11話 目指せ!シルバークラス
ミコトの部屋について一言で感想を述べるなら『殺風景』だった。
「お邪魔しまーす。うんうん、よく片付いてるじゃない」
「散らかすほど私物を置くスペースがないとも言いますね」
ソフィアの発言にミコトはぶすっとした顔をして言う。
しかし、彼女はミコトの態度と皮肉が全く通用しない面の皮の厚さのようで、青筋を立てるだけ無駄だと嘆息させられた。
言葉は通じても価値観に差異があるのだ。
カマクラの大学を卒業したと言ってもその当時は遊び盛りだっただろう。
リア充大学生の巣窟、槍サーとやらでウエーイ!と熱心にお突き合いしているうちに倫理観や貞操観念が崩壊したに違いない。
ここは我が子を見守る慈母のような寛容さでお相手仕るべし。
ミコトはそう腹に据えた。
そして一方。ミコトの態度の変化をソフィアは敏感に察していた。
からかいの表情を収め、当たり障りのない話題に繋げる。
「強制的に断捨離はキツイわね。デバイスのアイテムボックスアプリがなかったらとても暮らせないわよ」
「整理整頓が苦手な人だといざダンジョンでアイテムを回収しようとしたときに容量不足で泣きを見ることになるらしいですよ。オリジナルデバイスならその心配はいらないですけど」
オリジナルデバイスが認識する異界はモデルにも左右されるが、個人にとってはほぼ無制限と言っていい量の荷物が入る。
人によっては冒険のためのツールというより巨大な倉庫として認識されていることもある。
「そのオリジナルデバイスの値段で豪邸が立つのよね。どっちを先に買ったらいいのかしらね」
ソフィアはミコトのベッドに腰かけてそう言った。
「豪邸は無くても困りませんが、オリジナルデバイスは最終的に必須です。蓄積できる生体エネルギーの量が桁違いですから」
「そうね。レベルの限界を突破するためでしょ?」
「はい。霊体拡張に必要な生体エネルギーを、自前の霊格とコピーデバイスのカセットに貯められる分では賄えなくなる時が必ず来るからです」
男としてのミコトは特に霊格の数値が低い。
現在のレベルは10。レベル11に上がるためには600必要になるが、霊格に貯められる限界はわずか500。
コピーデバイスに内蔵されたカセットの補助なしにはレベルを上げることもままならない。
「オリジナルデバイスも豪邸も今の俺達には遥か遠い。まずは目先の目標を設定しましょうか」
折り畳み式のパイプ椅子をデスクの下から取り出して腰かけながら言うとソフィアは同意して頷いた。
「ん~生活環境の改善からかしらね」
「ええ、シルバークラスの寮に入れるぐらいの収入を目指しましょう」
(レベル上げの効率はソフィアさんと組んだことで解決できる。金銭効率も求めていけるはずだ)
「目下のところそれが最優先ね。夜中壁の染みからうめき声が聞こえてこない快適な住環境、アイテムボックスを圧迫しないだけの物を置くスペース。どれも重要だわ」
ソフィアがコンビニの袋から飲み物を取り出しながら合いの手を入れる。
(うめき声?俺の部屋は聞こえないけどな……)
シルバークラスは2DKで一人暮らしには十分なスペースを確保した間取りとなっている。
それぞれの個室にトイレ付きで風呂は大浴場に変わりないものの、しっかりと手入れが施されている上、改装工事が何度も入っているので設備・衛生面共に申し分なく、ブロンズクラスと比較すれば雲泥の差だ。
家賃は年費90万程である。
「はい、ですけどソフィアさん。一つ大事なものを忘れてますよ」
「大事なものって?ミコト君、どれ飲む?ここの法律なら16歳から飲酒できたわよね」
「酒はダメなんでオレンジジュース下さい。お風呂です」
「お風呂?」
オレンジジュースの缶を片手に大人しげな顔を最大限に引き締め、どこか遠くを見つめるようにしてミコトは語る。
「はい。食べるものに困っても、着るものに困っても、人間お風呂だけは入らないと駄目です。シャワーだけで済ませようなんて人は人生の200%を損してます。お風呂に入ってしっかり眠って初めて人はやりたいことができるようになるんです。どんなに嫌なことがあっても耐えられるんです。お風呂は明日への活力なんです。人類の文化の極みなんです。地上に残された唯一のニルヴァーナなんです」
ミコトにしては語気を強めた力説にソフィアは怯んだ様子で、「お、おう、そうよね。あたしもお風呂大好きだし」と応じる。
(ああ、実家には帰りたくないが実家の檜風呂だけは恋しい。学園を辞めて女の子として生きる道を選べばいくらでも……。それともプラチナクラスの待遇を蹴ったのはまずかったか。いやいや、そんな情けないことできるか!悪魔の囁きに負けるな!何のために同級生から使えないヤツだと評価されるのを甘受してきたっていうんだ!俺が求める至高の風呂は苦労して手に入れるからこそ価値があるんだろう!)
「キミ、百面相みたいにコロコロ表情が変わって面白いわね」
最初はミコトの狂おしいほどの風呂好きにちょっぴり引いていたソフィアだったが、眺めていて飽きない顔だったので、微笑ましい気持ちになっていた。
「あ……」
熱く語ってしまったことに遅れて気づき、顔を赤くするミコト。
「ミコト君、そんな硬い椅子じゃなくて隣に来なさいよ」
ソフィアは気にせず柔らかい笑みを浮かべながらベッドをぽんぽんと叩いて誘う。
「大丈夫。とって食べたりしないから。今は」
「安心していいんですかね。それ」
人一人分の距離を置いてソフィアの隣に座るミコト。
するとソフィアはすぐに間を詰めてきた。
「何で離れたところに座るかな?おねーさん傷つくじゃない」
顔をむくませてミコトをなじる。
そうは言っても身内以外の異性とこれだけ間近に接近したのはゼロ距離の自分自身を除けば初めてなのだ。
尻込みするに決まっている。
「す、すみません」
「キミはまず女の子に慣れるとこから始めないとね。このままだと手も繋げないわよ。ま、お説教はこの辺にして飲みましょうか。あたしとキミの出会いを祝して乾杯」
互いに缶の腹をぶつけて中身をあおった。
「んーーーっ!おいしーいっ!働いた後のビールはやっぱり最高ね!平日の昼間から飲むビール最高!」
爽快感にソフィアが大きく息を吐く。
「ミコト君、お菓子何から食べよっか」
「スルメで」
「お、話がわかるねえ。ヤマト人のおつまみときたらやっぱりスルメよねー」
「それと梅おにぎりは俺が食います」
昼食がまだなのでおつまみの他にも色々と買ってある。
ミコトは手渡されたスルメイカをリスのような顔で咀嚼して飲み込むとおにぎりにかぶりついた。
これらをオレンジジュースで流し込むのは嗜好に反するので温かいお茶が欲しいところである。
飲み物の袋はソフィアの右隣にある。
そこへ手を伸ばそうとすると、急に柔らかいものに視界を塞がれた。
「ヘッヘッヘー、抱きついちゃった」
ミコトの顔面はソフィアの双丘に沈んでいた。
(なんだこれ?ふわふわに柔らかいのに弾力があって甘くていい匂いがする。ってこれって!まさか!おっ……!)
「おっぱい揉ませてあげるって言ったじゃない。キミの場合奥手そうだからあたしからやってあげようかなって」
ソフィアの中では例の示談が成立したことになっていたらしい。
「ソフィアさん悪ふざけは大概にしてください!もう酔っぱらっちゃったんですか!?」
抱擁から何とか抜け出して抗議する。
「二口しか飲んでないのに酔うわけないじゃない。素面に決まってるわよ」
確かにソフィアの顔に赤くなった様子はなかった。
笑顔にもしまりがあって、酔っぱらい特有の浮わついた感じもない。
ソフィアはどこまでも正気だった。
「なお悪いですよ!」
「やりたいことをやって生きるのがあたしのポリシーよ。それにキミも満更でもなさそうだし」
「うぐ……」
事実であるだけに反論できない。
「それにしてもキミっていい匂いするよね。んー、どこかで嗅いだ気がするんだけど。ね、どこのシャンプーとボディソープ使ってるの?あたしも同じの欲しいなー」
また抱き締められてしまう。
極狭の三畳間だ。ミコトに逃げ場はない。
「ほらほら、早く言わないともっとぎゅーっとしちゃうぞ♪」
「むーっ!むーっ!」
「ぎゅーっ」
即答してやりたいのはやまやまだったが、胸に唇を塞がれていては声は言葉にならない。
力ずくで引き剥がすしか他に方法がなかった。
「どっせい!」
気合の掛け声とともにソフィアの両肩を掴んで力任せに押した。
「きゃっ!」
数値上の筋力差は倍以上ある。
ソフィアは抵抗もできず仰向けに倒れた。




