034 まだ見たことのないもの
「お主ら人間がSランクダンジョンと呼ぶ五つの迷宮、黒の迷宮、白の迷宮、紅蓮の迷宮、群青の迷宮、深緑の迷宮。そのうち黒と白はお主らと我の手で落ちた。残すは三つ。そのすべてを攻略した時に手に入るアイテムが、霊峰への道を開く鍵じゃ」
「霊峰への鍵?」
「まず常人は霊峰に行くことすらできない。環境に適応できぬ者は淘汰されるのみじゃ。しかしすべてのアイテムがダンジョンの下から離れた時、竜に選ばれた者は竜の背中に乗って霊峰の頂きへ向かうことが許される」
俺はアビスが転がした白い剣に視線を落とす。
これが霊峰に登るための鍵となるのか。
「アイテムがすべて解放されたことが分かれば、他の竜たちも契約者を連れて霊峰へと向かうじゃろう。その後のことは行ってみなければ分からぬ。ただ一つ言えることは……霊峰の先で始まるその戦いは、人間や竜にとってのさらなる試練になるということじゃ」
さらなる試練――――。
前にレーナさんから聞いた話に、そんな言葉があった気がする。
「……何だかワクワクするな」
「ディオン?」
「ユキ、お前は興奮しないか? ダンジョンを攻略した先にはまた新しい試練があって、その先に何があるかはまだこの場にいる誰も知らないんだ」
誰も見たことがないものを見てみたい。
そんな夢を持つユキに、俺は強く影響を受けた。
いつしかその夢は、俺の物にもなっていたんだ。
「誰も見たことがないものを、俺たちなら見ることができるかもしれないぞ?」
「……そうか、お前は私の夢をずっと覚えていてくれたんだな」
「そんなの当然だって。俺がお前と一緒に村を出たのは、その夢を手伝うためだったんだから」
ベッドから立ち上がった俺は、エルドラの下へと歩み寄る。
「エルドラとしてはそんなに前向きになれる話じゃないかもしれないけど……でも――――」
「行くよ」
「え……?」
「私はディオンが行くならどこにでも行く。一緒に行く。私に手を伸ばしてくれたあなたと、私はずっと一緒にいるよ」
俺を安心させるかのように優しく微笑むエルドラの顔を見て、初めて会った時の光景が脳裏を過ぎる。
ユキに対しても、エルドラに対しても、こんな俺と共にいてくれると思うだけで愛おしさが止まらない。
「……なんじゃお主ら。もう交尾は済ませたのか?」
「げほっ⁉」
突然のアビスの一言に、俺は豪快に咽てしまう。
咳込む俺をいまだ愉快そうに見ていた彼女は、流れるような動きで俺の横をすり抜け、ベッドに腰掛けた。
「ま、どうやら交渉成立ということで。我も今日からこの家に住んでやろう」
「なっ……正気か?」
「我だけ仲間外れというのはなかろう? お主のハーレムに加わってやろうというのだから、むしろ喜べ」
「そんなんじゃないっ!」
まだエルドラが意味を理解してなさそうなことと、ユキが物凄い形相でアビスを睨んでいることから、変な空気にならなかったことだけは助かった。
俺は咳払いを挟んで、改めてアビスと向き合う。
「……ともかく。俺たちはまだどうしてもお前のことを信用できない。戦えないメリーがいる以上、お前をこの家に置くわけにはいかないんだ」
「ほう、さっきからそこの廊下で待っているエルフか。……まあ、お主の言うことももっともじゃな」
アビスは再び自身の体を霧状に霧散させた後、初め入ってきた窓辺で実体化し、その淵に手をかける。
「仕方あるまい。我は今まで通りそこら中を転々とすることにしよう。どうせお主らがいくら対策しようが、我の侵入を防ぐ術などないからのう」
アビスの言うことはもっともだ。
匂いで分かったとしても、肉体を好きな形に変化させられる彼女の侵入を止めるのは難しい。
俺が信用しないと言ったのは、あくまで常に行動に気を張っているという意味だ。
一度裏切られて死にかけた俺がまたも裏切られて窮地に立たされたとあらば、さすがに笑えない。
「くははっ……ではの。その剣は餞別としてくれてやろう」
アビスはケラケラと笑った後、窓から身を投げる。
そして地面に落ちる寸前にその体を霧に変え、風に乗ってどこかへと消えていった。
「――――これが餞別か。スケールが違うな」
俺は足元に落ちた白い神剣を見て、そうつぶやいた。
◇◆◇
「そうか、この街を出るんだな」
「ええ。一から出直すわ」
ギルド内にあるレーナの部屋には、部屋の主である彼女の他に二人の人影があった。
片方はシンディ。そしてもう片方は、クリオラである。
「あんたは一応同業者であるディオン殺害の共犯者ってことになる。ただこの件については被害者本人から特に被害の報告が来ていない。故に罪に問うようなことはない。ただ……あいつに目をかけている私の私情により、他のギルドへの紹介状などは書かない。それでもいいか?」
「もちろん。最初から要求するつもりもないわ。でも、ギルドマスターのあなたが個人個人での冒険者贔屓なんてしていいの?」
「いいんだよ。ここじゃあたしが一番偉いんだ。文句があるならあたしを蹴落とせばいい。あたしより優秀だって思う奴が出てきたなら、あたし自身も喜んで立場を渡すしな」
そう言いながらニカっと笑うレーナに対し、シンディは興味なさそうに相槌を打つ。
元よりシンディはディオンらに対して大きな興味はない。
パーティに入ったのも、セグリットという好みの男に誘われたが故だ。
しかしそんな場に流されやすくヒステリックになりがちだった彼女の心境にも、それなりの変化が訪れようとしている。
その変化こそが、今回の冒険者としての再スタートに繋がった。
「そんで――――クリオラも帰るんだっけ」
「はい。セグリットが消えた今、私がここに潜入し続ける必要がなくなりましたから」
「一応聞いておくが、その"虚ろ鴉"のフィクスとやらの消息は掴めそうなのか?」
「……いいえ、私一人ではどうにも。おそらく今回のことを報告した後、大規模な聖騎士部隊による捜査が始まるかと」
「そうかい……この街も、ずいぶんと物騒になっちまったねぇ」
遠い目をしながら、レーナは葉巻を加えて簡単な火の魔術で火をつける。
別れの挨拶を済ませた彼女らの背中を見送り、レーナは室内で煙を吐いた。
「重要なことを決める前には、やっぱりこれを吸うに限るね」
自分のデスクの上に広がった書類に目を落とし、彼女はハンコを手に取る。
その書類は二つあり、それぞれにはディオンとエルドラの名前が書いてあった。
「……ま、こいつらなら問題ないか。頼むぜ、このあたしが推すんだからな」
レーナはそれぞれの書類にハンコを押す。
その書類の上部には、Sランク冒険者への推薦書と記されていた。
◇◆◇
「……まさか、こんなことって」
自分の店の店内で、ケールは頭を抱えていた。
床にはいくつもの本が散らばり、古い巻物なども開ききった状態で落ちている。
ここ数日食事を取っていないのか、彼女の体はいつもより痩せていた。
睡眠も風呂も入っていないせいで乱れに乱れ切った頭を何度か掻き、ケールは息を吐く。
「これが真実なら、回復魔術の常識が覆るよ……」
独り言を吐露しながら、彼女は自分が出した結論を改めて読み返した。
「ディオン――――あの坊やは一体……」
とある男の名を呼んだケールの声は誰にも届くことなく、薄暗い室内に溶けて消えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて二章は終了です。次回から本格的にダンジョン攻略を書いていくつもりです。(つもりです)
宣伝となりますが、本作「竜と歩む成り上がり冒険者道~用済みとしてSランクパーティから追放された回復魔術師、捨てられた先で最強の神竜を復活させてしまう~」の二巻の発売が、一巻を購入してくださった皆様のおかげで決定しました。発売日はまだ詳しく決まってませんが、おそらく夏だと思われます。それに伴いコミカライズの企画も設立していただき、作者として感無量です。本当にありがとうございます。これからも続刊できる限り頑張りたいと思っていますので、ぜひ応援していただけると幸いです。
今後とも皆様、よろしくお願いいたします。




