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017 ツヴァイ・アルム・ドラッヘ

 シュヴァルツをこの場で落とした理由は、身軽になりたさ半分と、保険という意味合いが半分だった。


 アビスは、俺をただ殺したいわけではない。


 それは言動と行動から見て明らかだった。

 直接体を破壊しには来ず、投げたり吹き飛ばしたりして、その後立ち上がる俺の姿を楽しんでいる。

 故にもう一度くらいは吹き飛ばされるかもしれないと覚悟はしていた。


「我の鱗が……切り裂かれた?」


 アビスは綺麗に斬られた自分の鱗に手を添え、呆然とつぶやく。


 俺の打撃が通じない以上、もう頼れるものはシュヴァルツによる魔力のこもった斬撃しかない。

 だからその斬撃を確実に命中させるため、刃から意識が逸れるように手放したのだ。

 正直成功するとは思っていなかったが————まあ、運がよかった。


 だが、これで。

 

「終わりだ……アビス」 


 俺は呆然としたままのアビスの目の前で、シュヴァルツを振り上げる。

 刀身に魔力を通せば、黒い光が滲みだした。


「くっくっく……なるほど、これが油断じゃな」


 諦めたように笑うアビスに、剣を振り下ろす。

 確かな手ごたえの下、シュヴァルツは先ほどの傷の対角線になるようにアビスの体を深く斬りつけた。

 夥しい量の血液が噴き出し、彼女の体が崩れ落ちる。


 ————そして、まるで煙のように霧散した。


「なっ……!」

「————うむ、我を出し抜いたところまではよかったが、残念じゃったのう」


 たった今斬って捨てたばかりのアビスの声が鼓膜を揺らす。

 声のした方向へ視線を向ければ、彼女は家屋の屋根に腰掛け俺を見下ろしていた。


「我も残念じゃった。竜に選ばれた人間とは、思いのほか弱いんじゃな」

「な……んで……」

「哀れじゃから、一応伝えておこう。分身などというチャチなもんではないぞ? これは肉体変化の応用じゃ」


 屋根の上で喋っていたアビスは、斬られた後と同じように霧散する。

 そして気づけば、俺の目の前に立っていた。


「お主の一撃は確かに我の鱗を切り裂いたが、あの程度の損傷なら肉体変化の内で治せる。ま、これができるのは神竜の中でも変化を使い慣れた我だけじゃがな」

「ごっ……!」

 

 アビスの手が、俺の首へと伸びる。

 まったく反応できなかった俺はそのまま首を鷲掴みにされ、無理やり道端へと投げ飛ばされた。

 肺が押しつぶされ、酸素が逃げる。

 呼吸困難に陥った俺は、何とか息を吸おうと藻掻いた。


「残り一分あるかないか、と言ったところか。まあ、十分じゃな」

「はっ……はっ……」


 息が吸えないままでも、俺は地面を這いつくばるようにしてアビスへ視線を向ける。

 

「人間とは策略を巡らせることで他種族と渡り合うか弱い生物であることは知っている。お主も例に漏れず、頭を使った攻撃に関しては目を見張るものがあった」

「……っ」

「じゃが、何度も言うように我が確かめたいのはそんなものじゃない。本能に任せ、竜の力だけで戦え。人間でしかないお主に興味などないのだから」


 そう言われたところで、もう魔力は枯渇しかけている。

 あと一分ほどだとアビスは言ったが、たったその時間すらも強化状態を保っていられない。

 残された選択肢は、たった一つ。


「そろそろ呼吸は整ったか?」

「……ああ」


 ようやく酸素が体に回った。

 体の崩壊を度外視した命がけの技、"オーバータイム"。

 あれなら、瞬間出力は竜魔力強化を上回ることができる。


「————オーバータイム」


 体の奥底から、熱と共に力がこみ上げてくる。

 当初の予定通り、もう全力で攻め続けるしかなさそうだ。


「ふむ、ようやく余計なものが消えたようじゃな」

「行くぞ……!」


 地面が割れるほど踏みしめ、俺は一気にアビスへと肉薄する。

 拳を叩きつけるフリをして、さらに方向転換。

 フェイントの要領でアビスの視線を前方に釘付けにし、真後ろに回り込む。


竜ノ剛腕シュタルク・アルム・ドラッヘ!」


 がら空きの後頭部目がけ、全力の大技を放つ。

 しかしアビスは振り向きすらせず、俺の一撃を首を傾けるだけでかわしてしまった。


「だ、か、ら、小細工するなと言っておろうが」

「あがっ」


 アビスの肘が、鳩尾にめり込む。


「さっき学んだ限りでは、ここが人間の弱点なんじゃろ」


 体が痙攣し、動きが止まる。

 そうして俺が怯んでいるところに、アビスの後ろ回し蹴りが叩き込まれた。

 命中した位置は側頭部。

 とっさに立っていることを諦め、脱力することで衝撃を緩和する。

 そうしていなければ、おそらく頭蓋骨が完全に割れてしまっていただろう。

 

「くはは! ダメージを逃がしたか! じゃがそんなことしているうちは、まだまだ竜の力には順応できんぞ!」

「はっ……はっ……」


 視界が揺れ、吐き気がする。

 それでもまだ休めない。

 

 どうすればいい?

 竜の力はどうすればもっと解放できる?


「何を難しい顔をしている? 竜にできることをもっと意識すればいいだけのことじゃろうが」


 竜に、できること?


 その時、俺の頭に地底湖での記憶が頭を過ぎった。

 落下するクリオラを助けなければと思った瞬間、俺の体には今までにない感覚があったはず。

 

「————そうじゃ、それでいい」


 背中の衣服を一部吹き飛ばし、俺の体を覆うほどの大きさに広がったそれは、紛れもなく竜の翼。

 エメラルド色のその翼から、脳に直接神経が繋がった感覚が走った。

 

 行ける、動かせる。


「づっ……」


 その時、胸元を中心にビキビキと音を立てて皮膚にヒビが走り始める。

 ヒビ割れた部分の皮膚は次第に色を変え始め、やがて翼と同じ色へと完全に変化した。


「くくくっ……いい眼になったのう」


 アビスが腕を再び竜へと戻して俺に向かってくる。

 さっきは捉えられなかったその動きも、今はかろうじて見えていた。

 

 翼を動かし、一瞬だけ宙に浮かび上がる。

 そうすることでアビスのかぎ爪をかわし、今度は拳ではなく、シュヴァルツを振り下ろした。


「おっと、危ないのう!」


 嬉々として俺の一撃をかわしたアビスは、再び懲りずにかぎ爪を突き出してきた。

 

 ————ここだ。


 俺はその突きをかわして、懐へと潜り込む。

 同時にシュヴァルツから手を離した。

 正直、もう体力も魔力も限界だ。

 この後体が壊れてしまったとしても、ここで全力を叩き込まなければどのみち死ぬことになる。


 だからこそ、すべてを出し切るのだ。


「オーバータイム……!」

「っ————」


 この時、アビスの顔から初めて余裕が消えた気がした。


竜ノ強双撃ツヴァイ・アルム・ドラッヘッ!」


 両拳を、同時にアビスの胴体へと叩き込む。

 とっさに皮膚を鱗へ戻したのだろう。

 俺の腕はそれすらも砕く(・・・・・・・)感触がして、アビスの胴体に深々とめり込んでいた。


「く……はははは! 正直これは効いたぞ」


 アビスの口元から血がこぼれる。

 しかしすぐに彼女は俺の突き出した腕を鷲掴んだ。


(これでも……駄目か)


 直後、腹部に激痛が走る。

 いつの間にか人間体に戻ったアビスの腕が、今の俺の攻撃と同じように深々と突き刺さっていた。


「さて、反撃タイムじゃ」


 そこから先の記憶は、もう途切れている。

 

 かろうじて覚えていたのは、自分の体が反動で壊れていく感覚と、アビスから絶えず浴びせらる気持ちのいいくらいの暴力の嵐。

 

 巨大なかぎ爪で体を大きく抉られた瞬間、俺の意識は完全に消失した。

 

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