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011 奴隷市場

 奴隷オークションというものがある。

 金持ち向けに行われる定期的なイベントで、上等な教育の施された者や、珍しい種族の者、それ以外でも何かしら特技に秀でた者などが売り出される。

 初めから優秀な人材を購入したいなら、間違いなくオークションが開かれたタイミングを待つのがいいだろう。

 しかしオークション自体は月に一度程度しか開かれない。

 今は時期も悪く、ちょうど終わってしまったばかりだった。

 もう少し早く調べていればこんな不都合はなかったのだが、もうこれに関しては仕方がない。


 そうなると俺たちに残された選択肢は、常に開かれている奴隷市場からの購入だった。

 犯罪者奴隷や一般教育を受けていない身売りされた奴隷などは、よほど容姿に恵まれているようなことがない限りは市場の方で売られる。


「ようこそ! レーゲン奴隷市場へ!」


 俺たちが奴隷市場を訪ねると、恰幅のいい初老の男性が出迎えてくれた。

 そんな身なりのいい格好とは対照的に、店自体は堂々とした場所にはなく、商店通りや住宅街とは離れた薄暗い場所にある。

 法律的に定められたある種の救済措置とは言え、人を物のように扱う行為である以上は表立って商売することはできないのだろう。


「冒険者の方々ですか?」

「はい。自宅の家事を任せる人材が欲しくて来たんですけど……」

「なるほど。そういうことでございましたら、当店はお客様のニーズにお応えできる自信がありますよ」


 中へどうぞ————。


 そう促され、俺たちは三人で店の中へと足を踏み入れる。

 その途端、俺の鼻を濃縮された獣臭が痛めつけてきた。

 涙がジワリと滲み、思わず鼻を押さえる。


「私でも不快な気分になるレベルだが、ディオンとエルドラは大丈夫か?」

「お、俺には少しきついかも……」


 ケールさんの店を訪ねた時と同じ感覚だ。

 あの時は薬の匂いでエルドラも苦しんでいたが————。


「私は大丈夫。人工的な匂いじゃないから」

「そ……そういうもんか」


 言われてみれば、獣臭で一々苦しんでいたら、自然界で生きていくことなど不可能か。

 加えてエルドラは霊峰と呼ばれる人の手の届かない場所に住んでいたのだから、自然界にある匂いなら大抵は慣れているということになる。


「おや? ご気分でも悪いのですか?」

「いえ……お気になされず」

「そうですか。ではこちらに」


 俺たちは奴隷商に案内されるがままに、奥へと延びる廊下を歩く。

 廊下の左右には檻があり、中にはいくつか人影が見えていた。

 

「奥へ行くほど、いい奴隷が揃っていきますので、まずは一通り眺めてみることを推奨しております」

「分かりました」

「私は皆さまの後ろを歩かせていただくので、お気に召しました奴隷がいましたら、気軽に詳細をお聞きください」


 奴隷商は一度頭を下げ、俺たちの後ろにつく。

 まずは俺たちの方でじっくり品定めしろということらしい。


「……っ」


 俺はとりあえずと思って覗いた檻の中に対して、息を呑んでしまった。

 真っ黒に濁った眼、最低限の食事しか与えられていないであろう細い体。

 女性的特徴を失いかけているその女性は、光を宿さない目を俺へと向けている。


「ディオン……私、あまりここ好きじゃない」

「……そうだな。俺もここは苦手だ」


 目の前でそんな会話をしていても、奴隷商は何も言わないし、表情も変えない。

 勝手な憶測だが、彼らもただ仕事として今の立場を認識しているのだろう。余計なプライドなどは持たないようにしているように見える。


「早く見て回ろう。変に情が湧いてしまう前に」


 彼女らを救おうだなんて考えてはいけない。

 この中には犯罪者だって混ざっているだろうし、そもそもいくら大金を持っていたとしても、買える人数には限りがある。


「————ディオン、珍しい種族がいるぞ」

「え?」


 ユキが俺の肩を叩き、一つの檻の中を指差す。

 そこには緑髪の少女が膝を抱えて座っていた。

 髪の間から見えるその耳は、人とは異なる形をしている。


「エルフ、か?」

「その通りです、お客様。この奴隷は"呪印"を持つせいでエルフの隠れ里から追放された、巷で言うところの"いわくつき"でございます」

「呪印か……」

「始めは珍しい種族ということもあり、オークションの方へ回されかけたのですが……エルフの里の使いの者は、彼女の欠点を隠して売りつけてきたのです。まあ、よくある話なんですけどね」


 そう言って、奴隷商は諦めたように笑った。

 オークションで売られる者と、こうして市場で売られる者、その間には金額という指標の下で大きな差がある。

 売りつける側としても、できるだけ高い金額にしたいのは共通認識だ。

 少しでも値段を上げるためには、平気で嘘をつく。


「商人、その呪印の内容は?」

「……五感の喪失、らしいです」


 ユキの問いに、奴隷商はそう返す。

  

 俺は頭を抱えそうになった。

 そもそも"呪印"とは、生まれ持った病のようなものである。

 何故"呪"という言葉が使われるのかと言えば、病と言うにも全く原因が分からないからだ。

 原因不明で、生まれながらに苦しむ羽目になる者もいる。

 もはや何者かに呪われたとしか思えない症状が故に、皆はそれを"呪印"と呼んだ。


「喪失と言っても徐々に失っていく呪印のようで、現在は視覚と嗅覚をほとんど失ってしまっています。触覚も少し危ういですが……」


 この説明では、俺たちのニーズは満たせない。

 視覚のない少女に、何の家事をやらせようと言うのだろう。

 俺は諦めるために、彼女から視線を逸らした。

 

 しかし、胸の奥がズクリと疼く。

 

 まだできることがある————そう訴えかけるように。


「……商人さん。彼女の呪印を解くことができた場合、値段はどうなりますか?」

「この奴隷の呪印を、ですか?」


 彼は驚いたように俺を見る。

 それは近くにいたユキも同じで、唯一現状を把握できていないエルドラは、訳が分からないと言った表情で首を傾げていた。


「ま、まあ……初めに定めた値段は下げることはあっても上げることはないというのがウチのモットーですから。仮に解呪できたとしても、現状の値段のままで結構です」

「そうですか……」


 初めに言っておこう。俺は呪印の解呪などしたことはない。

 それでも何故か————妙な自信が湧き上がって来ていた。


 奴隷商に牢の鍵を開けてもらい、俺は中へと足を踏み入れる。


「……誰、ですか?」


 俺が踏み込んできたことに気づいたのか、少女は顔を上げる。

 奴隷商が言った通り、視力はほとんどないのだろう。

 焦点の合わない目だけが、空中を泳いでいた。


「俺はディオン。冒険者をしている。君の名前は?」

「メリーは……メリーって言います」

「メリーか。やっぱり、目は見えていないか」

「はい。何日か前に、全く見えなくなりました」


 彼女の声には、諦めの色があった。

 自分の運命を呪うことすらしていない、ただ終わりを待つ声。

 今の彼女は、言ってしまえば奈落へと落ちた俺よりも絶望的な状況だと思う。

 そんなメリーに対して、俺は————。


「————ジッとしててくれ」

「え?」


 メリーに対し、俺は手をかざす。

 世界中に溢れるダンジョンが神の与えた試練なのだとしたら、彼女の体を苦しめる呪いは、神の下した嫌がらせに違いない。

 

 そんな物、消えてなくなって(・・・・・・・・)しまえばいい(・・・・・・)

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