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31話 グラディエーターズアサルト

 テレビの画面上を2台の小型バギーが爆走し、鎬を削りあっている。

 ソフィアが持ち込んだゲーム、“丸尾サーキット”は現代の剣闘士たち8名がバギーに乗ってデストラップ満載のサーキット場に挑むという内容だった。


「ミコト君ってレースゲームしてる時体が傾くタイプなのね」

「それが、どうしたって、いうんですかっ!」

「眺めてて楽しいわ」


 ソフィアはまともに画面を見もせず、カーブが迫るたびメトロノームと化しているミコトに嫣然と微笑む。


「あら、負けちゃったわね」


 速度を出しすぎた丸尾バギーが正面からコーナーに激突し、爆散する。

 運転席から投げ出された丸尾は車の耐久試験に用いられる人形のように、人体にあるまじき不自然な関節の曲がり方をして『マァンマミーアッ!!』と断末魔の絶叫を上げ、天空の彼方へと消えていった。

 よそ見をすれば手先の器用なソフィアといえど負けるのは当然の結果だった。

 敗者の義務として缶チューハイに口をつける。

 現在の勝敗は5勝5敗のイーブン。

 2人の頬はほろ酔い加減にほんのりと赤みがさしていた。


「もう一勝負いきましょ」

「望むところです。手を抜かれて勝っても楽しくありませんから」


 ソフィアの目論見通り、ミコトは勝負ごとに熱くなりやすい性格のようで、実力が伯仲してくると、当初よりずっと乗り気になってきている。


「なんか暑くなってきたわねー」


 キャラクター選択画面でソフィアは着ていたベージュのカーディガンを脱いだ。

 白シャツの布地から黒い下着が透けているのが見える。

 正気の人であればそのような組み合わせはあり得ない。

 異性を誘惑する意図で下着を選んでいるのは明らかであった。

 ついでにシャツのボタンの上から二つ目までを外し、手団扇で火照った肌へパタパタと風を送る。

 するとどこかで唾を嚥下する音が鳴った。


「なあに?ミコト君あたしのことじっと見て」


 開いた胸元に目を吸い寄せられていたミコトは、ハッと我に返り慌てて画面へと視線を戻す。


「いえ!何でもありません!エアコンの温度下げますか?」

「脱いだら快適になったからそのままでいいわよ」


(なんだかんだ言って男の子よねぇ。ミコト君ってやっぱりむっつりさんだわ)


 色気を振りまいた甲斐があったと心の中でガッツポーズをきめる。


(自分から挑発した以上は襲うより襲われたいわね。ここまで大胆にアピールしたんだからそうなるのも時間の問題かしら。あたしは準備万端よ、ミコト君)


 計画通り――とほくそ笑む。

 めくるめく官能の世界に想いを馳せて一時間後。



「一向に襲われる気配がしないんだけど!」


 23レース目のゲームの最中、ソフィアが突然叫びだした。

 驚きにビクッと肩を震わせるミコト。

 手元が狂ってしまったせいで、地雷トラップを踏んでしまい、鈍器・魂愚のバギーが爆発、凄まじい火柱を噴き上げて炎上する。

 当然運転手の命は助からない。


「盤外戦術は卑怯ですよソフィアさん。レースの無効を訴えます」


 ミコトから抗議を受けたソフィアだったが、彼女も既にコントローラーを握ってはいない。

 丸尾のバギーはコースを外れ、鋭利に尖った槍(ぶすま)が仕掛けられた落とし穴へと自ら落下していった。


「レースの勝敗なんてどうだっていいわよ!ミコト君実はロリコンだったの!?大人のおねーさんの魅力にぜんっぜん!ムラッともこないわけ!?」


 怒声を張り上げたソフィアの剣幕にミコトはひたすらおののいた。

 態度を豹変させた理由が彼にはまったく見当もつかなかったので、ひとまず宥めてみることにしてみる。


「どうどう、何が言いたいのかさっぱりわからないんで凡人にも理解できるよう丁寧に説明してください」


 理性的な会話を試みたミコトにソフィアはため息を一つこぼした。


「いいわ。小学生にも通じる言い方をしてあげる」

「助かります」


 ソフィアはさらりと髪をかき上げ、堂々と簡潔に答えた。


「ミコト君とエッチしたい」


 次にため息が漏れたのはミコトの口からだった。


「時差は計算から省くとして、ヤマトではちょうど除夜の鐘が鳴っている時間帯ですよね。一年の行いを振り返ることで煩悩を浄化してはどうですか」


(俺はそっちの教徒じゃないけど。実家、今頃大忙しだろうな)


「鐘の音ごときにあたしの情欲の炎は消せないわ。どうしても嫌?」

「嫌です。婚前交渉の文化を否定するつもりはありませんけど、俺はそういうことはきちんと祝言を挙げてからするものだと思ってます」

「今時の子なのに身持ちが固いわねえ。10代の後半なんてやりたい盛りじゃない。あたしみたいな上玉から誘われたら是非にってもんじゃないの?」

「勝手に決めつけないでください」


 言っておきながら、ソフィアは自身の発言の誤りに気づいている。


(前提をはき違えてるわね)


 かつてソフィアに恋愛感情のあった男たちは、いざ交際するかという岐路に立たされると、彼女のスペックに自分は見合うのだろうかと尻込みして結局は断念していた。

 欲求に対して、釣り合いがとれるか否かの葛藤の方が勝ったのだ。

 ソフィア自身、不完全燃焼な失恋の積み重ねの果てにそういった男特有の割り切れない性質を学んでいる。

 勝手に好かれて、ソフィアが応じようとする前に勝手にフラれる。その繰り返し。

 ミコトの場合はそれ(・・)以前の問題だった。


(ミコト君は違うわね。ただ単に、あたしとエッチしたいほど好きじゃないってだけなのよ。お酒程度じゃガードは弛まないか。あーあ、あたしってモテてるようで肝心な時に限ってモテないのよね)


「じゃあ切り口を変えるわね。知ってる?ボノボって挨拶代わりにエッチをするらしいわよ。その習性が群れの平和と秩序を維持するのに役立ってるんですって。人類も彼らの処世術を見倣ってみるべきじゃないかしら。ボノボ流ラブ&ピースってやつを」


 ボノボとはヒト科チンパンジー目に分類される霊長類の一種である。


「ソフィアさんの気持ちは一時の欲求に流されているだけですよね。それは単なる退化なのでは?ボノボ未満ですよ」

「大化の改新!」

「駄目だ!話が通じてない!この人もう手遅れだ!」


 酔っぱらいめいた意味不明な発言に頭を抱えるミコト。

 もちろん故意であった。

 会話のキャッチボールに死球のごときジョークを投げ込んだのはソフィアなりの降参の意思表明だった。


「ミコトくーん、あたしって大人だからね。妥協ってものを知ってるわ」

「その言葉てっきりソフィアさんの辞書には存在しないと思ってました」

「だからね、添い寝でどう?ミコトリフレって一晩おいくらまんえん?」

「却下です。同じ部屋で別々のソファーで寝るのが譲歩できる最低限のラインです」

「厳しい風紀委員長様ねー。きっぱり断られたら諦めるしかないじゃないの」


 ソフィアは唇を尖らせて不満げな顔をしたものの、それ以上迫ろうとしなかった。愛のない行為など願い下げだからだ。

 ミコトはソフィアの言葉を信じても良さそうだと本能的に判断し、態度を軟化させてほっと安堵の息を吐く。


「その代わり、ゲームにやり場を無くした気持ちをぶつけるわ」


 新たな缶チューハイがガラステーブルの上に置かれる。

 アメイジング・インフィニティとラベルに商品名が記されていた。

 苦痛に耐えられぬ時飲むと良いと企業戦士の間で評判の代物だ。


「クレイジー・デーモン味?」


 酒造メーカーが製薬メーカーとまさかのコラボレーションを果たしていた。

 アルコール度数が極めて高い、最高に頭の悪そうなその飲料をソフィアは水同然にぐいぐいと喉に流し込む。


「きた!コレよ、コレ!きたきたキタ!キタァァァァァァッッ!!」


 何かいけないものに覚醒してしまったような、けたたましい奇声が上がる。

 どうやらクレイジー・デーモンの効果が及ぶ範囲は味だけに収まらなかったらしい。

 あるいは偽薬(プラセボ)効果の成せる業か。


(恐るべしニコラ・フラメル ファーマスーティカルカンパニー)


「さあ、次は別のゲームで遊びましょ!」


 舞台は変わり、二人は砲弾の驟雨が降り注ぐ戦場を駆けていた。

 サードパーソン型シューティングゲームのようだ。

 勝負をする理由が無くなってしまったので、協力プレイである。

 15対15のオンライン対戦で制限時間内にどちらのチームがより多くの撃破数を稼いだかを競う。

 一般人用のサーバーと冒険者用のサーバーがあり、強制力はないものの、プレイヤー間の反射神経や動体視力の格差が出にくいようにする配慮がなされている。

 ミコトとソフィアは冒険者が集うサーバーに挑戦した。


「こういうゲームってダンジョン攻略に役立つ学びが詰まっていると思うのよね」


 ソフィアはアサルトライフルとハンドガン、グレネードで武装したオーソドックスな兵科を選択。

 ミコトは装甲服を着込み、ミニガンとソードオフショットガンを携行した重装歩兵を選択した。

 この手のジャンルのゲームを遊ぶのが初めてのミコトは軽くチュートリアルをプレイして最低限の操作を覚えてある。


「なんとなく分かるような気がします。相手も同じ装備で同じ性能のキャラクターを使ってるからですね」

「そうよ。戦闘能力に差がない状況でこそ、勝敗の明暗を分けるのは知恵だと思うのよ。レベルが高いだけでダンジョン攻略が万事うまくいくなら誰も苦労はしないわ」

「はい。自分たちよりも力が強くて仲間との連携もしてくる知能の高いモンスターと戦って勝ち続けないといけない。ですけど、これだけ装備が充実していたらモンスターとの戦いがとても楽になりそうですよね」


 ミコトは選択したキャラクターの武装の物々しさに苦笑した。

 毎分2000~3000発もの発射レートを誇る銃器の前では大体のモンスターは案山子も同然だろう。

 例外があるとすれば、クリムゾンプレデターのような撹乱に長けたモンスターか、そもそも銃弾をものともしない堅牢な肉体をもつ高レベルのモンスターぐらいのものだ。


「どこの国も結構な額の税金を投入して軍にダンジョン攻略のための部隊を編成させてるじゃないですか。あれってうまくいってるんでしょうか?」


 “ダンジョンへの重火器の持ち込みを禁ず”


 このルールに縛られず、ダンジョンで現代兵器の使用が公に許可された組織が軍の特殊部隊だ。

 彼らは国有地に存在するダンジョンの攻略を主な任務としている。

 ダンジョン内で他の同業者とブッキングする懸念がないため、フレンドリーファイアを気にせず撃ちまくれるのだ。


「ヤマトではかなりお盛んよ。カマクラにある幕府の軍事施設ってほとんど特殊部隊のためのものだもの。埋蔵資源に乏しい小さな島国が経済大国にのし上がれたのはダンジョンによるところが大きいと言われているわ」

「へえ、そういえば中学の時修学旅行(・・・・・・・・)でそんな説明を聞きましたっけ」


 納得した様子で頷くミコト。

 ふと、ソフィアから視線が集中しているのを感じてそちらを見やる。


「えっと、ソフィアさん、俺の顔に何かついてますか?」

「目と鼻と口がついているわね」


 質問の答えをはぐらかされたようだがミコトは追及しなかった。

 ゲーム内でそろそろ前線に入るところとなるからであった。


「ソフィアさんって変な人ですね」

「謎めいた美女だって言って頂戴」


 軽口はそこそこに道路を進む。

 装備重量による移動速度の差からソフィアが先行し、ミコトが後を追う格好となっていた。

 周囲に他の味方はいない。

 射程圏外で敵チームが廃ビルの隙間を縫うように進軍しているのが見える。

 その時だ。

 二人の油断をつくように、突如数メートル先の瓦礫の陰から敵が飛び出してきた。


「うっそ!単騎で特攻とか正気!?」


 遠目に見えていた敵の多くが足並みを揃えていただけにこの状況は想定の範囲外だった。

 懐に入られたソフィアのキャラクターはなす術なく銃剣の尖端に胸を突かれ、死亡する。


「ソフィアさん」


 応戦しなければと敵に銃口を向けようとするミコトだったが、ミニガンは圧倒的な弾幕と引き換えにオートエイムが弱く、引き金を引いてから発射までに要する時間が長い。

 あたふたしている内に敵は悠然とアサルトライフルを構えると、恐るべき正確さでミコトのキャラクターの頭部を撃ち抜いた。


「やられちゃいました」

「完全に油断してたわ」


 画面はそのままに復帰までのカウントダウンが流れる。

 鮮やかなプレイイングでミコトとソフィアを瞬殺した敵プレイヤーはすぐに移動するかと思われたが、予想に反してその場に留まった。


「?」


 何をし出すかと見守っていると、こちらのモニターに見せつけるかのような角度に向きを調整し、猛烈な速度でしゃがみと直立のループを始めた。

 何ら戦略的アドバンテージをもたらすことのない行動である。

 その意味するところは明らかな挑発。疑いようもない煽り行為であった。


「へ、へぇー、ふぅーん。そうなんだ。つまり、キミはそういうやつだったんだ」


 敵プレイヤーはたっぷりと10秒ほど屈伸運動を繰り返すと次なる獲物を求めて走り去っていった。


「えっと……」


 ソフィアの顔は半分はひきつった笑みで半分は形容しがたい感情を表現していた。

 少なくともご機嫌が麗しくないことだけは確実だった。

 ミコトはあえて空気を読まずソフィアに話しかけてみる。


「ソフィアさん、こちら側が劣勢みたいですしリスポーンしたら味方の援護に向かいませんか?」


 そう提案すると、ソフィアは何を言っているんだこいつはという呆れの眼差しでミコトを見た。


「却下よ。あそこまでコケにされて何とも思わないの?」


 ミコトとて無能と謗られれば人並に腹を立てるし、仕返しの一つもしてやりたいと憤慨もする。

 当たり前の人間だ。

 ただし現実でならまだしも、ゲームで怒り狂い復讐を誓うほど短気ではなかった。


「一人の敵より情勢を見ましょうよ。チームを勝利させるのが俺たちの目標ですよね?」


 恐らく真っ当であろう意見を述べたミコトにソフィアは「もちろんよ。わかっているわ」と返答した。


「ミニマップのとこの撃破数を見てみなさい。ヤツがあたしたちを仕留めてから急速に被害が拡大しているわ。一騎当千の手練れプレイヤーのようね。冒険者としてもずいぶんと高レベルなんじゃないかしら」

「そのようですね。なら尚更相手をするのは避けるべきでは?」


 強敵を相手取って無駄に時間を浪費するより、倒せる敵から倒していくべきだと主張する。

 堅実な意見をソフィアはゆっくりと首を横に振って否定した。


「たった1人に6人、いえ、7人もやられたら奇跡でも起きなければチームに勝利はないわよ」

「じゃあどうするんですか?」

「戦場に英雄は不要だわ。流れを変える手段は一つきりよ」


 ソフィアは兄王謀殺を企んだ悪ライオンのように残忍に笑ってこう宣言した。


「キルヒム」


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