21話 俺が恐れるのは自分自身だけだ
タイトルの文言はブーメランパンツ一丁というセクシー衣装で戦うアレクサンダー大王のセリフです。
短期間の間にレベルが急上昇した時点で想定しておくべきだったのだ。
本体の制御を離れてスキルが暴走するなど。
「そんな……!私、どうして……!」
頬を撫でる艶やかな黒髪の感触。
目に映る細く華奢な白い指先。
どうなってしまったのか、わざわざ鏡を見て確認するまでもない。
だが、事態を理性で納得できていても、感情が現実を受け入れられるかは別の話。
美少女になろうが神になろうが、ミコトはミコトなのだから。
取り乱した拍子に大きく肩をベッドの縁にぶつけた。
「ミコト君どうしたのー?」
ミコトがたてた物音にソフィアが反応して壁越しにのんびりとした声を送ってきた。
着替え中なのか、なまめかしい衣擦れの音が微かに響いている。
ミコトは喉元まで出かかった「何でもありません!」という言葉を必死に飲み込む。
「酔いが回ってきちゃった?おねーさんが介抱してあげよっか?」
心配してくれている彼女に肉声で返事は返せない。
どれだけ男らしい低音を意識しても、すっきりとした細首から発せられるのは耳に麗しいソプラノ声だ。
目まぐるしく頭を働かせて解決策はすぐに閃いた。
(声が使えないなら文字!そうだ!スマホがある!)
ミコトはスマートフォンを手に取ると、リンクスを立ち上げた。
『大丈夫です』とメッセージを送っておく。
ミコトが周囲の部屋に配慮したとでも解釈したのか、ソフィアは不審に思わなかったようだ。
「だるかったらいつでも言ってね。酔い覚ましのクレイジーデーモン・クアンタムがあるから」
(それは安全なのか?)
アルコールに薬物を組み合わせたらオーバードーズを起こしそうである。
『ダメ、ゼッタイ』と追加のメッセージをソフィアに送って、どうしたものかと考える。
(自分の意思に関係なく変身した場合は1、2時間もすれば解除されたけど。変身の時間、最近飛躍的に長くなったから今までとは違うと覚悟しておくべきだよな)
手動でエクスデバイスを操作し、スキル解除までの時間を調べてみようとする。
だが、
【アプリケーションに深刻なエラーが発生しています。直ちにサポートセンターへ連絡してください】
完全にお手上げらしい。
ミコトは黙ってステータスアプリを強制終了させた。
年末年始のこの時期にシステムエンジニアが働いているわけがないだろう。多分。
もっとも連絡がついたとして、突発的に女の子に変身した場合におけるスキル持続時間について、サポートセンターとやらは有益なアップデートを即座に実施できるとは思えないのだが。
「フンフフーン♪」
ソフィアが鼻歌を歌いながら部屋を出ていく。
風呂にでも行くつもりなのだろう。
(ソフィアさんが気まぐれを起こして部屋を訪問してこないうちに寮を脱出しないと)
変身が解けるまでの間、人目を避け、ひっそりと過ごす。
いつも通りの対処で済ませるつもりだ。
行動する前にふと今の服装を見下ろした。
詩的に言えば神々しく、散文的に言えば色彩豊富な衣装だ。
どのような言い回しであろうと共通しているのは非常に目立つということ。
(地味なのに着替えよう)
巫女の衣装を脱いで一度下着姿になったミコトは自分の服を着ようとして、手を止める。
ミコトが所持する私服のバリエーションは非常に数が少ない。
上下それぞれでたったの3種類だ。
ソフィアには全てお披露目している。
つまり、鋼鉄姫がミコト・ヒラガの装いをしていたら不審が服を着て歩いているのも同然なわけである。
ソフィアと初めて会った日のことを思い出す。
2回、それぞれ別の場所で出会った。
変身から戻ってもすぐに再会し、仲間に誘われた。
偶然と片付けるにはできすぎた縁で結ばれている。
寮から出ても翌日には出かけた先でばったりなどといった展開が起きるかもしれない。
それまでに変身が解けていればいいのだが。
(考えすぎかと思うけど、用心するに越したことはないな。あれを着る方がましか)
ミコトはクローゼットの戸を開けた。
収納としてはとてつもなく狭いその空間の隅に紺色のセーラー服が眠っている。
私立キララザカ女学院の制服である。
(冒険者学園を落第しない限りは絶対に袖を通すまいと思ってた制服だけど)
ミコトはセーラー服を着た。
いかにも育ちの良い、おしとやかで清楚な女子高生の出来上がりである。
つい窓に映った自分の姿をまじまじと見てしまう。
「う……可愛い。正直言ってタイプ……かも」
見惚れて何かしらポーズを取ってみたくなる。
男の時は自分の容姿に無頓着なのだが、磨かなくても山吹色に輝く美少女の原石が目の前にあっては色々と可能性を探ってみたくなるのが男心というもの。
「って何自分に見惚れているんだ!これじゃ私は変態みたいじゃないか」
危うく異常性癖を発露させてしまうところであったとミコトは自分自身を恐れた。
「早く寮を出よう」
アイテムボックスから靴箱を出して中からローファーを一足取り出して履く。
制服といい、靴といい、忌々しいほどにぴったりとミコトのサイズに合った。
財布と部屋の鍵のみをスカートポケットに入れる。
エクスデバイスとスマートフォンはベッドの上に放置だ。
どちらもヤマトではユーザーシェア率がトップクラスの製品だが、ミコト・ヒラガとカラーまで同じものを所持しているのはやはり怪しいだろう。
「はしたないけど、窓から出て行くか」
ミコトはドアのサムターンを回して内側から施錠すると窓を開けた。
地上二階。
一般人ならば飛び降りるのを躊躇する高さだが、冒険者にとっては犬小屋の屋根ほどでしかない。
ミコトは窓の桟に足をかけると蜘蛛のように危なげなく建物の外壁に張り付き、外から窓を閉めた。
そして、壁を蹴り近くに立っていた街灯の天辺へと飛び移る。
体重を感じさせない絶妙なバランス感覚を発揮して着地すると、すぐさま次の街灯へと軽やかに飛んでいく。
鈍重な肉体から解き放たれた恍惚感がミコトを夜のパルクールへと送り出していた。
◇◇◇
一方、ミコトの読み通り風呂に入っていたソフィア。
「ふーっ、いい湯だったわってお世辞でも言えないのがこの寮の辛いところよね」
湯浴みを済ませ、純白のパジャマを着た姿で寒々しい廊下を歩いている。
パジャマのチョイスはミコトが好みそうな清純さを意識してのものである。
(あたしの性格は今更変えられないけれど、お化粧やファッションは気に入ってもらえるようにしたいものね)
「ミコト君何してるかなー」
風呂好きの彼のことだ。
今頃長湯しているかもしれない。
あるいは逆に風呂への不満のあまり、烏の行水という場合もあるだろう。
だとすると、ミコトは夜更かしをしないのでもう眠っていると考えるのが妥当だ。
(そういえばお風呂もベッドも叔父さんの部屋ってかなり立派なのよね。どうせなら泊まっていけばよかったかしら。3人で川の字になって寝るのも楽しそうよね)
大人3人であっても存分にくつろげる広さのバスタブとキングサイズのベッド。
リチャードが女性を連れ込んで甘いひと時を過ごすためにしつらえたものだろうが、ソーマとやらが手に入るまでは本来の役目を果たす機会は当分あるまい。
(そのうちミコト君とお泊りに行きましょ。それと、そうね。パパも一緒に泊まったら絶対に面白い展開になるわよ)
幼女と化した弟を、最近生え際が厳しくなった年頃の、真面目を絵に描いたような兄が見たらどう思うのか。
思考実験を試みてソフィアはたまらず噴き出した。
「だめ……くくっ、お腹がよじれちゃいそう。叔父さんの性格からして女の子になっちゃったこと、パパには黙っているに違いないわ」
いつか絶好のタイミングを計って兄弟の邂逅を実現させてやろうとほくそ笑む。
ソフィアは叔父のいる冒険者学園を選んだのは正解だったと思いながら窮屈なベッドの上で眠りについた。




