005 地底湖
「な、何を言ってるんだよシンディ。ダンジョンを二人で攻略するなんて危険すぎる! パーティメンバーは四人がベストなんだ!」
「でも……」
シンディがチラリとユキたちへと視線を送る。
その視線を受けて、彼女らは同時にため息を吐いた。
「よく分からないけど、私はあなたたちと一緒に進む気はない」
「同感だ。ついてくるのは勝手だが、一時的だとしてもパーティメンバーに加わる気はない」
二人はこれ以上問答するだけ無駄とでも言うように、そのまま通路を歩いていく。
何を思ったか、それを肯定的なものだと受け取ったセグリットは、シンディの手を引いて同じ道に駆けだした。
「ほら、ユキさんたちがいるなら安心だ!」
「……うん」
こうしてディオンのいない場所で、奇妙な四人パーティができあがった。
パーティだと思い込んでいるのはセグリットだけだが————。
「ねぇ、ユキ……」
「やめておけ。思っていることは一緒だが、現状実害がないのに始末したらディオンが悲しむ」
「……うん、分かった」
エルドラは拳を握りしめ、己の中に湧いた殺意を抑え込む。
その気になれば、彼女らが後ろの二人を始末するのに十秒とかからない。
臨戦態勢であるならばともかく、セグリットに関しては女性に囲まれているという現状に若干鼻を伸ばしている。
ここでセグリットを始末したとて、ディオンは決してエルドラを責めることはしない。
しかし間違いなく笑顔を浮かべないということだけは、彼女でも理解していた。
「ともかく最短で下に向かうぞ。エルドラ、貴様の鼻が頼りだ」
「分かってる」
ディオン目線ではいまだ確執のあった二人の関係が、今まさに嫌悪感という感情の下結託しようとしていた。
◇◆◇
「グランドベアーか……」
俺の目の前には、体を起こして腕を振り上げた巨大なクマが立っていた。
グランドベアー、冬眠の時以外でもその生活のほとんどを土の中で過ごす巨大なクマである。
大きさとしては三メートルほど。
単体ではBランクの魔物である。
「クリオラ、下がっててくれ」
「舐めないでください。私だってAランクの冒険者ですよ」
「……じゃあ頼む」
「急に意見を変えられると、それはそれで驚いてしまうのですが」
相変わらず俺の能力は連発できないまま。
できることならば強敵相手までは温存しておきたいし、Bランク程度の相手なんぞに一秒たりとも魔力を消費したくない。
(Bランク程度、か)
俺は思わずそう言い切った自分を笑う。
いつの間にかそんな風に思えるようになっていただなんて、俺も成長したもんだ。
これもすべては、エルドラのおかげである。
「轟け————ライトニングブラスト!」
『グオォォォオオオ……オ……オォ……』
光り輝く稲妻が、グランドベアーの胴を貫く。
うっすらと焼け焦げた匂いのする中、魔物の体はゆっくりと後ろへと崩れ落ちた。
「これでよろしいですか?」
「あ、ああ……助かった」
クリオラは前を向き、そのままさらに奥へ奥へと進んでいく。
やっぱり強い。
威力はもちろんだが、何よりも発動までの時間があまりにも短かった。
これだけ速いと、正直初見で避けられる自信がない。
それに加え————妙な違和感がある。
今現在ですら本気を出していないような、そんな違和感。
どう探っても、セグリットよりも底が深いような————。
「何をしているんですか? 先に進むのでしょう」
「あ、ああ……」
思わずボーっとしてしまった。
俺は頭を振って雑念を払い、クリオラの横に並ぶ。
何にせよ、頼もしいことには間違いない。
俺たちは、そのまま順調にダンジョンの奥へと歩みを進める。
できる限り魔物と戦わないために、基本的な索敵は俺が担当した。
とは言え大した魔物の匂いはほとんどなく、戦わざるを得なかった奴に関してもクリオラの魔術で瞬殺できる程度の力しかない。
罠もほとんどは俺の鼻で見分けられてしまうし、正直順調過ぎるとしか言いようがなかった。
————恐ろしいほどに。
「……? 水の匂いがする」
「さっきから気になっていたのですが、その……あなたは鼻が利くのですか?」
「ああ、少なくとも一般人よりはな」
俺たちが向かう先、そこには巨大な地底湖が広がっていた。
水の匂いがしたのは、間違いなくここである。
「水の匂いなんて感じ取れるものなんですか?」
「水自体に強い匂いはないけど、例えば水の中に生きる生物とか……そういう奴らの生臭さは感じ取れる」
「なるほど……つまりこの地底湖の中にも生物はいると」
「そういうことになるな」
そう、この水の中から魔物の匂いがする。
幸い地底湖の周りに陸地が続いており、水の中に入る必要はなさそうだ。
水にさえ触れなければ、水中の魔物など大した脅威ではない。
「あんまり道幅は広くない。気を付けてくれ」
「言われなくても分かっています」
ぬかるんでいる陸地は滑りやすく、俺たちは足元に注意しながら慎重に進むことにした。
「————ん?」
半分ほど進んだ時、奇妙な音が俺の耳へと入ってきた。
俺の視線は、ダンジョンの壁へと向けられる。
「どうしたのですか? その壁に何か?」
「いや……」
気のせいか?
そう思い、念のため耳を澄ます。
すると————気のせいかと思ったその音は徐々に近づいてきていることに気づいてしまった。
しかも、すぐそこに。
「危ない!」
俺はとっさにクリオラに手を伸ばす。
次の瞬間、洞窟の壁が爆ぜるように吹き飛び、そこからグランドベアーが飛び出してきた。
その牙の向く先は、間違いなくクリオラである。
竜の血で強化されたはずの俺の反応速度ですら、一瞬動き出しが遅れてしまった。
グランドベアーがこんな不意打ちをするだなんて聞いたことがない。
奴らは確かに洞窟内にこもる習性があるが、あくまでそれは眠るため。
こんな攻撃はあまりにも想定外すぎた。
「うっ————」
吹き飛んできた岩に押され、クリオラの体勢が崩れる。
俺が割り込むのに躊躇したその一瞬で、彼女の体とグランドベアーの体が地底湖の水面に吸い込まれていった。
舞い上がった水飛沫を呆然と眺めてしまった俺は、正気を取り戻すと同時に水面を覗き込む。
「クリオラ!」
水面にはポコポコと泡が浮くばかり。
薄暗いこの場所ではクリオラの姿すら見えない。
(クソっ……!)
俺は纏っていたローブを脱ぎ、多少身軽になった状態で地底湖へと飛び込んだ。
水の中故に視界がぼやける。
しかし薄っすらと、底に近い場所に人影のような物が見えた。
そしてその近くでもがいている巨大なグランドベアーの姿も。
(まずはこの視界を何とかしないと……)
目に魔力を集中する。
いつもよりも多めの魔力で強化すれば、ようやくぼやけていた視界にピントが合い始めた。
こんなことまでできるのか、便利だな。
(……あれは?)
視界が確保できたことで、俺の目に奇妙な物が映っていることに気づいた。
水中を高速で動く巨大な影————それは真っ直ぐにグランドベアーとクリオラの方へ向かっている。
まずい。
そう確信した瞬間には、水中に赤い血がまるで溶けだすかのように広がり始めていた。
そしてグランドベアーの体が、元々あった場所から消えている。
「……ばじが(マジか)」
流れ出た血を目で追い、ようやくその体を見つけることに成功した。
首から血を流すグランドベアーには、巨大な牙が食い込んでいる。
そこにいたのは、グランドベアーよりも二回りほど大きいサメの魔物だった。
水中では鼻も耳もよく利かない。
故にこのサメの脅威度を測ることができない。
それなのに、こいつはヤバイと本能が言っている。
本来人間の目は水中では光の屈折だとか云々で見えにくくなってしまうそうですが、ディオンの場合はある変化が目に起きたためよく見えるようになりました。




