引き潮
エバンズたちが調査がてらに、街を回っていると、いつの間にか『アバナンス商会』の影は消えていた。叔父のネレジア大公からの手紙にも、各所領で怪しい動きをしていたことは確かだったが、警邏の巡回をふやしたことで、あやしい者たちは姿をくらましたという。
「折角つかんだ手がかりも、意味がなくなったな」
ラスティがどこか残念そうにつぶやく。エバンズは引き際があざやかだなとつぶやいた。
「何らかの準備が整ったか、あるいは別方向でトラブルになったか……」
エバンズはいろいろと可能性を考えてみた。
「そういえば、王にも『アバナンス商会』については、注意をするよう手紙をだしていたのだろう?」
エバンズはラスティの言葉にああと頷く。頭の中が忙しいらしく、生返事になっていた。
「エバンズ、聞いているか?」
「え?ああ、なんだ?」
「だから、王にも手紙をだしたのだろうとそう言っているんだ」
ラスティは呆れたようにため息を吐く。
「もしかしたら、王の方で何か手を打ったんじゃないか?だったら、ここで時間を浪費せず、王都に行く方がいいかもしれないぞ」
そうだなとエバンズは、また何やら考え込んだ。ラスティは仕方ないとばかりに、思いついたことを口にした。
「そういえば、ガラスの靴の件はどうするんだ?すっかり忘れていたが……」
ああとエバンズは生返事をする。ラスティは仕方がないと思いながら、ひと気のない路地へとエバンズの手を引いて入り込む。そしてようやくガラスの靴の話に気が付いたとき、路地は行き止まりになっていた。
「ラス……おまえねぇ……」
「私が悪いのではないぞ。お前がぼーっと考え事をしているからだろう」
「ああ、そうですよ。俺が悪いですよ」
二人がぶつぶつと文句を言いあいながら、来た道を振り返る。そこには、いかにも暴力が好きそうな荒くれの若者が三人いた。手には棒を持っている。
エバンズは、剣でなかったことにほっとした。
「すまないが、道をあけてくれないか?どうも迷い込んでしまったんだが……」
リーダーらしき男が悪いが通すわけにはいかねぇとにやりと笑う。
「じゃあ、どうするんだ」
ラスティは相手を挑発するかのように不敵な笑みを浮かべる。
「あんたを攫って行くんだよ」
「上玉だからな」
エバンズは、深いため息を吐いた。
「『アバナンス商会』の人間か?」
そう尋ねられた男は、問答無用で棒を振りまわし、エバンズに向って叩きおろす。だが、彼はそれをひょいと避けて、相手の顔面に蹴りを入れた。男は棒を取おとし顔を抑えて大げさに転げまわった。エバンズは他の二人をじろりとねめつけて言った。
「もう一度聞くがお前たち、『アバナンス商会』の人間か?」
男たちはまるで蛇に睨まれたカエルのように、身動き一つとれない。そして、ラスティはいつの間にか二人の男の背後に立ち、エバンズをいさめるように言った。
「そのように睨んでは、答えられんだろう」
そういって彼女は二人の男を蹴飛ばし、顔を抑えて苦しむ男の側に倒れ込ませた。
「さて、どう料理しようか、エバンズ」
ラスティは楽しそうに笑う。
「料理しなくていいから……とりあえず、なんで俺たちを襲ったのかくらいは聞いてやらないとな」
そう言われて、男たちは震えあがっていっせいに喚きだしたので、何を言っているのかさっぱりわからなかった。一人ずつ言ってくれないかと笑顔で迫るエバンズ。後ずさって逃げようとする男の手を踏むラスティ。逃げ場がないと悟った三人のうち一人がようやく理由を話した。
「りょ、旅行中の女をさらったら、金がもらえるっていうから……」
「いくらもらえるんだ?」
エバンズの冷たい声に男は早口で答える。
「ご、五万ディールだ!でも器量がよければ、三十万ディールになるんだ!」
「ほう、じゃあ、以前ここらあたりの、女を攫っていたのはお前たちか」
ラスティが冷やかな声で言う。
「お、俺たちじゃねぇよ……俺たちは博打で負けて話を聞いたから……」
そういって男は口を押えた。
「博打か……」
エバンズはため息をついた。おそらく、ある程度勝たせておいて有頂天になっているところで負けさせ、多額の負債を背負わせる、そんないかさまの手口にでも乗せられたのだろう。若者たちの身なりをみれば、そう貧しいわけでも、特に金回りの良いわけでもなさそうだった。
「警邏にひきわたすしかないか……」
エバンズがそういうと、男の一人がまってくれと言った。
「そ、それだけは勘弁してくれ。そんなことになったら、俺たちは殺されちまう」
「おや、それは誰にだ。博打の親か?」
ラスティがたずねると、男たちは首を横に振った。
「俺たちは……役人の息子なんだ……半分は勘当同然だけど……こんなことになっちまって警邏の世話になったら……親は仕事を失う。そうなったら、きっと殺される!」
エバンズはさらに深々とため息をついた。中途半端に親に歯向かい、好き勝手したあげくの言い訳がこれかと。どうすると問うエバンズに、ラスティは当然警邏だろうと言う。二人がそう言うと、男たちはなんでもするから警邏だけは勘弁してくれと泣きついた。
「メルダーさんに頼むとするかな」
「ほ、ほんとうか」
男たちは不安と安堵をないまぜにしたような顔でそう言った。
「なんだ。お前たち。メルダーさんを知ってるのか?」
「あの人はこのあたりの顔役だし……何度か世話になってるから……」
なるほどとラスティもエバンズも納得した。そして、エバンズとラスティは、彼らを連れてメルダーの事務所をたずねた。
事情を聞いたメルダーは三人の頭をぽこぽこと殴って、ちゃんと謝ったのかと厳しい顔をする。
「まったく、お前たちは……犯罪まがいのことはするなとあれだけ言ったのに。とにかく、お二人に詫びろ!」
メルダーに一喝されて、三人はすんませんと深々と頭をさげた。
「メルダーさん、どうも腑に落ちないんだが、このあたりで賭博など開かれたら、あなたは立場上困りはしないか?」
エバンズがそう尋ねると、メルダーは大きな腹を揺すってうなずいた。
「もちろん困りますよ。それでも、個人のお宅で模様されることには、さすがに口はだせません。広場やら、裏路地、食堂でならこちらでもどうにかなるんですが……」
「ということは、どこのだれが賭博を開いていたかは、ご存じなのですね」
ラスティがそういうと、メルダーは戸惑った表情でええまあと、曖昧に返事をした。
「ただ、確かな証拠はありませんで……警邏の知り合いには話しましたが、証拠がないのでは動けないと言われて……」
「それはいったいどなたですか?」
エバンズがたずねると、メルダーはクロム男爵さまですと答えた。
「といっても、あくまでそのお名前でお部屋をかりなすったというだけなんですが……」
エバンズとラスティはメルダーから場所を聞き出すと、さっそくその部屋を訪ねたがあいにく留守のようだった。しばらく、二人が部屋の前にたたずんでいると鍵束をもった老女があらわれた。
「何かようかい?」
老女は渋い顔で二人をじろじろと見る。
「ええ、こちらにお住いのクロム男爵に会いにきたのですが、お留守のようで」
エバンズがそう答えると、老女はそんな人はいないよとそっけなく答える。
「まあ、借主はとっくに解約しちまって住んでた男も昨日のうちに出ていったよ」
老女はそういって、部屋の鍵を開けた。
「どうだい、あんたたちここを借りる気はないかい?」
エバンズはいえ旅行中なのでと老女の申し出を断ると、老女は不機嫌そうにそうかいっといって、ドアをしめてしまった。
二人は一足遅かったかと思いながら、ハイデルの店へ戻った。




