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34話 一刀両断シスター

 保険会社と連絡が取れるようになったのは、新年を迎えてから5日が経過してからであった。

 家賃の一部から徴収されている保険料の額は微々たるもので、必然的に最もグレードの低い保証プランとなる。


 その内容は半年間月々1万5千の保険金に加え、焼失した家財の補償は一律30万の支給と、非常に心もとない。

 否、悪辣極まりないと言い換えてもいいだろう。

 火災の責任が全て学園にあるとしても燃えた物に対してたった30万しか弁償しないというのだから。


「荷物のほとんどはデバイスに保管してたからまだ良かったけど、2人合わせても63万。プラス返ってくるブロンズクラスの寮費じゃ到底暮らしていけないわね」


 学園周辺の家賃相場がワンルームでも月6~8万という厳しい現実ものしかかる。

 シルバークラスの寮が月割りでおよそ7万2千。こちらは2DKというゆとりある広さを考えれば破格に安いのかもしれない。

 家賃が払えるのならばという但し書きがつくが。


「そうですね。いつまでもリチャードさんのお世話になっているわけにはいきませんから、何とか安い部屋を見つけないと」


 学園が瑕疵に対する責任を全うしないのであれば自力で解決するより他に道はない。

 ミコトとソフィアは5日間リチャードの部屋に留まりながら住居の確保に気を揉んでいた。

 本日は学園の食堂の片隅で、仕事始めに伴って更新された不動産情報を検索しながら会議に勤しんでいる。


 単刀直入に言えば本日も難航していた。

 彼らが直面した問題は専ら資金難である。

 オリジナルデバイス、死食教典儀カルツ・オブ・ザ・グールズは換金に時間のかかる代物だ。

 相場より安く出品すれば投機目的のハゲタカが速攻で落札してくれるので現金化自体は容易いが、長い目で見れば損となるのは確実。

 成り上がる気があるのなら、これをあてにせず元からある資金でやりくりするしかない。


「貯金分は装備のベースアップに投資することを考えたらお互い余裕があるとは言えないし、ゴブリンとスライムで家賃と生活費を賄うのも無理があるわねえ」

「ええ、冬休みが明けたら人気モンスターはリスポーンの度に狩りつくされちゃいますから。他に潜るダンジョンの選択肢を広げないとまずいですよ」


 ミコトは鋼鉄姫として得た預金と証券口座の配当に関しては沈黙を貫くつもりである。

 他に手立てがない場合は、親から仕送りをもらったと適当な方便でソフィアを騙し、問題を解決するのはやぶさかではない。

 が、まずは最善(・・)を尽くしてからだと心に決めている。


「自惚れじゃないけどね。あたし、やろうと思えばデイトレードなりで必要なお金を稼ぐことはできるのよ。一週間もあれば余裕ね。でももう、そういうのは二度とやらないって誓ったの。傲慢だろうけど赦してくれる?」


 ミコトは異議を唱えたりはしなかった。


「ソフィアさんの意思を尊重しますよ。誰にでも曲げられない信念はありますし」


 "俺もソフィアさんと同じような気持ちなので"という追加のセリフを胸の内にのみ秘めて呟く。


「ありがとう、理解のある相棒をもって嬉しいわ。ん~妥協できる家賃のお部屋って案外ないものねぇ」


 小狐丸とも手分けして探し、エリア内全ての物件に目を通したのだが、結果は惨敗だった。


『該当物件無しであります』

「やっぱりかー。せめてローンが組めれば空き家を買う選択肢もありっちゃありなんだけど」

「学生の上、社会的信用皆無の職業なんで書類審査の段階で弾かれますね」

「叔父さんの部屋に居候し続けるしかないかしら?でもマリーさんとクローディアさんがいるものね。お邪魔虫になりそうで気兼ねしちゃうわ。叔父さんの生活のお世話をするの、2人ともずいぶん楽しんでるみたいだし」

「姿形が変わってもモテますね、リチャードさん」

「あと7、8年したら男の子もほっとかない美少女になるわよ」

「……そ、そうですね」


 それに関してミコトは先駆者であった。

 身につまされる思いで苦笑いをする。


「今は叔父さんよりあたしたちの未来を考えましょ。んー、灯台下暗しってことでシルバークラスはどうかしら。ああ、そういえば一つの部屋に複数人で入居できないルールがあったわ。厄介ね」


 ルームシェアを禁止しているのは分不相応な学生が住まないようにするための措置だ。


「貯金を切り崩してシルバークラスに入居する前提で思考実験するとして。俺たちが半年以内に急成長する可能性に賭けますか?挑戦するダンジョンのレベルをどんどん上げていくしかないわけですけど」

「デバイスが売れるまで自転車操業の火の車か。辛いわねソレ……」


 議論が行き詰った時だった。


「もし、何かお困りのようですが」


 不意に声をかけられた。

 声のした方を向いてみると、紺色の尼僧服を着た美しい女性が慎ましやかに手を組んで立っている。


(シスターさんだ。普通のより一回り大きなロザリオを首にかけてる)


「えっと、俺たちに用ですか?」


 ミコトがそう問うと、「もちろんですわ」と穏やかに微笑んで頷いた。


「席をご一緒させていただいてもよろしいですか?お力になれそうなお話をしていらっしゃるようでしたので」


 3人寄れば文殊の知恵と言う。

 知恵でなくともミコトとソフィアにはない貴重な縁を持っているかもしれない。


(話に加わってもらうだけなら別に構わないかしら。だけど、どうしてこんなところにシスターさんが?いやいや、訊けばわかることだしそれはどうでもいっか)


 根本的な部分で疑問はあるが、合理的に考えて話をするだけしてみるというのが得策だと判断する。


「入信の勧誘なら間に合っているわ。それでよろしければどうぞ」

「結構でございます」


 シスターはベールの隙間から覗くダークブロンドの長髪をなびかせながら、静々と歩み寄り、ソフィアの隣の席に腰を下ろした。

 そこまでは文面のみを見ればごく普通の描写なのだが、パーソナルスペースという概念を持ち出すと話は変わってくる。


(ちょっと!この人、他人との距離感が近すぎない!?)


 具体的に言うと肩が触れ合うほどの大胆な密着加減である。親友か恋人同士でしか許されない距離だ。

 初対面でこれでは気があるとしか思われない。


(まさかあたしと同じで女の子もイケる口?あたし年下のカワイ子ちゃんが好みなんだけど。ていうかシスターさんって同性愛は禁忌じゃなかった?)


 直接苦情を言うべきか、さりげなく椅子を離すべきか、ソフィアにしては珍しく迷っていたところで、シスターが口火を切った。


「コリノドラ聖堂教会でシスターをしております、エステル・ゼオライトと申します」

「ご、ご丁寧に。ソフィア・カンザキよ」

「ミコト・ヒラガです」


 自己紹介を済ませるとシスター・エステルは早速、


「お二方は先日火災に見舞われた寮の学生さんでお間違いないでしょうか?」


 と物件探しに話題を移す。


 その間にソフィアは肩をほぐすふりをしてシスターとの距離を離した。


「合っているわよ。お察し通り住むところがなくて困っている最中なの」

「まあ。主よ、この巡り合わせに感謝いたします。実はわたくし、被害に遭われた方々に無償でお部屋を提供する慈善活動をしておりまして」

「慈善活動?」

「はい。清貧を尊ぶ神の家で、暮らし向きは質素ではございますが、いかがでしょう」


 率直に言ってありがたい。が、タダより高いものはないという格言がある。

 ソフィアはエステルに対する警戒をやや強めた。


「なぜあたしたちに目を付けたのか、聞かせてもらっていいかしら?」


 エステルは鷹揚に頷いて語りだす。


「偶然です。いえ、出会いこそ神の思し召しなのでしょう。先ほど学生課にわたくしどもの教会を紹介しに参ったのですが、生憎とほとんどの学生さんは今回の火災を機に自主退学を決めてしまっているそうでして、遅きに失した己の不徳を恥じていたところにございます。しかし、主は自らを助くるあなた方をお見捨てにはならなかった」

「神の思し召し……ね」


 胡散臭そうに相槌を打つソフィア。


(慈善活動を利用して信者を獲得しようって腹かしら。巡り巡ってお布施が入ればいいんでしょうけど。恩を売るなんて投資の手段の中では下策もいいところだわ。じゃあ純粋に善意で?女の勘だけどこのシスターさん、お淑やかに見えてお腹に一物抱えているような雰囲気がするのよね。腹黒そうな女のイチモツよりもあたしはミコト君のイチモツの方が……おっと)


 いつの間にか助平な顔をしていたのだろう。

 ミコトが、真面目な話をしているのに一体何を考えているんですかという批難を込めた白い目でソフィアを見ていた。

 唇を精一杯引き結び、理知的な表情をつくる。


「とてもありがたいお話だけど、タダでと言われると気が引けるわ」

「俺も同じです。収入は少ないですが、お世話になる以上は家賃を払うのが最低限の誠意だと思います」


 ソフィアはエステルの人格を推し量ろうとする時間稼ぎに。

 ミコトは良心に従って。

 それぞれ意図は異なるが、意見そのものは概ね一致していた。


「どうか遠慮なさいませんよう。直接金銭が関わらないというだけで、実益にも絡んでおりますから」


 ソフィアがすぐに理由を看破する。


「ああ、人が住んでいないと部屋の劣化が早まるからかしら?」

「ご明察です。何分、古い建物でして適切に換気が行われていなければすぐに傷んでしまう。身近に観察していなければ修繕が必要な箇所の特定が遅れることもありましょう」

「要は部屋の提供を対価に人手不足を補いたいってわけね」

「あなたは頭の回転がお速い。建物はかつて児童養護施設を兼ねていた名残がありまして、広さだけは結構なものですから隅まで手が回らない嘆かわしい現状を抱えております」

「他の修道士さんは?」

「神父一名のみでございます」


 具体的な間取りを知らないので想像で補うしかないが、たった二人きりでは負担が重すぎるのは確かなのであろう。


「あの、そういうことなら俺、簡単な掃除しかできませんけど手伝います。どうしてもお金を受け取れないって言うんでしたらそれくらいはやらせてください」


 ミコトの申し出にエステルは感極まったように喜んだ。


「まあ……!素晴らしいお心がけですわ!やはりこの出会いは偶然ではありませんでしたね。わたくしたちは出会うべくして出会ったのです」


 美女の微笑みに弱いミコトは照れた様子で頬をかいた。

 それにソフィアがムッとしながら口を挟む。


「ミコト君、いくら綺麗なシスターさんと一つ屋根の下って美味しい環境でも、早計過ぎやしないかしら?入居するかしないか、検討する段階から点数稼ぎなんてキミ、案外(したた)かね」


 たっぷりと棘を含んだセリフにミコトは大袈裟な身振りをしながら「違います!そんなつもりじゃ!」と慌てて否定した。

 ソフィアは一旦留飲を下げ、冷静に意見を述べる。


「きちんと下見をしてからよ。物件の価値は値札についた桁の数だけじゃないんだから」

「もっともなお考えです。ご都合がよろしければ今からでも是非お越しください」


 そうした経緯を経て、教会に足を運ぶ流れとなった。


 ◇◇◇


 3人は電車に乗ってコリノドラ駅を目指した。

 到着後、繁華街を抜けて瀟洒な郊外を移動する。


(あ、ここってマリーさんの工房とえんじやの近くだ)


 記憶と符合する景色にちょっとした感動を覚えながらミコトは街並みを見回した。


(通学は少し時間がかかるけど、これはこれで利便性は悪くなさそうだ)


 5分ほど歩くと古い煉瓦造りの建物が見えてくる。


「こちらが当教会でございます」

「話に聞いていたより大きいわ。確かにここを2人で管理するのはなかなか大変そうね」


 2階建てアパートに換算して3~5棟分はあるだろう。

 敷地内には畑と温室があり、ある程度食糧を自給しているようだ。


「どうぞ中へお入りください」


 うながされるまま玄関口を通過する。

 礼拝堂の内装は整然とベンチが並び、奥に祭壇が据え置かれた典型的な配置となっていた。

 結婚式場のチャペルと異なりステンドグラスがなく、調度品の質はずいぶんと古めかしい。

 お世辞にも立派とは言い難かったが、大切に手入れされているのがうかがえ、年季と相まり人の温かみが感じられる牧歌的な空間を演出している。


「風情があるわね。映画で観たレ・ミゼラブルの舞台みたいだわ。あたしこういう落ち着いた感じのところ、割と好みよ」

「お気に召していただけて何よりでございます。ではお部屋へとご案内しましょう」


 祭壇の前を横切ろうとしたところで、最前列のベンチの上で誰かが横になっているのが見えた。

 僧衣(カソック)を着た男性である。

 背が高くひょろりとした体型だ。年齢の方は見開いた本が顔面を覆い隠しているせいで判然としない。


「この人は……?」


 寝息を立てている男を横目で見ながらミコトが訊ねると、


「これはお見苦しいところを。当教会の神父ですわ」


 エステルは恥じ入るように眉をひそめながら、アイマスク代わりの本を奪う。

 十九か二十歳といった年頃の青年だった。

 少々神経質そうな印象があるが、顔立ちは全体的に整っている部類でそこそこの美男である。


「ログヴィル、お客様がいらしてますよ」


 エステルが声をかけて肩を揺するも、かなり熟睡しているようで目覚める気配がない。


「んが、ぐう……」

「起きてください、ログヴィル」


 それからしばらくエステルは根気強く青年を起こそうとしたが、全く起きようとしなかった。


「まったく、仕方がありませんね」


 ため息をついて青年の本を再び手に取る。そして短く祈りの言葉を唱えた。


「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。主よ、教えに背く我が罪を赦したまえ」


 嫌な予感を感じたミコトとソフィアを尻目に、エステルは本を小さく振りかぶると、堅い角の部分を彼の頭頂部に叩きつけた。


「んがっ!!」


 ゴスッという鈍い音が礼拝堂に木霊する。

 さしもの青年もこれにはたまらず跳ね起きて、目を白黒とさせた。

 そして遅れてやってきた激痛に盛大に悶絶した。


「いってぇぇぇぇぇぇっ!!ぐおぉぉぉっ……!!!!」


 少なくとも3分間は苦しみにのたうち回った後、エステルを睨みつけて抗議した。


「殺す気か!」


 エステルは涼しい顔で受け流す。


「心外な。殺すつもりならば頭蓋だけと言わず心臓ごと真っ二つにしています」


 青年は顔を蒼白にさせながらポケットから手のひらサイズのケースを取り出すと、中に収められていたシャープなデザインの眼鏡をかけた。


「それはそれは大変に慈悲深いことで。で、おれの安眠を妨害しやがったワケは……そこのカップルか?式場への出張希望なら昼寝と読書に忙しいんでお断りだ。他所をあたってくれ。以上」


 そう言ったきり、何も知ったことじゃないというわざとらしい横柄な態度をとり、返却してもらった本をつまらなさそうに読み始める。


「ご夫婦ではなく冒険者学園の学生さんです。早とちりはお二人に失礼ですわ。ましてや本日より寝食を共にする可能性があるかもしれないのですから」

「は?嘘だろ性悪シスター」


 青年は驚愕に目を丸くして本を床に落とした。











鉄姫武者世界版レ・ミゼラブル。

脱獄犯ギャン・バルジャンが冒険者となって成り上がりを果たすも、彼を執拗に追いかけるジャウェール警部の執念によって全てを失い、再び逃亡生活を強いられるという筋書きの作品。

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