032 オーバータイム
体をそらして剣をかわし、拳を叩きつける。
何度も何度もそれを繰り返した。
しかしそのほとんどが有効打にはならない。
常に一撃必殺の斬撃の嵐に踏み込んでいくのは、いくら頭で考えていても体が思うように動いてくれないのだ。
(せめてさっきの竜ノ左腕と同じだけ踏み込まないと駄目か……!)
すでに時間は一分以上経過し、さらに竜ノ左腕で二十秒程度消費した。
竜魔力強化の残り時間は、少なく見積もって三分半から四分。
まだ時間はあるとはいえ、このままではいつまで経っても決定打が生まれない。
ここで時間を多めに消費してでも、大技を叩きこむ必要がある。
「それなら……!」
俺は床を蹴って距離を取ると、背中に背負っていた神剣シュヴァルツを抜く。
そのままの勢いで振りかぶり、魔力を流し込んだ。
「三十秒————」
流し込んだ魔力は、竜魔力強化三十秒分。
そうして振り下ろされた剣は、極限まで圧縮された魔力の本流を放つ。
巨大な斬撃――――目に見えるようになったそれは、真っ直ぐブラックナイトへと襲い掛かった。
「キョウイド、ランクSS。サイシュウリミッター、カイジョ」
ブラックナイトは両腕の剣を大きく振りかぶると、交差させるようにして斬撃に叩きつけた。
衝撃波が周囲に駆け抜け、力と力が拮抗する。
「……いや」
拮抗したのはほんのわずかな時間だけ。
その時間が過ぎてしまえば、先に限界が来たのはブラックナイトの方だった。
パキンと間が抜けた音がしたと思えば、ブラックナイトの剣はその交差した部分から真っ二つに折れてしまう。
威力はかなり抑えられたものの、俺の斬撃は確実にブラックナイトの体を捉えた。
ブラックナイトの背後にあった壁を抉る際の轟音が響く。
やがて舞い上がった煙の中から現れた奴の体は、左半分が大きく抉られていた。
かろうじて右足だけで立っているが、ブラックナイト自身の気配が大きく弱まったのが分かる。
間違いなく、あと一撃で仕留められる範囲まで追い詰めた。
「ソンショウリツ、68パーセント。キケンイキ、シュウフクカイシ――――」
「させるかよ」
まだ俺は竜魔力強化を解除していない。
すぐさま距離を詰め、ブラックナイトの頭を鷲掴む。
「うおぉぉぉぉ!」
雄たけびと共に、ブラックナイトの体を宙へ投げ飛ばす。
それと同時に俺は跳び上がり、空中で体を反転。
天井を足場にして、身動きの取れないブラックナイトヘ向けて急降下した。
「六十秒————竜ノ右腕ッ!」
俺というキャパシティーの中に注げる限界の魔力、それが竜魔力強化六十秒分。
まさにフルパワーと言えるその一撃を、真上からブラックナイトの胴体へと叩き込む。
そのまま奴の体は床へと叩きつけられたのだが、そこで俺の頭には困惑が広がった。
(何だ……この違和感は)
俺は着地すると同時に、ブラックナイトの様子へ目を向ける。
確実に命中した。
そのはずなのに、拳に感じた手応えがあまりに軽い。
そしてその違和感は、すぐに光景となって現れた。
「なっ……」
俺の目の前で、突然ブラックナイトの体が溶けて消える。
黒い液体となり、まるで地面にしみ込むかのようにその場から姿を消したのだ。
「——ブラックショット」
「ッ⁉」
背後から声が聞こえたときには、もう遅い。
俺が振り返る前に、俺の胸を黒い刃が貫いた。
込み上げる血液を口の端からこぼしながら、俺は振り向く。
そこには、俺の影から上半身だけを生やしたブラックナイトがいた。
(これはシャドウナイトの力……!)
胸に刺さった剣にひねりを加え、ブラックナイトは俺の内臓を確実に破壊する。
そのまま剣を引き抜かれれば、もはや立っていられないほどの喪失感が俺を襲ってきた。
(大丈夫、回復は間に合う……!)
問題なのは時間だ。
自動回復に持っていかれた魔力は、竜魔力強化で計算して一分間強。
残り時間で言えば一分もない。
「くそっ……!」
回復しきると同時に体を翻せば、ブラックナイトはいまだゆっくりと影から這い出てきていた。
その体はどこからどう見ても五体満足。
影の中で体を再生させてしまったらしい。
焦りが募る俺は、その隙を突く形でシュヴァルツを振るう。
しかしその攻撃は俺に何の手ごたえも与えてくれなかった。
ブラックナイトが再び影に潜ったのだ。
(俺の周りにある影は俺自身の分しかない……! ここさえ警戒しておけば――)
そんな希望的観測から、俺は自身の足元を警戒する。
しかし奴の考えは想像以上に狡猾だった。
「何だ……この影」
俺の影の隣に、もう一つ人間大の影が生まれる。
思わず視線を持ち上げれば、すでに触れられる距離にブラックナイトの姿があった。
「天井の装飾の影か……ッ!」
度々足元を利用することで、真上にできる影から意識をそらされた。
それでもかろうじて反応が間に合ったのは、俺が竜魔力強化状態であったからに他ならない。
落下のエネルギーすらも利用した斬撃をブラックナイトは繰り出してくるが、シュヴァルツで何とか受け止めることに成功する。
強烈な衝撃が全身を駆け抜け、腕と足がミシミシと悲鳴を上げた。
分の悪さを感じた俺は、強化を強めて一気に押し返す。
ブラックナイトは空中で二転すると、俺の間合いの外に着地した。
(まずいな……もう三十秒しかない)
呼吸を整え、強化を緩めた。
こうすることで、時間を節約する。
しかし、すぐに強化し直す羽目になった。
「お見通しかよ」
ブラックナイトは俺が強化を緩めるのを見た瞬間、小細工なしで跳びかかってくる。
おそらくだが、俺の戦闘時間に限りがあることを見抜かれたらしい。
このまま俺に竜魔力強化を使わせ続け、削り切る魂胆だ。
その証拠に、攻めると同時に身を引いて距離を置かれる。
これで俺は強化時間を節約できない。
何度も何度も繰り返されれば、やがて俺の強化時間は十秒を切ってしまう。
「……やめだ」
俺はそこで諦めた。
両腕をだらりと下げ、いわゆる棒立ちの姿勢である。
このまま耐えていても、魔力が尽きた瞬間に俺は死ぬ。
魔力回復のポーションを飲む隙もない。
ならば……。
「ブラックヴァイツ」
最後まで油断のならない奴だ。
ブラックナイトは両腕の剣を構えると、神速の突きを放つ。
その二つの刃は、呆気なく俺の体を貫いた。
「ごほっ。仕方……ないよな。もう、こうするしか」
体にねじ込まれた異物が、俺の嘔吐を誘う。
口からこぼれるのは、大量の血液。
誰がどう見ても致命傷だろう。
だけど――。
「————捕まえた」
俺はブラックナイトの腕を強く掴む。
すでに生命維持のために魔力を使っているため、もう強化している余裕はない。
強化によって崩壊する体を修繕する必要があれば、だが。
「最後の最後の奥の手だ……!」
俺はシュヴァルツを床に落とし、代わりにその拳を引き絞る。
ブラックナイトは逃げられない。
影に逃げようにも、俺が奴の腕を掴んでいるからだ。
これなら、ちゃんと当てられる。
「オーバータイムッ! 竜ノ剛腕!」
破壊的な光が集約した拳を、ブラックナイトの顔へと叩き込む。
音を置き去りにするほどの強烈な衝撃が駆け抜け、ダンジョンを少し揺らした。
距離なども関係なく、遥か向こうに存在する壁にすら大きなヒビが入る。
そうして眼前に残ったのは、上半身が吹き飛んだブラックナイトだけだった。




