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10話 学生寮

 

「ミコト君のお隣に越してきたのねあたし。すごい偶然だわ」


 ブロンズクラス学生寮。

 お世辞にも清掃が行き届いているとは言い難い古びた階段の踊り場でソフィアがそう言った。

 二人の片手にはコンビニの袋が下げられている。

 リチャードから一万の軍資金を得たので最初は学園の外にある店に行こうかという案が彼女から出たのだが、「いくらなんでも平日の昼間から未成年の男の子とお酒を飲みに行くのは論外よね」と言い出しっぺが自重したので宅飲みにしようという結論に落ち着いた。


(セクハラ発言さえなければちゃんと良識はあるんだよなこの人。ってそんなことを考えたら失礼か)


 ソフィアが超高学歴のエリートと知ってから信用度を高めるミコト。

 ところがだ。もし彼が鋼鉄姫に変身していた場合は和気藹々とした親睦会などと生ぬるい展開とはならない。

 居酒屋で酔い潰された挙句、目覚めた先はラブホテルのベッドの上となるだろう。

 そこで行われるのは大人の保健体育の授業である。

 ミコトは隣にいる女が美少女に飢えた野獣とは知らず、のほほんとした顔で会話に応じる。


「ブロンズクラスでよかったんですか?家賃はべらぼうに安いですけど住み心地は最悪ですよ。隣室の生活音なんてほぼ筒抜けの壁の薄さですし」


 一流企業勤めで贅沢な暮らしに慣れた女性にはさぞ不便が多かろうと思われた。


「できれば住むところはまともな物件にしたかったんだけどね、貯金をほとんど使い果たしちゃってるからいいも悪いもないのよ」

「そうなんですか」

「色々と事情があってね。そこら辺は追々話すわ。で、この寮の住み心地に関しては完全に同意よ。個室って点を除けば刑務所より酷いんじゃない?床は斜めになってるし、エアコンは1時間したら勝手に切れるし、壁に人の顔みたいに見える染みがあるし、お風呂場は汚くてボロボロだし」


 色々と苦言を呈さずにいられない居住環境だが、大の風呂好きを自認するミコトにとっては浴場の情報こそが重要だった。

(浴場は男女であまり差がないのか。厳しいな)


「だから初めは叔父さんの家に転がり込もうかと思ってたんだけど、あの人女ったらしだから身に覚えのない誤解を受けて修羅場に巻き込まれるのは勘弁させてもらいたいのよね」


 その発言を受けてミコトは意外そうにソフィアの顔を見た。


「リチャードさんが?真面目で仕事熱心な職員さんだと思ってたんですけど」


(スキルを濫用するきらいはあるけど、あれは相談に乗ってくれようとしてただけだよな。俺があの力で悩んでた時にアドバイスみたいなのをもらったし)


「チッチッチ、甘いわよ。甘々だわ。カマクラ大仏前のお茶屋さんのあんみつパフェくらい甘い」


 ソフィアは指を振ってミコトの人物評を否定した。


「ミコト君が美少女だったらチョロすぎて今頃叔父さんに美味しく食べられちゃってるわよ。性的に。発育がそこそこよくて品性が備わっていれば女子高生だって守備範囲なんだから。そのくらいの年の子だと今までに5、6人くらい付き合っては別れてるわよ」


(いくら美少女でも中身が男だったらないんじゃないかな?)


「イケメンの人生謳歌しまくってますね。独身なんですか?」

「独身よ。女の子をとっかえひっかえしないと満たされない性分みたいね。叔父さんさ、若い頃に負った怪我のトラウマで冒険者を引退したんだけど、この分じゃモンスターの攻撃じゃなくて包丁傷で人生終わるんじゃないかしら」


 ソフィアは冗談めかして言ったが、ミコトはリチャードがアイテム鑑定士となった背景を本人の口から聞かされていただけに笑えなかった。


「辛いことがあったんですよね。だったら誰かに救いを求めてもいいのかなとは思います。もちろん相手と納得した上で後腐れなく別れていればの話ですけど」


 大勢の男が羨むほどの美男で、そこそこの富と地位を手にしている男が唯一渇望していた冒険者としての栄達だけは捨てざるを得なかった。

 その無念いかほどのものか。


(冒険者の才能がなかったってそういうことだったのか。体の傷は治っても心はずっと折れたままだったんだ。体は動く。なのにモンスターの前では心が言うことをきかない。悔しかっただろうな。交際相手を次々と変えていたのは心の傷を癒してくれる人を探していたからなのかも)


 ミコトの心中は顔に出ていたらしい。

 どのような想像を働かせているのかソフィアにはお見通しのようだった。


「やっぱりキミって優しいわねえ。でも同情なんてするだけ損よ、大損。むしろ誰かがお灸を据えてやるべきだわ」


 井戸端の奥様的スマイルを浮かべながらチャッチャッと手首を振った。


「叔父さんの女好きは生まれつきなんだから。幼い頃から女の子との武勇伝に事欠かなかったそうよ。パパは年の離れた弟だっただけに接し方が難しかったみたいでね。随分と手を焼かされたそうだわ。例えばそうね、叔父さんが小学生の頃3股かけてて別れ話が盛大にこじれてたのを仲裁する羽目になったとか、その後全く懲りずに中学生で5股してたんだけど、迷惑をかけた娘と彼女達のご両親に土下座して回ったエピソードとかあるわよ」


 当事者本人が頭を下げに行けばかえって問題を悪化させることがあるだろう。

 ソフィアパパは弟の代理として尻拭いをして回っていたというわけだ。


「苦労してますね……。ソフィアさんのお父さん」

「まあね。時々思うのよ。パパの発毛前線の後退っぷりは心労じゃないかって。今でも叔父さんが問題を起こさないかってビクビクと怯えてるのかも。パパはママ一筋だからね、弟が別の生物みたいに見えてるんじゃないかしら」


 何とも気の毒な話だった。

 しかし、ここにも一人分の愛では満たされない女がいるのを忘れてはならない。

 ソフィアはそのことに素早く勘づき、ミコトが言葉を発するのに先んじて口を開いた。


「言っておきますけどね、同じ節操無しでもあたしは叔父さんみたいな無責任なことしないわよ。粉をかけた子はみーんな幸せにしてあげるんだから」

「えっと……」


 恥ずかしさに俯いて口ごもるミコトに、「キミもその内の一人なんだぞ」と以前にも見せた胸がどきりとする魅力的な微笑みをたたえて言った。


(こういう時どんな顔をしたらいいんだろう)


 曇りのない好意に応える術をミコトは持たない。

 また冒険者としても男としても半人前の自分が恋愛対象になり得るのだとはどうしても思えなかった。

 さりとてソフィアからの求愛を袖にすれば今後異性から好かれる機会は二度と来ないかもしれない。


(ソフィアさんのこと綺麗だとは思うけど、好きかと言われたらまだ分からない)


 人は所詮相手の上辺だけしか見ないで恋愛をしているのかもしれない。だからといって相手を知ろうとする努力を怠っていいわけではないだろう。


「こんなところで立ち話をするのは迷惑ですし、場所を移しましょうか。せっかくの冷えたビールが温くなっちゃいますよ」


 ミコトは考えを保留にして話題を切り替え、階段を上る。

 何も結論を焦る必要はないのだ。これからじっくりとソフィアの人となりを知っていけばいいだろう。


「そうね。暑いところ行っていっぱい汗かいちゃったからもう喉が渇いてしょうがないのよ。じゃ、どっちのお部屋で飲もうか?」


 寮の談話室や学生食堂など、多数の学生が利用する共有スペースでの飲酒は原則として禁止されている。

 酒を飲むなら寮の個室か学園の敷地外でなければならないが、異性の寝室に入るのも異性を寝室に招くのも16歳の少年にとってはハードルが高い。


 顎に手をあてて考え込む仕草をすると、すぐに妙案らしいものが脳裡に閃いた。


「ここは間をとって各々の部屋で盛り上がるということでどうでしょう?」

(素晴らしい。完璧な折衷案だ)


 ミコトなりに自信をもって提案したのだが、ソフィアは『流石はミコト君ね』などと褒めたりはしなかった。

 その逆だ。


「全然間をとってないわよソレ!?キミのぼっちをこじらせすぎた発想に脱帽よ!あたしと親睦を深める気あるの!?」


 盛大なツッコミが入った。


「選択肢を与えたあたしが馬鹿だったわ。キミの部屋にしときましょう。決定ね!拒否権はないわよ!」


 有無を言わさぬ気迫に圧されてミコトはこくこくと頷いた。

 

 ソフィアは腰に手を当てそっくり返ると、

「よろしい。武士の情けよ。エッチな本を隠す時間くらいは与えてあげるわ」

 温情を示した。


「ありませんよ!そんなもの!」


 今度はミコトが真っ赤になって言い返す。

 するとソフィアは「ムキにならなくたっていいじゃない。健康な証拠なんだから」とまるで信じていない顔をしながら茶化した。


(この人はこういうところさえなければ尊敬できるのに)


「本当にありませんから!どうぞ!入ってください!」


 乱暴にドアを開けて入室を促す。

 反動で錆びた蝶番が軋み、嫌な音を立てた。



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