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016 小手先

「アビス……何故貴様は俺を試すようなことをする」

「む?」


 息を整えながら、俺は問いかける。

 純粋に奴の目的が気になるのは間違いないが、これでほんの数秒だとしても時間を稼ぐつもりだ。


「お主は、エルドラがどんな存在か知っておるか?」

「え?」


 アビスはゆっくり体を起こし、立ち上がる。

 一時的ながら、そんな彼女からは殺意を感じない。


「奴は、我々神竜の中でもわずかながらに抜きんでた実力を持っている。我もエルドラには一目置いていた」


 ま、故に陥れてやったのだが————。


 そう言って笑うアビスに対し、俺は思わず殴り掛かりそうになる。

 しかし今は何より時間が必要だ。

 俺は歯を食いしばって衝動に耐え、話の先を促す。


「そんな女が選んだ人間……興味が湧かぬわけがなかろう?」

「選んだ……? どういう意味だ」

「今のお主に伝えたところで、理解できるはずもない。生き延びることができれば、いずれ分かるじゃろうよ」


 ————どうやら、話はここで終わりのようだ。


 さて、と一拍置いたアビスから再び殺意が溢れ出す。

 もう少しでいいから休ませてほしかったが、そう我儘も言ってられないらしい。


「残り二分ってところかのう。我も少し本気を出すとしようか」


 俺はとっさに目の中が熱くなるほどの魔力を注ぎ、視力を限界まで強化する。

 そこまでして、ようやく自分へ向かってくるアビスの蹴りの軌道が見えた。 

 しかし見えたところでもう遅い。

 腕を挟み込んでクッションにしたものの、肉と骨が潰れる音がして、俺の体は勢いよく近くの店先に突っ込んでいた。


「がっ……」


 呼吸ができない。

 威力を殺しきれず、腕の肉と骨を貫通してあばら骨まで砕かれたのだ。


「せっかくだ、とことんお主らの土俵で戦ってやる。ほれ、はよう来い」

「くっ……そぉ」


 体の再生が遅い。

 ダメージが大きすぎて、魔術が追いついていないのだ。

 

 俺は瓦礫をかき分けて建物から出ると、その場にシュヴァルツを落とす。


「む? 武器を捨てるのか?」

「捨てるわけじゃない。ここまで身軽にならないと、貴様の攻撃が避けきれないだけだ」

「はー、情けないのう。貴様のような人間を選んだエルドラが気の毒じゃ」


 相変わらず訳の分からないことばかり言う。


 ————いや、一々聞く耳を持とうとしている俺が馬鹿なのか。

 

(もはやただの蹴りすらかわせない……ならあと二分間、常に出力を最大にして攻めに転じる)


 残りの時間は、きっと本格的に息継ぎなどできなくなるだろう。

 常に休まず攻撃を浴びせ、アビスに攻撃する暇を与えない。

 はっきり言おう。

 もうここまで来ると、半分やけくそだ。


竜魔力強化(ドラゴンブースト)!」


 体からエメラルド色のオーラが立ち上る。

 アビスに殺されるか、それとも自分の強化のせいで体が崩壊して死ぬか。

 どちらも死が避けられないのだとしたら、俺は自分の力で死ぬ方を選ぶ。

 アビスに殺されるなんて、死んでもごめんだ。


「三十秒! 竜ノ左腕リンクス・アルム・ドラッヘ!」

「ふん、その程度の威力じゃ後退すらしないと学んだじゃろ?」


 アビスは俺の攻撃に対して防御姿勢を取らない。

 ならば遠慮なく叩き込ませてもらおう。

 俺の拳は確かな手ごたえと共に、アビスの胴に衝撃を伝えた。


 この攻撃は、一種の賭け。

 賭けに勝つことができたらな、俺の攻撃に意味が生まれる。


「かっ————なんじゃと……?」


 アビスが息を詰まらせる。

 ダメージと言うにはあまりにも小さな一撃だったが、彼女は自分に起きたことが理解できずに距離を取ってくれた。

 

 俺が狙い打ったのは、アビスの鳩尾。

 人間の体には、正中線と呼ばれる頭から股下にかけて走る一本の線がある。

 これはある意味急所同士を結び合わせた物とも言い変えることができ、上手く入ればたった一撃で戦闘不能にすることもできる部位だ。


 しかし、相手はドラゴン。


 正中線なんてものは存在せず、そもそも弱点すら存在しない可能性すらある。

 ただ、今の彼女は人間の体を模していた。

 臓器や骨格をすべて人と同じ構造にしているのだとしたら、弱点は人間に寄ってしまうはず。

 回復魔術を学ぶ段階で、人体の構造や医学を一通り学んだ俺なら、その弱点に狙いを定めることに関してはそう難しい話ではない。


(見た目に惑わされるな……!)


 いくら鳩尾を殴りつけたところで、今の感触からして一瞬呼吸を詰まらせる程度の効果しか期待できない。

 女の顔を殴るなんて抵抗しか覚えないが、今この状況においてはそうも言ってられないだろう。

 相手は凶悪な魔物だと自分に言い聞かせ、俺は今一度飛び込んで拳を振るった。


「しっ!」


 一息の下、横振りの拳をアビスの顎に当てる。

 強烈な衝撃などない、ただの拳。

 しかし当たった場所が顎であることが重要だ。


「お……?」


 アビスの体がぐらりと揺れた。

 顎の先端に衝撃を与えれば、その真上にある脳がダメージを受ける。

 いわゆる脳震盪。

 意識ははっきりしていたとしても、この状態になるとまともに立っていることは難しい。


「ふーむ、人間の肉体とは不便よのう」

「六十秒……!」


 人間なら戦闘不能になる攻撃も、アビス相手では時間稼ぎにしかならないだろう。

 ただ、その時間が重要なのだ。

 時間さえあれば、大技を急所に叩きこめる。


竜ノ右腕レヒト・アルム・ドラッヘッ!」


 渾身の一撃を、もう一度アビスの鳩尾に叩き込む。

 正拳突きの姿勢で放たれたその拳は、彼女の体を貫通するほどの衝撃を与えた。


「……あ、れ?」


 しかし、彼女の鳩尾にめり込んだはずの俺の拳は、目の前で砕けていた。

 肉が避け、血が滴る。

 遅れてやってきた激痛が、俺の脳を焼いた。

 

「ぐっ————あぁぁあああ!」

「人間の体で遊んでいればいい気になりおって……我が試したいのは、そんな小手先の技じゃないぞ」


 アビスの胸元には、漆黒の鱗が浮かび上がっていた。

 おそらく皮膚を竜に戻したのだろう。

 俺の六十秒分の攻撃では、あの鱗を越えてダメージを与えることすら難しいらしい。


「見せろ! エルドラから受け渡された力の根幹を! 我らが同胞の血を!」

「なっ……⁉」


 アビスは俺の治ったばかりの拳を無理やり握ると、そのまま腕力だけで俺を投げ飛ばす。

 抵抗虚しく投げられた俺は、先ほど吹き飛ばされた際に飛び込んでしまった店先に再び叩きつけられた。


「かはっ」

「そら、本能を解放しろ。そもそろ人間ごときが我らの力を抑え込めるわけがないのじゃ。力に身を任せ、暴れ狂え」

「そ、そんなこと————」

「できないのなら、死ぬだけじゃぞ」


 いつの間にか眼前に立っていたアビスは、俺に向け手を伸ばす。

 その先に集まっているのは、魔力を凝縮したエネルギーの塊。

 これが放たれれば、俺は死ぬ。


 だが————。


「……ベストポジションだ」

「む?」


 今の攻防で積まれた新たな瓦礫の下から、俺は腕を引き抜く。

 次の瞬間、アビスの体を斜めに分断するかのように、一筋の線が走った。

 走った線からは血が噴き出し、地面を濡らす。


 俺の腕には、先ほど身軽になるために落としたはずの神剣シュヴァルツが握られていた。

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