008 恐ろしく簡単に
順調にダンジョンを進んでいると、俺たちはついにこんな環境に存在すること自体が不釣り合いな巨大な扉の前にたどり着いた。
「この向こうから強い気配がある。多分ダンジョンボスだ」
「……そうですか」
俺とクリオラは、その歩みを止めていた。
ダンジョンボスの部屋————つまりはここが最深部ということになる。
エルドラたちと離れる際、俺は確かに深部の方で会おうと声をかけた。
ここまで来る間では彼女らの気配すら感じ取れなかったが――――。
「……っ、エルドラたちの匂いだ!」
遥か後方からようやく感じ取れたその匂いに、俺は表情を明るくする。
「女性の匂いに対して明るい声を発するのはどうかと思うのですが……」
「た、確かに……」
言われてみれば、自分で言っておいて少し気持ち悪い。
そんな心を落ち着けながら、俺は自分たちが歩いてきた道を振り返る。
確か途中に別れ道があった。
俺たちが進まなかった方向から、彼女らはやってきたのだろう。
「————ディオン!」
薄暗い道でもまるで輝いているように見える金髪が揺れたかと思えば、それは瞬きほどの一瞬のうちに目の前に迫っていた。
自分がエルドラに抱きしめられたと気付いたのは、それから数秒後のことである。
「ディオン、無事でよかった」
「あ、ああ……そっちこそ」
「私たちは何の問題もない。ただ……」
エルドラが、どこか不快感を浮かべた目で後方に視線を向ける。
同じく無事なユキのさらにその後ろで、満身創痍な様子のセグリットとシンディが肩を貸し合って歩いてきていた。
二人とも傷だらけで、精根尽き果てた様子である。
「奴らは私とエルドラのペースについて来れなかった。ただそれだけのことだ」
「ユキ……」
「ともかく、合流できてよかった。怪我はないか?」
俺に抱き着いていたエルドラを無理やり引き剥がしながら、ユキはそう俺に問いかける。
その行動に含まれた妙な威圧感に気圧されつつも、俺は一つ頷いた。
「く、クリオラ! そこの卑怯者に何もされなかったか⁉」
「……ええ」
卑怯者?
俺が首を傾げていると、その様子が気に障ったのかセグリットの方から言葉で噛みついてきた。
「パーティのお荷物だったお前が急に強くなるわけがない。どうせ汚い薬にでも手を出したんだろ!」
それはお前だろ――――と言いたかったが、ぐっと言葉を呑み込む。
その気持ちはクリオラも同じだったようで、一つ咳ばらいをして堪えていた。
今だけは、彼女と深く心を通わせられる気がする。
「ユキさんやその女性だってそうだ! 卑怯な手を使って洗脳でもしない限り、お前のような男について行くわけがない!」
「ねぇ、ディオン。私そろそろ本当にこの人許せないかもしれない」
エルドラが一切の冗談を含まない目で俺を見るせいで、味方ながら少しだけ寒気がした。
このままでは本気でセグリットを殺しかねないな――――。
「……あいつのことは無視しよう。それより、ボス攻略だ」
「むぅ、分かった」
エルドラとユキから俺よりも強い怒りを感じるせいで、俺自身の怒りが抑え込まれているという部分は正直存在する。
この先、奴が地獄を見ることが分かっているというのも大きいか。
そう考えれば考えるほどに、奴の滑稽さが浮き彫りになってくれる。
後ろで喚き散らかすセグリットを放っておき、俺とエルドラとユキの三人は、ボスの部屋の扉を見上げた。
「予期せぬ形とは言え、ここまで来てしまったんだ。討伐していくか?」
「ああ、俺もまだ一回戦うくらいの魔力ならあるし、ついて行けると思う」
Aランクダンジョンとは言え、ボスともなればそれなりに強いはず。
ただ、油断だけはしないようにして、後は二人の足を引っ張らないようにすればそこまで苦労することもないだろう。
「ぼ、僕らも――――」
「無視するぞ、ディオン」
この期に及んで俺たちの攻略のおこぼれにあずかろうとする情けない男の声を無視し、俺たちはボス部屋の扉を開いた。
◇◆◇
「……蛇か」
ユキがそんな言葉をこぼす。
俺たちの目の前には、あまりにも大きい二つの蛇の頭が浮いていた。
双頭の大蛇————。
奴らの巨大な胴体は一つの肉体に繋がっており、胴体自体はこの空間の奥でとぐろを巻いている。
そして爬虫類の独特なぎょろりとした目が、俺たちを睨んで離さない。
ユキが剣を抜き、エルドラが拳を構える。
俺もシュヴァルツを抜き、薄く魔力を込めて構えた。
「……行くぞ!」
俺の声かけに合わせて、エルドラとユキが飛び出す。
その速度は、竜魔力強化を施した俺でも簡単には追いつけない。
セグリットたちがボロボロだったのは、常にこのペースで動き続ける彼女らに振り回されたからだろう。
その部分だけは、ほんの少しだけ同情できた。
「斬華————」
ユキの華が開くような斬撃が、片方の蛇の頭に向けて放たれた。
しかしその蛇は体を器用にくねらすと、彼女の斬撃をかわす。
「ディオン! エルドラ! 二つの頭は私が引き受ける! 貴様たちは付け根の部分を!」
それと同時に、ユキが俺たちに指示を飛ばした。
どこまでも冷静な判断。
だからこそ俺はすぐにその指示に従える。
————エルドラはどこか不服そうだが。
「エルドラ! 頼む!」
「ん、分かった」
エルドラが真っ直ぐ胴体に向けてかけていくのを見て、俺はシュヴァルツを振り上げる。
あの巨体を両断できるだけの魔力となると、竜魔力強化の時間に換算して三十秒から五十秒は必要だろう。
まだ余力はある。
ここは安定を取って、シュヴァルツに五十秒分の魔力を注ぎ込んだ。
「む……」
真っ直ぐ胴体へ向かっていくエルドラに、何かが迫る。
あれは尾だ。
巻かれたとぐろの中に隠されていた、奴の尻尾。
鋭く硬化した蛇の尻尾が、エルドラを貫かんと迫ってくる。
そんな攻撃を、エルドラは片手で受け止めた。
「危なかった」
心のこもっていない声でそうつぶやいた彼女は、そのまま腕だけを竜の状態に戻し、その巨腕で蛇の尾を握りつぶす。
肉の潰れる嫌な音が響き、彼女の握りしめた拳の隙間から蛇の血が滴り落ちた。
「でかした!」
ユキがそう叫ぶと、二つの蛇の頭が同時に苦悶を訴えるかのようにのたうち回り始める。
その隙を逃す彼女ではない。
ユキは片方の頭の上へと跳び上がると、真上から真下へ剣の先端を突きこんだ。
剣は蛇の頭を貫き、そのまま地面に縫い付ける。
「「ディオン!」」
二人の声が聞こえた。
それと同時に、俺は黒い光を限界まで蓄えたその剣を振り下ろす。
シュヴァルツから放たれるそれは、黒い飛ぶ斬撃。
地面を抉りながら進んで行く斬撃は、真っ直ぐ蛇の胴体へと向かっていく。
蛇は逃げようと体をくねらせるが、片方の頭が地面に縫い付けられているせいで上手く身動きが取れない。
そしてその斬撃は、恐ろしく簡単に奴の胴体を両断した。




