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028 黒い咆哮

「少しは……見直してやろう。クズもクズなりに力をつけていたんだな」


 気持ちの悪い動きで起き上がったセグリットは、俺と目を合わせて口角を吊り上げる。


「だが足りなかったようだ。僕の体はすでに再生を始めている」


 セグリットのぐちゃぐちゃになった体が、急速に元に戻っていく。

 それに加え、今までの奴の肉体よりもさらに強靭になりつつあった。

 筋肉を鍛えた後の超回復の原理が、短い時間で急速に行われているような、そんな印象を抱く。

 

「くそっ……」

「さあ、今度はこっちの番だろう?」


 俺の連打を受けている間に落としていた剣を拾ったセグリットは、今まで以上の速度で俺に肉薄する。

 搾りかすのような竜魔力強化状態でかろうじてそれをかわし、地面に刺しておいたシュヴァルツに跳びついた。

 

「ははっ! どうやら燃料切れのようだな!」


 真上から振り下ろされた剣を、シュヴァルツで受け止める。

 ミシリと両腕の筋肉と骨が軋む音がした。

 何とか前に押すようにして受け流し、俺は後ろに跳び退く。

 しかし――――。


「遅いぞ!」

「がっ……⁉」


 下がったはずの俺にすぐさま追いついたセグリットは、横薙ぎに剣を叩きつけてくる。

 とっさにシュヴァルツを挟み込んで防いだが、竜魔力強化も切れ、加えて体勢も極めて悪い。

 刃と刃が擦れる高い音が鳴り、俺の体はみっともなく地面を転がる羽目になった。

 

「さっきの爆発的な魔力が消えたからおかしいと思ったんだよ。やはりお前は不完全な出来損ないだ。こうして魔力の切れたお前は役立たず以外の何者でもない! あの時お前を崖から突き落とした僕の判断は間違ってなかったんだっ!」

「……」

「無能は無能らしく! 役立たずは役立たずらしく! 僕の踏み台になっていればいいんだよ!」


 真下から斬り上げるようにして迫ってくる一撃によって、シュヴァルツが天高く弾かれる。

 そしてセグリットはさらに一歩俺に迫り、斜めに俺の体を斬り裂いた。


「あ――――」

「もう一度言ってやろう。お前はもう、用済みだ」


 自分から噴き出す血を眺めながら、ゆっくりと真後ろに倒れた。

 崖から落ちた時と同じような、自分から力が抜けていく感覚が襲い掛かってくる。

 魔力が空になっているから、当然回復魔術は発動しない。

 

(ああ……)


 いい機会だと、"死"が楽しげに寄ってくる。

 

 ――――コワセ。


 夢で響いていた声が、再び聞こえてくる。

 

 ――――コワセ、コワセ。


「すべてを……コワセ」


 腹の底から徐々に強くなっていくその声は、ついに俺の口から漏れだした。


『あ――――アァァアアアアアアアアアアアアアア!』


 初め、その声が自分のものだと認識できなかった。

 俺の口から放たれた絶叫が、宙に轟く。

 

 そこで俺の意識は、どこまでも深い黒に塗り潰された。


◇◆◇

「な、何だ⁉」


 突然人間のものとは思えない絶叫を上げたディオンを前にして、セグリットは思わず後ずさる。

 同時に、ディオンの体からセグリットを包んでいた物に極めて近い黒いオーラが噴き出した。

 そのオーラは一瞬にして彼の胴体についた傷を再生し、全身に魔力を満たす。


「ディオン……!」


 エルドラが彼の名を呼ぶ。

 そしてエルドラがディオンの下に駆け寄ろうとし、それにつられる形でユキも駆け出した。

 しかし触れようとしたその寸前で、彼の体から噴き出した魔力によって二人の体は大きく吹き飛ばされる。


「何だと⁉」

「そんな……」


 エルドラの顔が悲痛に歪む。

 

「ディオンから……アビスの匂いがする」

「っ……そうか」


 二人の中に嫌な予感はずっと燻っていた。

 その予感の対象が明確に現れたが、文字通り予感していたおかげで動揺はさほど大きくない。

 ただ、どうすればいいか分からないだけだ。


「くはははっ……くははははははははははは! 愉快ぞ! 実に愉快! 我の力にエルドラが選んだ人間が溺れておる! こんなに愉快なことはない!」

「あ、アビスさん⁉ どういうことですか! あれは僕と同じ力――――」

「喧しいぞ人間! さっさと奴を倒してみろ! さすれば我の力を持つのはお主だけじゃ!」

「え? あ、ああ……」


 エルドラたちと同じように混乱しているセグリットは、アビスの口車に乗り再び剣を構える。

 直後、彼の剣は根元から砕けるように折れた。

 いつの間にかセグリットの目の前まで移動していたディオンが、己の腕力だけで砕き折ったのだ。


『オオオォォォオォォォォォォォオオオオオ!』

「ひっ……!」

 

 ディオンは雄叫びを上げ、叩き折ったセグリットの剣を口に運んで噛み砕く。

 理性の欠片も見当たらない行動を前にして、彼は思わず声を引きつらせた。


「や、やめろ……っ」

『オォォォォオオ!』

「あがっ⁉」


 手でセグリットの頭を鷲掴みにしたディオンは、そのまま彼の体を地面に向かって叩きつけた。

 地面がひび割れるほどの衝撃と共に、セグリットの体が跳ねる。

 そして浮かんできたところで今度は腕を鷲掴みにすると、大きく振りかぶって何度も何度も地面に叩きつけ始めた。


「が……あ、ああ……」

『オオオオォォォォォオオオオッ!』


 ボロボロになったセグリットから手を離し、ディオンは再び空に向かって雄叫びを上げた。

 その隙に、セグリットは体を再生させながら大きく彼から距離を取る。


「ハァ……ハァ……何だよ! 何なんだよお前は!」

『グルルルルルルルル……』


 ディオンの体が徐々に変質していく。

 左半身に黒い鱗が生え始め、腕も足も人間とは到底思えない形へと膨れ上がった。

 まさしく歪。異形。

 顔の左半分は口すら裂け、爬虫類を思わせる相貌を浮かび上がらせる。


『グルォォォォォオオオオオオオ!』


 雄叫びと共に、今度は彼の半身から黒い翼が飛び出した。

 その迫力に押され、セグリットは今一度足を竦ませる。


「……死ね。死ね! 死ね! 死ね! 死ねよ化物! お前なんか僕の剣で――――」


 その時、ディオンが変質した足で砕けたセグリットの剣の欠片を踏み、パキリと音が響いた。

 恐怖のあまり我を失っていた彼は、そこで自分の剣が折られていたことを思い出す。


「あ……ああああああ!」

『オォォォォオオオオ!」


 絶叫と雄叫びが同時に轟いた。

 地面を蹴ったディオンは、かぎ爪となった左腕を振りかぶりながらセグリットに迫る。

 それを防ぐ術のないセグリットは思わず体を庇おうとして、自分の前へ腕を突き出した。

 当然それは悪手であり、彼の腕は二の腕の辺りから千切れ宙を舞う。


「ぎゃ――――」


 悲鳴を上げそうになったセグリットの顔を、ディオンは変質した腕で掴み、持ち上げる。

 恐怖の感情に染まった目でディオンを見る彼は、その手から逃れようと足をじたばたと動かした。

 

『オオォォォォ……』

「んーっ! んーッ⁉」


 ディオンは大きく口を開き、そこに魔力を溜め始めた。

 この予備動作から放たれるのは、竜の技の一つ、"咆哮(ブレス)"である。

 

「んんーっ!」


 言葉にならない声で叫んだセグリット。

 直後、ディオンの口から放たれた黒い魔力の本流が、自身の腕ごとセグリットの体を呑み込んだ。


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