004 崩落
「ディオン!」
背中にユキの声が当たる。
だけど、それでも。
目の前で誰かが置き去りにされようとしているのに、見て見ぬふりなんてできない。
「三十秒! 竜ノ右腕ッ!」
クリオラに噛みついているロックイーターに、拳を叩きつける。
破裂音がして、肉が弾けた。
散らばる肉片と共に落下し始めるクリオラの腕を掴むと、そのまま抱きかかえる。
「少しの間我慢してくれ……っ!」
「っ……⁉」
腕の中で、クリオラの体が硬直したのを感じた。
地面が迫ってくる。
俺の体が強化状態である限り、ある程度の高さから落ちたところでダメージはない。自分の体をクッションにするため、背中を地面へと向けた。
「ディオン、駄目っ」
「え?」
しかし、ダンジョンというのはそう人間に都合のいいようにはできていない。
エルドラの声が耳に届いた時にはもう遅く、それは起こった。
背中が地面についた瞬間、強い衝撃が走り、地面の感覚が消失する。
(地盤が……!)
ロックイーターが馬鹿みたいに掘り進んだ結果、地面が空洞だらけになっていたらしい。俺たちが落ちた程度の軽い衝撃で、崩落現象が起きてしまった。
体を浮遊感が包む。
崩れ落ちる地面と共に、俺とクリオラの体は地下へと落ちて行く。
「っ! ユキ、エルドラ! 深部を目指せ! 後で合流しよう!」
「ディオン!」
大丈夫。このダンジョンはどんどん地下へと潜っていく造りだ。
下へと落ちるのならば、いずれさらに下の階層で合流できるはず。
ともかく今は瓦礫に当たらないようにしながら、着地のことを考えよう。
(くっ……! あれは地面か⁉)
目に魔力を集中させ、真下に何があるか目を凝らす。
少し離れているが、ロックイーターの巣から逃れた地面がようやく見えてきた。あとは何とかして衝突のダメージを軽減する。もう一度竜ノ右腕を放てば、限りなくダメージを減らせるはずだが――――。
「動かないでください。浮かせ――――フロー」
腕の中で、クリオラが魔術を唱える。
すると俺たちの体は空中でぴたりと静止し、そのまま宙に留まった。
「これは……」
「風の魔術の初歩です。この距離なら普通に飛び降りることができるでしょう?」
「あ、ああ」
クリオラが魔術を解除し、俺たちは地面へと降り立つ。
ロックイーターが好き勝手動きまくった結果、俺たちはずいぶんと下まで落ちてしまったようだ。
光源は壁に埋まった魔石によって確保されているが、先ほどまでいた階層よりも薄暗い気がする。
「……さすがに登れそうにないな。あんたのその魔術で上まで戻れないか?」
「残念ながら、先ほどの魔術はその場で浮くことしかできません。風の魔術はあまり得意ではないのです」
「そうか」
よじ登っていくことは、おそらくできるだろう。
ただ、まだそこら中からロックイーターの匂いがする。ここから上はすべて奴らの巣のようだ。
クリオラを庇いながら登っていくためには、まだ竜魔力強化の時間が足りない。
「――――なぜ、私を庇ったのですか?」
「へ?」
穴を見上げていた俺に、突然彼女は警戒した顔で問いかけてきた。
体を庇うように腕を組んでいるところを見るに、俺がこの恩を持ち出して男女の関係を迫るとでも思っているのだろうか?
「私はあなたをパーティから追い出そうとするセグリットの案に乗りました。あなたは間違いなく私を恨んでいるはずです。それなのに、何故助けたのですか?」
「……確かに、あんたの言う通りだ。恨んでいないって言ったら嘘になる」
あの時の絶望は、どれだけ時間が経ったとしても忘れないだろう。
セグリットの顔を見るたびに、原型が分からなくなるほどその顔面を殴りたいと何度思ったことか。
それでも――――。
「少なくとも、俺の手が届く範囲じゃ死なせない。それは俺が回復術師だからだ」
人の命を守るのが、俺たち回復魔術師の役目。
そして俺の中の暗い部分が、死ぬ程度では生温いと言っている。
セグリットだけには、簡単に死んでほしくない。
俺たちが奴のパーティを冒険者として越えた上で、惨めさを味わってほしいのだ。
あいつには、もう二度と負けたくない。
――――などと心の中では息巻いているが。
「……とりあえず、ここから出るまでは協力しないか? 目的は一致しているはずだし」
「そう、ですね」
一人でダンジョンに潜る危険性は、クリオラ自身もよく分かっているようだ。
一人ではまず視界が一方向しか確保できない。目の数が少なくなることは、純粋に索敵能力に差が出る。捕縛系の罠にかかればそれだけで詰んでしまうこともあるし、いつもなら簡単に倒せる魔物だったとしても、囲まれるようなことがあれば手が足りなくなり窮地に陥ってしまうはずだ。
だからダンジョン攻略は最低でも二人、可能ならば四人以上六人以下が理想とされている。
「幸い、孤立した空間に落ちたわけじゃないみたいだ。もう少し下に向かってみよう」
「……ええ」
どことなく不安そうな彼女を連れ、俺はエルドラたちとの合流を叶えるためにダンジョンの奥へと進んでいく。
妙な胸騒ぎから目をそらしながら――――。
◇◆◇
「チッ……! エルドラ、一度下がるぞ」
「っ……」
ディオンが地下へと落ちて行った後、その上の階層では相変わらずロックイーターが暴れ回っていた。
エルドラは歯噛みしながら、ユキの指示に従う。
彼女らがその気になれば、ロックイーターの群れなど討伐しきることができるだろう。しかしそれは真正面から戦った場合。地盤が脆いことが分かった今、地の利は魔物たちにある。
さすがのSランク冒険者も、地中に埋められるようなことがあれば為す術がない。
「……ここまで下がれば、ひとまず奴らの巣からは逃れたか」
元来た道を引き返し、通路へと避難する。
一息ついた二人は、現状を整理することにした。
「とりあえず、私たちの当面の目的はディオンとの合流だ。そのために別れ道に戻り、もう片方の道に進む」
「うん」
「……ちなみに、一応聞いておきたい。貴様はあの穴の中で飛べるか?」
ユキによるその質問は、エルドラの正体を理解した上でのものだった。
質問の意図を理解したエルドラは、その質問に対して首を横に振る。
「難しい。多分翼が引っかかる」
「そうか。ならやはり本来の道を行くしかなさそうだな」
方針が決まれば、もう多くは語らない。
二人は踵を返して、来た道を引き返す。
「ゆ、ユキさん!」
そんな二人を呼び止めたのは、いまだ落ち着いた様子のないセグリットだった。
「何の用だ。貴様と話すことは何もないぞ」
「そ……そんなこと言わないでくださいよ。先に進むんですよね? 僕らもクリオラと合流しなければならないので、どのみち奥へ行くんですよ」
な? ——と確認を取られたシンディは、一瞬呆けた後に慌てて頷く。
そこで自分に話を振られるとは思っていなかったようだ。
この前の白の迷宮の一件以来、シンディとクリオラの仲はこじれたままである。故に彼女自身は、クリオラとの合流に対してもあまり乗り気ではない。
「目的は同じですし、即席のパーティを組みませんか? 四人ならバランスいいですし」
セグリットはユキとエルドラを見比べるようにしながら、そう提案する。
明らかに性的な対象として見ている目――――ユキはそれを感じ取り、不快感で表情を歪めた。
元々彼女はそう言った視線に敏感な方ではなかったが、これに関してはセグリットが分かりやす過ぎるだけである。
「ちょ、ちょっと! こんなダンジョン私とセグリットの二人で十分よ! こんな人たちに協力を頼む必要はないわ!」
彼の提案に真っ先に口を挟んだのは、他ならぬ彼の残ったパーティメンバーだった。




