32話 ロウヒーロー
シスター・エステル・ゼオライト。
27歳独身、レベル120。
その女は教会に籍を置く聖職者だった。
また冒険者の二足の草鞋を履いてもいる。
本業だけでは食べていけず、セミプロとしてダンジョンに潜る人は少数ながらいる。
そのうちの大半は副業とするには割に合わないと手を引くことになるが、ごくまれに成功を収める者がいる。
彼女の場合は後者だった。
清貧の教えに従っているとはいえ、シスターの収入は劣悪というほどではない。
老後に総本山である大聖堂から安定した生活が送れるだけの年金が下りるため、将来に対する不安を勘案しても無理に副業をする必要はないのだ。
ではなぜ冒険者という労働強度ぶっちぎりの山師な商売に手を出したのか。
金目当てではなく恐ろしいモンスターと面白おかしく殺し合いがしたかったからだ。
「フフッ、ウフフフ……」
清楚な口元から愉悦の笑い声が漏れる。
エステルは私室で一人夜を過ごしていた。
聖職者らしい質素な佇まいの部屋に唯一の贅沢品であろう大型のモニターと最新のゲーム機が据え置かれている。
娯楽が笑いをもたらしたというのであれば何も不審な話ではない。
ただ、そのプレイ内容の是非を問えば眉を顰めざるを得ないものがあった。
ゲームの舞台は戦場である。プレイヤーは兵士となり、マッチングした同じプレイヤーと戦う。
いかなる理屈をこねようと殺人や戦争に正義や品位など皆無だが、あくまでこれは架空の世界の遊戯。
プレイマナーについて最低限わきまえておくべき暗黙の了解というものがある。
エステルはシスターにあるまじきことに進んでマナーを破った。
屈伸煽り、死体撃ち、その他キャラクターの動作で可能な相手を不快にさせるもの全てで。
「ああ、なんて愚かでのろまな方たちなんでしょう。わたくしがお救いしなければ」
レベル120。
それは人類最強を名乗っても決して僭称にはあたらない領域である。
歴史上、公式記録に残る最高レベルは132。
20代の後半にして120に到達したのなら最高記録を塗り替える可能性は十分ある。
その点を踏まえるとゲーム内における煽り行為の動機は、絶対的な強者であるが故の傲慢さの顕れと受け取るのが自然だろう。
ところがシスター・エステルは違った。
「お尻ががら空きですよ」
巧みに敵の視界から逃れ、裏取りを果たすと無防備な背中をさらしているキャラクターに銃剣を突き立てる。
悲鳴を上げて倒れ伏した相手の頭上でキャラクターをコマのようにせわしくなく回転――いわゆる"喜びの舞"を踊る。
その行為は敗者の神経を逆撫でしたかもしれない。
復活後は躍起になってエステルのキャラクターを射殺しにかかるだろう。
煽り自体にメリットはない。むしろ集団戦においては味方をさしおいて優先的に狙われるリスクを背負い込むだけだ。
奇襲の成功率は大幅に減少するであろう。
だがそれでいい。
「そうでなくては面白くもなんともありません」
微笑みが嗜虐的に禍々しい弧を描く。
生粋のサディストにしてマゾヒスト。
信仰に篤く博愛精神に富み、貧しい人々に施しを与え、献身を惜しまない篤志家。
いずれも彼女の偽らざる本性である。
それらの矛盾をこそエステルは神の恩寵の証なのだとし、肯定している。
聖典に曰く――"神は自らの像に似せて人をつくりもうた"とある。
しかし同時に戒律によって偶像崇拝を固く禁じてもいる。
これは大いなる矛盾だ。
似姿たる偶像が地に満ちて、まるで雑草のように溢れているではないか。
無論"像"という言葉を直接的に見た目のことであると解釈するのは誤りだと指摘する説がある。
"像"とは目に見えぬ"心"を指しているのだと。
どちらの説が正しくともエステルには腑に落ちるものがあった。
矛盾は何も解消されていないのだから。
人の心魂が神に似せてつくられているのなら、なぜ人は悪徳なるものをその身に宿してしまっているのか。
程度の差こそあれ、どのような善人であっても罪を犯さぬ者は存在しない。
それは彼女の下へ懺悔に訪れる人々の胸の内を知れば明らかであった。
やがて彼女は他者の罪と向き合う内、こう結論を出した。
悪とは人の原罪に非ず。
善も悪も元来神が有する性質であり、神が自らに似せて人を生み出そうとしたとき、己が抱える矛盾までそっくりそのまま写してしまっただけなのだと。
それならばきれいに筋が通る。それこそが人類が神の子なのだと証明する唯一の証だ。
善いことをしたいという願望を持つ自分。同時に邪悪もなしたいという欲求に駆られる自分。
正と負、それらが背反することなく同居しているのは何も不自然ではなかった。
「わたくしの見つけた神の愛をもっと皆様に説いてさしあげたい」
善悪において独特の美学と価値観をもったある種の狂人。
それがシスター・エステル・ゼオライト。
◇◇◇
この恨み晴らさでおくべきか。
相手が信仰という名の脳内麻薬に酔っている、ぶっちぎりにかっとんだ怪人とはつゆ知らず、リベンジを果たそうと決意したソフィア。
「二手に分かれましょ、挟み撃ちにするわ。ずるだけどこっちが二画面なのを生かさない手はない」
ソフィアが提案した戦術は挟撃だった。
市街地であるため、地形が碁盤の目状に形成されている。
一本道や交差点上で左右から十字砲火を仕掛けられては相手が手練れといえど隠れるのも躱すのも難しかろうと考えてのことである。
まして二人の銃撃のタイミングが正確であるならば。
別の場所にいる味方の視野を獲得することで情報アドバンテージを得る、俗にいう"ゴースティング"と呼ばれるものに近い反則技で勝利を目指す。
「そう都合よくいきますかね?」
現実でのソロ歴が長いミコトだ。単独行動に不安や気負いは感じていない。
だが敵は一人ではない。同じく複数だ。
ソフィアとの合流地点に到達する前にやられてしまい、作戦を破綻させてしまうのではという懸念はある。
「敵と遭遇しやすそうなルートはあたしが受け持つわ。もちろんミコト君にも適宜アドバイスをする。ミコト君の装備は遠近の使い分けがはっきりしているから、まずは状況に合わせた持ち替えに慣れないとね」
接戦となりやすい地形ではショットガンで。距離が開いている場合はミニガンの弾をばらまくようソフィアが指示する。
「俺たちが普段していることと同じなんですね」
「その通りよ。相手が人だろうがモンスターだろうがやることは大差ないと思っているわ。ショットガンはリロードの間隔を、ミニガンはオーバーヒートのタイミングを肌で覚えて頂戴」
「了解です」
結論から言えばソフィアの作戦は功を奏した。
今回マッチングした30名のうち28名は全員野良同士だった。
ということはすなわち組織だった行動をとるのは容易ではないわけで。
明確な戦略に則っているわけではなく、バラバラに戦っていた敵チームは一人一人討ち取られていった。
敗色濃厚な状況の中、コンスタントに撃破数を稼ぎ始めた二人組に興味を持つ味方プレイヤーが現れだす。
「あ、しまった」
敵プレイヤーとの交戦中、残弾に余裕があるにも関わらず操作ミスでショットガンのリロードをしてしまったミコト。
一発ずつの装填。大きな隙を産むその行動につけいらぬ輩がいようはずもない。
即座に敵の銃口がミコトの方へ向けられる。
撃たれる。
そう覚悟した瞬間、背後から殺到した味方の銃弾が敵兵を貫いた。
「あれ、助かった……じゃなくて助けてもらったんだ」
隣に味方の兵が颯爽と駆けつけてきて、爽やかに親指を立てた。
これにミコトは操作にまごつきながらも感謝の意をこめて同じジェスチャーを返す。
名も知らぬそのプレイヤーはサポートを継続するつもりなのかミコトに並走し、死角をカバーするように周囲を警戒している。
ミコトとソフィアがどう戦っていたのか、把握したのだろう。
「なんかいいですね。こういうの」
不覚にも胸に熱いものが込み上げてくる。
学園では基礎ステータスの低さが故に周りから地雷認定され、孤独な戦いに明け暮れていたミコトだ。
ソフィアと出会うまで戦いの中で協力し合うシチュエーションにずっと憧れを持っていた。
「それがこの手のゲームの真っ当な楽しみ方よ。勝ち負けにこだわりすぎてダークサイドに堕ちるやつもいるけど」
「あれもそうだったんですかね」
「あれね、あたしの勘だけどオレの方が強いぞって自己主張したいタイプじゃないと感じたわ。嫌がらせが好きで好きでたまらないって手合いでしょうよ。性根の腐った最悪のプレイヤーね。きっとオッサンでメタボで水虫もちのドーテーよドーテー」
心底軽蔑しきった口調でソフィアは吐き捨てる。
あんまりな言われようにミコトは「そうですね」とは同意しかねて、愛想笑いでお茶を濁した。
「あたしの方にも協力してくれそうな味方がついてくれたわ。さあ、逆転劇の始まりよ」
互いが互いをカバーし合いながら的確なタイミングで十字砲火をかけてくる戦術は攻防共に隙がなく、大勢はミコト・ソフィアが所属するチームに傾いていた。
「主よ間もなくです。報いを賜る時がやって参りました」
オッサンメタボ水虫もちドーテーことシスター・エステルはなんとか牙城を崩そうと試みているものの、追い散らされ、攻めあぐねていた。
いかに現実の反応速度と戦闘センスが群を抜いて優れているとはいっても、ゲーム内のキャラクター自身は彼女に比べれば赤子同然に緩慢であり、少々の弾丸を受けただけで簡単に死ぬ。
複数のプレイヤーから火線を集中されていてはひとたまりもなかった。
逃げる方向を制限され、退避行動を読んだ予測射撃が体をかすめていく。
「クフッ、ウフフ、ウフフフフ」
苛立ちを感じてもよいはずの状況にエステルは異様な興奮をかきたてられていた。
渇望していた断罪の銃弾。
その一つ一つを慈しむ。負けそうになるのを喜びながらも戦意は全く衰えず、むしろ昂ってきている。
一旦瓦礫に身を潜めるエステル。
「ミコト君、当たらなくてもいいから適当に撃ち始めちゃって」
「はい」
ミニガンの砲身が回転し、重い唸りを響かせながら大量の弾丸をぶちまける。
迂闊に顔を覗かせれば一瞬のうちに蜂の巣にされてしまうだろう。
「良い。それで良いのです」
エステルの足元へソフィアが放り投げたグレネードが落下してきた。
対策を練る暇は与えてくれないらしい。
「なるほど、あの方が指揮をとっておられるようですね。わたくしを赦すつもりはないと。素晴らしい」
ならばとエステルは被弾覚悟で露地の方へ飛び出す。
後退はせず、アサルトライフルを乱射しながら敵の真正面へ突き進んで行く。
その姿はさながら天啓を得て死を恐れぬ殉教者のようであった。
「うわー、こいつただの煽り野郎じゃないわね」
ソフィアは画面越しに得体の知れない狂気を感じとり、僅かに腰を引く。
だが、エステルの思い切りの良さはこの場のプレイヤーの誰もが痛感していたことだ。
圧倒的に優勢であると言い聞かせ、容赦なく銃弾を浴びせる。
無論、逆転の奇跡が起きるはずもなく、エステルのキャラクターは悲鳴を上げながら絶命した。
「リベンジ完了ですね」
「現実でいくら強かろうとゲームの中じゃこんなもんよ。数の力には勝てない。この調子でじゃんじゃん倒していきましょ」
それから10分前後したのち、タイムアップとなった。
対戦結果はミコト・ソフィアチームの圧勝。
何度も襲撃してきたエステルを退けることに成功した。
無名の協力者たちが援護してくれたからこそ出せた成果であった。
エステルは堅い椅子に背を預けたまま、恍惚とした表情で画面の戦績表を見つめている。
「人の美しさを存分に堪能させていただきました。ええ、あなたは本当に美しい。同じ冒険者ですもの、いつか直にお会いできますよね?その時はウフフフ……」
彼女の視線は撃破数トップを達成したソフィアのIDに注がれていた。




