026 選ばれた者
曰く、突然シンディの家に転がり込んできたクリオラは、そのまま意識を失ってしまった。
放っておくわけにも行かず彼女が医者として働く回復魔術師のところへ運んだところ、傷もなく原因不明。
何か病に侵されているわけでもなく、毒の反応も出ない。
どこへ行っても追い返されてしまうため、やむなく俺たちの下へと来た――――という流れのようだ。
「……あんたにしたことを考えれば、頼むこと自体がお門違いだってことは分かってる。でもこの子にはちょっとした借りがあるのっ!」
「借り?」
「き、昨日……あんたたちと別れてから、治療されたセグリットに殴られて……私の杖に対して『約に立たない杖なんて早く売り払え』って……でもクリオラだけは私のこと庇ってくれたから……っ! だから!」
「……もういい。分かったよ」
正直、悲痛な表情を浮かべるシンディを見てざまあみろという感情が一つも湧かなかったと言えば噓になる。
信じてついて行った男に裏切られ、さぞ苦しい思いをしたことだろう。
シンディのことを許したわけではない。
しかしクリオラを助けないわけにもいかない。
彼女にはセグリットを捕まえてもらわなければ困るのだ。
「何とかしてみる」
俺の言葉に頷いたシンディは、クリオラを俺に託して一歩下がる。
改めて見てみても、外傷などは一切ない。
発熱は確認できるが、毒や病のような症状ではない。
どちらかと言えば骨折や傷口から菌が入り込んだ時のような反応だ。
(呪いの類か……?)
そう思い診察の仕方を変えるが、魔力の流れがおかしいわけでもない。
そもそもこの程度の診察で原因が分かったのなら、シンディが別の回復魔術師の下へ連れて行った段階で明らかになっているはずだ。
(外傷はないが……何か内臓にダメージがあるのか?)
やむを得ず、俺はクリオラの服をまくり上げて素肌に触れる。
鳩尾の辺りから下へ。
直接触れることで診察していく。
するとちょうどへその近くに触れた瞬間に、クリオラのうめき声が大きくなった。
「……ここか」
「ぐっ……うぅぅ」
彼女の額に脂汗が浮かんでいる。
触った限りでは何もない。
しかし原因は間違いなくこの部分だ。
(メリーの呪いを解いたあの時の力が使えれば、もしかしたら……)
クリオラの体に手をかざす。
「――――ヒール」
緑色の光が彼女の体を包み込む。
そしてメリーの時と同じように光の中に金色が混ざり、そして白く、さらに眩く変化していった。
徐々に光が弱まり、そして完全に消える。
「……うっ」
声を漏らしながら、クリオラの目が開く。
どうやら意識が戻ったようだ。
「大丈夫か、クリオラ」
「こ、ここは……?」
「俺たちの屋敷だ。具合の悪そうなあんたをシンディがここまで連れてきたんだぞ」
「シンディが?」
体を起こしたクリオラがシンディと顔を見合わせる。
どこか気まずそうに目を逸らしたシンディに対し、クリオラは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、シンディ。そしてディオン。おかげで助かりました」
「……別に。これで借りは返したから」
シンディはぶっきらぼうに言い放つと、自分の毛先を指でいじり始める。
あれが照れているというやつだろうか。
「それで、何があったんだ?」
「……セグリットが虚ろ鴉の重鎮らしき存在と接触した場所に潜入していたのですが、不覚にも気づかれ、セグリットの手によって刃を――――」
クリオラは先ほど俺がヒールを使用した部分に手を添える。
しかしどうしても疑問なのは、刃という部分だ。
「クリオラ、刃と言うが刺し傷なんてどこにもなかった。どういうことか分かるか?」
「え……? そんなはずはありません。確かに刃を突き立てられた感覚が……」
実際のところ、彼女の苦しみ方は鋭い物によって体を傷つけられた時に近い様子だった。
刃に貫かれていると言われれば間違いなく納得できただろう。
「ディオン、この人嘘は言ってない」
「……だろうな」
感覚が敏感なエルドラが言うのだ。それに俺の直観もそうだと言っている。
傷をつけない。
と言うより、おそらくは傷をつけたことにする何かしらの魔術。
もしそんなものが本当に自由に扱える力なんだとしたら、あまりにも凶悪過ぎる。
回復魔術だけではどうしようもないのだから。
セグリットにそんな力が扱えるとも思えない。
だとしたら誰が――――。
「もうあいつの話なんて聞きたくないわ……私はもう行く。あんたも、私の顔なんて見ていたくないと思うし」
「……それは否定しない」
俺にとってシンディは、火球を当てて崖下へと落とした実行犯。
すべてはセグリットの指示の下だったとは言え、奴の次に許せないのは間違いなく彼女だ。
できることならもう関わりたくはない。
「シンディ……あなたはこの後どうする気なんですか?」
「どうもしないわ。とりあえずレーゲンからは出て行くつもり。どうせ他にできることもないし、どこか小さなパーティにでも入れてもらって細々暮らすわよ」
「そう、ですか……」
最後にそう言い残したシンディが、玄関から外へと出て行こうとする。
「――――待て」
しかし、そんな彼女をユキが呼び止めた。
「……何?」
「貴様に聞きたい。何故私たちの屋敷を訪れることができたのか」
「だから、他の回復魔術師じゃどうしようもなかったから、ダメ元で……」
「そうじゃない。私もディオンもエルドラも、貴様に屋敷の場所を教えたことなど一度もなかったはずだ。その上で答えろ。何故この場所に来ることができたのかを」
「それは――――」
シンディが答えようとして、途中で言葉に詰まる。
そして何度か口をパクパクと動かした後、目を見開いた。
「あれ……どうして私、あんたらの家を知ってるの?」
その瞬間、彼女の体越しに激しい閃光が見えた。
それに反応したのは、エルドラとユキ。
二人はシンディを押し退けて外へ飛び出すと、屋敷へと向かってきていた閃光の斬撃を弾き返した。
「ほら、言ったじゃろ。あの女の後を追えばお主の求めるすべての物がそこに揃っておると」
「……ありがとうございます、アビスさん。おかげで面倒事が少なくて済みそうです」
姿を現わしたのは、セグリットと、その後ろにつくアビスの二人。
セグリットの装備はすべて新しい物に変わっており、剣も今まで以上の業物を手に入れたようだ。
「奴に台本だけ書かせたのは正解じゃったなァ。よぉ、エルドラ。会いたかったぞ」
「アビス……!」
「そう怒るでない。我は今日一切手を出すつもりはないからのう」
アビスはセグリットの背中を押し出す。
奴は俺に憎悪のこもった視線を向けると、剣先を向けてきた。
「ディオン……貴様を殺し、僕はユキさんを手に入れる」
「何を言ってるんだ……お前は」
「僕はいずれすべてを手に入れる。すべてのダンジョンを攻略し、すべてのアイテムを収集し、勝ち得た強さですべてを支配する! 僕にはその権利がある!」
奴が何を言っているのか分からない。
元から野心が強すぎると男だとは思っていたが、何がきっかけでここまで育ってしまったのだろう。
もはやその欲望は怪物と言っても差し支えない。
「すべてのSランクダンジョンを攻略した後に手に入ると言われる、"永遠の幸福"。僕の最終目標はそれだ。そしてそこにたどり着くまでの過程には、間違いなくユキさんの力が必要になる。だから――――」
セグリットは真剣な表情を浮かべ、ユキに向かって手を伸ばした。
「僕と共に行きましょう、ユキさん。僕があなたを幸せにしてみせる」
「……っ! ふざけるな! 自分がディオンに対して何をしたのか忘れたのか?」
「選ばれた者の代わりに小物が犠牲になるのは当たり前です。むしろ被害者は僕の方だ。ディオンは自分が弱いのにも関わらずあなたにみっともなく付きまとって足を引っ張り、加えて大人しくあのダンジョンで死なず再びあなたの前に戻ってきた。せっかく邪魔者を排除して強いパーティができたのに、この役立たずのせいですべて台無しだ」
「貴様……どこまで私を怒らせれば気が済む」
「被害者も怒りたいのも僕の方ですよ! ユキさん! いつまでそんな男に惑わされているんですか⁉ 早く僕のモノになれ! 僕は選ばれた人間だ! 今だって僕はこのアビスさんに選ばれた! 竜のパートナーに相応しい存在として選ばれたんだよ!」
「何だと?」
セグリットの体から、突如として黒いオーラが噴き出す。
そのオーラからは確かにアビスの匂いがした。
そして今までの奴よりも強い魔力を感じる。
「アビス……!」
エルドラがアビスを睨む。
しかし彼女は口元に指を当て、悪魔じみた笑みを浮かべた。
「そうじゃ、セグリット。お主はこの我に選ばれた。我を竜王にすることができれば、我のすべてを用いてお主を人間の王にすることを約束しよう」
「ええ、全力であの男を排除させてもらいますよ……!」
アビスの奴、セグリットを自分のパートナーに選んだことにして俺にけしかけた訳か。
彼女の目的が何か分からないが、どうせろくでもないことばかり考えているのは間違いない。
「あの時は自分の手を汚さないようにしたことが間違いだった。だから今日は、直接この手で始末してやるよ……!」
剣を振り上げたセグリットは、そのまま俺へと飛び掛かるべく地を蹴った。




