024 虚ろの台本
何もかもが上手く行かない。
セグリットはそうなってしまった経緯を必死に思い返す。
思えば、これまで順調に成り上がっていたのは黒の迷宮までだった。
白の迷宮では冒険者として初めての攻略失敗。
あの時の絶望感は、いまだに色濃く彼の中に残っている。
「……全部、あのクソ役立たずのせいだ」
セグリットの顔が怒りで醜く歪む。
頭の中から消えてなくならないのは、ディオンの顔。
逆恨みでしかない感情の矛先は、間違いなく被害者であるはずの彼へと向けられていた。
「あいつが大人しくダンジョンで死んでいれば、ユキさんが僕から離れることもなかったんだッ!」
夜道にセグリットの怒声が響く。
息を荒げ、彼の歩みは徐々に速くなりつつあった。
(ユキさんだって、あんな田舎臭い腑抜けた男よりも僕と一緒にいた方がいいに決まってる……あんな奴の側にいたんじゃ彼女は輝けない!)
セグリットの頭の中には、もはやディオンへの憎悪とユキへの独占欲しか存在していなかった。
あまりの憎悪が故に、彼の手はゆっくりと腰に携えられていた剣へと伸びる。
しかし半分ほど引き抜かれた刀身には無数の刃こぼれとひび割れが存在し、到底まともに使える状態ではない。
これもすべて無謀なダンジョンへの挑戦と、積み重なった失敗が生んだ罰である。
(これでは斬れる物も斬れないか……)
いつもならすぐに剣を買い替えていたが、財産をほとんど失った現状ではそれも叶わない。
セグリット必要な物は、何よりも金。
それを得るための手段に、彼は心当たりがあった。
ふらふらと彼が向かっていったのは、ゴミが散乱した暗い路地の奥。
不快な臭いを堪えながら進むセグリットを出迎えるかのように、路地の奥にはボロボロの扉が存在していた。
彼は扉の目の前に立つと、それを二回ノックする。
「……セグリットです。入りますよ」
そう告げたセグリットは、扉を開けて中へと入って行く。
そんな背中をつけてきたクリオラに、まったくもって気づかないまま――――。
(もしやと思ってついてくれば……あれが"虚ろ鴉"の拠点でしょうか)
音を消す風の魔術を使いつつ、セグリットが入っていった扉へと素早く身を寄せる。
そして扉が閉まり切る前に木の破片を挟み込み、数秒待ってから中へと滑り込んだ。
扉の向こうにあったのは、暗くかび臭い廊下。
音を消したまま進んでいけば、クリオラは進む先に小さな光を見つける。
それは小さなランタンの光だった。
ランタンが置かれた場所は小部屋になっているようで、セグリットの背中がその中へと消えていく。
「――――おやおや、セグリットさんではありませんか。お久しぶりです」
「ご無沙汰してます、フィクスさん」
「また会えて嬉しいですよ。して、今日はどんなご用件で?」
薄暗い小部屋の中で椅子に腰かけていたのは、漆黒の髪を長く伸ばした怪しげな男。
彼はニコニコとセグリットを歓迎するかのような笑みを浮かべながら、彼にも椅子に座るよう手で促す。
「実は……薬をまた僕に流してもらえないかと思いまして」
「おや? 冒険者業が軌道に乗ってからは必要ないとおっしゃってませんでしたか?」
「……すみません」
「ああいえいえ、別に皮肉を言ったわけじゃないんですよ。ただあなたほどの冒険者がお金に困るようなことがあるのだなーと思いまして」
セグリットの肩が悔しさのあまり震える。
目的のために手段は選ばない男とは言え、リスク承知で犯罪行為に手を出すことには抵抗があった。
これまではAランク冒険者としての輝かしい報酬が懐に入ってきていたわけで、捕まる危険性まで背負って薬を売る必要なんてどこにもない。
そんな自分が落ちる所まで落ちたということを、セグリットはこの場で改めて実感したのだ。
「装備さえ新調できれば、また冒険者業に戻れるんです……だからまた月幸草の薬を俺にください!」
「……ふむ」
これまでの話を聞いていたクリオラの拳が、硬く握られる。
(ようやく尻尾を出した……!)
月幸草の名前が出た以上、フィクスという人間が"虚ろ鴉"の人間であることはまず間違いがない。
そしてセグリットのような傲慢な人間が、いくら取引相手だったとしても組織の下っ端相手に腰を低く対応するわけがない。
つまるところ確証はないものの、十中八九フィクスという男が組織の中で高い位に位置する人間だと思われる。
今まで構成員の一人すら分からなかった捜査状況で言えば、これは大きな進歩と言えた。
――――もしも、街中でディオンたちと出会ったのがクリオラだけだったのなら、このフィクスという男が"虚ろ鴉"のボスであると伝えられていたのかもしれない。
「うーん……私たちのためによく働いてくれたセグリットさんには恩がありますからねぇ。できれば快く売人を任せたいところなのですが、実は最近薬の規制が厳しくて、あまり売りたい状況とも言えないのですよ」
「そんな……!」
「ですが、今言った通りあなたには恩があります。なので別の仕事を任せたいのですが、どうでしょうか? もちろん報酬は売人以上の値段を支払いましょう」
「い、いいんですか⁉ ぜひ……! ぜひお願いします」
「いいお返事をありがとうございます。では――――」
――――その陰に隠れた不届き者を、あなたの手で処分してください。
「ッ⁉」
突如として、この暗い空間に緊張が走る。
自分がつけられていたことに今更気づき、驚くセグリット。
そして、気づかれていたことに驚くクリオラ。
二人はそれぞれ別角度からの驚きによって肩を跳ねさせる。
(嘘……⁉ 魔力は消してるはずなのに!)
潜入捜査をするに当たりクリオラが選ばれたのは、戦闘も隠密もそれなりにこなせるという長所があったからだ。
基本的な気配殺しと探られないようにするための魔力の殺し方。
例え本職の人間でなくとも、簡単には見破られない自信があった。
「驚くのも無理はありません。ただ私の"虚ろの台本"はあなた程度の実力者なら効果があるようですね」
フィクスの手に、突然分厚い漆黒の本が現れる。
そしてもう片方の手に羽ペンを持つと、何かを本に対して書き記し始めた。
その瞬間、クリオラの背中に寒気が走る。
(っ、離脱しなければ!)
クリオラは踵を返し、自分が通ってきた廊下を引き返す。
しかし外へつながる扉にたどり着きかけた時、突然天井の一部が音を立てて崩れ落ち、入口を塞いだ。
「なっ……!」
「何をしているのですか、セグリットさん。早く彼女を始末してください」
いまだ呆然としたままのセグリットの手に、一振りの剣が握らされる。
どこから出したのかも分からないその剣は、幻でもなく確かな質量を持っていた。
「で……ですが、彼女は僕のパーティメンバーでして」
「おや? 彼女はあなたと私の関係を見てしまったのですよ? ここで逃がせば私は逃げ切れたとしてもあなたは一生牢獄暮らしになるでしょ」
「そんな……」
「そ、れ、に。あなたがAランク冒険者なんて立場でくすぶっているのは、弱い仲間のせいなんじゃないですか? 弱者は斬り捨ててしまいましょうよ。あなただって足は引っ張られたくないでしょう?」
「……そう、ですね」
セグリットの目が曇っていく。
ディオンへと向いていた憎悪の感情の中に、クリオラやシンディへの悪感情が混ざり込んだ。
(そうだ、いらないものはすべて捨ててしまえばいい……)
彼女らさえいなければ、新しく装備を買ってやる必要もない。
ポーション代だって浮くし、図々しく彼女面するシンディのうざったさに悩まされることもない。
必要になったら仲間はまた補充すればいい。
それにディオンを消せば、きっとユキが戻って来てくれる。
――――そんな脈絡のない思考回路が、セグリットの頭を焼いた。
「分かりました、今すぐ彼女を始末します」
「そうですか。おりこうさんですね」
フィクスの微笑みを背中に受け、セグリットは足止めをくらったクリオラへと一気に迫る。
そして瓦礫を魔術で吹き飛ばそうとしていた彼女の背中に向けて、剣を突き立てた。
「ぐっ……セグリット……!」
「消えろ、恩知らずの役立たずが」
突き立てた剣を捻り、そして引き抜く。
口から血を吐いたクリオラは膝から崩れ落ち、力なく地面に倒れた。
辺りに血だまりが広がる。
そんな光景を、セグリットはただ冷たい目で眺めていた。




