002 嫌な顔
ぽたりと、鼻先に水滴が当たる感覚で目を覚ます。
最近になってようやく馴染んできた宿の天井。
どうやらここ連日の雨の影響で、雨漏りが進んでしまったらしい。
「ん……」
身動ぎをすれば、隣から小さな息遣いが漏れた。
同時に違和感に気づく。
昨日、俺は彼女らとは別のベッドで寝たはずなのに————。
「……でぃおん?」
「何で俺のベッドで寝ているんだ?」
寝ぼけ眼で俺を見た金髪の女————エルドラは、ゆっくりと身を起こす。
そしてもぬけの殻となった自分のベッドを見て、ああ、と呟いた。
「多分寂しかったから、ディオンのベッドに潜った」
「この前心臓に悪いからやめてくれって言わなかったか?」
「寝ているときまでは意識できない」
「それは……ごもっともで」
俺も体を起こす。
するとエルドラとは反対の方向からまた小さく呻く声が聞こえてきた。
「……ユキ、お前も何で俺のベッドに潜り込んでいるんだ?」
「う……んっ、ディオン?」
目を開けて俺の名を呼んだユキの顔が、徐々に赤くなる。
自分の置かれた状況に気づいたのだろう。
彼女は俺たちにかかっていたタオルケットをはぎ取ると、自分の体を隠した。
「ち、違うぞ! これはただ寝ぼけていただけで……!」
「落ち着けって。別に責めようとしているわけでもないんだから」
ベッドから落ちそうなユキを支えつつ、俺は再び天井を見る。
ちょうど水滴が落ちてくる瞬間を目撃し、俺は一つため息を吐いた。
「……そろそろ拠点を変えるか」
エルドラとレーゲンの街に来て以来、ずっと同じ宿屋を利用している。
各種施設が近いこと、そして年季を感じる古い造りに居心地の良さが魅力的だったが————さすがに年季を感じすぎてしまった。
雨季はまだ始まったばかりだし、枕元に水滴が落ちる以上ここでは寝られない。
「資金にはだいぶ余裕があるし、少し高い所を拠点にしてもいいんじゃないか? わずかに値段を上げるだけでも設備はかなり良くなると思うが」
「そうだな。もう節約しなければならない状況も終わったし、思い切るのもいいかもしれない」
最終的にレーゲンの街を本拠点にするならば、屋敷を購入してしまうのもありかもしれない。
俺たちの目標は、三大ダンジョンである『紅蓮の迷宮』、『群青の迷宮』、『深緑の迷宮』を攻略すること。
もっとも有名なダンジョンでありながら、まだ一つもクリアされていない。
それだけでその難易度が理解できるだろう。
いくらSランク冒険者のユキがいようが、神竜であるエルドラがいようが、攻略は一筋縄では行かないはずだ。
「今日はAランクダンジョンで連携の確認をしようと思っているんだけど、どうだろう?」
「このパーティのリーダーはディオンだ。私はお前の指示に従う」
「……むず痒いな」
エルドラも異論はないようで、俺の言葉を待っている。
こういった立ち位置に立ったことがなく、妙に肩が重い。
————が、やるしかない。
「よし。じゃあ少し前に発見されたAランクダンジョンに挑もう。"白の迷宮"と同じように魔物たちが知恵を持っている可能性もあるから、攻略するまでは油断しないように」
持ち物を確認した俺たちは、宿を解約して外へ出る。
相変わらず厚い雨雲が空を覆っており、強い雨が降り注いでいた。
暗雲が立ち込めるとはよく言ったものだが————妙に胸騒ぎがする。
今年の雨季はかなり長くなりそうだ。
♦
雨合羽に身を包んだ俺たちは、新しく見つかったAランクダンジョンの前に立っていた。
入口は洞窟のようになっていて、地下へと進んでいくタイプらしい。
俺が前パーティでセグリットに裏切られた"黒の迷宮"に、造り自体はそれにとてもよく似ている。
少しだけ心がざわめいた。
「……ディオン?」
「っ、あ、ああ……行こうか」
ざわめいた心をエルドラに悟られないように、俺はダンジョンの中に足を踏み入れる。
やはり造りは黒の迷宮によく似ていた。
所々に露出した光る魔石が道を照らし、薄暗いものの光源は問題ない。
「ディオン、前方に一体だ」
「……そこまで強くはないな」
「ああ。Bランクと言ったところだろう」
ユキは気配、そして俺は匂いで敵の脅威を嗅ぎ分ける。
警戒しながら一本道を進めば、そこには巨大なムカデが壁を這っていた。
レッドセンチピード。牙の毒と頑丈さが脅威だが、群れで行動しないことからBランクという枠で収まっている。
「やつは頭を潰さない限りは動き続ける。エルドラ、頼めるか?」
「任せて」
ユキは剣士、そして俺には戦闘時間に制限がある。
一匹一匹の力は大したことがない虫型の魔物は、エルドラに任せておくのがよさそうだ。
「ふっ————」
エルドラの拳が、レッドセンチピードの頭を破壊する。
手についた体液と肉塊を振り払いながら、彼女は俺たちの下へと戻ってきた。
「終わった」
「さすがだな」
「ん。当然」
得意げな顔で、エルドラは胸を張る。
それを見たユキはどこか不機嫌そうな顔で、俺と彼女の間に割り込んできた。
「ディオン、次は私が魔物を倒す。文句はないな」
「え? あ、ああ……別にそれはありがたいけど」
「そんな女にデレデレしていないで、早く先へ進むぞ。他の者に先に攻略されてしまうかもしれないからな」
やたらと張り切った様子で、ユキは奥へと進んでいく。
エルドラに視線を向けてみれば、彼女はユキと同じように若干不機嫌な様子で俺の前を歩き出した。
(……何がどうしたんだ?)
俺たち三人はパーティとしてかなり仲を深められていたと思うのだが、二人の関係はいまだにギスギスしているときがある。
チームワーク自体はいいのだが————正直よく分からない。
俺の中に困惑はありつつも、ダンジョン攻略は比較的スムーズに進んでいた。
"白の迷宮"にてブラックナイトに不覚を取ったユキだったが、動きを見れば見るほど何故不覚を取ったのかが分からなくなる。
正直な話、俺が時間を気にせずフルパワーで戦ったとしても相手になるか怪しいレベルだ。
やはりユキの実力は人間の中では別格。
ブラックナイトに敗北した際は、何か取り乱すだけの理由があったとしか思えない。
「ディオン、分かれ道だ。……どうする?」
いくつか階層を降りていくと、俺たちの前に二つに裂けた分かれ道が現れた。
俺とエルドラは鼻を鳴らす。
「……エルドラ」
「ん。右は濃い血の臭いがする。それに近い。かなり危険」
「ああ。左も血の臭いはするけど、かなり遠い。きっと奥まで続いているはずだ」
俺たちの意見を聞いて、ユキは頷く。
右は魔物の巣であると同時に、行き止まりである可能性が高い。
俺たちの進む道は、必然的に左へと決まった。
しかし、進もうとした瞬間に後ろから地面を踏む音が聞こえてくる。
匂いからして魔物ではない。
同業者かと思い振り返れば、そこには見たくもない顔があった。
「……セグリット」
「なっ……何で貴様がここに……!」
俺を崖から突き落とした男、セグリット。
奴は俺の顔を見て、露骨に嫌な顔を浮かべていた。
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