12話 惚れやすい女
パーティーを結成したその日から仲間とベッドの上で相撲をとった冒険者がこの世にどれだけいるだろう?
決まり手は押し出し。
初戦を白星で飾る快挙である。
(快挙じゃねーよ!!とにかく謝らないと!)
叩きつけられたのは柔らかめのマット。
ノーダメージとはいえ異性に乱暴にされて快く思う人はいないはず。
しかし、ソフィアの方は押し倒されてもミコトを責めるつもりはなかった。
(あっちゃー、なんかムラムラッときて抱きついちゃった。反省反省)
むしろ申し訳なくさえ感じている。
発端は自分の行為だったのだから。
明晰な頭脳を無駄働きさせて、ほんの数秒とりとめのない思考に浸っていた。
(そういえば男の子とこんなことしたのって初めてじゃないかしら)
友情の延長線上で女同士じゃれ合ってというなら何度もある。
(ミコト君に偉そうなこと言っといてまだ誰とも付き合った経験がないのよね、あたし。恋愛初心者ってのは人生経験豊富なおねーさんのイメージが崩れるから秘密にしときましょ)
「すみません!ソフィアさん大丈夫ですか!?」
ミコトが差し出してきた手をソフィアは握り返して「大丈夫よ。こっちこそ調子に乗っちゃってごめんね」と謝る。
(男の子の手。最後に繋いだの高校の文化祭のフォークダンス以来だっけ)
昔からソフィアはよくモテた。
今しがた思い出していた高校での文化祭の話をピックアップすると、フォークダンスで踊った男子生徒は感涙さえしていたものだ。
(『この手を洗わない。僕の魂ごと洗い流してしまう気がするから』なんて背筋の冷えるセリフを言わなければ、あたしから告白して付き合ってもよかったのになー。イケメンだったし)
成績優秀でサッカー部のエースで、女の子の間では競争率が高い男子生徒だった。
ソフィアへの好意がキモいセリフを臆面もなく吐いてしまうほどにはあった。
だが、そのイケメンは一度きりでいいから思い出が作れれば満足だったのだ。
気持ちが通じ合った末、晴れて交際するという展開までは想像が及んでいない。
ソフィアはモテているのには違いないのだが、『好きだ』とか『付き合ってくれ』とか『愛してる』だとかストレートな告白を受けた試しがなかった。
才色兼備で、誰とでも分け隔てなく接するクラスの人気者は高嶺の花だったのだ。
ソフィアが望まずとも周りが勝手に決めてそうなった。
だから男達は気後れして友情より先は求めてこなかった。
かくして大学卒業までの間、ソフィアはみんなにとっての良いお友達であり続け、誰からも一線を越えようとはされなかったのである。
では、ソフィアの方からはというと、『あたしたち付き合っちゃう?』などと軽い調子で言うものだから『ソフィアさんにはもっといい男がいるよ』と本気に取り合ってもらえないか、『からうかうのはよしてくれよ。おれなんかじゃ釣り合う訳ないだろ』と有耶無耶にされるかのどちらかで終わっていた。
この話を友人達が聞いたら誰もがあり得ないと驚愕するだろうが、実はソフィアは振るよりも振られる側だったのだ。
故に23歳まで純潔を保ってきている。
(ミコト君の指、見た目より力強くてごつごつしてて硬い。冒険者の手ってこんな感じなのね)
ソフィアは子供の頃、父と手を繋ぐのが好きだった。
父の手は幼かった彼女には大きくて温かったが、力仕事とは無縁のオフィスで働く人の手指だった。
今なら成長したソフィアの方が握力があるかもしれない。
なんなら腕相撲したって余裕で勝利できる自信がある。
忙しい立場にありながら愛情をもって育ててくれた父への尊敬は決して失いはしないが、雄々しさはというと他の男達に後塵を拝するかもしれない。
(パパの手。今握ったら小さく感じるのかしらね。そう考えるのはちょっと寂しいからやめておくとして)
同級生の手はどうだったか?
覚えていない。特に印象に残らない普通の手だった。
命の危機に怯えることもない、普通に学校に通って、平和に日常を送る。スクールカーストの上位にあるというだけの平凡な男の子の手だ。
隣にいる男の子は見た目こそ平凡。けれどダンジョンに潜ってモンスターと戦うという非日常の世界に生きている。
ソフィアが今触れているのはそんな男の子の手。
(ミコト君、大人しそうな顔してるけど、とっても男らしい手をしてるわ。この子無自覚なギャップであたしを萌えさせてくれるわね。こうしてる今なんかそうだわ。普通の男の子に見えてすごく姿勢がいいのよ。佇まいがいいところのお嬢様みたいな気品があるもの)
新しい発見に思わず唇が弛んでしまう。
『恋愛対象として見るにはあと少しかな?』と思っていた相手から男性らしさや意外性を感じさせる部分を見つけて、キュンと甘酸っぱい胸のときめきを覚えていた。
「あの……ソフィアさん」
「なあに?」
「その、手……」
いつまで握っているつもりだと言いたいのだろう。
ソフィアはとっくに身を起こしている。介助の必要はなくなったのだ。
「やだ。もうちょっとこのまま」
子供のように駄々をこね、キュッとより強く握った。
「ええ……」
戸惑うミコトだったが、抱きつかれるよりは断然ましだ。
好きにさせてやることにした。
(リア充の世界では手を繋ぐ程度、挨拶代わりなんだろう)
ヤマトのお遊戯。かごめかごめや、はないちもんめに混ざれなかった幼少期の痛ましい記憶がその推測を裏付ける。
手繋ぎはリア充の嗜み。
そう多大な勘違いをしてミコトはなすがままになった。
ソフィアはソフィアで、じっくりと触れる機会を得た男の子の手に興奮していた。
(やーん、たまんないわね。この子の手エッチだわ!エッチすぎる!血管の浮き具合とか、骨の角ばった感じがステキだわ。パッと見地味なメガネっ娘を脱がせたらガッツリエロい体した巨乳ちゃんだったようなものよ)
女の自分にはない指触りを堪能しながらデスクに預けていたビールを取って一口飲む。
格別のうまさだった。
(幸せだわ。あたしはこういう青春を送りたかったのよ)
そこでふと、ミコトが飲み物の袋に手を伸ばそうとしていたのを思い出す。
口直しを欲しての行動だったのはおにぎりを食べていたことから明らかだ。
お茶を出してあげよう。
そう思い立ち、ビールを再びデスクに戻す。
「ミコト君お茶飲みたいでしょ?」
「はい、まあ」
「ちょっと待っててね」
ソフィアは手を繋いだまま離さず、
(はしたないけど許してちょうだい)
お茶の缶を太ももに挟み込んで固定する。
冬物の生地の厚いスカート越しだが、腿の輪郭がくっきりと浮き出た。
その光景を視界に収めたミコトが頬を朱に染めてそっぽを向く。
(あ、照れてる。男の子って可愛いなあ。仕草を見てるだけでキューンってきちゃうわ。そりゃあたしってば割と些細なことで人のこと好きになるけど、年下好きだったのかな)
そんな自己分析をしつつ片手でプルタブを開けた。
「召し上がれ」
「あ、ありがとうございます」
腿の圧力を受けてわずかにへこんだ缶をミコトはそっと受け取る。
缶の開け方はさておくとして好意は好意。勿体ぶらず口をつけるべきなのだが、その寸前で動きを止めた。
指先からソフィアの肌の温もりが感じられたような気がして飲むのがとてつもなく恥ずかしい。
彼女の横顔を覗き見みるが、既にこちらを見てはおらず唇をニマニマとさせては満足気にビールを飲んでいるだけだ。
ミコトの手にうっとりと見惚れているようだった。
時々感触を楽しむように力加減を変えてくる。
絶世の美女が自分の手を嬉しそうに握っている状況。
男ならば否が応でも皮膚が汗ばみ、胸が高鳴ってきてしまうだろう。
ミコトも例外ではない。
結局平静を保つためのポーズにちびちびとお茶を飲み始めた。
「ねえ、ミコト君」
やにわに名前を呼ばれる。
「……何ですか?」
反応を示すと、
「えっへへぇー♪」
笑った。
アルコールが程よい感じにまわって楽しくなってきたのだろう。
「ねえねえ、ミコト君」
「はい」
「今日は2時間しか働かなかったけど、明日はもっとガンガンいこーね」
「そうですね。ソフィアさんセンスがありますからダンジョンのレベルを上げてもいけると思います」
(ゴールド以上の部屋は男女で同棲ができたわね。全部屋防音だからどんなに乱れても周りからお咎めなし。早くお金を貯めて爛れたイチャコラ生活を満喫するわよ)
少年の指を愛しむように撫でながらソフィアはビールの缶を傾けた。




