョンにつぎ込むわけだからな。見返りもなくお手伝いをしますなんて殊勝なことはまず言わんよ。シスターに弟子入りした連中は皆そうだった」
それは恐らく正しいのだろう。
冒険とは関係を持たない大多数の人々は大学を卒業する22歳までに人生の行く末を決める。
"くたびれ儲け"のあり得る冒険者で道半ばにして挫折すれば肉体労働者以外への就職は厳しい。
かといって普通の学校に戻っても遅れを取り戻すには時間がかかる。
容易に後戻りがきかないのだ。
だからこそ利己的になりやすく、他者を気遣える余裕を真っ先に失う。
「おれは冒険者じゃない。医大でちょっとばかし医療系の魔法をかじって、結局病院にも馴染めず毎日だらだら過ごしているだけの神父だ。そんなやつに言われても余計なお節介だと思うがな。失われた時間は戻ってこないぞ。別の道を選んでいれば得られた知識や経験を取り返すのに人の何倍も苦労しなきゃならん」
(もし、今でも一人のままでその忠告を受けていたら迷っていたかもしれない)
「でしょうね。でもソフィアさんは才能がありますし、精神的にも強い人ですから絶対に成功します。俺も成功させるように最大限努力します。だから不安は感じていません」
「なるほどな、頼れる仲間がいるからか。それならいい」
ログヴィルは流れで説教になってしまったのを、柄ではないことをしてしまったというように自嘲気味に唇を歪ませてこう言った。
「おれはめんどくさがりだからな。覚悟しておけよ。その代わりといっちゃなんだが、医者として面倒は見てやる」
「はい、よろしくお願いします」
(もし俺に兄さんがいたらこんな感じなのかな?)
そう思っていると、ソフィアが声をかけてきた。
「ミコト君、男同士友情を深めているところ悪いんだけど、明日の予定について相談したいわ」
「了解です」
洗い物を済ませて再び食堂に戻る。
ソフィアがいるのは当然としても、なぜかパーティーの部外者であるエステルが席についていた。
「お待たせしました」
「ううん。食事の時はごめんね、訊かれたくないことを訊いちゃって」
「気にしないでください。それで、明日の予定とは?」
手っ取り早く相談事に話題をシフトさせるとソフィアは簡潔に答えた。
「この教会の地下にあるダンジョン、デーモン墓場に行こうと思うのよ」
「ということは難易度は適切なんですね?」
「ええ、特殊階層型ダンジョンは各階層ごとに難易度が大きく変わる。一層に関してはあたしのレベルでも十分通用するそうよ。さらに都合がいい要因としてね、火属性の攻撃が有効なモンスターが多いんですって。お正月からこっち休みすぎちゃったから勘を取り戻していかないとね」
ミコトがログヴィルと話をしている間、ソフィアはエステルと会話をしてダンジョンの詳しい情報を入手していたのだろう。
「フロアボスにさえ出会わなければダンジョンアタックは成立するかと。万が一遭遇しても問題ございませんわ。ささやかなお詫びですが、私が同行いたしますので」
エステルが同席していた理由が判明した。
「必要に応じて援護してもらえるってことですか?」
「ええ、お2人の成長の妨げにならない程度の支援を心掛けるつもりでございます」
「助かります。未熟なものでご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
世界最強クラスの冒険者がついているなら難易度などあってないに等しい。
ミコトは軽い気持ちでダンジョンアタックの予定に賛同した。




