033 契約者
ゆっくりと降下した俺は、ギルドの屋上へと足をつける。
同じ場に立っていたユキは、戦闘が終わったことを見計らって俺の下へと駆けてきた。
そして彼女の魔力によって維持されていた氷の屋根は、魔力の供給が断ち切られたことでその存在を消失させる。
これで氷塊が溶けて落ちてくるような二次災害の被害はない。
「どうやら……終わったようだな」
「……ああ、終わったよ」
俺は屋根の上から、地面に落ちたセグリットの下半身を見下ろす。
上半身に詰まっていた臓器は、当然まとめて吹き飛ばした。
もう再生することは不可能だろう。
――――そう、思っていたのだが。
「……マジか」
消し飛んだ部分の断面が、いまだウネウネと動いている。
それはまるで編み物をするかのように結び合わさると、新たな内臓などを形成しようとしていた。
再生速度は限りなく遅いものの、やがては復活する――――かもしれない。
(アビスの力は恐ろしいな)
俺は屋根から飛び降り、地面に着地する。
そしてセグリットの下半身に近づけば、どういうわけだかその再生能力がさらに活発になった。
まるで俺への敵意が強くなったかのように――――。
「どうする、ディオン」
「完全に消滅させるよ。灰すらも残さないように」
奴の残骸に対し、俺は手の平を向ける。
しかし俺の隣に立ったユキが、伸ばした俺の手を降ろさせた。
「ユキ……?」
「貴様だけにはやらせん。私も、けじめをつけさせてもらう」
ユキは自身の剣の先端を、セグリットへと突きつける。
そして魔力を込めれば、奴の残骸は瞬く間に凍りついた。
「――――氷葬」
氷漬けになったセグリットの体が、粉々に砕け散る。
一つ一つが凍りついた奴の細胞は、煌びやかな塵となり、風に吹かれて飛んでいった。
「ここまですれば、もう再生はしないか」
「……ああ、きっとしないよ。お前に止めを刺されたんだからな」
「何?」
好きな人間に完膚なきまで拒絶される。それがどれだけ辛いことか、俺にだって想像は容易い。
あれだけの愛憎を持ってユキを求めていたセグリットが、そのユキに止めを刺された。
これまでは強引に彼女を奪えると確信するほどの力を持っていたが、それももう存在しない。
すべてを失ったセグリットは、ようやく諦めるに至ったのだろう。
心が折れれば、体も死ぬ。
「ディオン! ユキ! ……終わったのか?」
静かになったことを察して、冒険者を引き連れたレーナさんが駆けつける。
事態が終息したことは理解しているようだが、さすがに何が起きてどうなったのかが分からず混乱があるようだ。
「……魔物は倒しました。これで……もう……街、は」
「ディオン?」
突如として、急激な眠気が襲い掛かってくる。
立っていることすら難しくなった俺は、そのまま地面に倒れ込みそうになった。
「ディオン⁉」
地面に落ちる直前、ユキが俺の体を支えてくれた。
しかしそれに礼を言うことすらできず、俺の瞼はどんどん重くなっていく。
ユキとレーナさんが俺の名を呼ぶ声を遠くに聞きながら、俺は耐えがたい眠りへと落ちていった。
◇◆◇
泡沫の世界。
水に浸かっているような妙な感覚を覚え、目を開けた。
アビスの力に飲み込まれかけていた時のあの冷たく、苦しい感覚はない。
今の俺は、ただ光の差し込む水の中を漂っているだけ。
それがどこか心地よく感じるのは、あの苦しい夢を覚えているからだろうか?
『――――ディオン』
心地よさに意識を失いかけていた時、脳内に俺の名を呼ぶ声が響く。
歳を取った、男の声。
この声には聞き覚えがあった。
「じい、さん……?」
こもっていて曖昧だが、確かにその声は俺を育ててくれた爺さんのものだ。
『ディオン、お前は目覚めた』
「な……何を言って」
『自分が何者か、決して忘れるな。仲間を守れ。さすればお前は栄光を掴める』
声はどんどん遠くなっていく。
他に何かを問いかける前に、俺の体は一気に水面へと浮上し始めた。
どうやら目覚めが近いらしい。
『お前が儂の下に来るのを待つ。――――王たちを統べる器の持ち主よ』
その声を最後に、爺さんの声は完全に聞こえなくなった。
そして俺の意識も完全に浮上し、目覚めの時を迎える。
「……ん」
眩しさに苦しみながら目を開く。
天井はもう何度も見た自室の木目。
どうやら俺は自室で眠っていたらしい。
「うっ」
一瞬鋭い痛みが頭に走り、思わず額を押さえる。
本能的に、この痛みは極限まで鋭くなっていた感覚の反動だと理解した。
セグリットとの戦いで感じていた全能感は、今はもう存在しない。
体調もいつも通りだ。
唯一違う点を上げるとするならば、俺の保有する魔力の量が圧倒的に増えているということ。
「さすがに常時あの状態ってわけにはいかないか」
あの時の魔力は俺の物というより、エルドラとアビスの力によってもたらされた物。
いわゆる無理矢理かさを増やしている状況だったわけだ。
それが落ち着いたことで、こうして普段通りの思考ができている。
「……ディオン様?」
体を起こして自身の変化を確かめていると、自室のドアが開いてメリーが顔を出した。
彼女は驚いた表情を浮かべた後、廊下に向かって叫ぶ。
「エルドラ様! ユキ様! ディオン様が目を覚ましました!」
「お、おい……何もそんな叫ばなくても――――」
俺がメリーを窘めようとしたその瞬間、物凄い音と共にエルドラとユキが部屋の中に飛び込んできた。
いつかの雨の日の後、俺がアビスのせいで三日目覚めなかった時と同じようなシチュエーションに、思わず笑みがこぼれる。
「ディオン! 起きたか!」
「ん、よかった……目覚めて」
二人の慌てっぷりと安堵の表情を見て、俺はあることを察した。
「えっと……今回は何日意識を失ってたんだ?」
「十日だ。……さすがに不安だったぞ」
十日か。それは確かに不安にもさせてしまう。
俺の体に竜の力が定着し直すまで、ずいぶんと時間がかかったということらしい。
「心配かけたな、三人とも」
「ううん。ディオンが無事なら、それでいい」
安心した様子で笑うエルドラを見て、俺もホッと胸を撫で下ろす。
何だかんだ言って、俺も彼女も俺が助かるかどうかは賭けだった。
俺という人間の器が竜の力に耐え切れたのは、まさに奇跡としか言いようがない。
「――――ほう。まさか本当に生き残るとはのう」
「「「っ!」」」
俺とエルドラとユキは、同時に声のした方向へ反応する。
部屋に備え付けられた窓。そこに一人腰掛ける女がいた。
「……アビス。何しに来た」
「そう怖い顔をするな、我が眷属よ」
「眷属?」
「我の血を受け、我の力を手に入れたお主が我の眷属になるのは当たり前の話じゃろ?」
いつの間にか俺のベッドの上に移動したアビスは、動揺する俺の顎に手を当てて上を向かせる。
見下ろすような彼女の視線と、それを見上げる俺の視線が重なった。
「……不思議じゃな。こうして見ると案外可愛らしい顔に見える」
「っ、ディオンから離れて」
「おっと……」
エルドラが俺の真上を通過するように放った蹴りを、アビスは霧のように体を宙に溶かすことでかわす。
そしてまた少し離れた所で実体化した彼女は、ニヤニヤと愉快そうに笑うのだ。
「まあ冷静になれ、エルドラ。我はもうお主らと敵対するつもりはない」
「……あなたのことは信用できない」
「よく考えろ。我は結局そこにいる小僧を選んでしまったんじゃ。お主と同じようにな」
そう言いつつ、アビスは俺へと視線を送る。
「もしも小僧が他の候補者を倒して勝ち残った場合、竜王になるのは我かエルドラのどちらかということになる。だが、お主は王になるつもりはないんじゃろ?」
「ん、そうだけど……」
「それなら王の立場だけ我に譲れ。我ら二人が"契約者"となれば、他の神竜が選んだ者たちなど恐るるに足らん。この形で進めることができれば、必然的に我は王になりやすくなるわけじゃ」
話の行方はさっぱり分からないが、相変わらずアビスが胡散臭いということは分かる。
そう思われていることを彼女も理解しているのか、俺たちの前で盛大にため息をついて見せた。
「……はぁ、仕方ないのう。じゃあこう言ってやろう。我が王になるために協力してくれれば、我はお主らに全面的に協力する。二度と命を狙わないと約束しよう」
「それを拒否したら?」
「そこの小僧には早々に死んでもらわねばならんな。我のために戦う気がないのなら、我にとってはただの邪魔者じゃ」
最後の一言を持って、この空間に緊張が走る。
ユキは俺を庇うようにアビスとの間に立ち、エルドラに関しては今にも跳びかかりそうな気配だ。
何がともあれ、ここで正面からぶつかるのはまずい。
「先に聞かせてくれ、アビス。結局俺たちはお前が王になるための戦いについて何も知らない。協力するにしても、それを知らないことにはどうにもならないぞ」
「……そうじゃな。お主の指摘はもっともじゃ」
どこか真剣になったアビスは、突然自身の豊満な胸の谷間に手を突っ込む。
あまりにも突然の行為に俺が驚いていると、彼女はそこから一本の純白の剣を取り出した。
「お、何じゃ小僧。もっと見たかったら間近で見たってよいのだぞ? ほれほれ」
「「殺すぞ」」
「何じゃお主ら……前に向けてきたものより今の殺意の方が強いぞ」
これ見よがしに胸を強調するアビスに対し、エルドラとユキの恐ろしい言葉が投げられる。
その発言をした二人の迫力によって、俺の照れて赤くなった顔が一瞬にして冷えた。
さすがのアビスも謎の威圧感に負けてしまったようで、さっきまで余裕そうだった笑みが消えている。
「そ、それで……その剣は何だ?」
「これは小僧の持っている神剣と対を成す武器じゃよ」
「え?」
「神剣ヴァイス。白の迷宮を攻略した際に手に入れたボスアイテムじゃ」
そう言いながら、アビスは俺たちの前に神剣と呼んだその武器を放り投げた。




