第2章 【四天魔将】③ 氷血のゼラ
支援基地ダリオン城。
魔王城と前線を結ぶ中継地とでも言おうか。
前線の各方面軍で不足した兵や物資を補充し、移送するダリオン城の役割は非常に大きい。
魔王ヴォルザードによって考案されたその要塞は、魔王城にも負けず劣らず大きく、堅固である。
人間領への侵攻によって徐々に兵站が長くなってしまう魔王軍にとって、このダリオン城というのはかなり重要な基地である。
そんなダリオンの守護運営をもう300年も任されているのが、四天魔将が一人、《氷血のゼラ》だ。
その日のゼラはダリオン城最上階にいた。
毎夜この時間は最上階の自分の居室のさらに奥―――。
自分以外誰も知らない秘密の一室に通うことがゼラの日課であった。
それほど広くない暗い部屋の中心にあるのは、氷の棺だ。
2mほどの氷の棺は、ゼラの魔法で作られたものであり、永久に溶けることは無い。
棺の中に眠るのは―――全裸の一人の少女。
この世のものとは思えないほど美しい銀髪に、神々しさすら感じるすべらかな肢体。
「ああ、美しい――――我が女神よ・・・」
そんな少女の眠る棺に、恍惚とした表情で氷の棺に張り付く一人の男。
彼こそが四天魔将ゼラである。
細身の長身に、水色の髪。
肌は恐ろしいほど白く、冷酷にしか見えない鋭い目は妖しく金色に光っている。
そんな彼の容貌のなかでもひときわ目立つのが、その薄い唇から垣間見える鋭い二本の犬歯だ。
ゼラは悠久の時を生きる《吸血鬼》なのだ。
中でもゼラは大魔境で最も強い四人、《四天魔将》に位置する最強ともいえる吸血鬼だ。
(当然だとも―――)
ゼラは自身の力に自信があった。
他の吸血鬼とは喰らってきた血が違うのだ。
偏食家―――と一部の吸血鬼はゼラのことを言う。
それもそのはず、彼が食するのは人間の血だけではない。
彼の《基準》さえ超えれば、たとえ魔族でも龍でも構わずその血をそそるのだ。
《基準》は単純。その対象の『美しさ』ただ一点だ。
『美しさ』という点について、ゼラには絶対に譲れない物があった。
誰よりも美しく、気高い――彼にとっての吸血鬼の理想とはそういうものなのだ。
ではどうすれば美しくなれるのか・・・その答えが、《美しいものを喰う》という結論だったのだ。
彼はその信念のもと長年欲望に赴くまま美しいものを喰ってきた。
美しい容姿。
美しい強さ。
美しい心。
美しい愛。
自分の満足に行く美しさを持っていればそれは何でもよかった。
しかし数百年前――――彼を震撼させる美しさをもつ少女に出会ってしまった。
それは、偶然寄ったとある小さな町で、これまた小さな商店の売り子をしていた少女だ。
「素晴らしい――――」
思わず声が出るほど、その少女は美しかった。
艶のある銀髪も、宝石の様に光り輝く青い瞳も、白く張りのある肌も、均整のとれた肉体も―――ゼラがこの数千年でみてきた何よりも美しいと思えた。
ゼラはその場で大金を払い、少女を購入した。
馬車の中で、少女は従順だった。
一緒に暮らす兄のために自身の運命を受け入れたという。
(―――なんと美しい兄妹愛か‼)
ゼラはその場で噛んでしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。
彼は食事のルーティーンにもこだわりがあった。
まずは第一段階として、獲物を風呂に入らせ、体を清潔にさせる。俗に言う禊ぎだ。
そして大魔境では高級と言われる数々の料理を振る舞う。これが第二段階だ。
飲み物には睡眠薬を含ませておくことを忘れてはならない。
そして最終段階。
誰も入ってはいけない奥の間で、ぐっすりと寝ている獲物を、血の一滴残らず吸い尽くすのだ。
この日も最終段階までつつがなく上手くいっていた。
「こんな美味しい料理、食べたこと無いです!」
ずっと不安な面持ちだった少女も、舌と胃袋に嘘は付けない。
むさぼるように高級魔界豚の煮付けを食べる。
そして寝室だと言って、例の奥の部屋に案内する。
睡眠薬も効いてきたようで、彼女はすぐに眠ってしまった。
「では―――私もいただきますか」
ほどなく、そう言ってゼラは鋭利な犬歯を光らせ、彼女の首筋を狙い、体をかがめる。
しかし、その牙は、彼女の顔の間近に迫った所で止まった。
(――――美しすぎる!)
ゼラの目は、彼女の寝顔に釘づけになったのだ。
月の光に照らされ反射する銀髪。
透き通るような肌。
何より顔のパーツのバランス。
(食ってしまっては二度とこの顏を拝むことが出来ない・・・)
そう思ったのだ。
しかし理性ではそう思っていても、彼の持つ食欲は理性に勝るとも及ばない物だった。
辛うじてまだ首筋に触れてはいないものの、未だかつてないほどゼラの《基準》を越えた獲物に対し、彼の口元からは大量のよだれが零れ落ちていた。
(いいのか? ここで喰ってしまってもいいのか!?)
そんな理性と食欲がせめぎ合うこと数時間――。
彼は魔法を放った。
それは永久凍土の棺の魔法。
氷魔法のエキスパートであるゼラの渾身の封印魔法だ。
対象を、決して解けることのない氷の棺に閉じ込め、その状態を保持する魔法であり、一度発動すれば、使用者であるゼラですら解除は困難だ。
そしてその棺の中ならば簡単にはゼラの牙も届かない。
理性が勝った、という訳ではない。
ただ、今はこの極上の獲物を喰う時ではないと判断したのだ。
これを喰う時は、かねてからの自分の野望が叶ったとき―――最高のご褒美として彼女を食すのだ。
その日から、毎夜この氷の棺に眠る少女を訪ねるのがゼラの習慣になった。
それは、ゼラの職場がここ、ダリオン城になっても変わらない。城の自身の私室の奥に、自らの手で棺を安置する部屋も作った。
(―――依存している)
ゼラ自身そのことは自覚していた。しかし、彼女のもとに通うことを止めはしない。
彼女の美しさに対する思いが募るほど、食した時の快楽が大きくなるとわかっていたのだ。
いつまで経っても変わらぬ―――いやむしろ思いが募るほど一層美しさを増していく氷の中の彼女。
この、名も知らぬ少女を見るたび、その日の食事が稚拙なものに見えてしまう。
「――失礼します‼」
唐突に、自身の秘密の部屋に、あってはならない《異物》の声が響いた。
この声はゼラにとって聞き覚えのある――副官の声だったのだが、ゼラはその声の持ち主を確認することは無かった。
この部屋に自分以外の者が入ることをゼラは許さない。
この《美の芸術》を自分以外が見ることなど耐えられない。
この少女が自分の手元に来る前に、この少女を見た者にすら嫉妬と怒りが沸き起こるほどだ。
そんなゼラにとって、たとえ誰であれ、無断でこの部屋に足を踏み入れた者の末は決まっていた。
そう、ゼラが振り向いたころには副官は氷の屑となり、砕け散っていた。
自身の楽園を侵した者に対する、反射的に放たれた魔法だ。
ゼラほどの使い手なると、敵を見ずに魔法をかけることなど造作もないのだ。
なにせこの力をもって四天魔将まで上り詰めてきた強者である。
そんなゼラの魔法により、元々ゼラの副官であった《氷》の欠片はボロボロと床に落ちていく。
――しかし、それとは別にゼラの目に留まったのは、氷の欠片の少し手前に落ちている一つの書簡だ。
「―――紫色・・・《紫炎書》ですか」
なるほど、と得心の言った顔でその紫色の書簡を手に取るゼラ。
絶対に入ってはいけないと厳命してある自分の私室どころか、さらに奥の部屋にまで副官が入ってくるわけだ。
なにせ紫色の書簡は、《何事よりも優先すべき緊急事態》を意味する。
そして、その紫色の書簡―――ガゼルからの知らせを読んで、ゼラの表情は一気に変わった。
「―――ククク・・・・・クハハハハ‼」
そして零れたのは高らかな笑い声だ。
魔王の死。
圧倒的な、数少ない自分よりも各上な存在の死。
そう――ゼラにとって長年の夢である《魔王》という地位。
何よりも美しく気高く強いその存在は数々の魔物の憧れだ。
ゼラにとってもそれは例外ではない。
しかし、魔王ヴォルザードというのは強いことは勿論、抜け目のない男だった。
彼がいる限りは、最強の吸血鬼たるゼラとて四天魔将に甘んじるしかないと思っていた。
「ようやく―――ようやく貴方をいだだけそうですね」
邪悪な笑みを浮かべながら、ゼラは氷の中の少女に語り掛けた。
半ば諦めかけていたが、今までこつこつと行ってきた《工作》が役に立つ時が来たようだ。
他の魔将どもは取るに足らない単細胞ばかり。
奴らを出し抜いてこの世の全てを手に入れる。あのヴォルザードがいない今、それは可能だ。
「さあ、行きますか。《全魔冥宴》へ・・・・」




