026 絶望と、さらなる絶望
――どうして。
「どうして……! こんな状況になった」
壁に背を預けながら、セグリットは悪態をついた。
彼らのパーティがいる場所は、偶然開けることが叶ったダンジョン内に存在する部屋。
手狭と言ってもいい部屋の中には、机らしき物体や、椅子のなりそこないが並んでいた。
どれも床から生えているかのような構造をしており、これらもすべて何者かが人の物を真似て作り上げたように見える。
「もう……どうしたらいいの」
部屋の隅に蹲るようにしているのは、この部屋に光源を作っているシンディ。
彼女の炎の魔術によって生まれている光源は、この部屋にシャドウナイトが現れることを阻止していた。
シャドウナイトは出現するために、ある程度の大きさの影を必要とする。
この部屋の影はそれを満たせていないのだ。
しかしそんな光源も、しばらくして徐々に弱まっていく。
「だ、ダメ! 早く強めないと……」
シンディは青い顔をしながら、天井近くに発生させている火球の光を強める。
何度もそれを繰り返しているせいか、魔術師故に人並外れた魔力を持っているはずの彼女ですら荒い息を繰り返していた。
魔力欠乏状態特有の体調不良である。
「シンディ、すぐにこれを飲んで――」
「っ……!」
クリオラは持っていた魔力回復のためのポーションを飲ませようと近づくが、シンディはそんな彼女を強く睨みつけた。
そして震える手でポーションを奪い取ると、一気に飲み干す。
「いくつ……あといくつあるの……」
「……これで最後です」
これまでにシンディが飲んだ魔力回復ポーションは三本。
今のが四本目であり、これ以上のストックは誰の手にも存在しなかった。
彼女の魔力を回復させるためには、当然のように質のいい高級品が必要になる。
Aランク冒険者である彼らなら、まだいくらか買うこともできただろう。
それでも用意しなかったのは、一重にこのダンジョンを甘く見たが故だ。
「なぜ……脱出用の道具すら反応しない」
セグリットは手の上に乗せた加工された宝石を見つめる。
これは転移用の魔術が施された高価な魔道具。
魔力を込めれば想像した場所へと一瞬で移動することができる。
記述した通り高価な代物だが、Sランクパーティに属していた彼らが持っていないはずもない。
しかし、その道具は全く反応を示してはくれなかった。
そんな今までにないような状況が、彼の焦りをさらに加速させている。
「もう強行突破しかねぇだろ」
焦った様子の三人に向け、ブランダルがそう告げる。
彼は扉の脇に立つと、自身の斧を肩に担いだ。
「嬢ちゃんの魔力が尽きれば今度こそ終わりだ。この部屋にシャドウナイトが溢れて、あっという間に俺たちの墓場ができあがる」
「か、賭けに出ようというのか……?」
「今なら嬢ちゃんの魔力も回復したばかりだ。ギリギリまで救助を待つにしてもあと数時間しか持たねぇなら、攻める方が賢くねぇか? 少なくとも、俺はここで箱詰めになって死ぬことだけはごめんだね」
「……くっ」
セグリットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
普段ならば反論の一つでもしてしまう状況で彼が口を噤んだのは、ブランダルの言っていることが正しいと判断してしまったからだ。
セグリットは自身の剣を掴むと、扉の方へと歩み寄る。
「そうだな。今はここを出るしかない。それで、出た後はどうするんだ」
「もう入口からは戻れねぇだろうな。このダンジョンは俺たちを外に出す気がねぇ。なら、一か八か奥に向かってみるしかねぇな」
「……分かった」
セグリットはシンディとクリオラにいくつか指示を出し、剣を強く握りしめた。
「まず、門番を倒す。僕らの一番自信のある攻撃を最初に叩きこんで、余計な被害が出る前に倒しきるんだ。そうすれば門番のいる部屋は完全にフリーになる。そこでなら休めるし、最悪――——救助も待てる」
「そうだなぁ。門番やダンジョンボスの部屋には他の魔物は湧かねぇからな」
「その通りだよ。それじゃ……行こうか」
息を吸うと同時に、セグリットは扉を開け放ち廊下へと飛び出す。
それに続く形でシンディ、クリオラが飛び出した。
最後尾を任されるのはブランダル。
彼が背後の敵をすべて受け持つ隊列となっている。
——故に、ブランダルの表情を窺える者は誰一人としていなかった。
不気味なほどに口角を吊り上げ、心底愉快そうに笑みを浮かべている。
まるで、思惑通りとでも言いたげに。
セグリットたちはまったく気づくことなく、ただ真っ直ぐ門番にいるであろう部屋へと走り始める。
「シンディ! 閃光!」
「わ、分かった!」
彼らの行く手を阻むように、何体ものシャドウナイトが物陰から現れようとする。
しかしそれらはすべてシンディの炎によって阻止された。
その間に彼らは駆け抜けていく。
「セグリット! ホワイトナイトが……!」
「あれは僕が薙ぎ払う!」
クリオラの指の先には、ホワイトナイトが道を塞ぐように並んでいた。
誰がどう見ても妨害の構え。
それをセグリットが、魔力をまとわせた剣で薙ぎ払う。
二回、三回と振れば、四人が通過できるだけの隙間ができあがった。
「今のうちだ!」
セグリットの合図に従い、彼らは魔物群れを突破していく。
最低限のシンディの魔術、そしてセグリットの突破力が合わさり、彼らは何とか門番の部屋の前まで戻ることができた。
「後ろからめちゃくちゃ追ってきてるぞ。さっさと入ろうぜ」
「分かっているよ」
振り返らずとも、夥しい数のシャドウナイトやホワイトナイトがそこにいることは分かった。
追いつかれない内にと、セグリットたちは門番のいる部屋へと転がり込むようにして入っていく。
「……あいつがこのダンジョンの門番か」
全員が中に入ったと同時に、開け放たれた扉は音を立てて閉じてしまう。
そしてセグリットの視界の先――――そこには、全身に鎖を巻き付けた巨大な虎がいた。
虎は涎を垂れ流しながら、セグリットたちを睨みつける。
「行くぞ……!」
セグリットの振り上げた剣に、魔力が集まる。
それが合図となった。
「万物を焼き払う真なる炎――――トゥルース・フレイム!」
「轟け、ライトニングブラスト!」
「アックススロー!」
シンディが巨大な火球を放ち、クリオラは雷を撃ち、ブランダルは自身の斧を投げつけた。
そしてセグリットは、神々しいほどの光を放つ剣を振り下ろす。
「——オーバーライトソード」
光の斬撃が、真っ直ぐ門番に向けて飛んでいく。
そして彼らの攻撃は、余すところなく虎の体へと吸い込まれていった。
炎の塊と雷が頭を吹き飛ばし、斧が深々と心臓を抉り、最後に光の斬撃が致命傷に足りうる傷を残す。
ガシャリと鎖が落ち、虎の残った体が地面へと伏した。
「……呆気ないな」
息を吐き、セグリットは剣を鞘へと戻す。
自分たちの全力の一撃を叩きこんだ以上、倒しきれる自信はあった。
しかし、それにしても呆気ない。
誰のどの一撃であっても、致命傷を与えることができていた。
タフさもなく、なおかつ避ける素振りすら見せない。
計画通りに事は進んでいるはずなのに、セグリットの嫌な予感はどうにも晴れなかった。
「ねぇ、セグリット……」
しばらくの沈黙の後、シンディが部屋の奥を指さす。
そうして、全員が目を見開いた。
「扉……開いてないんだけど」
「な、何故だ……! 門番は倒したはず――」
ダンジョンの門番は、奥へと進むための通路を守っている。
基本的にそれらを倒さなければ、先へ進めない。
倒さない限り、先へ進むための門や扉が開かないからだ。
つまるところ、門番を倒せば奥へ進むための何かしらの仕掛けが動くはず。
だというのに、部屋の奥に存在する入口と同じ大きさの扉は開く様子を見せなかった。
「ほ、他に何かあるんじゃないか? これまでもフェイクの扉は多かっただろう? 別にあの扉が開くと決まったわけじゃない」
「そ、そうね! 探さないと」
そうしてセグリットとシンディが周囲に視線を巡らせた――――その時。
ゆらりと、部屋の中に存在する影たちが揺れた。
「どうして……! 門番の部屋に他の魔物は出ないはずなのに!」
シンディの表情が悲痛に歪んだ。
揺れた影の中から、一つ、また一つと黒い鎧が現れる。
ほんの数秒としないうちに、彼らは部屋を埋め尽くしてしまうほどのシャドウナイトに囲まれてしまった。




