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30話 大晦日

 冒険を終えた大晦日のその夜、ミコトとソフィアはリチャードの部屋にお邪魔していた。

 せっかくの年越しを寒くて狭い寮で孤独に過ごしたくないとソフィアがごねたためである。


「ふうむ、死食教典儀カルツ・オブ・ザ・グールズとは。なかなか希少価値の高いオリジナルデバイスを拾ってきたですね」


 リビングの、ガラステーブルの上に置かれたメタルブラックのデバイスをリチャードは興味深げに観察している。


「アウトロウの性能が尖り過ぎてて、あたしたちじゃ使いこなせそうにないから売ってお金にしようと思ってるんだけど、いくらぐらいになりそう?」


 死食教典儀カルツ・オブ・ザ・グールズのアウトロウは、ネクロマンシーで操作中のアンデッドに自己再生能力を付与するというものである。

 回復能力の強弱は投じた生体エネルギーの量に比例する。


 戦闘において頭数を増やせるネクロマンシーは単純に強力だ。

 しかしながら術の扱いに膨大な知識だけでなく、独特のセンスを要求するため使い手が少ない。加えてこまめにアンデッドに意識を割く必要がある。

 マルチタスクが得意な人でも限界というものがあるだろう。


 本来術者が担当しなければならないはずのアンデッドの治療を、マシンに代替してもらえるのはありがたいことだ。

 アンデッドの耐久力向上で浮いた時間を別の行動に回せるようになる。

 その利便性にいくらの値が付くか。

 リチャードが解説する。


「最低でも一億は下らないですよ。オリジナルデバイスは供給量が少ない割に価格の変動が大きいですから、今すぐお金が必要でないなら強気の価格設定で時間をかけて売る方がおすすめなのです。有能なネクロマンシーの使い手なら多少高くても買ってくれるのですよ。誰かに購入されてしまったら次いつ出品されるかわからないですからね。3億は堅いですよ」


 オリジナルデバイスは学園の買い取り窓口では扱わない。

 ほとんどは民間のオークションなどに出品される。

 扱う企業にもよるが、落札までの期間は長めである。


「投機目的での売買が活発な商品なのよね、オリジナルデバイスって。安く買えれば転売に成功した時の利ざやが大きいから」

「一夜にして大富豪になる人もいれば、ほんの数分で何億、何千万と損失を出す人は珍しくないのですよ。株や先物取引で大儲けした成金が調子に乗って手を出した結果、首をくくったなんてニュースの報道が時折流れてますね。くわばらくわばらなのです」

「蘇生させられて頼むからもう一度死なせてくれえって大暴れするところまでがセットなのよね。ギャンブルに命を張れるなんてあたしら冒険者よりもどうかしてるわ」


 雑談が血腥くなってきた頃、エプロン姿のミコトが盆を抱えてリビングにやってきた。

 盆の上には温かな湯気を立ち昇らせる丼が三杯載っている。


「年越し蕎麦ができましたよ」


 食欲をそそる鰹だしの香りにソフィアとリチャードは色めき立ってソファーから腰を浮かせる。

 最低でも一億とされるデバイスはティッシュ箱やテレビのリモコンを扱うかのようなぞんざいさで部屋の隅へと片付けられた。


「おお!美味しそうじゃなーい」

「心待ちにしていたのですよ。この体になってから食事が唯一の楽しみなのです」


 2時間前、夕飯をどうしようか相談をしていたところ、「台所を借りてもいいなら俺が作りますよ」とミコトが言いだしたので任せてみたら、ソフィアとリチャードが想像する以上のクオリティの蕎麦が出てきた。


「おつゆが黄金色に輝いているわ。これ、市販のめんつゆをお湯で薄めたんじゃなくてミコト君がお出汁を取って作ったのよね?」

「そうですけどあまり期待はしないでください。プロの仕事じゃないですから。それに肝心の麺はインスタントを使ってますし」

「期待するわよ。香りの時点で料亭に出てくる一杯と遜色ないわよこのお蕎麦。料理は工程をマニュアル化できても、調理器具や食材の品質は均一とは限らないから作る人のセンスが表れるものよ」


 ソフィアは――個人の資質なのか、スカウトとしての能力なのかは不明だが、やけに嗅覚が鋭い。

 出汁の香りだけでミコトの料理の腕前がプロに匹敵すると看破した。


「習い事の一つですよ。美味しそうに見えたなら先生の教え方が良かっただけだと思ってください」

「ふーん、お料理に薙刀ねぇ。ミコト君ってあたしより女子力が高くない?」

「別に俺が何を習ってたっていいじゃないですか。天ぷらも揚げてありますから冷めない内に食べましょう」


 一度キッチンに引っ込むミコト。

 ほどなくして美しく天ぷらが盛りつけられた皿を運んでくる。

 定番の海老やワカサギから、春菊、大葉、人参、玉ねぎ、牛蒡と野菜も豊富に取り揃えていて彩り豊かだ。量は3人でも食べきれるか不安になるほどあった。


「綺麗にカラッと揚がってるわねー。専業主婦のあたしのママでもこんなに上手にはできないわよ。プロの仕事じゃないって謙遜もいいところね」

「料理と九谷焼の皿が美しく調和しているのです。立派にお店が開けるレベルなのですよ」

「評価が大袈裟過ぎます。食べてから手のひらを返さないでくださいね」


 目で堪能した後、3人は手を合わせて食事にとりかかった。


「ん~~、お蕎麦も天ぷらも最高に美味しいわ!天ぷらってあたしが作ると焦げるかベチャベチャになるかのどっちかなんだけど、ミコト君のはどれもサクサクしてて食材の甘味がよく出ているわね」

「疲れが癒されるようなほっとする味なのですよ。ソフィアの彼氏は只者ではないのです」

「リチャードさん、彼氏じゃないです」


 手放しに褒められてミコトは頬が弛むのを感じた。

 その顔をソフィアに微笑まし気な表情で見つめられて気恥ずかしくなり、たまらずそっぽを向く。

 むしろそういった仕草こそがソフィアの琴線に触れているのだが、正面を向くとより酷いことになるとわかっているので横顔を見せるしかなかった。


「これは学生寮のグレードを上げるよりも、家を買うか建てた方が良さそうね。キッチン設備にじゃぶじゃぶお金をつぎ込まないと」

「そのお金で料亭に食べに行った方が安上がりな気がしますけど」

「料亭だとイベント性に欠けるじゃない。わざわざヤマトまで帰らないといけないし。マイホームのキッチンなら『俺が料理を教えてあげるよソフィア』なんて展開になるでしょ」

「台所をデートスポットにしないでください」


 ツッコミを入れつつも、ミコトは内心では家を建てることに心を躍らせている。


「ソフィアさんの思惑はさておき、家を建てるのは賛成ですね。維持費が大変でしょうけど温泉を引きたいです」

「温泉かー、いいわね。けど金銭的な問題が解決できても、立地が課題になってくるわよ」


 自宅に温泉を引ける場所なら世界中にいくらでもあるだろうが、その場合通勤距離との折り合いをつけなくてはならない。

 ダンジョンあっての冒険者。

 アクセスはとても重要だ。


「温泉地でそこそこダンジョンが近い場所ってなると、限られてくるんじゃないかしら」

「無理なら最新式の設備を惜しみなく導入しましょう。浴槽の広さは最低でも12畳は確保したいです」

「12畳ってちょっとした銭湯並みの広さね。そうなると一億、二億じゃとても足りないわ。もっと稼がないといけなくなる。オリジナルデバイスを売って得た利益分は装備への投資に回さないとね」


 ソフィアはやろうと思えば一億を軍資金にデイトレード等で荒稼ぎすることができたが、既にマネーゲームからは足を洗うと決めている。

 冒険以外の手段で収入を得るつもりはなかった。


「大金を前にして冷静さを失いかけてました。急がば回れと言いますし、戦力の充実が先でしたね」

「そうよ、高レベルダンジョンに通えるようになった方が最終的な稼ぎは上だもの」

「"そふぃあぼむ"でしたっけ?あれを気軽にぽいぽい投げられるようになったと考えれば大きいですよ。ダンジョンとの相性次第では格上に挑めますし」

「実用レベルの魔力結晶1個で2、3万するから3千発以上ね。あたしの魔力消費もあるから一日に投げられる回数に限度はあるけど、それでも今までより遥かに早いペースでレベル上げができるようになる。狩りながら経費もある程度回収できるからぼろ儲けよ。運次第ではレベル上げの過程で案外あっさりと家が建てられちゃうかも」


 人によっては億単位のレアドロップを引き当てたら、働かずにのんびり慎ましやかに暮らすことを選ぶ場合もある。

 ミコトとソフィアはその金を自らの才能に賭けようとしている。


「1回の攻撃に2万や3万なんて庶民のわたしにはついていけない話なのですよ……ふあぁ……」


 満腹になったせいか、あくびをして舟をこぎ始めたリチャード。

 蕎麦とたくさんあった天ぷらは綺麗に姿を消していた。


「タワマン暮らしをしている人は庶民とは言わないわよ」

「見栄を張りたくて無理して買ったのですよ。モテるための必要経費だったのです」


 流石好色漢。

 異性と甘い一夜を過ごすことを前提に物件を買い求めていたらしい。

 ソフィアも似たようなものだが。


「んん、もう限界なのです。歯を磨いて寝てくるのですよ」

「はいはい、おやすみ叔父さん」


 リチャードは眠い目を擦りながら洗面所へと消えていった。

 その小さな背中を見送った後、ソフィアがミコトの方を向く。


「さて、ここからは大人の時間ね、ミコト君」


ソファーに腰かけて投げ出していた脚を艶めかしく組む。


「嫌な予感がしますけど、具体的にどういう時間なんですか?」


 ソフィアは蕎麦湯を一口啜ってこう言った。


「もちろんお正月にやるべき行事と言えば姫始めよ!」

「姫始めって……?」

「エッチに決まってるじゃない」


 これにミコトは露骨に白けた表情をした。


「俺も眠くなってきたんで先に寝ますね」


 毛布を持ってきて頭までかぶりソファーにもたれるミコト。


「待ってよ!軽いジョークじゃないミコト君。夜は長いんだからまったり過ごしましょ」

「本当にジョークですか?」

「イエェース!イッツ・ア・ジョーク!」


 警戒は解かず、毛布の隙間から仏頂面を覗かせる。


「まあ、変なことをするわけじゃないなら付き合いますよ」

「そうこなくっちゃ♪じゃあお酒でも飲みながらゲームでもしよっか。2人以上で競いながら遊べるのが色々あるのよ。パズルとかレースとか」


ソフィアは電源を落としていた小狐丸を再起動させて、アイテムボックスからゲーム機とソフトを取り出した。


「パズルゲームはソフィアさんに勝てる気がしないんでレースにしましょう。このゲームの過去作ならユヅキと遊んだことがあるんで」

「いいわよ。五分の戦いにならないと面白くないし。ゲームを盛り上げるために罰ゲームを用意したいわ」

「公序良俗に反するものは無しですよ。負けるごとに服を一枚脱げとか」

「チッ、わかってるわよ。負けた方がお酒を一口ずつ飲む。それでどう?」


 ソフィアは舌打ちして、いかにも甘そうな缶チューハイをガラステーブルの上に置く。


「構いませんけど、飲めなくなったら終わりですからね」

「もちろんよ。あたしはアルハラをするやつがいたらこの拳でぶっ飛ばすことにしているの」


(うまくいったわ。ゲームにかこつけて酔わせてエッチにつなげるわよ)


 大人しそうに見えてむきになりやすいミコトに適度な接待プレイをしつつ、度数の高い酒を飲ませてその気にさせる。

 即興で考えた策略にしては成功率が高そうだと確信していた。


「あたしは丸尾君にするわ」

「ソフィアさんってバランスのとれた王道キャラが好きなんですね。俺は鈍器・魂愚にします。小細工は不要。装甲とパワーこそが全てだって教育してあげますよ」


 計算高い悪狐のようにほくそ笑みながらコントローラーを握るソフィア。

 しかし、事態は思わぬ方向へと進むことになるのであった。


人間が扱うネクロマンシーについて補足。

術の対象はモンスターのみ。人間に使用してはならない。

モンスターの死亡直後に術をかけることでアイテム化現象を防ぎ、操作が可能になる。

モンスターはダンジョンの外へと持ち出すことができない。ゲートに接触すると、アイテムも残さず消滅してしまうからである。

従ってダンジョン突入後最初の一体目の確保は、自身の手で仕留めるか、仲間に倒してもらう必要がある。


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