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25話 ティータイム

 外界への帰り道。

 空気がやたらと重く感じた。

 一つだけ断言しておくならばモンスターのせいではない。

 別の要因だ。


「……」

「……」

「……!」


 沈黙が気まずかった。

 ミコトは心の中で嘆息する。

 助けたこと自体は後悔していないが、よりによって面倒な相手を助けてしまったものだと。


「…………!」


 後ろを歩くフィリップが自分の背に異様な怒気を孕んだ視線を突き立ててきている気がする。

 無言で睨まないでほしい。

 そう切実に感じてミコトはフィリップに声をかけてみることにした。


 立ち止まり、振り返って上目遣いに機嫌を窺う。

 ほとんどの場合、会話の相手を見上げなくてはならないのはミコトの密かなコンプレックスだ。

 女としては平均的な身長だが、男としては低い部類に入る。

 だから、背の高い男性と話すのは昔から苦手だ。


「あの、私の背中に何かついてますか?」


 勇気を出した問いかけに対し、フィリップはミコトを見下ろして、


「フンッ!」


 不機嫌そうに鼻をならした。


(ええ……)


 言葉を交わすつもりがないようで、何が言いたいのかさっぱりわからない。

 以前学生課で揉めていた時の記憶を掘り起こしてみれば、かなりプライドの高そうな人物だったという印象が残っている。

 嬲り殺し寸前の打開困難な状況であったといえど、助太刀されたのは余程腹に据えかねる出来事だったのかもしれない。

 仮にそうだとしても、真に恨むべきはクリムゾンプレデターか、力量が及ばなかった事実ではないのかと思う。


 しかしそこは控えめなヤマト人。筋違いだと指摘する気にはなれなかった。

 これ以上眼圧を増して睨まれるのはご免こうむりたいと願ってのことである。


 アーサーは警戒を呼びかける時以外はむっつりと押し黙ったまま口を開かなかった。

 こういった気難しそうな手合いと必要以上に関わるのは利口ではないと悟っているようだった。


 針のむしろに置かれたような心持ちで外に出ると、蘇生処置を受けたルイスとハラハラと落ち着きない表情のアズサが出迎えた。


「フィリップ無事だったか!」

「お嬢ちゃん、よう帰ってきたなあ!」


 無事を確認するや、アズサは安堵した顔でミコトに抱き着いた。


「ダンジョン潜って早々にモンスターにいてこまされた少年が出たからね、気が気やなかったわ。どっか痛いところはあらへんか?」


 ミコトは突然の抱擁に面食らいながら無傷をアピールする。


「大丈夫です」


 怪我どころか返り血一つ浴びていない。


「ほんまか?」


 本人の弁を鵜呑みにはせず、目に見えないダメージを負ってはいないか疑っているようだった。

 体を離すとペタペタとミコトの体に触ってくる。

 心配させていたなら申し訳ないと思ってなすがままにされていたミコトだったが、途中で顔をしかめた。


「ちょっと!胸を揉まないでください!触り方がいやらしいです!」

「ただの触診やん。医者が邪な気持ちで患者に触るわけないやろ。心臓の音を確かめとるんや。うん、脈拍は正常やな」


 白々しい言い訳だった。

 ミコトは頬を憤怒に赤く染めながら抗議する。


「下着越しじゃ意味ないですよね!?それに普通聴診器を使うものじゃないんですか!」

「うちをその辺のヤブと一緒にせんといて。うちにはそんなもんなくたってわかる、わかるんや。お嬢ちゃんが健康ないいおっぱいしとるって。よし、より詳しく健康状態を知るためや、制服脱いでもらおか」


 セクハラと看破されているにも関わらず、往生際が悪いどころか、行為をエスカレートさせてきた。

 割と強めに指先を胸に沈めてくる。


「ん……っ!嫌です!」

「恥ずかしがらんでもええやん女同士なんやし。ちょっと舐めたり吸ったりするだけやん」

「それどう考えても医療行為だとは思えないんですけど!?」

「細かいことを気にする嬢ちゃんやなあ。医者が医療行為や言うたら何でも医療行為になるんや。つべこべ言わんとうちとシャワー室でホンマもんのお医者さんごっこしよか。ヘッヘッヘッ、うち自分のことノンケやと思っとったけどお嬢ちゃんは別腹みたいや」


 ミコトの胸の感触が相当お気に召したらしく、シャワー室へと手を引くアズサ。

 最早取り繕うつもりもないらしい。

 貞操の危機を感じたミコトは暴力もやむなしと判断し、強烈な張り手を彼女にお見舞いした。


「ごっどすらっぷ!」


「ほげえっ!」


 豹柄の長身がギャグか何かのように錐もみ回転しながら空中へと吹っ飛んでいく。

 女性を打擲したことに罪悪感は湧かなかった。


 乙女の純潔を守るためなら誰にどれだけ暴力を振るったって無罪だからだ。

 どこの国の憲法にも前文でそう書いてある――はずだ。

 多分。


「おい、アズサ生きてるか?」


 頬に真っ赤な紅葉を咲かせ、白目をむいて失神したアズサの介抱はアーサーがした。

 

 ◇◇◇


 ミコトとアーサーは"えんじや"の鑑定士にドロップアイテムの査定を依頼し、シャワーで汗を流した。

 その後査定が終わるまでの間、バーで適当に時間を潰すことにした。


 丸テーブルを挟んで対面する二人。

 アーサーはブラックコーヒーを、ミコトはコーヒーが苦手なので紅茶を注文する。

 お茶請けにアップルパイも頼んだ。


「あ、美味しい」


 パイを切り分けて口に運んだミコトの頬が弛む。


 ずっしりとボリュームあるコンポートの味は濃厚でありながら口あたりは爽やか。

 シナモンと隠し味のカルバドスが、よく熟れた林檎の芳醇な風味を損なわず、絶妙なハーモニーを奏でている。


 反面、パイ生地は甘さ控え目に。

 食感を重たくせずサクッと軽やかに。

 主役のコンポートを優しく受け止める包容力のある仕上がりだ。

 一切の妥協なく食材を選び、手間暇をかけ、異なる味わいで食べている人の舌を飽きさせない。

 要所要所に作り手の気配りが感じられる、素晴らしいアップルパイだった。


(これ一切れで学食のランチが三食分。ゆっくり味わって食べよう)


 一口ずつ時間をかけて無類の味わいに舌鼓を打つ。

 あまりに美味しそうに食べるのでアーサーは興味をもったようにケーキ皿に視線を移してきた。


「そのアップルパイそんなにいけるのか?」


 そう訊かれてミコトは深く頷いた。


「はい、これすごく美味しいです。普通のアップルパイとは味も香りも格段に違います」

「甘いもの好きの女の子の舌に合うものなら外れはないな。土産に2つテイクアウトしていくか」

男の人でも(・・・・・)絶対気に入ると思いますよ。持ち帰るなら奥さんと娘さんの分だけじゃなくて、もう1個増やすべきです」


 "男の人でも"の部分を殊更に強調して、是非と勧める。


「オーケー、そうしよう」


 年齢の差から共通の話題こそ多くなかったが、極上のコーヒーに紅茶、絶品の茶菓が和やかなティータイムを提供してくれた。


(今度はソフィアさんと来たいな。お茶しに行くだけでも価値がある。けど高レベルの冒険者向けの施設だしなあ。場違いにならないよう最低でもレベル40を超えてからにしよう)


 心の中で目標を一つ定めた時だった。

 テーブルの上に一人分の影法師が落ちる。


「よかった。まだここにいてくれた」


 テーブルの脇へと視線を移すと灰色の髪の少年、ルイスがそこにいた。

 何の用件かとミコトとアーサーは視線を交わし合う。


「仲間を助けてくれたことにちゃんとお礼を言っておきたくて、探していたんです」


 それでわざわざバーに来てくれたらしい。

 ミコトがアズサからセクハラを受けている間、ルイスはフィリップと一悶着起きそうな気配だったため、礼を言いに来るのが遅くなったのだろう。

 

 とりあえずアーサーがルイスに席を勧めた。


「そうか。そこに突っ立っていられてもなんだ。座ったらいい」

「ありがとうございます。あなたは"荒野の魔砲使い"のアーサーさんですね、月刊ロストフィールドで拝見した記憶があります」


 月刊ロストフィールド。

 冒険者業界を対象にした情報雑誌である。

 アーサーは現在レベル80。

 それほどのレベルに到達するとネームバリューは凄まじいもので、世界的に名の知れた冒険者と言っても過言ではない。


「"荒野の魔砲使い"じゃない。そいつは雑誌記者が勝手に捏造したキャッチコピーだ。オレのことはただのプロ冒険者アーサーでいい」


 近代化が始まる以前の時代は、冒険者の間で箔付けに厨二的ボキャブラリーの限りを尽くした、二つ名を名乗る慣習が世界各地で流行していた。

 現代でも競走馬のような派手なネーミングを考えて好んで名乗る者がいるが、タレント扱いを受けたくなければ二つ名など吹聴して回らない方が賢明である。

 もっともアーサーの荒野の魔砲使いやミコトの鋼鉄姫など、本人の与り知らぬところで広まった二つ名については有名税として諦めてもらうしかない。

 ミコトはともかく、店の宣伝のため取材を受けたアーサーには若干の落ち度があるが。


「では普通にアーサーさんと。俺はルイスです。そちらの方は?」

「ミカゲです」


 ルイスはミコトの儚げな美貌にはっと息を飲む様子を見せる。

 しかし、自分と同年代の美少女と間近で目を合わせるのは気恥ずかしかったのか、平静を保つためアーサーへと視線を移した。


「では、アーサーさん、ミカゲさん。改めて仲間の危機を救ってくれたこと感謝します。あれだけのモンスターを抱え込んで決壊させ、挙句に他のパーティーに損害を与えていたらアマチュアライセンスの停止は免れなかったでしょう。この恩は必ずお返しします」


 頭を下げて謝罪した。


「律義だな少年。恩なんか進んで着なくてもいいんだぞ。ダンジョンアタックに絶対安全はないんだからな。不慮の事故が起きたときに助け合うのは当たり前だ」

「常識ですから」

「常識のない連れの尻拭いをして回るのが君の役割なのか?」


 アーサーの痛烈な言葉をルイスは否定しなかった。

 持ち前の誠実さで真正面から相手と向き合う。


「はい、必要とあらばいくらでも。フィリップには天賦の才があります。自身だけでなくパーティーメンバー全員をたった一年でレベル50付近まで導くだけの才が。今は焦りから短絡的な行動が目立ちますが、それまでのフィリップは他人と問題を起こさないようにする最低限の配慮を持ち合わせていた」


 その焦りの要因となったミコトに自覚は一切ない。

 学生課で遭遇したあの日、何が原因で事務員に食いかかっていたのかまでは知らないからだ。

 会話に口を挟まず、借りてきた猫のように大人しく、おしとやかに紅茶を味わっている。


「優秀だが性格に難のあるギフテッドってところか」

「簡単に自分を曲げるようなやつじゃないんです。その上、父親が権力者である分、周りに意見できる大人がおらず、同年代には比肩できる才能を持った人物がいない。自分より劣る人間から何を言われたって聞く耳を持たないでしょう。だからフィリップが自力で思い上がりを正していくのを見守るしかない」


 フィリップの才能は見離すには惜しい。

 若さゆえの短慮は時間さえかければ矯正できる。

 ルイスは友がいつか変わってくれると信じればこそ、損な役回りを積極的に引き受けてこられたのだ。


「そうしてやるのが無難だろうな。オレがガキの頃、馬鹿をやらなかったかと言えば嘘になる。テングってやつになっちまったら一度根元から鼻っ柱を折られないと過ちに気づけないもんさ」


 アーサーは冷めてしまったコーヒーを一口啜ると、若かりし頃の苦い記憶に思いを馳せるように、しみじみとした表情でそう言った。







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