013 本当のこと
ギルド側からのとんでもない提案を受けた日の夜、無事に宿泊期間を伸ばすことができた宿屋のベッドで、俺はため息をついていた。
「レーナさんが相手なのか……どうしたもんかな」
「あの人、そんなに強いの?」
隣のベッドに腰かけるエルドラが、興味本位といった様子で問いかけてくる。
「強いなんてもんじゃないと思う。冒険者の中でSというランクは、桁が違うという意味なんだ」
「桁……?」
「Sランク冒険者になるには、それこそAランクの中で逸脱した活躍を見せなきゃいけない。国の危機を救うとか、単独でAランクのダンジョンを攻略するとか……到底まともな人間にはできないことばかりだ」
Sランクというのは、つまりFからAの間では収まらなかった者を指す。
事実上Sランク以上のランクは存在せず、最低限の戦力に合わせた序列だけが定められていた。
「レーナ・ヴァーミリオンっていう人は、Sランクの序列4位まで登り詰めたんだ。加減されたとしても、傷ひとつつけられないと思う」
「確かに、強いとは思った。でも私からすればだんじょんぼすとあまり変わらない」
ということは、エルドラにとってはレーナさんも一人で圧倒できる存在ということか。
神竜という種族の恐ろしさがどんどん明らかになっていく。
「じゃあ、さっき言ってたユキって人はどれくらい強いの?」
「え……?」
エルドラは真剣な表情で問いかけてきた。
その顔からして、本当はこのことを先に聞きたかったのだろう。
俺たちしか知らない話題が気になっていたに違いない。
「ユキは……約二十人いるっていうSランクの序列で、歴代最速で3位の座を手に入れた女だよ。俺はユキが負けてるところを、幼い頃から一度も見たことない」
異常さに気づいたのは、6歳の頃。
村の近くに出たBランクの魔物を、ユキが拾った枝で倒したとき。
その日から剣術を覚えだした彼女は、8歳の頃に魔術にも目覚める。
習得が難しいとされていた珍しい系統の魔術を意のままに操り、当時魔術を教えてくれていた講師は腰を抜かしていた。
それから約十年経ったが、ユキの住んでる世界が俺とは違うと理解したのは、ちょうどその頃だったように思える。
「その人がディオンが別れたって言った仲間?」
「ああ、他にも何人かいるけど……」
「じゃあ、その人と私どっちが強い?」
あまりにも意外な質問に、思わず思考が詰まる。
エルドラは強さなんて気にしないものだと思っていた。
しかしその顔は真剣そのものであり、適当な言葉で満足してくれそうにない。
「……率直に言うなら、分からない。エルドラのことだって俺はまだ全然知らないから、底がまったく見えてこない。ユキも同じだ。ずっと近くにいたはずなのに、彼女の底が見えたことは一度もない」
俺だけならともかく、セグリットもシンディも限界まで追い込まれた状態で、ユキだけは涼しい顔で立っていたことが何度もある。
Aランクとして上位にいるであろうセグリットやシンディが何人いても、きっとユキには敵わない。
それはエルドラも同じで、彼女とユキは文字通り次元が違う存在なんだ。
常人がどれだけ追いつきたく思っても、まともな努力では決して追いつけない。
「だから今は分からないんだ。悪いな……」
「——分かった。じゃあ、もし会えたら確かめる」
「へ?」
「ユキって人と戦う。そして確かめる」
「な、何でそんなことを? 別に確かめる必要性なんて……」
「私はディオンの側にいたい。でも、その人が私より強かったら、ディオンは仲間のところに戻るかもしれない。だから――」
エルドラの顔は、途端に不安そうに歪んだ。
まだ俺たちは、完全にお互いを信じ切っているわけではないようだ。
ちゃんと言葉で伝えなければならない。
俺とエルドラは、まだ出会ったばかりなのだから。
「——大丈夫だ。俺は仲間の下には戻らないよ」
「どうして?」
「……別れた、っていうのは嘘だからだ」
自分の境遇に同情する形で一緒にいてほしくなくて黙っていたが、今なら言える。
俺は自分が役立たずと言われ、ダンジョンの底へ落とされたこと、そしてもう彼らの顔も見たくないことを伝えた。
ユキだけは別だが、彼女がセグリットたちの側にいるのであれば会いたいとは思えない。
「俺は元々エルドラから離れる気はないけど、他にもちゃんと理由はあったんだよ。だから、これで少し信じてくれると嬉しい」
「……分かった。信じる。それと、その人たちはすごく許せない。私は嫌い。私を霊峰から落とした同胞を思い出す」
「そうか……すごくマイナスな考え方だけど、俺たちは裏切られた者同士ってことだな」
「ディオンとの共通点になるなら、それはそれで嬉しい」
エルドラのその言葉に、俺は思わず笑う。
彼女も少し遅れて笑い出した。
お互いがお互い、おかしなことを言ったことに気づいたのだ。
「嫌なことを共通点にするなんて、ひょっとして俺も少しは図太かったのかもな」
「ディオンは優しくて、強い。だからあのレーナって人にも勝てると思う」
「……それは別問題だなぁ」
いよいよ話題は最初に戻った。
二日後、俺はあの元Sランクのレーナさんと戦わなければならない。
勝てるだなんて微塵も思えないけど、どうせ検定を受けるならAランクに昇格したいとは思う。
「まともに戦うなら、やっぱり魔力強化で体が壊れないようにしないと……」
「それなら、明日一日練習する?」
「練習?」
「私が相手になる。戦いながら体で覚えた方が早い。多分」
——なるほど。
どのみち戦闘中ずっと使えるようにならなければならない。
それなら体で覚えるという話は間違った練習ではないだろう。
「よし、そういうことなら頼むよ」
「うん、任せてほしい」
エルドラは比較的真面目な顔で、小さく自分の胸を叩くのだった。
♦
「どこにもいない……」
セントラルの中心にそびえ立つ時計塔の上に、ユキ・スノードロップは立っていた。
時刻はもう深夜。
ユキはここでディオンを待っていた。
セグリットたちにディオンのことを報告したのがおおよそ昼の話で、そこから深夜に至るまでひたすらサーチを繰り返していたのである。
彼女のサーチ範囲は、節約しておおよそ200m。
街を丸ごと探索できるほど広くはないが、様々な重要施設が密集している時計塔周りであればすべてカバーできる。
ディオンが生きているのであれば、きっとこの辺りに来るはず――そう考えた結果がこれだ。
「この街に戻らないのであれば……別の街か」
ユキは思考を巡らせる。
近くにある街、そして黒の迷宮とも近い街――考え得る限りで、彼女が思いついた場所は一つだけだった。
「——レーゲン」
ユキはそう一言つぶやき、時計塔から下りた。
音一つ立てず地面に着地した彼女は、そのまま自分の家へと歩みを進める。
ユキがセントラルを離れるのは、翌日のこと。
奇しくもセグリットたちの出発の日と重なる。
彼女らがレーゲンにたどり着くのは、ディオンの検定の日であった。




