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020 謝罪

 黒い何かが、胸に満ちていく。

 無遠慮に侵食してくるその何かは、俺の心を容赦なく蹂躙し始めた。

 体が強張り、悲鳴すら出ない。 

 そして徐々に湧き上がってくる激痛。

 痛みに藻掻き、血がにじむほど体を掻きむしる。

 それでも消えない苦しみに、次第に憎悪がこみ上げてきた。

 

 ————コワセ。


 誰かの声がする。

 

 ——コワセ。


 その言葉の恐ろしさは、よく知っているはずだった。

 それでも俺は拳を振り上げ、目の前にいる誰かに(・・・・・・・・・)————。


「————様! ディオン様!」


 俺を呼ぶ悲痛な声で、俺は目を覚ます。

 目を開けば、そこにはメリーの顔があった。

 

「メリー……?」

「ディオン様! よかったぁ……」


 メリーは目尻に涙を溜めながら、ホッとしたような声で言葉を吐く。

 ゆっくりと周囲を見渡してみると、どうやらここは俺たちの寝室のようだった。

 

「俺は……つッ⁉」

「大丈夫ですか⁉」

「あ、ああ……ちょっと頭が痛んだだけだ」


 頭に手を添えながら、俺は思い出す。

 そうだ。確かメリーとの帰り道の途中でアビスに遭遇して、それから————。


「……よかった。ディオン様、三日も目を覚まさなかったんですよ?」

「み、三日も?」

「エルドラ様たちがディオン様を担いで連れて来た時はご無事な様子に見えたんですけど、酷く衰弱していたみたいで……」


 記憶があるのは、アビスからの圧倒的な暴力を受けたあの瞬間まで。

 メリーの口ぶりからすると、きっとエルドラたちが助けに来てくれたのだろう。

 そのおかげで、今こうして生きているということらしい。


「心配、かけたな」

「いえ。メリーも……あの時何もできず申し訳ありませんでした」

「それは気にしないでくれ。あの場でメリーが助けを呼びに行ってくれたから、こうして無事に帰ってこれたんだから」


 申し訳なさそうに落ち込む彼女の頭を、優しく撫でる。

 この触れ合いで一層安心してくれたのか、メリーはようやく笑みを浮かべてくれた。


「……っと、エルドラとユキにも顔を見せとかないとな。今どこにいる?」

「呼んできますから、ディオン様はここでお休みになっていてください。一週間は絶対安静って言い渡されてますので」

「あ、ああ……」


 起き上がろうとした俺の体は、メリーの腕によって押さえつけられた。

 あまりにも真面目な声色で告げられるものだから、抵抗する気も起きずにそのままされるがままになってしまう。


(そう言えば……メリーとの約束を早速破ってしまったな)

 

 危ないことをしないで欲しい。

 そう願ったメリーの気持ちを、俺は見事に踏みにじってしまったのかもしれない。

 どこかで怒りを感じていたとしても、まったくおかしい話ではないだろう。

 

(あとで改めて謝っておくか……)


 そうして一人考え事をしながら待っていると、慌ただしい足音と共にエルドラとユキが部屋に転がり込んできた。

 俺がそれに驚いていると、二人は俺が目を覚ましているのを見てすぐさまベッドまで駆け寄ってくる。


「ディオン、無事? 痛いところはない?」

「三日も目を覚まさないで……心配したぞ」


 初めは驚きで声が出なかった俺も、いつも通りの二人の顔を見て安心感がこみ上げてくる。


「……気怠い感じはあるけど、体は大丈夫だ。心配かけて悪かったな」

「ディオンは何も悪くない。悪いのは……アビスと、私」

 

 エルドラの表情が曇る。

 俺がその言葉の意味を測りかねていると、彼女の隣でユキがため息を吐いた。


「……しばらく二人にしてやる。貴様らはここできちんと話し合え」

「え……? あ、ああ」


 ユキはどこか呆れたようにため息を吐くと、背中を向けてそのまま部屋を後にする。

 廊下から様子を窺っていたメリーも、そんな彼女の背中について姿を消した。

 残ったのは、いまだ俯くエルドラと、俺だけだ。


「……アビスのせいっていうのは分かる。けど、何でそこにエルドラも入ってくるんだ?」

「アビスがディオンを襲ったのは、私がディオンの側にいるからだって……」

「————アビスが言ったのか?」


 俺の問いに、エルドラは頷く。

 その肯定を見て、ユキが呆れた様子だった訳が理解できた。


「エルドラ、最初に言っておく。お前が謝る必要なんてどこにもない」

「でも……」

「でも、じゃない。エルドラ、俺はお前がいなければ出会ったあの場所で命を落としているんだ。お前とこうして話すことも、ユキと再会することも、メリーを仲間として迎え入れることもできなかった。俺はエルドラに感謝することはあれど、怨むことなんてこの先も一生あり得ないと誓えるぞ」

「……」


 俺がはっきりとそう告げても、エルドラの表情はいまだ浮かない。

 いくら被害を受けた人間が気にしていないと伝えても、当事者の気持ちが晴れるわけじゃないというのは、別に納得できない話じゃないわけで。

 少しでもエルドラの気持ちを晴らすためには、俺から罪滅ぼしのための何かを要求する必要があるだろう。


「……お前の気持ちがどうしても晴れないようなら、一つ頼みたいことがあるんだけど————」

「何? ディオンの頼みなら、私何でもする」

「えっ⁉」


 俺が頼みたいことがあると言っただけで、エルドラは俺の顔を覗き込むようにしながらベッドに身を乗り出す。

 その際に性別上無視することのできない二つで一つの塊が深い谷間を作っているのが目に入り、思わず邪な考えが脳を焦がした。


(いやいやいや! 違うだろ!)


 俺は頭を振ってその邪な考えを振り払い、改めてエルドラと視線を合わせる。


「俺にもっと、竜の力を教えて欲しい」

「……それだけで、いいの?」


 いや、残念そうにしないで欲しいのだが……。


「アビスと戦った時……背中から翼が生えたんだ。そこから一気に今まで以上の力が湧いてきて、今までにない威力の攻撃が出せた。だから多分、できることが増えているんだと思うんだ。まだ俺に教えてないことがあったら、それを教えて欲しい」

「翼が……生えた?」


 エルドラは驚いた表情で目を見開く。

 思っていたものと違う反応を見せられて、俺は首を傾げた。


「何かおかしかったか……?」

「……ううん、そういうわけじゃない。できれば私もディオンに竜の力ことをもっと知ってほしい。でも私自身も人間に力を与えたことが初めてだから、どう教えていいか分からない」


 エルドラはしばらく考え込んだ後、何かを思い出したかのように手をポンと打った。


「そう言えば、ディオンが目を覚ましたら顔を出すように言ってくれってケールから頼まれていた。回復魔術の使い方、もう少しちゃんと教えたいって」

「回復魔術を?」


 というか————。


「どうしてケールさんの名前が出るんだ?」

「ディオンの体を治したのは、ケール。私たちではどうしようもなかった」

「そうだったのか……」


 引退したとは言え、元Sランクパーティの回復魔術師は伊達じゃないということか。

 あれだけの重傷を治せるということは、おそらくパーフェクトヒールが扱えるのだろう。

 俺にはまだ使えない、回復魔術の奥義。

 そんな彼女に教えを乞うことができれば、普段の竜魔力強化にも活かせるかもしれない。

 断る意味はどこにもない、か。


「伝えてくれてありがとう。早速行ってくる」

「駄目。一週間は絶対安静」

「……そうだった」


 起き上がろうとした俺の体は、今度はエルドラによって押さえつけられる。

 三日寝続けていたということは、あと四日はこのままか。

 これでは三大ダンジョンに挑むのも、また少し先の話にしなければならないだろう。


「退屈?」

「ん? ああ、まあ……」

「分かった。じゃあ私がずっと側にいる」

「は⁉」


 エルドラは俺の掛布団をめくり、もぞもぞと横に潜り込んでくる。

 そのままぴったりと密着してきたことで、エルドラの顔がすぐ目の前に置かれることになった。

 吐息の音すら聞こえてくるような距離感に、心臓が跳ねる。


「これならディオンの体調が急に悪くなっても安心。すぐに対応できる」

「いや……多分逆効果なんだけど……」


 動揺のあまりエルドラを引き剥がせないでいると、突然部屋の扉が開かれた。


「そろそろ話は終わったか?」

「あ……」


 顔を出したユキは俺たちの様子を視界に映すと、眉間にぎゅっと皺が寄った。


「……エルドラァ、ディオンは絶対安静と言われたはずだが?」

「うっ……」


 ユキの怒号が飛び、伝説の神竜が怯える。

 これはある意味貴重な光景なんじゃなかろうか?


 ————そんなこと言ってる場合じゃないか。

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