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魔王インヘリテンス  作者: Moscow mule
第6章 【全魔冥宴二夜目】
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第6章 【全魔冥宴二夜目】②


 全魔冥宴は魔王城ヴェルヘルミナの最上階で行われている。

 そのフロアの大きさは、たかだか数人の会議が行われるだけとは思えないほど広大なものだが、中心に置かれた円卓が除去されると、その広さは余計に際立つ。

 何故魔王城の最上階に、ただ広いだけの無意味な空間があるのか――。

 このフロアを訪れた者ならば、誰しもが疑問に思うことだろう。


 しかし、一部の戦士――命がけの戦いを経験したことがある者は、その理由を察することはたやすい。

 このフロアに流れる独特の重い空気感、わずかに残る血と鉄の匂い、そして誇りをかけて戦ったであろう戦士たちの闘気。

 古来より魔族というのは戦いを重んじる。

 意見が分かれたときに一騎打ちという手段が用いられることは必然だろう。

 そんな一騎打ちの中でも、魔王城で行われる一騎打ちというのは、代々最上階で行われてきた。


 そして今夜、城壁と同じく薄紫色の床と壁と天井に包まれたただ広いだけの空間の中心に立つのはただ二人の魔人。

 残りの4人は彼らからは距離をとりつつ、目視は可能な位置に座る。


 中心に立つ男の片割れ、灰色の髪の細身の青年、ガゼルは自分たちを見守る4人の方へと顔を向ける。

 その中では小柄で目立つ金髪の少女は、真剣な面持ちでガゼルを見つめている。


 ―――全くとんでもない博打に出てしまったものだ。


 そうガゼルが思うのも仕方がない。

 今自分が相対するのは大魔境最強の《戦神》。

 かつて倒した赤龍などとは比較にならないプレッシャーがありありと感じられる。


 今からこんな化け物と戦わなければならないのかと思うと、昨夜感情の赴くままに行ってしまったことに、少しながら後悔を感じてしまうほどだ。


 しかし引き返すことはできない。時間は戻せないし、発言も取り消せないのだ。

 それにそもそも、こうなるように仕組んだのは自分自身であるのだから。



 ガゼルは昨夜のことを思い出した。





「それで、考えっていうのを聞かせてもらおうか」


 もはや明け方であっただろうか。

 ガゼルは、自身の腕を枕にして眠ろうとするティアを問いただした。


「考え?」


 もはや眠る気まんまんといったティアは、何の話だったかしら、と首をかしげる。


「とぼけないでくれ、俺が後ろ盾になれば勝てる考えがあるって言っただろう?」


「ああ、そうだったわね」


 ため息をつきつつ尋ねると、ティアは思い出したように言う。


「貴方がボレアスとの一騎打ちに勝てばいいのよ」


「・・・冗談だよな?」


 一瞬、ガゼルはティアの言っている意味が分からなかった。

 ボレアスに挑むということは死を意味する。

 戦神の名は伊達ではない。

 つまりこの少女は、ガゼルの実力を見誤って婚約を申し込んだ間抜けな少女か、はたまた惚れた相手を死地に送りたがる重度のヤンデレだろうか。


「至って真面目よ」


 呆けるがセルに対し、ティアは説明を始める。


「まず、現在のボレアスの立場は一言で言って《異常》よ。戦闘能力では随一といわれる最強の四天魔将にして、魔王継承者の第一候補が、明らかに戦闘能力で劣るゼラを支持するなんてどう考えてもおかしいわ。元々のボレアスの性格からしても信じられないことよ」


 ティアの言っていることは、四天魔将の力関係をある程度知っている者なら誰でもわかることだ。

 あの戦神ボレアスが、自分よりも弱い者を支持するはずがない。


「つまり、ボレアスはゼラから何かしらの魔法による制限を受けていると考えるべきだわ。思考操作系の呪術かしら。いかにも吸血鬼の考えそうなことだわ」


 苦い顔をしながらティアが言う。

 ここまではガゼルの予想とも合致することだ。

 ガゼルは黙ってティアの言葉を聞いた。


「――そして思考操作系の制限を受けていることで、おそらくボレアスの戦闘能力は本来より格段に下がっていると予想されるわ」


「―――」


 これはガゼルは考えていなかったことだ。どの程度の思考操作なのか、こちらからわかるわけがないのだから、どうせ考えてもわからないことなのだ。


「思考操作系の呪術は大きく2つのタイプに分かれるわ。一つは細かい行動の一つ一つまで術者の管理の元におく完全操作系。もう一つは、対象者の思考の一部を書き換える記憶操作系ね」


 完全操作系の呪術は術者のほうにもリスクが大きく、相手にかけるには長い準備と相性が必要だ。記憶操作系は同じく準備こそ必要だが、比較的成功しやすい呪術だ。


「ゼラがボレアスにかけたのは、記憶操作系の呪術ね。完全操作系の術式に成功したとしても、ゼラがボレアスの一挙一動を制御したところで、ゼラにメリットは少ないわ。ゼラがボレアスの動きを再現できるとは思えないもの」


 そもそもボレアスは強力な魔法に対する耐性を持っており、大がかりな完全操作系の呪術など跳ね返されてしまう。

 記憶操作系なら、効果も小さい代わりに、対象者に浸透させることが比較的容易だろう。


「そして、ゼラがボレアスにかけた記憶操作だけど・・・多分、ボレアスの中の魔王像をゼラに置き換える、という手法を使っていると思うわ。これがゼラにとって、ボレアスがゼラを支持する最低条件であり、最も効果を発揮する条件だと考えられるからよ」


 そしてティアが言うにはこれがボレアスの弱体化につながるのだという。

 ガゼルは首をかしげる。

 それなら、ボレアスが本来の力を発揮できないのは、完全操作術式によってゼラに体のコントロールを奪われているからだ、と言われた方がつじつまが合うと思ったからだ。


「いえ、よく考えてみて。ボレアスにとって理想の魔王像ってどういったものだったかしら?」


「それは本人が公言してる通り、最も戦闘能力が高い者・・・じゃないのか?」


「そうよ、そして今は、その魔王像が《ゼラ》に置き換わっている可能性が高いわ」


「それはさっきも聞いたが―――ああ、そういうことか!」


 言われてガゼルは一瞬の思考の後、ティアの言わんとするところを理解する。


「そう―――今のボレアスにとっての《最強》が《ゼラ》である以上、ボレアスがゼラよりも強いと矛盾が生じる・・・つまり現在のボレアスはゼラよりも弱い状態――少なくともゼラよりも弱いと思い込んでいる状態にあるってことよ」


「―――予想につぐ予想に、最後は逆転の発想か・・・」


 ティアの予想が当たっていれば確かにボレアスがゼラよりも弱体化している可能性は十分にある。

 しかし、別にティアの予想になにかしらの根拠があるわけではない。


「やってみなければわからない・・・まさに大博打だな」


 ガゼルはため息をつく。

 そして、もしもその予想が当たっていたとしても、もう一つ問題がある。


「君の推察通り、ボレアスがゼラよりも弱体化しているとして、ゼラより弱い俺がそいつを倒せると思うか?」


 ボレアスよりも弱いと言っても、ゼラは武力の象徴、四天魔将の一角。

 とてもではないが楽観視できる相手ではない。


「あら? いつあなたがゼラと戦ったことがあったかしら」


 そんなガゼルを前に、ティアはさも当然とのように言う。


「確かに直接戦ったことはないが、しかし仮にも―――」


「大丈夫よ」


 ガゼルの言葉はティアによって止められる。

 ティアは当然とばかりに胸を張って言った。


「私の惚れた男が、あんな姑息な奴に負けるはずがないわ」


 ガゼルは押し黙るしかなかった。



「―――とんだ娘に見初められてしまったものだ」


 臨戦態勢のボレアスを前にしつつ、ガゼルは小声でつぶやいた。


 よく考えれば一つでも違っていれば全く意味のない予想だ。


 ボレアスがゼラに呪術をかけられたということも、その呪術が記憶操作であることも、その内容が、ボレアスの魔王像の置き換えであることも、その効果がボレアスの弱体化であることも、全てが根拠のない予想。ガゼルたちに都合のよい予想に過ぎない。


 そしてその予想がすべて当たっていたとしても、ゼラ並に弱体化したボレアスに、ガゼルが勝てるという道理はない。

 ティアは大丈夫と太鼓判を押したが、根拠などないだろう。


 もっともガゼルにしても、結局のところこの策ともいえない推察に乗るしか方法はなかった。

 ガゼルたちが魔族である以上、《最強》を差し置いて魔王の後継者にはなり得ぬのだ。


 策を講じてゼラを出し抜き、魔王の称号を得ても、武官の支持を得られなければ結局のところ意味はないし、不意打ちや闇討ちでゼラたちを無効化するのは、もう一人の魔将、スレイマンの反感を招くだろう。スレイマンを敵陣営に回すことだけは避ける必要がある。

 もっとも、不意打ちや闇討ちが成功する可能性など皆無に等しいが。


 ともかく、どちらにせよ賭けに出なければならないならば、その後のメリットの多い選択肢を選ぶしかない。

 公正明大な一騎打ちによりボレアスを倒したなら、どんな武官も文句は言えないだろうし、《正々堂々》というのはスレイマンの支持するところだろう。

 勝ったあとに、ゼラとディースが強硬策に出るストッパーになってくれるはずだ。


 そして・・・勝てば絶大な権力に、お転婆ながら可愛らしい妻もできる。

 そしてその妻の言を信じるならば、ゼラの隠しているという妹のレイアを取り戻すこともできるだろう。


 ガゼルは再び覚悟を決める。

 しっかりと眼前の大男―――戦神ボレアスを見据え、一挙一動に目を見張る。

 魔族の一騎打ちに開始の合図はない。お互いが動いた時が勝負の始まりだ。

 この期に及んで小細工を弄することもないだろう。


 ゆっくりと手をかけるのは腰に差す赤龍剣。

 ボレアスの持つ大剣アロンダイトに比べればいささか格は落ちるが、受けられぬことはないだろう。

 ボレアスはその見開いた両目をガゼルから離そうとはしない。

 全身からあふれる闘気を隠そうともせず、勇者も顔負けなプレッシャーを放ち続けている。

 間違いなく臨戦態勢だろう。

 そんな、下級の魔物では数秒も耐えられないような一触即発の空気は、数十秒で終わる。

 前触れなく、ガゼルは動いた。

 


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