33話 寝落ち姫モンスター
ゲームで大晦日の夜を過ごすことになったミコトとソフィア。
(ああ……眠くなってきたわね)
プレイを中断して休憩していたところ、ソフィアは眠気に襲われて、ちょっとした仮眠をとるつもりがたちまちの内に寝落ちしてしまった。
そのままの流れで翌朝。
「ん……朝かしら……」
目を覚ますとかぶった記憶のない毛布が体にかけられているのに気づいた。
どのような経緯で現在に至っているのか、おぼろげながらに悟る。
恐らくミコトが世話をしてくれたのだろう。
「いっけない寝落ちしちゃってたか。ミコト君に謝らないとね」
身を起こすと外していたはずのシャツの第一ボタンと第二ボタンがとめられているのが見えた。
これも自分でとめた覚えはないのでミコトがやってくれたに違いない。
かなり際どい作業だったはずだ。
おっかなびっくりとしながら自分のシャツに触れようとするミコトの顔を想像して、つい吹き出してしまう。
「プッ、その時起きてなかったのが悔やまれるわね。次に機会があったら狸寝入りしてみましょ」
とりあえず洗面所に向かおうと考えて、その前にミコトが座っていたソファーを見る。
既に彼は起床しているようで、美しく折り畳まれた毛布だけが置かれていた。
「どこにいったのかしら?ん~~、ん?お味噌汁の匂いがするわ」
もしやと思いキッチンの方に顔を出すと、お玉を片手に鍋の前に立つミコトの姿を発見した。
朝食の準備をする彼の横顔にときめきつつ声をかける。
「ミコト君、あけましておめでとう。昨日はごめんね寝落ちしちゃって。お詫びってわけじゃないけど何か手伝うわ」
「あけましておめでとうございますソフィアさん。ゆっくりしてていいですよ。昨晩ずいぶんと飲んでたじゃないですか」
そう気遣いを受けたものの、二日酔いはしていない。
快調だと言おうとしたが、その次に指摘された内容で方針を曲げざるを得なかった。
「あと髪、滅茶苦茶に跳ねちゃってますよ」
「マジ?」
「マジです。パイナップルみたいになってます」
それは非常によろしくなかった。
彼の前にいる時は常に魅力的なお姉さんでいたい。
並の男より遥かに太い肝っ玉をもつソフィアもこれには多感な年頃の少女のように、恥ずかしそうに赤面してミコトに背を向けた。
「どっひゃー、こりゃみっともないことになってるわ。お言葉に甘えさせてもらうわね」
入念に身だしなみをして、スーパーヤサイ人の変身を解除してからリビングに戻ると、既に朝食の膳が3人分並べられていた。
いつの間にか起き出していたらしいリチャードが食卓の席について茶を飲んでいる。
「あけましておめでとう、叔父さん」
「あけましておめでとうなのですよ」
湯呑みにふぅふぅと息を吹きかけて、熱いお茶を冷まして啜っている微笑ましい幼女の姿にニヤつきながらソフィアも椅子に腰を下ろした。
「ねえ、おっじさーんかわいい姪からお願いがあるんだけど」
「なんなのですか」
「お年玉ちょーだい♪」
のっけから現金をねだられ、リチャードは茶で舌を焼いてしまう。
ヒリヒリとした痛みに涙目になりながら自分がいかに懐に余裕がないかをアピールし始めた。
「わたしが欲しいくらいなのですよ。マリーとクローディアがわたしのキャッシュで争うように服を買ってくるものだから盛大に出費がかさんでいるのです」
「アッハッハッハ!なに、その姿で尻に敷かれてるの?見たかったわーその光景」
最低限社会人の矜持は備えているソフィアである。
別に本気でねだったわけではない。
幼女に現金をせびったらどのように返してくるか反応を楽しみたかっただけだ。
「じゃー、あたしからリチャ子ちゃんにお年玉をあげないとね。それが大人の務めってやつかしら」
「リチャ子!?」
「そうよ、あなたはリチャ子よ。あたしが腹を痛めて産んだ愛しい我が子よ」
「設定を改ざんしないで欲しいのですよ!!どうして頑固で融通の利かない堅物の兄さんと、清楚でたおやかな、ヤマト撫子のサクラコさんの間に!こんなモンスターみたいな精神構造をした子どもが生まれるのですか!?」
「いやー、そんなに褒めなくても」
「全然褒めてないのですよ!?」
軽く叔父と姪ならでは?な漫才をした後、ソフィアは急須に手を伸ばした。
「あたしもお茶を飲もうかしら。緑茶ってこっちだと珍しいわよね。中央大陸の国々って文化的に紅茶が一般的だし」
「ギョクロなのですよ。無性に飲みたくなる時があるのでネット通販でヤマトからお取り寄せしているのです」
リチャードはそう言って、昔懐かしむように液面を見つめた。
彼は修行時代、ヤマトで美術品の目利きを学んでいた。
その折に味を知ったのだろう。
「贅沢ねえ、実家で飲んでるお茶は大抵お徳用パック特売価格サンキュッパの代物よ」
「貧乏性の兄さんらしいのです。真に良きものは心にゆとりをもたらしてくれるのですよ。豊かな人生を生きる必要経費なのです」
「叔父さんって趣味人ねえ」
「それは否定しないですが、生計を立てるにも必須ですよ。目利きの世界では自分自身も広く深く嗜んでいないとお話にならないのです。その点ソフィアの彼氏は大したものです。茶道の心得まであるのです」
ソフィアが身だしなみを整えている間、リチャードはミコトと少し話をした。
その時ミコトは戸棚に収められたヤマト茶器の数々を見ていて、素人にはさっぱり判別のつかない微妙な種類の違いを正確に言い当てたのだそうだ。
「へぇ、いいところのお坊ちゃんなだけあるわね」
「だからどうして冒険者を目指しているのか謎なのですよ。お金持ちなのにわざわざ金銭的な不自由の多い職業を選ぶ理由がありますか?」
「ありがちな憶測はいくつか思い浮かぶけど、口に出すのは下種の勘繰りね。嫌われたくないからやめておくわ」
話に一区切りつけたところで、エプロンを外したミコトが戻ってくる。
「お待たせしました。どうぞ、冷めないうちに食べちゃってください」
そんなわけで3人手を合わせ箸を手に取った。
「うん、理想的なヤマトの朝食ってやつね。とっても美味しそうよ」
ふっくらと炊き上がったご飯に、しじみの味噌汁、鮭の塩焼き、だし巻き卵、ほうれん草のおひたし、箸休めに白菜の浅漬けが並んでいる。
「それはよかったです。正月らしいものを用意しようかとも思ったんですが。雑煮とかおせちとか」
「レパートリーが広いわね」
「そんなことないですよ。ヤマト料理しか作れませんから」
「謙遜するわねえ。あたしがまともに作れるのってカレーライスと肉じゃがくらいよ。レベルからして桁違いだわ」
箸をせわしなく動かしながらリチャードがうんうんと頷いている。
「ところでさミコト君」
「何ですか?」
「今日は何する?」
これにミコトは品よく味噌汁の椀に口をつけてから、「考えてなかったですね」と答える。
「暇なのよね。どこのお店もお休みだし、ダンジョンも閉鎖されてるし」
「正月ですから」
「お正月といえば初詣よね。晴れ着を着て神社に行きたいところだけど、ヤマトは遠いわよねえ」
「なら家の中でできることをして過ごせばいいんじゃないでしょうか」
「えー、朝から引きこもりなんて不健全だわ。体を動かして脳に酸素を送らないと。ただしエッチなら可」
最後に付け加えられたソフィアの発言にミコトとリチャードが味噌汁を噴き出しかけた。
「そういうことは車を貸すので外でやってほしいのです。後で駐車場の位置を教えるのですよ」
「リチャードさんツッコミどころが違います!運動したいならジョギングとかにしましょうよ。ね、外の空気を吸えば変にのぼせた頭もスッキリすると思いますよ!」
「あたしの煩悩は前年から絶賛キャリーオーバー中なんだけど。でも何をしたいか、考えを整理するにはいいわね。ご飯を食べたら出かけましょうか」
そんなわけで外出が決定した。
食後、ランニングウェアに着替えて準備を整えたミコトが玄関で行き先を尋ねる。
「どこを走ります?」
「学園のゲート広場にしましょ。景色がいいところに越したことはないわ」
リチャードの部屋を出て学園へ向かう二人。
マンションの外に出てからしばらく、郊外の街並みは正月らしい落ち着いた静けさに包まれている。
ところが学園まで残り数分の距離に差しかかった頃、異臭が鼻をついた。
「ねえ、なんか焦げ臭い匂いがしない?」
嗅覚の鋭いソフィアが先に気づく。
「言われてみれば、そうですね」
「学園の方からするわ」
校門付近。
その周辺だけは正月の静寂が破られ、近隣の住民で人だかりができている。
黒い煙がもうもうと空に立ち昇っているのが見えていた。
サイレンを鳴らした消防車両が慌ただしく車道を通過し、学園の敷地内へと入ってゆく。
「えっと、火事ですかね?」
誰でも容易に想像のつくことをあえて口に出す。
「どこから出火したのかしら?」
ミコトとソフィアは野次馬に混じって敷地の中へと目を向けてみた。
「火元はどこだ!」
「ボイラーだ!ボイラーから火が出ている!」
ソフィアの疑問に応じるように消防隊員の緊迫したやりとりが耳に届く。
ボイラー設備が設置されていそうな場所を挙げるとするならば、学生課の付近にあるシャワー室、校舎に併設された食堂のキッチン、そして各学生寮の風呂場であろうか。
「逃げ遅れた学生は!?」
「いません!全フロアに生体反応無し!学生課のデータを照会した結果、寮生全員の外出届を確認しました!」
「そうか、よかった」
どうやら火元は学生寮であるらしい。
外出届はスマホやデバイスを用いて学内ネットワークに接続すれば簡単にできる。
有事に備えて学生の出入りを管理していたのが、救助活動の負担軽減につながっていた。
隊員たちの間に流れる空気がやや弛緩する。
「どこかの寮が火事になっているみたいですね」
だが、当の住人にとってはただ事ではない。
ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ。火元が自分たちの寮である確率は四分の一。
……ではないだろう。
「あたしたちの寮じゃないって期待するのは虫が良すぎる話よね」
「ええ」
いかさま、ミコトとソフィアには心当たりがあった。
風呂場のボイラーの調子がよろしくないであろうことは門外漢の彼らでも薄々察知できていたのだ。
経年による劣化、極限を越えて切り詰めすぎたメンテナンスコスト。
それらが長年にわたって常態化している寮はブロンズクラスしかない。
もしやと思い、交通規制がされていない学園周辺の歩道をぐるりと周回する。
そしてようやく火事が起きている場所を特定できた。
「燃えているわね、あたしたちの寮」
「はい」
二人は呆然と、冬の乾いた空気を取り込んで景気よく燃え上がるブロンズクラス寮を眺めていた。




