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魔王インヘリテンス  作者: Moscow mule
第5章 【策謀の夜】
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第5章 【策謀の夜】②


 時は少し戻る。


 ティアの元に遺書が届いたのは、全魔冥宴が終わってからほどなくしてからだった。


「これが、陛下が書かれた遺書になります。理由はこれを読めばわかるでしょうが・・・明日の全魔冥宴にはティア様も出席していただきますので」


 そう言ってスレイマンはティアにヴォルザードの遺書を手渡した。


『――魔王としての地位、並びに全ての権力と財産を、長女ティア・メリル・ハドリアヌスに相続する』


 遺書に書かれたそんな一文は、数分間ティアの目を釘付けにして離さなかった。


(何故お父様はこんなことを書いたの?)


 何も言わず急に死んでしまったと思ったのもつかの間、感情の整理もつかぬままに渡された魔王の権利。

 ティアにはその理由がわからなかった。

 こんな遺書を残されたところで、ティアには魔王をこなすだけの力がない。


 ティアは聡明な少女ではあるが、まだ若いうえに戦闘能力もない。

 賢いだけではなれないのが魔王という存在だ。

 そんな地位を娘に相続させて、父はいったい何をしたかったのか、ティアにはわからなかった。

 全魔冥宴では、自薦を含む過半数の票を獲得して四天魔将のゼラが魔王候補として選出された。

 戦神ボレアスが支持したというのが以外ではあったが、四天魔将ならば十分に魔王の地位をこなすことができるだろう。


(そんな相手に、私が歯向かう意義があるの?)


 自室の机で遺書を見下ろしながらティアはひたすら考えていた。

 考えに考えて、結局ティアには判断がつかなかった。

 どう考えても無理なものは無理。遺書の権利は放棄して、力のある四天魔将たちに任せるしかない。


(もう寝よう。私にはわからないわ)


 そう思い、ティアが床につこうとしたとき、不意に見下ろした遺書に、何か違和感を感じた。

 ぱっと見では気づかない違和感だが、明らかに先ほどまでとは書いてある内容が違う。


(一体なんだろう?)


 そう思いながらティアは再び遺書を手に取った。

 違和感の通り、遺書の内容は先ほどまでとはまるで違い、長文で構成されていた。

 ティアは注意深く文面を読み始めた。


『この文が浮かび上がっているということは、私は既に死に、この遺書はティアに読まれていることだろう』

 

 そんな一文から始まるこの文章は、間違いなく魔王ヴォルザードによって書かれたものだった。

 どうやら何かしらの魔法で、ティアの前で文面が変わるようになっていたようだ。

 ティアは驚きつつその文を読み進めた。


『・・・私は長く魔王を努めてきたが、後継者について目途を立てることができなかった。なにせ今の魔王軍は私が一代で築き上げたに等しい。その手法は歴代のどんな魔王軍と比べても異色なものであり、後継者にはそれを理解する能力が必要なのだ。・・・』


 ヴォルザードの造り上げた魔王軍は、文官による地盤の機構が含まれた、かつての魔族では考えられない精巧なものだ。

 確かにただの戦闘能力の高い魔人では、ヴォルザードにとっての後継者にはなりえないだろう。


『・・・もちろん中にはそのような能力を備えた理解者も存在した。しかし彼らを後継者に指名することは憚られた。四天魔将という、彼らよりも強力な魔人が存在したからだ。・・・』


 文書は手紙というよりも、ヴォルザードの手記という側面が強く出ているように思えた。

 手記は長々と続いていた。

 ティアは緊張しながら読み進める。


『・・・四天魔将を魔王にしてはならない。彼らは強大な戦闘能力を持っているが、今の魔王軍の本質は理解できていないだろう。魔王軍は単なる軍ではない。大魔境の平和と安寧のために必要な様々な機能を有している。食糧問題や、経済問題、それらを長期的に見て解決していく機構は、単なる野心家に運用することはできない。彼らの手に魔王の地位が渡れば、いずれ人間との力の差は再び逆転することになる。四天魔将にに権力を与えすぎたのは失敗だったかもしれない。・・・』


 ここまで読んだところで、ティアは知らぬうちに涙を流していた。

 父がどのような気持ちで魔王軍を作り上げてきたのか、再び身に染みて理解できた気がしたのだ。

 ティアは涙を拭いながら続きを読む。

 文書は裏まで続いていた。


『・・・そんな中で出会ったのがガゼルという男だ。勇者王との闘いで生き残ったこの青年は、私の思想を完璧に理解していた。後継者への期待もしたが、しかし残念なことに、彼自身に魔王への野心は無かった。きっと彼はすぐに辞退してしまうだろう。なにやら探し物をしているようだが、ゼラによって巧妙に隠されている。内戦は避けなければならない。・・・・』


 驚いたことにヴォルザードはガゼルの探し物――妹だったか――の居所まで突き止めていたらしい。

 内戦を避けなければならないというのは、ゼラとガゼルの間で対立が起こり、魔王軍が分裂してしまうことを危惧したのだろうか。


『・・・以上のことから、魔王の後継者選びは困難を極めた。そこで、私はこの問題を先延ばしにすることにした。すなわち、娘のティアに地位と財産をすべて相続するのだ。ティアは女である上に、戦闘力もないが、私の直系であり、明瞭な頭脳を持った娘だ。そしてなにより、女であるがゆえに婿を迎えることができる。この婿は限りなく魔王に近い権力を持つだろう。つまりは私では判断のできなかった後継者選びを、ティアに一任しようというのだ。婿に全権を委任してもいいし、孫が生まれるまで空位にしてもいい。ティアならば魔王軍の運営に事欠くことはあるまい。もっともこれは大きな賭けだろう。前述の通り四天魔将が黙っているとは思えないからだ。うまく立ち回らなければ彼らに対抗できまい。しかし私は自身の娘に期待したい。なにせ私の娘であるのだから。』


 文章はここで終わっていた。読み終わると同時に、文字はうっすらと消えていき、遺書は元の文面に戻ってしまった。


(夢でも見ているのかしら)


 魔王ヴォルザードは後継者選びに悩んだ結果、その後のことを完全にティアに一任したのだ。


『・・・私は自身の娘に期待したい・・・』


 この一言がティアの中で何度も反響された。


 ティアにとって父からの期待は命に代えてでも得難いものだ。

 裏切るわけにはいかない。


 ティアは覚悟を決めた。


(魔王軍を好き勝手には・・・・させない!)





「―――結婚ね。本気かい?」


 ガゼルはティアの予想していたほど驚きはしなかった。

 ティアが自室に来たことである程度は感づいていたのだろう。

 驚きというよりはむしろ困惑の顔色がうかがえる。


「本気よ。そうじゃなきゃわざわざ部屋にまで来ないわ」


 ティアは言った。

 なにせここでガゼルを口説き落とせなければ話にならないのだ。

 もともとティアがゼラに競り勝つには選択肢は限られていた。

 なにせティアには戦闘力がないのだ。

 いくら正当性があろうと有力者の後ろ盾がなければ同じ土俵には立てないだろう。


 まず、宰相たるガゼルを何とかして自陣に引き込まなければならない。

 結婚というのはその理想の形だろう。

 密接な関係であると同時に、もしも勝利した場合、確実に魔王かそれに準じる権力を得ることができ、相手方からしても魅力的な提案であると思う。ガゼルにそういった野心があるかはともかくだが。


「――遺書に効力を持たせるために俺に後ろ盾になれと?」


 ガゼルは言葉を選びながら真面目な顔で語り掛ける。


「そういうことね」


「つまりは――ゼラと対立することにしたのか。相続権の放棄をせずに」


 ガゼルは再びため息をつく。

 彼からすると現実的ではない選択なのだろう。

 勿論そんなことはティアもわかっている。


「ええ。ゼラを魔王にすることはできないわ」


 父ヴォルザードの言っていたことを思い出す。


 ―――四天魔将は今の魔王軍の本質を理解していない。 


 ティアの目から見て、ゼラという男は魔王軍という機構自体にはあまり関心がない様に見える。


「魔王軍はただの軍じゃないわ。今までのシステムを把握して、これからもその機構を生かしていけるような人でなければ魔王にはふさわしくないと思うの」


「・・・なるほど」


 決意のほどはわかったという感じでガゼルは頷く。

 勿論ガゼルにだってわかっていることだろう。

 彼もこの魔王軍のシステムに深く携わる人材なのだから。


「――しかしな・・・現実的に考えて俺が後ろ盾になったところで勝てるとは思えないが」


 ガゼルは難しい顔をする。

 そもそもヴォルザードの手記にあったように、ガゼルに魔王への野心は無い。

 野心がない以上、勝てない戦いに身を投じるリスクを背負うことはないのだ。


「それについては考えもあるけど・・・どちらにせよ貴方はゼラとは対立せざる負えないわ」


「どういうことだ?」


 ガゼルは顔をしかめる。


(ここが勝負どころだ)


 ここでガゼルが乗ってこなければ、ガゼルがティアに味方する理由はなくなる。

 ティア自体の魅力、というのもないわけではないだろうが、ガゼルはそういったことで物事を判断する質ではないだろう。


 ティアは意を決して打ち明ける。


「貴方の探し物を隠しているのはゼラよ」


「!?」


 ガゼルの顔色が変わった。口元は引き締まり、目は鋭い眼光を光らせている。


「残念ながらそれほど信用のある情報源ではないけど、父の手記に書いてあったことよ」


「見れるか?」


「駄目ね、この遺書が短時間だけ手記に変わる仕組みだったのだけど、もう変化する気配はないわ」


 そう言ってティアはガゼルに遺書を手渡す。

 ガゼルはしげしげとその遺書を眺めるが、もちろん何も変化はしない。


 そう、ガゼルの探し物――妹――を隠しているのがゼラだという証拠があるわけではない。

 このことをガゼルが信じるかどうかに全てが懸かっている。

 そしてその上でガゼルが勝算の薄いこの戦いに参戦してくれるかはまた賭けだ。


「――一つ聞いていいかい?」


 長く考え込んでいたガゼルが口を開いた。


「いいわ」


「君の後ろ盾――という意味なら俺よりもスレイマン将軍の方がよかったんじゃないか? 単純に戦闘力で比較しても、現在の地位的にもスレイマン将軍の方が優れているだろう。何故俺のところに来たんだい?」


 当然の疑問だ。ガゼルは宰相という高位の地位ではあるが、四天魔将と比べれば聊か劣る。

 それにスレイマンもヴォルザードの血縁だ。

 正当性もあったかもしれない。


「理由は3つあるわ」


 ティアは即答する。


「一つ目は、スレイマン閣下だと先がないってこと。スレイマン閣下は近縁だから結婚という形にはできないし、私に子供ができた場合、その子とスレイマン閣下との間で内紛が起こる可能性もあるわ」


「なるほど。二つ目は?」


「二つ目は、一つ目と少し似た理由になるけど、スレイマン閣下よりもガゼルを中心にした方が、今後の魔王軍がより発展するという見積もりをしているからよ。スレイマン閣下も新しい政策に理解はある方だけど、彼自身にそれを運用する能力はないわ」


「ずいぶんと俺を過大評価していないか?」


「貴方には実績があるもの」


 ガゼルならば少なくとも統治力でヴォルザードに後れを取ることはないだろう。

 実際ヴォルザードの手記でも太鼓判を押されていた。


「それで、三つ目は?」


 苦笑しつつガゼルが問う。


「三つ目は一番重要よ」


 多少もったいつけてティアは告げる。


「――初めて会った時から、私があなたに惚れているからよ」


「―――!?」


 これはティアの正直な気持ちだ。

 そして他の理由などおまけに過ぎないほど、ティアのガゼルへの想いは強い。

 こんな形で告白するとは夢にも思っていなかったが、気持ちを伝えられないよりはずっといいだろう。


(さあこれで言うことは全て言ったわ)


 ティアは深紅の瞳を真っすぐに向け、ガゼルの様子をうかがう。

 ガゼルはまた難しそうな顔をしてこちらをみていたが―――。


「――ぷっ―――」


 と唐突に吹き出した。


「ぷっ――くははははは‼ ・・・なるほどな。惚れてるからか‼ くはははは‼」


 そして吹き出した勢いそのままに腹を抱えて笑い出した。


「な、なによ! 悪い!? 一目惚れだったのよ‼」


 まさかの反応に、ティアは赤面して叫ぶ。折角勇気を出して告白したの笑われるのは心外だ。


「はははは‼ いや、すまない。全然予想してなかったよ。ははははは‼」


「もう‼ 台無しじゃないの‼ 」


「はは・・・ふー、すまない。まさかプロポーズのあとに告白されるとは思っていなくてね」


 何とか笑いをこらえるガゼル。

 確かに、一般的な恋愛とは真逆の順序で求愛をしてしまったかも知れない。


「―――じゃあ、折角勇気を出してくれたお嬢さんにはお礼をしないとな」   


「え、お礼?」


 意味が分からず、きょとんとするティアのそばに、ガゼルは目にもとまらぬ速さで移動してきた。

 流石は武官上がりは身のこなしが違う。


「よいしょっと」


「ひゃっ!」


 ガゼルは椅子に座っていたティアを軽々と持ち上げる。


「え、ちょっと!? なに!?」


「ほい!」


 状況がよく理解できていないティアを、ガゼルはそのままベッドの方まで運び、勢いに任せて押し倒す。


「え!? ちょっと‼ そういうのはまだ―んっ――」


 ようやく自分が何をされるか理解できたティアは顔を真っ赤にして抗議するが、ティアの唇は強引にガゼルの唇によって覆いかぶされ、言葉は宙を切る。


「――――――」


 想像よりも薄く、しかしやわらかいガゼルの唇の感触に、ティアは今までにない幸福感を感じながら、目を瞑った。


「――――――んっ――はあ―――はあ」


 時が止まったかのような長い沈黙を経て唇が離れる。

 ティアが目を開けると、ガゼルのいつになく真面目な顔がすぐ近くにあった。


「――――わかったよティア」


 ガゼルは真上からティアを見下ろしたまま、覚悟を決めたように言った。


「一緒に世界を征服しよう」


 こうして策謀の夜は夜明けを迎える。


 

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