29話 探求の果て
"ユゴスよりのもの"
とあるダンジョン研究者がそう名付けたが、学生たちの間では定着せず。
しかし若者の独創性にあふれた俗称がつくこともなく、単に"地下砦のボス"と投げやりに呼ばれるようになっている。
口に上らせるのも遠慮したい、怖気を誘う造形をしているからであろう。
スライムの頭頂部分に、バスケットボールサイズの脳みそに似た物体が薄っすらと見える。
その脳みそにはこれもまたおぞましい無数の目玉がついていた。
眼球のそれぞれが一斉にミコトとソフィアにぎょろりと視線を向ける。
すると、
「――ミョ――――オオ――――アアアアァァァ――――――――!!」
腹の部分に口腔のような空洞が生じ、地上のいかなる生物とも共通点のない、名状しがたい咆哮がそこから上がった。
空洞は叫びと共に拡大し、体内で蠢くゴブリンを次々に外へと排出する。
粘液にまみれたゴブリン達は鼻をつく臭気を発しながらも、のろのろと自らの手足で床を這いずり、やがて立ち上がってゆく。
まるでヒトの誕生過程を圧縮したのに似た光景だった。
スライムの腹に生じたのは口腔ではなく――産道だったのかもしれない。
「うひゃー、まるでB級ゾンビ映画のヒロインにでもなった気分だわ」
ソフィアが戦いの緊張を和らげようとしてか、軽口を叩く。
「主役はいないみたいですね。ご愁傷様です」
「ミコト君は後で電源オフの刑ね」
「冗談言ってないで準備してください。虎徹、アイテムボックスから薙刀を」
『諒解』
ミコトは再誕したゴブリン"ゾンビ"の群れを睥睨しながら薙刀を脇に構えた。
オプショナルパーツの内燃機関は取り外してある。
今のミコトが扱えば確実に自滅を招く代物だからだ。
「参ります」
「セオリー通り本体に注意を払いつつ、戦えるゴブリンの数を減らしていきましょ」
頷き合い、東西の二手に分かれる。
ゴブリンゾンビの動きは腐敗のためか、本来の持ち味である機敏さの半分も発揮できてはいない。
その代わり痛みも恐怖も感じない。
頭部を落とそうが、手足を斬り落とそうが、心臓を突こうが、お構いなしに動き回る。
おまけに脳のリミッターなどというものが存在しないのでゴブリンらしからぬ怪力を発揮できる。
武器だけで完全に活動停止に追い込むのは至難の業だ。
もう一つ別の理由から一体一体にあまり時間はかけられない。
したがって、極力戦闘に参加できない範囲の損傷を与えるだけで妥協して良い。
「ふっ!」
ミコトはまず、ゴブリンの機動力を奪うため、肉を裂きやすい胴を狙って薙ぎ払う。
正常な個体よりやや硬い手ごたえを感じたが、上下を分断させるのに支障はない。
倒れたゴブリンは上半身だけになっても足に食らいつこうとしてくるので、距離をとることにした。
部屋の中央に位置するスライムの周りを、旋回するように走る。
ミコトとソフィアが群がるゴブリンの対処に追われている間、スライムはただ目玉だけをゆっくりと動かして状況を静観していた。
半数が数を減らされたころ、ようやく動き出す。
「――――オオ!!」
ゲル状の身をうねらせたかと思うと床に面した部分から8本の長大な触腕を形成し、外敵の2人ではなく損傷の激しいゴブリンへと叩きつけた。
「再生させる気だわ!」
そう、触腕の動きは攻撃を目的とはしていなかった。
体内――否、胎内へとゴブリンを取り込むつもりなのだ。
腕から腹へとポンプが水を吸い上げるように肉片を運んでゆく。
すると胎の中のゴブリンゾンビは急速に再生を遂げ、腐敗したままなのは変わりないものの切り離された胴と下半身がつながるまでに至る。
そして再び外界へ。
「――――アァァ!!」
「もう!またわらわらと!凄い回復力ねっ」
球体のスライムが徹底して効率化された強靭な筋肉による物理攻撃に特化しているのなら、"ユゴスよりのもの"は個としての戦闘力ではなく、特殊能力に秀でている。
死霊術――ネクロマンシーを用いてゴブリンをゾンビ化し、隷属させ、傷を負えば治療する。
不死の軍団を擁する超小型要塞。
砦のボスもまた一個の砦といったところであろうか。
「磁力制御――磁波鍍装!」
ミコトは試しにと薙刀にエンチャントを施し、触腕を斬りつけてみる。
手応えは芳しくなかった。
(やっぱりか、効果がほとんどない。本体の防御力と回復力が馬鹿げて高い)
ぬかるんだ硬い泥にシャベルを差し込んだかのような異質の感覚が腕に伝わる。
刃が通過した部分は何事もなく再生していた。
では電撃の方の効果のほどはいかがだろう。
率直に言ってこちらも無意味だった。
急所とされる目玉の脳を電流による熱で破壊するには、敵は巨大すぎた。
(あの脳みそみたいなコアを中から焼き切るには俺のレベルが足りない)
ならば直接攻撃を加える以外に他に破壊する手段がないが、コアは武器の届かない高い位置にある。
最も射程に優れたソフィアのクロスボウはリピーター・クロスボウと呼ばれるもの。
速射性に重きを置いた設計で貫通力が犠牲になっている。
(本体への攻撃はソフィアさんの魔法がやってくれる。俺はゴブリンに集中しよう)
フロアボスを撃破する手段は主に二つ。
一つはゴブリンゾンビをひたすら倒し続け、スライムがネクロマンシーと自己再生が使用できなくなるまで残存魔力を削りきること。
いわば消耗戦である。
ある学生が"たるい"と言った真相はそこにある。
二つ目は単純明快、防御力も再生力も上回る高火力による一撃必殺だ。
ミコトが鋼鉄姫になればそれは容易い。
羽々斬による砲撃一発で事足りる。
いっそ過剰火力ですらあるだろう。
(そんなものに頼らなくたって勝てる。互いの足りない部分を補い合うのが仲間なんだから)
やることは最初から変わらない。
ソフィアの負担を減らすべく可能な限り多くのゴブリンゾンビを片付ける。
戦闘不能になる端から触腕に回収、再生されてしまうが、それはあえて妨害しない。
少しでも多く倒してボスの残存魔力を削った方がいい。
「オォ――!!」
ゴブリンが戦闘不能になるペースが増したことに苛立ちでも覚えたのか、スライムが咆哮を上げ、触腕の数をさらに4本増やした。
そして間もなく叩きつけの予備動作に入る。
扇状に展開された12本はかなりのリーチがある。
本体による死体の回収と外敵への攻撃を一度に行う腹なのであろう。
ミコトとソフィアをも巻き込むのは確実だった。
「下がるしかないわね!」
背後へと跳び、攻撃から逃れるソフィア。
かたや彼女に素早さで大きく劣るミコトは、
(駄目だ、間に合わない)
守りに入ろうとして薙刀を捨て、腕をクロスさせて触腕を受け止める。
「ぐうっ!」
スライムの触腕は速度こそないが重さは十二分にある。
装甲が歪み、ガードした腕の、骨の芯にまで響く凄まじい衝撃が襲った。
腰や踵にも強い負荷がかかる。
(……腕の骨に罅でも入ったか、折れたか。どっちにしても回復した方が良さそうだ)
薙刀を拾うのを諦め触腕の圏外まで離れる。
腰のポーチに入っている丸薬を、ほとんど麻痺した鈍い指で落としそうになりながら取り出して飲み込んだ。
「ミコト君大丈夫!?」
「問題ありません!回復したんでまだいけます!」
今しがた服用したのはダンジョン産の薬草を用いて処方された霊薬だ。
その効果は劇的で、通常なら1~2週間は治療に要する外傷でも瞬く間に癒してしまう。
ただし、値段はそれなりに高い。
ついでにどれも恐ろしく苦くて不味い。
痛みと薬の味への不満を同時に胃の腑へと飲み下し、エクスデバイスへ指示を出す。
「虎徹!金棒を!」
すぐに腕がまともに動くようになったからといって激痛だけはしばらく残り続ける。
万全の状態で戦いたいのなら休息を挟むべきだが、そうはさせてはくれないようだ。
『了解。装者に警告、背面乾、坤よりゴブリンゾンビ接近中。距離3.5』
知能が欠如しているはずのゴブリンゾンビが迂回してミコトの背中から襲いかかろうとしていた。
ミコトはデバイスのアラートに対応して振り向きざまに金棒をスイングする。
殴打はそれぞれの顎を砕いて吹き飛ばしたが、不死の存在にとっては浅い一撃だ。
念を入れ、脅威とならない程度の損傷を与えるべくゴブリンゾンビの脳天に遠心力と体重の乗った金棒を振り下ろす。
それで戦闘能力を奪うことに成功した。
(少し離れよう)
触腕が死体を回収していくのを無視し、本体の攻撃の届かない一定の距離を保ちながら、ソフィアの方へ向かおうとするゴブリンゾンビへの攻撃に専念した。
倒す端から戦線復帰してくるものに何度でも打撃を見舞う。
4週分は殲滅を繰り返し、肩と足腰が悲鳴を上げ始めた頃、いよいよソフィアが切り札の使用に踏み切る。
「そろそろ見切ったわよ」
床に沈めたゴブリンゾンビの頭蓋をブーツの踵で踏み砕き、ソフィアはエクスデバイスを天へと掲げた。
「小狐丸、魔力結晶を出して!魔法で仕留めるわ」
『一番濃度が濃いやつでありますね!了解であります!』
宙に出現した真紅の結晶をキャッチする。
過去にこのダンジョンで拾ったアイテムで、売らずにとっておいたものだ。
「術式の構成に時間を取られてクールでエレガントでキュートな技名をつけられなかったのが唯一の心残りだけど、今は勘弁して頂戴」
ソフィアが口の中で小さく呪いの言葉を紡ぐ。
すると、彼女の手の中の結晶が赤熱していった。
その熱が最高潮に達する直前、結晶の周囲を尖った岩石が覆う。
「待たせたわミコト君!」
その一言で何が起きるのか察したミコトはゴブリンゾンビとの交戦を中断し、撤退に移った。
「いつでもどうぞ!」
相棒の安全を確認し、ソフィアはお手本のように美しい投球フォームをとる。
「いくわよ!」
振りかぶり、岩石に覆われた魔力結晶がその手から放たれた。
学生時代無敗を誇ったというソフィアの投球は、ブランクがあったとは信じられないほどに研ぎ澄まされていて鋭い。
球の向かう先はゴブリンゾンビを排出する産道だ。
コアではない。
「オォ!」
岩石の塊は狙い通りスライムの胎内を直撃する。
しかし、物理と電撃に無類の防御力を誇るゲル状の軟体にダメージは皆無だ。
スライム自身も特別脅威とは見做していない様子である。
蘇生させていたゴブリンゾンビを排出するのに合わせ、まとめて吐き出そうとする。
「そうはさせないわよ。"ソフィアグレネード壊"着火!」
様子をうかがっていたソフィアが指を鳴らした。
その直後岩石の塊に無数の亀裂が迸り、そこから赤い光が漏れ――
耳をつんざく大きな爆発音が室内に轟いた。
衝撃波が空間を伝播し、周囲は煙で満たされる。
煙が拡散して視界が良くなるとソフィアは歓声を上げた。
「やったか!」
「やってますね、木端微塵ですよ」
安直というか、ふざけたネーミングのソフィアの魔法はしかし、破壊力は絶大だった。
粉々になったスライムの肉片が辺りに散乱している。
爆発に巻き込まれなかったものを含め、全てのゴブリンゾンビはネクロマンシーの効果が途切れたのか、黒いヘドロと化して泡を立てながら蒸発していった。
ボス部屋はよほど精神的にタフな人でなければ嘔吐しかねないほどの惨状と化していた。
それを成した当人たちからしてみれば肩の力を抜いて安堵してよい光景ではあったが。
ところが、ソフィアのセリフはある一部分お約束をなぞってしまったらしい。
「ちょっと待って!魔力反応がまだ残ってる!……嘘!?これでも生きてるの!?しぶといわね」
スライムの残骸が部屋のある一点を目指してずりずりと這いずりながら移動して、合流し、結合しようとしていた。
驚異的な生命力だ。
「咄嗟にコアだけでも守ったみたいです」
残骸の向かう先は傷つきおびただしい血を流している目玉の脳みそだった。
「ダブルタップは重要よね。回復される前に仕留めるわ」
ソフィアはナイフをコアへと投擲する。
スライムは避けられない。
深々と刃が突き刺さる。
次にクロスボウをマガジンが空になるまで撃ち尽くした。
ハリネズミのようになるコア。
「まだよ、小狐丸もう1個」
『了解であります』
ソフィアは駄目押しと言わんばかりに2個目の魔力結晶を取り出した。
彼女の手の中でひし形の物体が赤熱する。
今度は岩で覆うようなことはしなかった。
「"ソフィアグレネード焼"!」
放物線を描くようにして投げられた結晶。
それがコアの真上へと落下し、対象へと接触した途端、激しく燃え上がった。
『生体エネルギーの流入を確認。"ユゴスよりのもの"撃破完了であります!』
小狐丸の報告をもってようやく一息つくことができた。
「今度こそやっつけたわね。ってミコト君改めて見ると腕の部分がベッコベコにへこんじゃってるけど大丈夫?」
「鎧は修理か買い替えが必要ですけど、腕の方は霊薬で治療したんで無事です」
指を滑らかに動かして完治したとアピールする。
まだズキズキとした痛みが残っているが、そこは男の子の意地で我慢である。
「それよりもソフィアさんの魔法、やっぱり強力ですね。手榴弾を再現してしまうなんて凄いですよ」
「あり合わせの工夫だったけど、うまくいったわね」
ソフィアグレネードの原理は至極単純なものである。
術者に緻密な計算を要求するという点を除けばの話ではあるが。
"壊"はいわゆる破片手榴弾。
爆風とそれに伴って飛散する岩石の破片がダメージ源となる。
魔具の素材のほか、術者の外付けバッテリーとしても機能する魔力結晶を触媒とし、それを炎の魔法で加熱する。
そして加熱した結晶を土魔法で召喚した岩石を用いて包み込む。
後はひたすら熱量を加えていくだけで、密封された内部の空気が高温・高圧のガスへと変化してゆく。
岩石が破裂しない範囲まで空気の膨張を抑え、爆破させたいタイミングで一気に熱量を注げば魔法は完成だ。
無論、遮蔽物のない場所での使用は厳禁。
本来は角から投げ込んで使うことを前提とした魔法である。
それこそ角待ち戦術を使うゴブリンに対応する術として開発された経緯がある。
今回は相手が体内に空洞を生じさせる生態であったからこそ運用できたレアケースだったのだ。
"焼"は焼夷手榴弾をイメージしている。
こちらは"壊"よりも単純だ。
対象を炎上させるという魔法を魔力の続く限り発動させ続けるだけである。
「じゃあドロップ拾って帰りましょうか」
「はい」
時間の経過とともにスライムとゴブリンゾンビの死骸は綺麗に消失し、コアのあった場所に宝箱が出現していた。
「ダンジョンとモンスターが古典的なRPG風なら宝箱までその通りなのね。スカウトの参考書で読んだけど、こういうダンジョンの宝箱にはたまにミミックが出るらしいわよ」
「ミミックと普通の宝箱ってどうやって判別するんですか?」
「気配探知ね。ミミックは魔力反応を欺瞞する能力に長けているそうだけど、ちゃんと見分け方にコツがあるのよ」
そのコツとやらはスカウトならぬミコトにはどんな感覚なのか想像が及ばない。
黙ってソフィアに任せた方が無難であった。
「ん、ミミックじゃないわ。それはラッキーだったけど、鍵がかかってるわねコレ」
「開けられそうですか?」
「挑戦してみるわ」
ベルトポーチからピッキングツールを取り出し、膝立ちになって鍵穴をいじくり始めるソフィア。
集中しているようなので、鍵が開くまでの間ミコトは見張りを務めた。
――それから数分後。
「よっしゃ、開いたわよ」
開錠に成功したソフィアが顔を上げてミコトにウインクした。
「どんなお宝が入ってるか楽しみね。ミコト君が蓋を開ける?」
「いえ、その役は今回のMVPのソフィアさんに譲ります」
どんな冒険者もこの瞬間が最大の楽しみだ。
高揚感に酔いしれながら、ソフィアはゆっくりともったいぶるようにして箱を開けた。
「これは……!」
「ちょっとマジ!?レベル5のダンジョンよココ」
宝箱の中身を見た2人が驚きと歓喜にそれ以上の言葉を失う。
そこに眠っていたのは盾に似た機械。
現代の科学力をもってしても解明できない異世界の文明遺産。
エクスデバイスだった。




