35話 ロマンは分かるのよ
「あんた等、うちに住むなとは言わないが、この女の名声に釣られてついて来たなら絶対にやめておけ」
青年神父ログヴィルは面倒臭そうな顔をしながらも声音だけは真剣にそう忠告した。
だが、聞かされた当人たちには意味が通じなかったようで探り合うように顔を見合わせる。
「有名な方なんですか?」
ミコトが聞き返すとログヴィルは意外そうに片眉を吊り上げた。
「まさか何も知らずに弟子入りしようとしてたのか?」
「弟子って何の話よ」
どこかで話が噛み合っていない。それ以前にログヴィルはエステルが入居者を連れてくるのをあらかじめ知らされていないように見受けられた。
「ログヴィル、わたくしも最近ニュースで知ったばかりなのですが、学園の寮で火事があったのです」
「火事?」
「ええ、路頭に迷われている学生さんがいるのではないかと思い、学園を訪問したところお2人をお救いすることができました」
「それだけで他意はないんだな?」
「ございますが、無理強いは致しません。ええ、お2人がお望みになられない限りは手を出しませんとも」
ログヴィルは苦虫を噛み潰したような顔で紅茶色の髪をがしがしとかいた。
「はん、そうかよ。まあ、学生だろうがプロだろうが自己責任だからな。選ぶ自由があるなら他人がとやかく口出しすることじゃないか。悪い、おれの勘違いだった」
言葉遣いも態度もぶっきらぼうな青年神父だが、筋は通す質らしい。
あっさりと頭を下げた。
「何を勘違いしてたのか知らないけど、勝手に自己完結してないでちゃんと事情を話してくれると助かるわ」
ソフィアが説明を求めると、ログヴィルは拾い上げていた本を畳んで眼鏡のブリッジを押し上げた。
「うちのシスターが何者か教えてやる――が、その前に基本的な話をしよう。プロ冒険者には等級が存在するのを知っているよな?レベルでもステータスでもない、実績に応じて与えられる国際評価基準だ」
それは冒険者という職業に興味を持ったならば、一般人でも大抵の者が知っている常識だった。
「中世の時代は国によって様々な特権がついてたそうね。税金の一部が免除されたりとか、軽犯罪なら逮捕されなかったりとか。今じゃ単なる名誉に過ぎないんじゃなかった?」
「その通りだ。かつてはならず者どもが王侯貴族に匹敵する待遇を獲得する唯一の手段だったんだが、世界中で同時多発的に起きた産業革命と科学技術発展に伴うコピーデバイスの普及、資本主義の台頭、そしてデモクラシーの浸透によって封建制度が駆逐された結果、形式だけが残った」
歯に衣着せぬ言い方をするならば、現代では承認欲求を満たすアクセサリーでしかないというわけだ。
「形式ね。ロマンで業界が盛り上がるなら結構な話じゃない。それに完全に旨みがなくなったわけでもないと思うわ。名誉だけになってもまだお金の匂いがプンプンするわよ」
「そりゃあ人類でも有数の戦闘能力の持ち主なら企業が広告塔に欲しがるわな。有名アスリートがCM出演者に抜擢されるのと同じだ」
「カナメ・ミライちゃんみたくタレントを兼業してる娘もいるものね。等級の高低が契約金額に響きそうだわ」
ミコトは話の輪の外で、うんうんと頷いている。
(そうだな、名誉なんて実態のないものをわざわざ管理してるんだもんな。利権団体が好きそうだな、そういう手間をかけないで済むビジネス。きっと与えた等級に応じて事務手数料を企業から徴収してるんだ)
そんな風刺的な考えを弄んでいる傍で二人の会話は続く。
「等級は全部で7段階。下から"スカベンジャー"、"シーカー"、"エクスプローラー"、"ディープディガー"、"ドラゴンイーター"、"アナイアレイター"、最高ランクに位置するのが、」
ソフィアが指を折りながら数え上げ、その最後の一つをログヴィルが引き継いだ。
「アビスウォーカー。うちの性悪変態シスターがその一人だ」
「冒険者だったの?」
「好んでメディア露出するタイプじゃないからな。外国人なら知らなくてもおかしくなかったか」
ソフィアは内心でエステルに対する評価を改めた。
「アビスウォーカー。名実ともに“世界最強の冒険者”。あたしの目標地点……」
誰にも聞こえない小声で口ずさみ、畏怖と憧憬を込めて尼僧の灰色がかった瞳に目を合わせる。
「ソフィアさん、あまりまじまじと見つめられると照れてしまいます」
エステルは好きな男の子とのにらめっこに負けた幼い娘のように『いやん』と身をくねらせてはにかんだ。
そこに威厳は皆無だった。
ソフィアは多少なりとも芽生えた尊敬の念をかき消し、げんなりとしながら冷や水を浴びせた。
「照れなくていいから」
「体も火照ってきてしまいます」
「火照るな。だんだん本性を隠さなくなってきたわね……」
そんなやり取りをよそに、ミコトもミコトで人類最強を前に感銘を受けていた。
(すごいな。もしかしたら史上最年少のアビスウォーカーなんじゃないか。最強を目指してるソフィアさんなら積極的に興味を持ちそうな対象だと思うけど、引き気味に見える。エステルさんのこと苦手っぽいよな、なんでだろう?俺みたいに人見知りするタイプじゃないのに)
社交的な人でも生理的に好かない相手はいるものだろう――と、ミコトは勝手に解釈する。
「とにかく勘違いのワケは理解したわ。世界にたった5人しかいないアビスウォーカーなら弟子になりたいって若者が殺到して当たり前よね」
「そういうわけだ。今まで40人前後だったかな。弟子入り希望者がいた」
「多いのか少ないのかよくわからないわね。その人たちは今どうしてるの?」
「全員駄目になったよ。冒険者として完全に再起不能だ。この女の常軌を逸した指導方針のせいでな。やめとけって言ったのは老婆心からだ。興味があるなら詳しく話してやるぞ」
ソフィアはノーサンキューと両手を上げた。
「うわぁ……結構よ、聞きたくない。ヤマトには"知らぬが仏"っていう格言があるの。あたしは見るな、聞くなのタブーに従うわ」
「賢明な判断だ」
すれ違いが解消されたところでミコトが声のトーンを控えめに話の輪に加わった。
「あの、そろそろ本題に戻ってもいいですか?」
「いけません、そうでしたわね。お部屋にご案内しませんと。でもわたくし、来る者拒まずですから弟子という形でも歓迎いたしますよ?」
「今の話聞いてた?あたし、神父さんの親切を無下にするつもりはさらさらないんだけど。もちろんミコト君もね」
ソフィアが口を挿み拒絶する。
絶対零度に等しい舌鋒だったが、エステルはニコニコと聖女のごとき微笑を浮かべている。
「あなたは見目形だけではなく、芯の通った心の気高さも美しい。素敵ですわ」
ソフィアは賛辞に受け答えはせず、むっつりと押し黙っていた。何を言っても相手を喜ばせてしまいそうだったからだ。
代わりにミコトが話の再脱線になりかねないと認識しつつも問いを発した。
「薄々感じていたんですけど、エステルさん、ソフィアさんが気に入ったんですか?」
"気に入った"に含めたニュアンスはあくまで"ライク"だった。"ラブ"ではない。
「もちろんでございます」
「いつから?」
「それはもう食堂で一目お見かけした時からです。お困りでなくても声をおかけするつもりでしたわ」
「そうだったんですね」
実のところ大晦日にあった因縁とはまったく関わりなく、エステルはソフィアに一目惚れだった。
「リチャードさんといい、ソフィアさんの血筋ってモテますね」
「今日ばかりはモテなくていいって思ったことはないわよ」
ソフィアは寂しさと恋慕の入り混じった恨みがましい目でミコトを睨んだ。
◇◇◇
「言うべきことは言ったぞ。昼寝に戻らせてもらう」
再び惰眠を貪り始めたログヴィルを礼拝堂に放置して、教会の内部を進む。
案内されたのは修道士のために用意されていた部屋だった。
昨今は薄給ゆえか、なり手がいないらしく、空き部屋の状態が続いていたのだという。
エアコン無し、家具は机と椅子とベッドにクローゼットと最低限。
罅の入った石壁が寒々しいが、広さは10畳ほどもあり、ほこり一つなく掃き清められている。
「広い……ですね」
「逆よ逆。寮が狭すぎたのよ。ミコト君、よくまあ一年間もウサギ小屋以下の部屋で生活できていたわね」
ざっと部屋を検分して問題なさそうだという結論に至る。
「無償で貸してもらえる物件に意見できる立場じゃないのは承知のうえで言うけど、ケチのつけどころがないわ。決定でいいんじゃないかしら?」
ソフィアはエステルの存在こそ苦手だったが、判断に私情を交えなかった。
ミコトも不満はないようだ。しかし彼にも譲れない部分はある。
「部屋の寒さも駅前の家電屋で電気ストーブを買ってこれば改善できそうですしね。でもまだ、いちばんっいちばんっ大事なところを確認してませんよ」
物欲の薄いミコトが異様に執着するものと言えば一つしかない。
ソフィアは苦笑しつつ答え合わせをする。
「わかっているわ。お風呂よね?」
「はい!」
その時の返事だけは一際威勢が良かった。
移動して見学を行う。
「お風呂とトイレは共同です。掃除を交代制で行っている以外は特に規則は設けておりません」
水回りの設備に関しては老朽化による破損でもあったのだろう、ここ数年の間にリフォームされた形跡があった。
最新に近いユニットバスを目に映した瞬間、ミコトはお嬢様として躾けられた優雅さでエステルに腰を折る。
「今日からお世話になります」
一秒にも満たない即堕ちだった。
「お風呂を見ただけで即答!?」
「どこに問題が?俺はこれだけの風呂に入れるなら、部屋が犬小屋でも構いませんよ」
「そこまで言う!?」
ミコトの言いようはあまりに極端であったが、一般家庭のバスルームに比べて一桁は多く金がかかっているのは確かだ。
ただし成金趣味の無駄な装飾に満ちた贅の凝らし方ではなく、洗練された機能美を誇っている。
「まあ立派なお風呂なのは認めるけどね。それだけに建物の古さとのギャップが凄まじく感じるわ」
「築年数にして300年近い落差がございますね。建物としての寿命を延命するため何度も改築工事が行われておりますので正確な数字とは言いかねますが」
「そんなに?でもアビスウォーカーの収入ならお風呂場だけじゃなくて教会そのものの全面改装も可能でしょ?」
全面改装どころか、高層ビルもキャッシュで建てられる。
「過度の贅沢に溺れぬよう戒めておりますので」
「教義的な理由もあるでしょうけど、いっぺんに改装なんてしたら清純さを売りにしている教会のイメージが悪くなるものね。お風呂場にしたのは外からは見えない部分だからかしら?」
エステルはソフィアの挑発的な言いように笑みを絶やすことはなかった。
「いいえ、人目を憚っていたわけではございません。進んで手を加えるのはそこだけで良かったからですわ」
風呂だけならば過度の贅沢にはあたらないと主張したいのだろう。
「実はこの地下にダンジョンゲートが存在するのです。わたくし、そこへ見習いの頃から頻繁に通っておりまして。ダンジョンでの疲れを癒すには何と言っても入浴が最適ですから、十分な休息効果が得られるよう私財を投じてリフォームいたしました」
これにミコトが重々しく頷いて同意する。
「お風呂場の環境に一番に目をつけるとは、素晴らしい慧眼です」
「人はパンのみにて生きるにあらずと申しますから。また、下着を2枚持っている者は1枚も持たぬ者に与えよとも申します。隣人と分かち合えばこそ、主もお目こぼしをしていただけるのではないでしょうか」
「当然です。快適なお風呂に入りたいと思うのは人として自然な感情じゃないですか。シスターさんだから駄目だって言うのは狭量にも程があります」
思わぬところで意気投合した2人に、ソフィアはやきもちを焼いているのを隠して看過できなかった言葉を反芻した。
「ダンジョンゲートがあるなんて初耳ね。何ていうところなの?」
「気になりますか?」
「あたし、冒険にお金だけじゃなくてロマンも求めているもの。気になるに決まってるわよ」
そのセリフを聞いた瞬間、エステルはすぅと妖しげに目を細めた。
「特殊階層型ダンジョン、"デーモン墓場"でございます」




