第7章 【勝敗は何処へ】
次回、エピローグです。
『ガゼル。そろそろ起きたまえ。呼ばれているじゃないか』
ガゼルの頭の中に、どこかで聞いたような声が響く。
―――呼ばれているって・・・一体誰に? 俺には何も聞こえないんだ。
『起きればわかるさ。』
―――でも、起き方がわからないよ。
『起き方? 全くしょうがないな。私が手伝ってあげよう』
―――ありがとう。でもあなたは?
『私か? 私はもう過去の者だからね。一緒には行けないよ』
―――そんな・・・・。
『ほら、時期に目覚めるよ。私のことは気にするな。またいずれ会えるさ』
―――でも―――ああなんだか――意識がなくなって―――
●
「お兄ちゃん、おはよう‼」
ガゼルが目を開けると目の前に飛び込んできたのは美しい銀髪を蓄えた少女だ。
「・・・・・レイア?」
白いシーツに横になっていたガゼルは、思わず身を乗り出す。
「うん。そうだよ?」
ガゼルの眼前で満面の笑みを浮かべる少女は、まごうことなきガゼルの妹、レイアだった。
思考を整理するまでもない。
記憶を思い出すまでもない。
夢でも現実でも構わない。
美しい艶のある銀髪に、端正な顔立ち、宝石のように光り輝く蒼色の瞳。
何故か歳をとっていないようで、最後に見た時とほとんど姿かたちが変わっていないのだが―――そんなことは関係ない。
たとえ夢でもいい。
長年探し求めた愛する妹が、自分の目の前にいる。
その事実に、ガゼルのなかで、言葉にならないほどの感情があふれ出した。
「もうお兄ちゃんったら、どうしたのそんな泣きそうな顔を――キャっ――」
レイアが言葉を言い終わらないうちに、ガゼルはレイアを抱き寄せた。
「―――レイア・・・・」
ガゼルにはそれしか言葉が出てこなかった。
嬉しさと、もしかしたら夢かも知れないという不安。
自分のせいで身を危険にさらしてしまった妹に対して、合わす顔があるのかという気持ち。
さまざまな感情がせめぎあって、ガゼルは泣いた。
「レイア・・・・ごめんなあ・・・・俺が・・・もっとしっかりしてればなあ・・・・」
涙は止まらなかった。
そしてそれと同じくらい、謝罪の言葉も止まらなかった。
「お兄ちゃん・・・・いいんだよそんなの。私こそ、勝手なことしてごめんなさい」
自分の肩で泣く兄の頭を撫でながら、レイアも兄のことを抱き寄せる。
「そしてありがとう。助けてくれて、ありがとう」
妹の、ガゼルを慈しむ言葉の前で、ガゼルはついに言葉をなくした。
今まで一時も許したことのなかった自分のことを、ほんの少しだけ許すことができた。
一人で頑張ってきた自分が、報われた気がした。
これでようやく一歩、前に進めるような、そんな気がしたのだ。
「あ、そうだよお兄ちゃん! こんなことしてる場合じゃなかった、みんなが待ってるんだよ!」
そんななか、突然思い出したかのようにレイアは言った。
「待ってるって・・・・何があるっていうんだ?」
「決まってるでしょ!」
まだ目覚めたばかりで、しかも思考が整理されていないガゼルはきょとんする。
妹そんな兄に対して、妹は当然といった感じで答えた。
「結婚式だよ」
●
状況が呑み込めず、しばしの間ガゼルはレイアに言われるがままとなった。
風呂に入り、服を着替える。
普段ガゼルが着る漆黒の装束とは真逆の真っ白な正装。
ガゼルは顔をしかめたが、レイアが絶対にそれじゃないとだめだというのでしぶしぶと着用する。
―――結婚式。
おぼろげながら記憶を思い出すガゼル。
たしか自分は戦神ボレアスと一騎打ちをしていたはずだ。
その理由はティアの魔王継承権を正当なものにするため。
最後に奥の手である《光の太刀》を三度も使用した。
まさか生き残ったというのだろうか。
未だに夢か現実かも区別がつかぬまま、ガゼルはレイアと廊下を歩いていた。
レイアからはこれまでの話を聞いた。
もちろんレイアも後から聞いた話のようだが、ガゼルは半ば相打ちのような形でボレアスに勝利したらしい。
ボレアスは完全に存在が消滅しており、対してガゼルは体中の細胞の半分近くが蒸発し、もはや瀕死といってもよかったのだとか。
それでも、スレイマンによりガゼルの勝利宣言がなされた。
そこまではよかったのだが、大変だったのはその後で、決着がついた瞬間、ガゼルの息の根を止めようと動いたゼラと、それを止めるスレイマンとの戦闘に発展してしまったようだ。
結果的にはスレイマンが勝利し、ディースがティアの相続を認めたためなんとか事なきを得たようだ。
その後大変だったのはティアだという。
ティアは瀕死のガゼルを救うため、全魔王軍の治癒魔法使いを集め、不眠不休で看護したのだ。
勿論そんな暴挙の代償は大きく、人間軍との向こう五十年間の休戦協定を結ばざるを得なかったようだ。
レイアが目覚めたのは、全魔冥宴の終了から1か月後くらいで、本人曰くなぜ眠っていたのかはよく覚えていないらしい。
レイアをゼラの部屋で発見したミサによれば、ゼラの持つ氷魔法によって生きたまま冷凍保存されていたということだ。
元々吸血鬼であるゼラの悪食は割と有名であり、ぞっとする話ではあるが、もしかしたらレイアもいつか食するつもりで冷凍保存していたのかもしれない。
「でも大変だったんだよ? お兄ちゃんったらもう一年近くも眠り続けて・・・何回ティア姉がチューしても効果なかったし・・・」
「ちょっと待て・・・」
後半、多少聞き捨てならない言葉があった気がするがこの際気にするまい。
それよりも、ガゼルにとって驚きなのは自分が一年もの間眠り続けていたという事実と、そしてもう一つ。
「何故、今日俺が目覚めるってわかったんだ?」
ガゼルが起きたときに偶然レイアがいた、というならわかるが、レイアは「結婚式のためにみんな待っている」といった。
つまりガゼルが今日起きることを事前にわかっていて、結婚式が準備されている、ということになる。 これは明らかに不自然だった。
「えーと。なんでだろ? なんか皆、自然と今日起きるだろうなって思ったの」
言われてレイアはほっぺをさすりながら言う。
「自然と?」
「あ、そうだ。なんかね、声が聞こえたんだよ」
「声?」
思い出したように言うレイアに向かってガゼルは尋ねる。
「うん、『もうすぐガゼルが起きますよ』って声が聞こえたの。確かに今思えば何だったのかなあ。でも、みんな安心して信じたんだよね」
茶目っ気たっぷりに言うレイアであったが、ありえない現象に、ガゼルは流石に頭を抱える。
「あ、そんなことよりお兄ちゃん、着いたよ!」
ガゼルの心境をよそに、レイアは嬉しそうに、そして勢いよく扉を開けた。
●
ガゼルはそのときまで、今いる自分の場所が、ひょっとしたら夢の世界なのではないかと思っていた。
生きているはずのない自分が生きていて、さらには長い間離れていた妹と再会できた。
ガゼルが望んだ都合のいい世界があるはずないと、心のどこかで思っていたのだ。
しかし、扉をくぐった先の眼前に広がる光景を見て、ガゼルはここが現実であると、あらためて実感した。
「――――」
ガゼルが立つのは、魔王城の中ではそれほど高くない階層のバルコニー。
だが、高くないだけに、自分の真下に広がる光景が意味のあるものだとよく分かる。
そこにあるのは人。
勿論人間ではない。
いるのは魔人だったり、時には獣人であったり、ゴブリンやオークだったり、中にはエルフやドワーフもちらほら見かける。
性別も種族も年齢も問わず、大魔境で考え得る限りの様々な魔族がいた。
圧倒的なのはその量だ。
眼下、魔王城の城壁内、見渡す限り埋め尽くされた生命の海がごった返しているのだ。
そして彼らは、これまた圧倒的な量の歓声を上げていた。
誰もがガゼルを見上げ、ガゼルに手を振り、ガゼルの名を呼んでいる。
―――ああ、思い出した。
その歓声はそれまでぼーっとしていたガゼルの頭を、一気にクリアにした。
ガゼルは自分の立場を、自分の力を、そしてこれから起こるであろうことを明確に読み取る。
目覚めてから今までただの兄でしかなかったガゼルが、洞察力豊かな魔王軍宰相のガゼルとなったのだ。
「ガゼル」
そんなガゼルの名を、後ろから一人の女性の声が呼ぶ。
聞き覚えのある声に、ガゼルは振り返った。
勿論、立っていたのはティア・メリル・ハドリアヌス。美しい純白のドレスに身を包み、そのドレスに負けないくらいの美しい白い肌。
煌めく金髪は一つにまとめて結われ、きりっとした鋭い深紅の瞳は、相変わらず闘志が宿っている。
「ああ、待たせてしまったようだね」
ティアを前に、ガゼルは表情を崩す。
おそらくこれから、自分が半生を共にするであろう少女だ。
成り行きでそうなってしまったようにも見えたが、後悔はない。
どうせ彼女に見初められてしまったのなら、地獄の果てに逃げても射止められていただろう。
「――本当にね」
ガゼルを前にティアは朗らかに笑い、そして手を前に出す。
ガゼルもまた、笑みを浮かべ、その手を取る。
そう、レイアの言に従うならばこれから行われるのは結婚式だ。
ガゼルより小さく、そして暖かいティアの手を引き寄せる。
二人が横に並ぶと、割れんばかりの歓声が起こった。
大地震でもあったのかと錯覚するほどの歓声は鳴りやむことを知らない。
そんな中、さらに扉の奥から出てきたのは一人の大柄の男―――ガゼルも知っている男だ。
「―――スレイマン閣下」
燃えるような赤髪の貫禄ある将軍を一目みるなり、ガゼルは目を丸くした。
「――閣下―――腕が―――」
そう、スレイマンは左腕を肩から全て失っていたのだ。
「ふん、ゼラのやつにな。不便ではあるが・・・むしろ奴の命を腕一本と引き換えならば安いものだ」
ガゼルとしては言いたいこともあった。
なにせ本来ならばティアの後見人を引き受けた自分がやらなければならない尻ぬぐいだ。
しかし、スレイマンは苦笑すると、ガゼルには何も言わせず、そのまま前に出た。
ティアとガゼルよりも前だ。
「――――」
歓声が静まった。
「―――前魔王ヴォルザード・サイアー・ハドリアヌスの弟、スレイマン・サイアー・ハドリアヌスである‼」
スレイマンのまるで天が避けるかのような大声が響いた。
「このたび、諸君の知っての通り、魔王の継承権がティア・メリル・ハドリアヌスへと移ることになった‼」
城下の観衆はスレイマンの言葉を黙って聞いていた。
「そしてその立役者となった男を、我らが王女殿下は婿に迎えることに決めたようだ」
スレイマンはにやりと笑う。
そして大きく息を吸い込んだ。
「王弟スレイマンの名において、ティア・メリル・ハドリアヌスと、ガゼル・ワーグナーの結婚を、ここに宣言する‼」
「―――――‼」
スレイマンが叫んだ瞬間、再び天変地異のような歓声が魔王城に響いた。
ガゼルが《戦神ボレアス》を破ったという事実は、この一年で大魔境中の魔族が知るところとなっていたらしい。
元々宰相としてその政治的手腕自体には名声を轟かせていたガゼルである。
それがボレアスを破るほどの実力を持っているというのだから、全魔族に反対の意識はない。
ヴォルザードという傑物を失ってしまった以上、誰もが新たな指導者を求めていたのだ。
それゆえに、大魔境中の隅々から、ガゼルを一目見ようとこんなに大勢が集まった。
収まることのない歓声の中、スレイマンは一歩引いた。
そして前に出るのはティアと、そのティアに手を引かれたガゼルだ。
ティアは城下の魔族たちを見渡すと、軽く右手を挙げた。
スゥ――っと再び観衆は静まり返る。
「そしてもう一つ、皆さんに重要なお知らせがあります」
静まり返るのをを確認してから、ティアは話し出した。
「私、ティア・メリル・ハドリアヌスは、父から継承した魔王としての地位・財産・権限を。全て、ガゼル・ワーグナーに譲渡します」
スレイマンほどの大声ではないが、静かな城下にはっきりと響き渡るような透き通る声で、ティアは言った。
群衆は沈黙していた。
ティアの言った意味が分からなかったのだろうか。しかし、唐突に、前の方からぽつりと声が響く。
「―――魔王ガゼル、万歳―――」
それを皮切りに、声の幅は広がっていった。
「―――魔王ガゼル万歳‼ 女王ティア万歳‼ 大魔境に、栄光あれ‼」
「―――魔王ガゼル万歳‼ 女王ティア万歳‼ 大魔境に、栄光あれ‼」
そんな掛け声が、いつしか魔王城でこだましていた。
「――いいのか?」
歓声が響く中、ガゼルは隣で満足そうな顔をするティアに言った。
「ええ、好きな人には、一番偉くなって欲しいじゃない」
「――そうか」
ガゼルはふっと笑った。
そもそもティアは、ガゼルを魔王にするために、この一年間、一度たりとも《魔王》を名乗ったことはない。
必要のあるときは《魔王の継承者》を名乗った。
ガゼルに言ったように、好きな人が出世したら嬉しいという気持ちもあったが、本当は実益を求めてのことだ。
後々、魔王はガゼルということにしておいた方が軍事面でも内政面でも外交面でも都合がいい。
勿論、そんなことはガゼルもわかっている。
「ところで、結婚式なのにあれはしなくていいのか?」
唐突にガゼルが言う。
「あれ? あれってな――んっ――」
いつかの再現だろうか。
すさまじい速さでガゼルの腕の中に手繰り寄せられていたティアは、気づかないうちに自分の唇が奪われていることに気づく。
一年間感じることのなかった幸福感に包まれながらも、他人――どころか大魔境中の魔族に見守られていることに気づき、一気にティアの顔は紅潮する。
しかし振りほどこうとしてもガゼルは決してティアを離さない。
ティアも本音は離れたくないのか、腕は抵抗していても、唇はしっかりとガゼルの唇に密着させている。
暫くすると掛け声もやんでいた。
この場にいるすべての者が、目立つ位置で愛をはぐくむ若いカップルを見守っていた。
「――――ん―――」
長い時間を経て唇が離れる。
その瞬間、再び魔王城に歓声が鳴り響く。
今度は掛け声ではなく、どちらかと言えば若い二人への冷やかしのようなものだろう。
「―――もう―――」
顔を真っ赤に染めながらも、まんざらではない金髪の花嫁。
そんなティアを真っすぐにみやり、ガゼルは言う。
「ティア、ありがとう。君の決意のおかげで、俺は大切なものを取り戻せた気がする」
高らかに響く歓声の中でも、ガゼルの真摯な声はティアの耳元に真っすぐ届いた。
レイアのことだろうか、いやきっとそれ以外に、彼にも思うところはあったのかもしれない。
「私こそ、ありがとう。世界一無茶なお願いしちゃったわ」
てへ、と可愛らしく頬杖をつくティア。ガゼルは微笑みながら言う。
「愛しているよ、ティア」
そういってガゼルはティアを自分の肩に寄せ、眼下の群衆の方に向き直る。
ガゼルが手を挙げると、冷やかし交じりだった歓声は一気に熱狂へと変わった。
その日、その歓声がやむことはなかったという。
こうして、後に賢帝と言われる新たな魔王が誕生した。
彼の知世で魔王軍の領土が広がることはなかったが、彼の死後魔王軍が全盛期を迎えたのは、賢帝ガゼルの礎があったからだと、歴代の魔王は口を揃えて言ったという。




