56話
『コロッケ』。
それはどうやら揚げ物らしい。
食卓の一番端っこに座らされた甘いものの人には先ほどから、熱せられた油のかぐわしい香りと、揚げ物をする時の『あの音』がとどいている。
周囲を見れば席について食事を待つ子供たち。
だいぶ大所帯だ――とはいえ、孤児院育ちの甘いものの人は、こういう大勢での食事に慣れている。
歓迎もされていた。
魔王自ら甘いものの人を席に着かせ、フォークやスプーンなどを配膳してくれたぐらいだ。
だから、居心地はいい。
なんとなく落ち着かない気分なのは、やっぱり自分の中にまだ『魔族』『人間』という区別があるから、だろうか。
孤児――魔族との戦いで親を失った、孤児。
もちろんほかの理由で孤児院にいた子だっていないわけではないが、甘いものの人世代の孤児はだいたい戦災孤児である。
勇者もそうだ。
……だというのに、その勇者は、今、魔王とイチャイチャなにかしてる。
二人の会話を聞く限り、どうにも連想ゲームをしているようだった。
『勇者といえば?』『魔王』『魔王といえば?』みたいな遊びだ。
二人のあいだには年齢差が――あくまで容姿だけで判断すれば――あるので、『恋人みたい』とはまったく思わないが、親子とかきょうだいとか、そういう結びつきを感じる。
なぜだろう――無性に腹立たしい。
魔王が嫌いだとかそういうことはないのだけれど、妙に甘いものの人の神経を撫でるなにかがあった。
たぶん行儀が悪くて気になるのだろう。
「……そういえば、兄さんが食事を目前にして『連想ゲーム』をしてるのは珍しいかしら」
勇者は普段、だいたい突飛な行動ばかりしているが――
食事をするために席に着くと、その瞬間から調理場の方をにらみつけ、一切体を動かさなくなるという特徴があるのだった。
目を逸らしたら自分の取り分が減ると思っているのかもしれない。
なににせよ、そんな野生動物みたいな彼が、今まさに料理が提供されようとしているタイミングで遊びに興じているのは珍しい。
……この家にはかなり潤沢に食べ物があるようだし、そのあたりが影響しているのだろうか。
「コロッケ第一陣ができますよー」
甘いものの人が考えこんでいると、女神がそんな声を出した。
どうやら料理もしないのに(揚げる作業はマンドラゴラ屋にまかせている)煮炊き台のそばでジッと立っていたのは、完成した時にみんなに報せるためだったようだ。
それにしても――『第一陣』。
波状攻撃でもしてきそうだな、と甘いものの人は苦笑した。
「さ、どうぞ、甘いものの人さん」
いよいよ、コロッケが来る。
甘いものの人の目の前にあらわれたのは、揚げたてだからだろう、まだ完全には切れていない油によりキラキラと輝く、平べったい、楕円形の物体だ。
丸い平皿にサラダと一緒に載せられたそれは、手のひらにおさまる程度の大きさだった。
それが二つ、折り重ねられるように、平皿の中央に鎮座しているのだ。
「あとで大皿に山盛りにしてテーブルの真ん中に置きますけど、最初だけは綺麗に盛りつけなどしてみました。テーブルの上にソースがあると思うので、それをつけて召し上がってくださいね。しょうゆで食べる方もいらっしゃるようなので、まあ最終的にはお好みで。……あ、甘いものの人さん、ソースはこの黒いのですよ」
補足してくれたことだし、甘いものの人はとりあえずオススメに従ってみようと思った。
まだ輝きを失わず、揚げたてであることを示すようにシュウシュウと表面で油を爆ぜさせるコロッケに、ソースをかける。
適切な分量がよくわからないので、警戒して少なめにかけた。
黄金に輝くコロッケの上に、黒いラインが二本、引かれる。
さて――なにで食べるべきか。
スプーンか、フォークか。
ちなみに勇者は、一切の迷いなくフォークを握ってコロッケに突き刺していた。
そして、切り分けもせずに口に運び――
「アッツゥイ!」
――絶叫していた。
どうやら熱いらしい――いや『らしい』というか、高温の油に投じて調理をした物が、調理されてから全然時間をおかずに提供されているのだから、熱いに決まっている。
甘いものの人はフォークとナイフを手にした。
まずはコロッケを半分ほどに切り分ける。
サクッ、という手応え。
経験のない軽やかさだ。
切り分けたコロッケの中身は、潰されたじゃがいもだ。
みんなでがんばって茹でたじゃがいもをマッシュしたのだから、間違いない。
だから、その柔らかな感触はすでに知るところだったけれど――揚げられたことにより、さらにもう一段柔らかくなっているような気がする。
四分の一ほどに切り分けてから、ようやくフォークで口に運んだ。
サクッ。
口の中ではじけるのは、予想していた軽やかな食感だ。
同時に熱さが歯を通して伝わってくる――まだ、熱い。まだまだ、熱い。味の前に温度が来る。
甘いものの人は何度か咀嚼し、ようやく口の中が温度に慣れてきて――
ようやく、その優しい甘みにたどりつく。
柔らかな食感の中に隠されていたのは、「ほう」と息をつくような素朴な甘みだ。
噛んでいけばわかる。それはじゃがいもの甘みであり――それから、肉の脂の甘みでもあった。
マッシュ作業が終わったあと、女神が入れていたものの中には、調味料だけではなく、肉もあったのだ。
噛んでいけばわかる――じゃがいも。それをコーティングするようにしみ出す肉汁。
肉は、多くはない。たぶん、じゃがいもに比すればほんのわずか、それこそ調味料レベルでしか入っていないだろう。
それは奇跡的な配分だった。
最初は別々に感じていた脂の甘みとじゃがいもの甘みが、噛めば噛むほど混ざり合い、互いを高めあっていく。
甘いものの人はよく噛んでから飲み込んだ。
そして――四分の一に切り分けたコロッケ、次の一画をフォークに突き刺す。
そこには『ソース』がかかっている。
わずかしかかけていないせいで、先ほど食べたところにはかかっていなかったのだ。
この調味料が、いったいどのように味に変化をもたらすのか――
もはや興味を押し殺すこともできず、一気にほおばった。
サクッ。
軽い歯ごたえ、しみ出す甘み――ここまでは一口目と同じ。
それとは別に、舌にぴりりと触る、辛さ、しょっぱさ。
これが『ソース』の味なのだ。
甘みにプラスされる、しょっぱさと、わずかな辛み。
コロッケは甘みの強い食べ物だ。
そこにまぜていい味ではないように思えたが……
ひと噛みする。まだバラバラだ。
ふた噛みする。少し、まざってきた。
三回噛んで――おどろきに目を見開く。
合う。
『甘さ』としょっぱさが、ケンカをしない。
だが、それ以上に――『じゃがいも』と『ソース』の相性以上に、興味を惹く組み合わせがあった。
それは、『衣』と『ソース』の相性だ。
サクッと軽い食感で第一印象をよいものにするだけと思われた衣が、ソースをかけることで存在感を増す。
『味』の面ではそこまでの存在感のない衣に、ソースをかけて味を足すことで、サクサク食感とソースの塩みが組み合わさり、一つの料理のように感じられる。
サクリ。
ソースと組み合わさった衣の、強いうまさ。
ホクッ。
じゃがいもと肉が混ぜ合わされた、甘く優しいうまさ。
強さと優しさという相反する要素がコロッケ一つに両方詰まっていた。
「おいしいわね」
甘いものの人はつぶやく。
そのつぶやきに反応する者は、いなかった。
いつのまにかテーブル中央には大皿があり、そこにはコロッケが山盛りにされていて、勇者も魔族の子供たちもみな、そちらに夢中になっていたのだった。
「みなさん、たくさんあるので、慌てないでくださいねー」
女神が苦笑している。
――たくさんの食事。
――あらそうように食べる子供たち。
――その子供にまじって同じようにする、勇者。
「……ああ、そっか」
甘いものの人は、先ほど感じたいらだちの理由を知る。
それはきっと――
「もう、兄さんの家族は、ここにいる子たちなのね」
わかっていたはずの事実を、改めて、思い知って――
自分の中にある、幼いころの――勇者のあとをついてまわっていたころの自分が、ちょっとだけだだをこねたのだと。
それがわかって、少しだけ寂しくて――それから、なんだかほんのり、懐かしい気持ちになって、笑った。




