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26話 善悪相殺ソフィア

 時を遡って朝の学生寮。

 ソフィアは暇を持て余していた。


「思えば会社員してた頃はお休みの日もお勉強してたのよね。息抜きがせいぜい"()ろう"を読みながら筋トレしてたってぐらいで。花の二十代を淡白に過ごしすぎてない?あたしゃバトル漫画の修行マニア主人公か」


 幼少から美しき才媛の座を欲しいままにしてきたソフィア。

 冒険者を志そうとするまでは、周囲の期待に応え続けるのが彼女の生き方だった。

 両親に喜んでもらえるから学校の成績で一番を目指し。

 スポーツの世界でプロになりたいと望む友人のために共に努力し、勝利へと導き。

 会社では利益の追求こそが至上命題であるので、限られた時間でいかに業績をあげるかに腐心した。


 激務ではあれど、高給が約束された証券会社に勤めて、出世街道を爆進していたソフィアはある日虚しくなった。

 証券市場で繰り広げられる熾烈な争いは、結局のところ勝ち馬の背を転々としてゆく椅子取りゲームだ。

 負け癖のつき始めた馬は容赦なく見限り、他人に押し付けて自分の選んだ馬だけを前へと進めていく。

 誰かを幸福にする代わり、別の誰かに不幸を強いる――非情な世界だ。

 そして、そんなことは知らぬ者とていない常識だ。

 ソフィアは知識として市場の大原則を知りつつも、不幸に陥れられた者の現実までは想像が及ばなかった。

 実際に、身内が当事者になるまでは。


 母方の親戚が、大手の銀行から悪質な金融商品を掴まされ、多額の借金を負う羽目になった。

 信用していたのにと涙ぐむ親戚にソフィアはかける言葉をもたなかった。

 実態をよく確かめもせず、騙されてしまった方が悪いのだ。


 世の中は合法なる邪悪がまかり通っている。


 掴まされた商品の真に悪質な部分は、損失を招く可能性が大であるのに、銀行側が法的に何ら責咎を負わないところにあった。

 他にも被害者は大勢いただろうが、集団訴訟を起こしたとしても負け戦は濃厚。

 裁判を諦め、前向きに未来を考えたとして破産手続きは最後の手段だ。

 破産による社会的信用の失墜は当事者自身が想定していた以上に重い枷となる。

 ソフィアは親戚を助けるため、自らの財産をなげうって借金返済の足しにした。

 そしてその時に気づいたのだ。

 自分も似たようなことをしているのではないかと。


 "誰か"を笑顔にした行いの裏で、別の"誰か"を絶望させている。

 それはソフィアの生き方と明らかに矛盾していた。

 カネの世界では、喜劇と悲劇は所詮コインの裏表でしかないのだと悟って、自分の仕事に嫌気がさしてきた。

 このまま定年まで他人のカネをハゲタカのごとく掠めとる、ゼロサムゲームをひたすら続けるのかと想像すると辟易とした。


 だから、自分と関わりを持った誰もを、幸せにする道がないか模索し始めた。

 その目的を叶えられるのが冒険者というわけだ。

 永遠に富を生み出す無限のフロンティアを探索する。

 それで損失を被る人間はどこにもいない。


 考えてみれば明快な話で、カネを転がす商売はどうしたって誰かに不利益を押し付けることになる。

 それを厭うならば一次生産者になれば良い。

 業種は農業でも漁業でも別に構わなかったが、思い描いたファンタジーに近い体験ができて、なおかつ一発当てたら大きい冒険者がソフィアにはとても魅力的に感じた。

 やると決めたなら最強を目指す。

 自分の愛する人全てを幸せにするハーレムを作る。

 金はあればあるほどいい。

 衣食住、そして性欲が満ち足りた人生を送ってこそヒトの本懐が叶えられる。


 で、冒険者学園の学生として好調な滑り出しを迎えたソフィアだったが、せっかくの休日だというのに何をして過ごしたいのか自分でもわからなくて困っていた。

 体を休めることだって大事な自己研鑽だというのに、最近は気が付けば訓練のメニューを考えている。


「小説家を犯ろうを読む以外にも、もう少し生産性のない趣味を持っておくべきだったわね」


 その独り言を受けて小狐丸が提案をする。


『ゲームでもやりますか?』

「そういう気分じゃないのよ。あたしの灰色の脳細胞が活性化するようなことをしたいわ」

『じゃあミコっちゃんと一緒に遊ぶのはどうですか?』


 これにソフィアは俄然として乗り気になった。


「いいわねそれ。脳細胞が活発に分裂しそうよ」

『コリノドラ駅周辺なら多彩なアクティビティがありますよ。テニスコートにボウリング場、温水プール、ヨガ教室とこれら以外にも様々であります』

「不健全なアクティビティができるところは?」

『ポジティブ。デートプランの最終目的地に組み込んでおくであります』

「上出来よ。よし、そうと決まったらミコト君が暇してるか確かめなくっちゃね。小狐丸、ミコト君と連絡とって」


 灰色からピンク色に染まり始めた脳細胞を活動させてデバイスに命じる。

 だが、幸先はよろしくなかった。


『スマホもコテっちゃんも応答なしであります』


 隣室から微かなバイブレーションの音が聴こえるが、こちらから呼びかける限りその音が途絶えることはない。


「あら、近くにいないってこと?ミコト君お寝坊さんな方じゃないからまだ寝てるとは考えにくいし。珍しいわね」


 試しに部屋を出て、ミコトの部屋のドアをノックしてみる。

 案の定返事はない。


(じゃあ、気配探知で探ってみましょ)


 スキルを行使して魔力反応を探ってみる。


「やっぱりもぬけの殻ね。ミコト君どこ行ったのかしら」


 それから寮内を歩き回ってみたものの、ミコトは見つからなかった。


『外でランニングでもしてるかもしれないですね』

「なくはない線だと思うけど、それだと探す範囲が広すぎて大変ね。行き違いになっちゃったら時間の無駄よ。それに、」

『それに?』

「通信手段を一切持たないで出かけて行ったってことは、裏を返せば誰との連絡にも応じるつもりはないって意思表示と捉えてもいいと思うわ」

『ごもっともであります』

「これまでの情報を勘案して導き出される結論は一つ。たった一つしかないわ」


 そう言って勿体ぶるように間を置く。


『拝聴させていただくであります』


 肉体があったら固唾をのんでいたに違いない小狐丸。

 ソフィアは機を見計らうとビシィッ!と天を指差してこう言った。


「女よ!」

『…………はい?』


 小狐丸の間の抜けた返事に構わず、ソフィアは早口に論じる。


「だから女よ。あたしというものがありながら他の女の子とデートに行ったのよ。あたしに干渉されると困るからスマホとデバイスを置いていったと考えれば綺麗に筋が通るわ」


 女がらみの問題という点では正解ではあった。


『なるほど浮気でありますか。奥手そうなナードのふりをしておいて、実はジョックだったというわけでありますね。ファッキンジョック!』


 明確な根拠もなく小狐丸に口汚く罵られるミコト。

 彼がこの場にいたなら、ハーレムを作りたいと言っている人がどの口で浮気とほざくかとツッコミを入れたくなっていただろう。


『では、どうするでありますか?』


 その問いにソフィアは迷いなき目をして答える。


「決まっているわ。自分磨きよ。冒険者としてではなく、女としてね」

『というと?』

「繁華街でウインドウショッピングをしましょ。ミコト君の好みに合いそうなものがあったら買っていくわ」

『追わなくて良いのでありますか?』

「いいのよ。誰と付き合ったとしても最終的にあたしの隣にいれば構わない」


 そう語るソフィアの背中は雄々しく力強かった。


 ◇◇◇


 時を戻し、ミコトの視点に戻る。

 ミコトはちょうど"えんじや"を出るところだった。

 既にアイテムの査定と買取手続きが完了し、頭割りした報酬を受け取ってパーティーを解散している。


「ごめんなーお嬢ちゃん、おっぱい揉んでもうたお詫びにこれあげるわ」


 アズサから2枚のチケットを手渡された。

 高級ホテルのナイトプールのチケットだった。

 飲食や水着のレンタルなどを含めてあらゆるサービスが無料となる至れり尽くせりなパスとなっている。


「友達か彼氏でも誘って遊んで来るとええ」


 セクハラについては平手一発で水に流したはず。

 高価なチケットでお詫びをされる筋合いはないのだが。


「えっと」

「お嬢ちゃんにようけ稼がしてもらったからね、心付けも兼ねとる。またうちのダンジョンに潜りに来てな」


 つまりは店の常連になってもらうための袖の下というわけか。

 損して得取れという言葉がある。

 今回レアドロップ無しで総額1500万のペイがあった。ダンジョン屋側の利益も相当なものだろう。

 十数万程度のチケットで腕利きの冒険者が来てくれるようになるなら断然安い買い物だ。

 

「ありがたく頂戴します。機会があればまたお世話になりますね」


 またスキルが暴走する事態となったなら体を動かしに行ってもいいだろう。

 男に戻ってレベルを上げたらソフィアと挑戦しに行くつもりでもある。

 ならば今後の関係を良くするのはミコトの目的にも叶う。

 相手の気持ちを汲み取って素直に受け取るのが吉と判断した。


 それから30分後。

 ミコトは再び繁華街に戻ると、ブティックをはしごしていた。

 いい加減服と下着を替えたかったのだ。

 最初は紳士服を扱う店を物色していたのだが、他の男性客から異質なものを見るような目で見られたので、仕方なく婦人服を選ぶ羽目になった。


(そりゃ女の子が男の服を買おうとしてたら変だと思うだろうけど……)


 ミコトは適当に入った店で比較的性別を問わないユニセックスなデザインの服を手に取ってみる。

 値札を見て絶句した。


(げ、女の子の服って5桁もするのか。桁を一個間違えてるだろ)


 しかし冷静に考えてみれば、女性のファッションの流行とは移ろいやすく、質は二の次でデザイン性とバリエーションの豊富さと安さで勝負するのが基本的な傾向であるはずだ。

 なのに値段が高いということはつまり、この辺りの店は富裕層をターゲットにしているのではないか。

 そう推測を立ててみたけれども、5、6軒回ったところでいずれも代り映えのしない価格に遭遇し、むしろその価格こそが当たり前だとすら思えてくる。


(駄目だ。ティーンエイジャーの服の適正な価格帯がわからない。社会経験の乏しさが悔やまれる)


 ミコトの制服と下着は自分で用意したものではなかった。

 そもそも留学してきてから私用に着る服の買い物など一度もしていない。

 全て実家から持ち込んだもののみである。


(どれだけお金を持っていようと無駄遣いは厳に慎むべきだけど、この時期どこの店も普段より営業時間が短い。早く買ってしまわないと最悪明日も同じものを着なくちゃいけないぞ)


 あまり悠長にはしていられないと覚悟を決めた。

 価格は度外視。

 自分の体格に合って、なるべく女の子らしさが出ないものを選ぼうとする。

 その時だ。


「あ、ミカゲちゃん発見!」


 後ろから明るく大人びた女の声がした。

 胸騒ぎを覚えながら振り向くと、そこには相棒の姿があった。



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