第6章 【全魔冥宴二夜目】①
ガゼルが目覚めるのは早かった。
小さな窓からほんの少しこぼれる日差しを疎ましく思いながら、自身の真横に慣れない気配があることに気づく。
―――夢ではない・・・か。
真横で眠るのは小柄な金髪の少女、ティア。
すやすやと寝息を立てながらガゼルの腕の中で眠る彼女は、この大魔境の全てを担う魔王の次期候補にはとても見えない。
――――とんだ博打をしてしまったものだな。
我ながら昨夜のことを思い出すと思わず笑みがこぼれた。
四天魔将と争うような魔王の後継者争奪戦。
本来なら相当の政治的意味を持つ後見人と、さらには自身の夫選びを、父の死後間もない少女が一人で決心し、大立ち回りを演じて見せたのだ。
妹――レイアの所在というのはガゼルにとっては喉から手が出るほど欲しい情報ではあったが、今回ガゼルがティアに協力する決め手となったのは、この高度な政治的問題にあえて自身の感情を持ち出したティアの度量と人格だろう。
冷静沈着なガゼルといえども、感情のある一人の男である。
こうも正面から好意をぶつけられては断れるはずがなかった。
もちろんその代償として、この一夜にしてガゼルは瞬く間にこの魔王継承問題の表舞台に躍り出ることになったわけだ。
負ければすべてを失い、勝てば大魔境の全ての権力と、長年探していた妹―――もっともティアの情報が真実かは判断はつきかねるが―――を手に入れることができる。
こうなったからにはガゼルも覚悟を決めた。
相手どるのは魔王軍最強の四天魔将、勝算は低いが、まだガゼルには奥の手がある。
うまく盤面を動かせば可能性はある。
●
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
再びガゼルの声によって、全魔冥宴の二日目は始まった。
相も変わらずだだっ広い魔王城の最上階で行われるこの全魔冥宴は、新たにティアを加えた6名が席に連ねていた。
円卓には上座から任官順に並び、スレイマン、ボレアス、ゼラ、ディース、ガゼル、ティアとなっている。
「本日は新たにティア王女を加えての開催となるので、まずは昨日と同じく、簡単な状況の説明をさせていただきます」
説明をしながら、ガゼルは隣に座るティアに目をやる。
昨夜とは違い、紅の綺麗なドレスに身を包んだ少女は、顔が強張り、いくらか緊張しているようにも思える。
しかしその瞳には間違いなく闘志がこもっていた。
そんなティアの姿に安心しつつも、この後待ち受ける試練に、ガゼルは静かに冷や汗を感じる。
「―――つまり議題は、亡きヴォルザード陛下の残した遺書の効力となるわけですが、この点について一つ皆様にお知らせがあります」
説明が終わると、ガゼルはそう前置きして円卓を見渡す。
ほかの面々の様子は昨日とそれほど変わってはいない。
ゼラは余裕そうな涼し気な顔をしているが、他の魔将は難しそうな顔をしている。
―――さあ、運命の時だ。
「私、ガゼル・ワーグナーは昨夜正式にティア・メリル・ハドリアヌス王女と婚約を致しました。よって私がティア王女の後見人となることで、遺書の効力は有効となるでしょう」
「!?」
驚く者、無反応の者、困惑する者、にやつく者。
反応はそれぞれであったが、最初に口を開いたのはスレイマンだ。
「王女、それはたしかですかな?」
目を細めながら低い声で尋ねるスレイマンに、ティアははっきりと宣言するかのように答えた。
「ええ、確かです。昨夜私からガゼルに結婚を申し込み、彼が承諾しました」
その返答に今度は全員が軽く目を見開いた。
まさかティアに魔王への野心がそれほどあるとは、誰も思っていなかったのだ。
どうせ相続の破棄を宣言するだろうというのが大方の予想であったのである。
そして畳みかけるようにティアは言う。
「ガゼルならば、今の魔王軍を父に代わり収めることが可能でしょう。父の作った産業や技術の運営の難しさは生半可なものではありませんが、ガゼルは部下から信望も厚く、そのような運営の実績もあります。後見人として相応しいと思いますが」
「ふむ、一理あるな」
スレイマンは唸るように言う。
ヴォルザードの事業を長年見てきたスレイマンにとって、この魔王軍というのはティアのいうように生半可では運営できない。
スレイマン自身が魔王継承を辞退した理由の多くもここにあるが、確かにガゼルなら運営するという一点に限ってみれば問題のないように思える。
あくまで、運営できるか、という点についてだけだが。
「それはどうでしょうねえ」
そんな中、舐めるような口調で声を上げるのは凄然と余裕そうな顔を取り戻したゼラだ。
「確かに宰相閣下の組織運営力が高いことは認めますが、それだけで後見人に足るかといわれるとそれはどうでしょうかねえ。なにせ我々は魔族なのですから」
そう、組織運営ができるかどうかなどは、彼らが《魔族》という種族である以上、二の次に置かれる問題である。
魔族の中で絶対的なものは《力》だ。
たしかにガゼルは自身の直属の部下や、文官の多くから支持を集めているかもしれないが、では武官の中ではどうかと言われるとそれほどでもない。
例えば、ガゼルが魔王になったとして、ボレアスやスレイマンの部下が支持するかと言えば否であるし、ゼラやディースの部下が支持するかといえば否であろう。
武官にとって魔王とは強くなければならず、そういう意味でのガゼルは勿論弱いわけではないが、いささか実績に説得力が欠けるのだ。
一方ゼラは、魔王軍最強、戦神ボレアスを手中に収めている。
屈強なボレアスの部下たちも、司令官たるボレアスが支持するとなればそれに従うだろう。
「魔族たる我々にとって、魔王というのは強さの象徴でなければなりません、宰相閣下は確かに優秀ではありますが、いささか我々の象徴とするには物足りないのではないでしょうか?」
ゼラは嘲るように言い放った。
ガゼルは何も答えない。
左隣に座る未来の妻が先に言葉を発したからだ。
「つまり、ガゼルが魔王として十分な武力を有していれば問題はない、と?」
この言葉に再びゼラの表情が変わる。焦り、というほどではないが驚き、という表情だ。
「ええ、まあそういうことになりますが・・・少なくとも私を支持するボレアス殿よりは強くないと、ティア殿の後見人として充足しているとはいえないのでしょう」
わざわざボレアスの名を出したのは、そんな驚きからくる突飛な発言だったかもしれない。
なぜわざわざこのような方向に話を誘導するのか、ゼラにはティアの真意がわからなかったからだ。
もっともその真意も、次の瞬間には公然と明らかになる。
「ならば簡単です」
ティアは何でもないことのように言った。
「そちらのボレアス殿と私の後見人、ガゼルの、一騎打ちの決闘を申し込みます」
●
その場は凍り付いた。
ゼラには一瞬、ティアの言っていることの意味が分からなかった。
聞き間違えでなければ、今ティアは、自身の後見人と、戦神ボレアスとの決闘を提案した。
ゼラからしたら信じられない提案だ。
なぜならそれはゼラの中では最も愚策に位置する選択だったからだ。
戦神ボレアスに挑むということ、それは死を意味する。
この数百年間、最も多くの戦闘をし、最も多くの戦果を挙げ、最も多く勝利した男。
彼の戦績に刻まれる敗北はただ一つ、史上最強の魔王ヴォルザードに敗れたのみ。
それが四天魔将最強の男、ボレアスだ。
彼を最強たらしめているのは異常なほど強力なその身に宿る加護と、天性の身体能力だろう。
魔法無効の加護は、彼にかかるあらゆる物理魔法を跳ね返し、核撃魔法ですら傷一つつけるのがやっとだ。
加護は魔力を消費して発動するもので、普通、その維持には限度がある。
しかし、ボレアスの保有する魔力はなんのいたずらか、魔王ヴォルザードすら超えるほどで、彼の加護の効果が発揮されなかったことはない。
彼の丸太のように太い腕は、身の丈を優に越える大剣を片手で支え、紙っ切れのように軽々と扱い、剣速は音が遅れて聞こえるほどだ。
倒した人間の数はいざ知れず、勇者だろうが賢者だろうが、彼の前に立つ敵は、一瞬でこま切れと化すのが、この大陸でのルールなのだ。
(それに・・・挑むというのかこの男は・・・)
四天魔将の、少なくともゼラとディースは驚きを隠そうともせず、そして同時に思う。
(勝った・・・)
確かにわざわざ自分から死地にやってくるなど、敵も何かしらの考えがあるのかもしれない。
しかしそれを考慮してもボレアスに一騎打ちで勝利するなど、ガゼルなどという若者にできるはずなどないというのがゼラの認識だった。
「くくく・・・・はっっはっはっはっは!!」
沈黙の円卓でただ一人高らかに笑いを上げるのは、やはり四天魔将が一人、山脈の悪魔スレイマンだ。
彼にしてみればこれほどわかりやすことはあるまい。
どちらが魔王という座ふさわしいか、正々堂々一騎打ちにて証明しようというのだ。
しかも自分たち四天魔将の見る目の前でという。
闇討ち・不意打ち等、卑怯な手段を用いて戦うことは不可能だ。
まさに互いの戦闘能力だけにすべてを賭けた戦いとなるだろう。
そしてスレイマンにとって興味深いことは、この一騎打ちの提案したのが他でもないティア陣営だということだ。
確かにティア陣営が勝利し、魔王としての正当性を示すにはボレアスを超える武力を示す必要があったかもしれない。
しかしよりによってガゼルという若造を一騎打ちで差し向けるとは、スレイマンの予想するところではなかった。
もっともティアにしろガゼルにしろ策謀術中という意味では魔族らしからぬ稀有な能力を持っているというのはスレイマンも理解していることだ。
何かしらの策を持ってこの一騎打ちに望んでいるのだろう。
その策が他の四天魔将を欺けると思っているのか、あるいは策など捨てた自暴自棄な単なる特攻なのか・・・。
いずれにしてもスレイマンからしては、この若い青年と少女の覚悟の強さのみを読み取れた。
「くくくく・・・。いいだろう。その一騎打ち、王弟スレイマンが立会人を務めよう。まさか断るとは言わせんぞゼラよ」
スレイマンは低く唸って宣言した。
「――ええ、構いませんよ。向こう側がどういうつもりで挑んできたのかは知りませんが・・・無謀と勇猛は違うということを教えて差し上げましょう」
ゼラは承諾する。正直に言ってゼラからしてもガゼルとボレアスによる一騎打ちでの勝利は望むところであった。
ガゼル・ワーグナーという智謀に優れる魔人は、ゼラからすると幾万の軍よりも厄介な相手である。
自身が権力を手にした後、どのようにしてガゼルを排除するかはゼラも悩んでいた。
宰相という重要なポジションに付きつつ、部下からの信奉もあり、頭が切れる若者など、ゼラの新体制からしたら目の上のたん瘤でしかない。
そんなゼラにとって、一騎打ちでガゼルを葬れるというのはこの上なく安全な手段であるといえた。
なにせ一騎打ちは『どちらかの死』によってしか決着がつかないのだから・・・。
ゼラはほくそ笑んだ。自身の勝利を確信して―――。




