9話 お借りします
「いいでしょう。早速品物を拝見させていただくとしましょうか」
リチャードがソフィアの親戚から仕事人としての顔に戻る。
「ねえねえ、ミコト君。今日出てきたアイテムにレアドロップってあったりする?」
「あったとしても大した値段はつきませんよ。所詮はレベル1ダンジョンのアイテムですから。一攫千金はダンジョンにもよりますけど、レベル10以上で尚且つフロアボスのドロップでもないと難しいでしょうね」
雑談しながらカウンターの上にアイテムを並べていく。
虫の外殻のようなアイテムの持ち主の残滓だとうかがわせるものから、金属の破片が混じった鉱石、黄色い油のようなものが詰まった小瓶など様々な種類の品物が陳列された。
「ふむ、ふむ」
リチャードは一目で全体の価値を把握したらしい。
猛烈な勢いでノートパソコンのキーを叩いていく。
脇から覗き見ると表計算ソフトの画面だった。
アイテムごとの数量と値段の明細を作成しているのだろう。
5分後。
「お待たせしました。今明細表をプリントアウトしますので。電子版が必要であればすぐにでも学内ネットワークで取得できますよ」
リチャードの説明を受けてから数秒後、カウンターの傍に置かれた複合機が駆動音をたてる。
そこからA4のコピー用紙が2枚印刷されて出てきた。
紙面には買取りの内訳が印字されている。
「えーと、全部で合計3000。安っ!これって二人で山分けして1500ってことでしょ?ダンジョンの滞在時間は移動含めて二時間ぐらいだったから時給換算すると750。ここのコンビニでバイトするより時給安くない?」
購買部コンビニスペースの時給は950である。
ミコトは首肯して、
「その通りですよ。これに装備のクリーニング代や矢代も含めた支出を差し引きすると純粋な利益はもっと下がりますね。ですので少しでも手元に残るお金を増やしたいなら、冒険のために受けたサービスや補給した物資のレシートはきちんと保管しておきましょう」
助言も付け足すとソフィアは真面目な顔をして口を開いた。
「経費扱いになるからよね。確定申告の時、税金の控除をしっかり受けられるように分類しておきなさいって言いたいんでしょ」
真っ当に社会人をしていただけあってソフィアは大人の事情に敏い。
「そうです。冒険者は個人事業主扱いですから」
「会社が年末調整で一括してやってくれるわけじゃないものね。プロの冒険者だと税理士を雇ってる人が多いんだっけ?」
「ええ、ですが時給750では税理士を雇った時点で大赤字ですから、必要になるほど稼ぎが増えればいいですね」
「今はあたし達でやりましょうか。ミコト君、今年の確定申告あたしが手伝ってあげよっか?仕事は専ら営業をやってたけど税金の計算だって難なくできるわよ」
ソフィアの申し出にリチャードが口添えをした。
「お言葉に甘えていいと思いますよ。ソフィアは身内の贔屓目を抜いても優等生なんです。カマクラにある幕府直轄の大学を卒業してるんですよ」
この情報にミコトは驚きに目を瞠った。
(カマクラの大学!?ソフィアさん滅茶苦茶エリートじゃないか!)
ヤマトでは知らぬ者のいない最高学府である。
その卒業生の知恵を借りられるなら頼もしいことこの上ないだろう。
「さらに就職したハチマングウ証券では営業成績1位の若手のホープだったそうですよ」
ハチマングウ証券。これまたヤマトでは高い知名度を誇る大企業である。
「驚きました。ソフィアさんすごいキャリアウーマンだったんですね」
「ええ、収入に関してはアイテム鑑定士の月給と比べれば月とスッポンと言っていいでしょうねえ。羨ましい限りです」
ちなみにリチャードは国家公務員であり、年収は800万である。
彼も職業や給料においてはエリートの範疇だが、ソフィアは入社一年目でその3倍は稼いでいる。
(こんなすごい人がどうして安泰な人生を捨てて冒険者になろうと思ったんだろう。一流証券会社勤務で出世コースに乗ってるなら愛人だっていくらでもとは言わないけど何人かは囲えそうなもんだけど)
手放しに誉められたソフィアは照れたようにはにかんだ。
「まあ、ちょっと人よりお勉強が苦じゃなかっただけよ。人と接するのも好きな方だってだけだし」
そのちょっとの差が大きいのである。
世の中大半の人は勉強や努力が嫌いだし、ミコトのように人付き合いが苦手な人間なんてごまんといる。
「でも、ダンジョンじゃあたしがどこの大学出て、会社でどんな成績を出したかなんて関係がないんだわ。生きるか死ぬかだけよ。怪我したって労災は下りないし、引退しても失業給付は出ない。名誉とか経歴に意味なんてなくて、社会保障もなく体一つで生き延びなくちゃならない。そんな原始の世界にあたしは自分の意思で足を踏み入れた。そこにしかあたしが望むものがないからよ」
ダンジョンの前では誰であろうと一人のちっぽけな人間に過ぎないのだと言いたいのだろう。
ソフィア・カンザキ、一身を賭して世界に挑む。
彼女が内に秘めていた覚悟の表明だった。
「ミコト君、あたしのことは変わらず駆け出しのぺーぺーのつもりで扱って頂戴。今回の冒険で実際に体験するってことがどれだけ重要か骨身に染みたわ」
「はい」
短くも力強く、ミコトは返事を返した。
「今日のところは打ち上げでもしましょうか。あたし達出会ったばかりなんだから親睦を深めないとね。ミコト君この後予定ある?」
「いえ、特にないですけど。打ち上げをするのは構わないです」
元々疲れるまでダンジョンに籠る予定で、帰ったら翌日に備えて体を休めるつもりだった。
(ソロよりもペアの方が遥かに効率がいいって分かったし、意思疎通が図りやすくなれば効率は更に増すかも。断る理由がないな)
「決まりね。叔父さん、そろそろお暇するわ」
踵を返そうとするソフィアだったが、リチャードがそれを引き留めた。
「待ってくださいソフィア。まだ精算は終わっていませんよ」
「明細も報酬ももらったじゃない」
「買取りできないアイテムがあったんですよ。これです」
カウンター上のアイテムから一つを指差す。
ハート型をした真っ赤な果実だった。
離れていても漂う熟れた甘い香りは糖度の高い果汁をたっぷりと詰め込んでいるのだろう。はちきれそうなほどに表皮が膨らんでいて瑞々しい。
「非常に珍しいレアドロップには違いないんですが、日持ちしない生鮮食品なので値段がつかないんです」
食品なら売れなくても仕方ない。
ミコトはその事情を知っていたので落胆はしなかったが、ソフィアはどうにかして価値を見出したいらしい。
「珍しいんなら資料価値とかはないわけ?ていうか生鮮食品って、それ食べられるの?」
「まず、研究者からの需要についてお答えしましょうか。かなり難しいと言わざるを得ないでしょう。これはもってあと二日がいいところです。それ以上は買い手がつく前に腐って調べようがなくなります。冷凍保存ができますが、その場合保管日数に応じて結構な額の手数料がとられます」
冷凍保存の手数料とやらを見たソフィアは渋面になった。
「うへ、地味に高いわね。手数料以上の値段で売れなかったら赤字じゃない」
「同じ植物でも回復ポーションの原料として大量消費される薬草のような、産業的に価値がある品ならともかく、希少すぎて相場が固まっていないものは値段のつけようがありません。捨て値で売り払うか、寄贈するしか道はないでしょうね。更にダンジョンの植物は種を持ち帰ってもどういうわけか発芽しませんから生体資料としても微妙です。有益な薬効が確認されたとしても、原料の数が乏しい、栽培も不可能となれば薬として製品化することができませんからね」
結局のところアイテムの価値というのは、一次産業にせよ二次産業にせよ金になるかならないかが基準である。
「レアはレアでもハズレアってやつかしら」
「苦労して倒したフロアボスのドロップが用途のないガラクタだったという話なんていくらでもありますよ。骨折り損のくたびれ儲けは冒険者の宿命です」
「苦労っていうか、このアイテムを手に入れるまでになかなか得難い経験をさせてもらったわね……」
『得難い経験』とやらの何割かはミコトに責がある。
ソフィアからじっとりと根に持つような視線を向けられてミコトはおどおどとして肩を縮めた。
「話を本題に戻すとしましょう。これは食用で間違いありません。人体の健康を損なう毒もないですね。それだけは私の鑑定眼が保証します。今日の内に食べてしまった方がいいでしょう」
「何ていう果物なの?」
「私も初めて見ます。データベースにないか調べてみましょうか」
リチャードはスマートフォンで果実を撮影すると、何かのアプリケーションを立ち上げた。
画像から植物の種類を判定するものだろう。
「ふむ、この果実には"ミチャカフルーツ"という名前がついていますね。極上の美味である―――としかデータにありません」
「ふーん」
ミチャカフルーツという果実。実はスケアリーフライからドロップしたアイテムである。
ソフィアにとって忘れようのないトラウマを刻んだ因縁の品であり、いくら美味かろうと、どれだけ念入りな洗浄を施そうと食べたいかと言われれば絶対にノーだった。
(美味しいって言われてもねえ……。ハエのお汁まみれだったわけよコレ。中に蛆とか詰まってたら発狂する自信があるわ。でもベテラン鑑定士ですら見たこともないレアだってのを聞いたら捨てるのももったいないし、ここは叔父さんに押しつけちゃいましょ)
「ねえ、叔父さん。鑑定士として換金できないなら個人的に買い取ってくれない?千でいいから」
「甘い果物に目がないソフィアにしては珍しい」
「その分打ち上げを豪華にしたいのよ。1500ぽっちじゃお菓子とジュースを買ったら発泡酒しか買えないじゃない。あたしは生のおビール様が飲みたいのよ」
「あ、それなら俺も金を出しますよ。貯金するには小さすぎる額なんで」
ミコトが口を挟むとソフィアは気味が悪くなるほどにニッコリとした不自然な作り笑いを浮かべて彼に迫った。
『余計な事言うと尻子玉ぶっこぬくわよ』
ソフィアの表情を言語化するなら、そう記述するのが的確だろうか。
「ミコト君はお金出さなくていいのよー、未成年に酒代を払わせるほどあたしは落ちぶれちゃいないわ」
猫なで声だが、顔からは一瞬にして一切の表情が消え失せている。実に柔軟な表情筋だ。
いいからあたしに合わせなさいよ!という無言の圧力に屈してミコトはコクコクと首を縦に振った。
「えっと、ご馳走になります」
「素直な子は長生きできるわよ。そういうわけで叔父さん。つべこべ言わずお小遣いちょーだい。代わりにミチャカフルーツあげるから」
どんな手段を用いてでも売り払ってやる。
ソフィアの鉄の意思にリチャードは根負けした様子で、「パーティー結成とダンジョンから無事に帰ってこられたお祝いです。一万で買ってあげますよ」と言って、苦笑しながら財布から紙幣を一枚取り出した。
ミチャカフルーツお借りします。




