029 違和感の正体
——馬鹿馬鹿しい。
————こんなもの何かの間違いだ。
——————僕が……僕がこんなところで終わるわけがない。
「セグリットッ!」
「うっ―――――あぁぁああああ!」
ブラックナイトによって切断されたセグリットの腕が、宙を舞う。
その腕に握られていた折れた剣の先が、床に落ちて音を立てた。
腕から溢れる血液がこぼれ、赤い水溜まりを作る。
(まずい……セグリットはもう血を流しすぎている!)
シャドウナイトに体を貫かれた際の出血は、ある程度クリオラが持っていた造血剤で補えた。
しかし当然ながらそれで完全に血液を戻しきれるわけもない。
すぐにでも今流れている血を止めなければ、失血死は免れないだろう。
幸い、今のクリオラには魔力が残っていた。
「ジオ・ヒール!」
クリオラの魔術がセグリットを包む。
その間にブランダルが前に出るが、ブラックナイトは動かなかった。
まるでセグリットの治療が終わるのを待っているかのように。
「おいおい……来いよ、ビビってんのか?」
ブランダルが冷や汗を流しながらも挑発を投げる。
しかしブラックナイトの視線は、どことなくブランダルのその向こう側にあったような気がした。
「ドウジに……」
「あ?」
突然、ブラックナイトの鉄仮面の奥からくぐもった不気味な声が響いてくる。
「ドウジに、サンニン、クビをキる。さすれば、ゴウカク。シッパイ、フゴウカク。ゲーム、カイシ」
「ッ⁉ 舐めてんじゃねぇぞ!」
頭に血が上った――いや、無理やり上らせたブランダルは、斧を振り上げる。
こうでもしなければ、得体のしれない者を相手にするという恐怖に挫けてしまいそうだった。
そうして叩きつけようと振り下ろした斧は、何とも呆気なく、ブラックナイトの剣によって受け止められてしまう。
ただ、それでブランダルの顔に驚愕が浮かぶなどということはない。
「——起きたらなら……さっさと仕事しやがれってんだ」
「分かってるわよ」
いつの間にか体を起こしていたシンディが、ブラックナイトに向けて手を手をかざす。
「クリムゾンスピア!」
炎のエネルギーを集約した、紅い紅い槍。
それはブランダルの脇をすり抜け、ブラックナイトの胸へと吸い込まれていく。
一点集中の激しい熱とともに強烈な推進力がブラックナイトを襲い、その体は見事に後方へと吹き飛ばされていった。
「はぁ……はぁ……寝起きにこれはきついわね。でも、仕事はしたでしょ」
「シンディ……目を覚ましていたのですか」
「あんなヤバイ奴が目の前にいたら嫌でも起こされるわよ。それより、セグリットの腕は繋げられないの?」
「時間はかかりますが、綺麗に切断されているので何とかなるかと」
「じゃあちゃっちゃと頼むわね。あの黒い魔物も私のとっておきでだいぶダメージを負ったと思う……し……」
シンディの舌が回らなくなる。
それは膝が震えるほどの恐怖を感じているからだ。
彼女が魔術で吹き飛ばしたその先で、ゆっくりと黒い影が立ち上がる。
「ヒトリ、フえた。ヨニン、ドウジにクビをキる。さすれば、ゴウカク。シッパイ、フゴウカク。ゲーム、カイシ」
ブラックナイトの胸には、傷一つ残っていなかった。
動きが鈍っている様子もない。
「嘘でしょ……貫通力なら私の魔術の中で一番なのに」
攻撃魔術のスペシャリストですら、その鎧に傷一つつけられない。
いくらナイト系の魔物が魔術に強かろうが、考えられないことだった。
その事実が、思わず彼らを一歩後退らせる。
「——私としたことが……油断したな」
そんな中で、彼らの唯一の希望が立ち上がる。
崩れた壁の瓦礫を払いのけ、ユキはその姿を見せた。
「ユキさん! あなたも治療を……!」
「動きに支障はない。それよりもセグリットの方を優先しろ」
「そんな……」
彼女は頭から血を流していた。
その血が片目に入ってしまったのか、今は閉じている。
とてもじゃないが、無事とは呼べない姿だった。
「ヒトリ、フえた」
「残念だが、貴様が相手をするのは私一人だ」
瞬きほどの一瞬でブラックナイトとの距離を詰めたユキは、仕返しかのように剣を叩きつける。
ブラックナイトは剣でそれを防ぐが、その体は衝撃に耐えられず数メートル後退させられた。
「……同じ距離は吹き飛ばせなかったか」
「——キョウイランク、Sプラス。タイショウをゲンテイ。ゲームシュウリョウ、コウセンをカイシ」
「ふっ!」
再び距離を詰めたユキと、ブラックナイトがぶつかり合う。
衝撃が周囲に駆け抜け、床がひび割れた。
力は拮抗しているように思われたが、徐々にユキの方が押され始める。
(やはり力では分が悪いか)
すぐさま判断したユキは、力を拮抗させるのではなく受け流す方へと意識を変えた。
剣の角度を変え、ブラックナイトの剣を真横へずらす。
そして剣を翻しながら、ブラックナイトの肩へと叩きつけた。
しかし、その刃が肩口にめり込むことはない。
「これも駄目か」
静止した瞬間を狙い、ブラックナイトの片腕がユキの首に伸びる。
ユキは一歩引いてそれをかわしつつ、間合いを保ったまま剣を構えなおした。
その間、彼女は自分の中にある違和感について考える。
(なぜこうも手こずる……いつも通りであれば、とっくに切り抜けられるはずなのに)
レーナと戦ったときから現時点に至るまで、ユキはずっと不調を感じていた。
自身のイメージと、振った剣の軌道が合わない。
決定的な隙に踏み込めない。
退かずに済む場面で退いてしまう。
まるで血液の流れが滞ってしまっているような、そんな違和感。
「——ヒョウカ、ヘンコウ。ランクSプラスから、ランクAへ。コウセンシュウリョウ」
「っ⁉」
ブラックナイトは、突きの構えを取る。
ユキの背筋に寒気が走ると同時に、その突きは放たれた。
「ブラックショット」
真っ直ぐ胸に向けて放たれた突き。
それを防ぐべくユキは剣で弾こうと動かすが、到底間に合わないほどの一撃だった。
せいぜいできたことと言えば、命中する位置を少々ずらした程度。
呆気なく、ブラックナイトの剣はユキの腹を貫いた。
(ああ――――そうか)
体から力が抜けていく最中、ユキは一つの結論に至る。
彼女から欠けていたものは、勇気。
無意識に戦いを恐れてしまったが故に、あらゆる場面で最善の行動が取れなかった。
レーナとの戦いでは、彼女の攻撃を受ける自信がなく先手を取ろうとしてしまった。
先ほどブラックナイトが首に手を伸ばしてきた際も、掴まれるリスクを恐れて身を引いたことが間違いだった。
距離さえ開かなければ、この突きは放たれなかったのだから。
「タイショウをムリョクカ。ジョウキョウ、シュウリョウ」
ユキの体から引き抜いた剣を、ブラックナイトはゆっくりと振り上げる。
(結局私は……ディオンがいなければこの程度の女だったのか)
勇気が欠けてしまったのは、絶対的に信頼しているディオンという男がいなくなってしまったからだ。
彼がいれば、ユキは危険を恐れることなく飛び込むことができる。
確かにクリオラならば彼と同じ役割を果たせるが、それでは不十分なのだ。
ディオンでなければならなかったのだ。
諦めたように、ユキは天を仰ぐ。
そうしてがくりと膝をついた彼女に、ブラックナイトの剣が振り下ろされた。
後ろで叫ぶセグリットたちの声がゆっくりと遠くなる。
そうしてユキは、目を閉じた。
「二秒――――竜魔力強化」
音の遠くなった世界に、それを打ち破るような轟音が響く。
思わず目を開いたユキの前には、存在するはずのない背中があった。
「——間に合った」
エメラルド色のオーラを放つその男————ディオンは、そうつぶやきながらユキへと視線を送った。




